第五話
「!?」
部屋へ戻ってきたギールが手にしていたものを見てアタルは目を大きく見開いて驚いていた。彼が持ってきたのは両手でやっと持ち上げているようなパンパンに膨れた袋だったからだ。
「ふう、ふう……お待たせしました」
息を切らせながら運んできたギールはその袋をテーブルの上にどさりと置いた。重量感のある音とともにチャリンと硬貨の音がすることからかなりの金額が入っていることがわかる。
「どうぞ、そのまま持ち歩くには重いでしょうから背負えるようにバッグも用意しましたのでこちらもどうぞ」
ギールは背中に背負っていたバッグをテーブルの上に乗せる。それはリュック型の普通のバッグだった。
「こ、こんなに?」
促されるままにアタルは置かれた袋の中を覗きこみ、再度驚いた。中には金色に輝く硬貨がこれでもかといわんばかりに詰め込まれている。
「うむ、これだけあれば当座はしのげると思うのだが足りるかね?」
思っていたような反応を見れなかったグレインはもしかしたら足りないか? とでも言いたそうな顔だった。
「じゅ、十分だ! というか、たかだか魔物を数匹倒した程度でこれだけの金額をもらうわけにはいかない!」
おそらくこれだけあれば一財産築けるほどの大金にアタルは袋の中の硬貨を数枚だけ抜いて、袋を突き返そうとする。
「お待ち下さい」
しかし、それはギールによって止められた。すっと差し出された手をたどって顔を見上げると、穏やかな普段の表情から一変して冷静な目つきにかわっていた。だが次の瞬間にギールはにっこりと笑顔で質問する。
「アタル様、我々を助けて頂いた場所から街まで幌の上に乗ってらっしゃいましたね。その時に何をされていました?」
「えっ? アタル様、何かされてらしたのですか?」
道中何事もなく穏やかだと思っていたアーシュナはギールが何を言っているのか疑問に思っていた。
「あー、あればれてたのか。消音にしてたし、遠くのやつを倒したからわからないと思っていたんだけど」
何も言ってこなかったことで気づかれていたとは思わなかったアタルは気まずさに頭を掻いていた。
「えぇ、私は御者をしていましたからね。前方に見えた影が突如倒れたり、誰も戦っていた様子もないのに街道横に魔物の死体があるのが見えていましたからね。全てを把握していたわけではありませんが、かなりの数になると思います」
隠していたことがばれたため、アタルは一層気まずい表情になっている。街に着くまでギールが何も言ってこなかったことですっかり油断していたというのもその要因だろう。
「嘘っ、全然気づかなかったです……」
「うむうむ、それだけの働きをしてくれたのであれば、この報酬も妥当というものだ。受け取ってくれ」
恩を押し売りするような相手ではないのならなおのこと受け取ってほしいとグレインは再び袋をアタルの前に押し返した。
「……はぁ、わかったよ。これは報酬としてありがたくもらっておくことにするよ。あんたたちとしてもそのほうが都合がいいんだろ?」
領主の娘がその身を助けられたことに対して、公表するわけではないとはいえ、ある程度の金額を用意しなければならないという面子があった。ここで受け取らなかったという話がどこからか漏れたとして困るのはきっと助けられたはずの領主側であろう。
「わかって頂けたようで助かります」
アタルが色々なことを飲み込んだうえで答えたことにグレインは笑顔になっていた。
「えっ? どういう?」
一連のやり取りをおろおろと見守ることしかできないアーシュナは世間知らずを絵に描いたようなお嬢様であり、グレインとアタルの間にあったやりとりの意味がわからないようだった。
「お前はわからなくていい、俺はこの報酬を頂いていく。お前たちは助かった、グレインは感謝の気持ちを形で表せた。まあ、そういうことだ」
未だわかっていない様子のアーシュナだったが、最終的にアタルが父の用意した報酬を受け取ってくれたことに満足していた。これで少しでも恩を返せたらいいと本心から思っているのだ。
「とりあえず、この金はそのバッグに詰めてっと……少し聞きたいんだが、俺はこのへんの出身じゃなくてな。かなり遠くから来たもんで、このあたりのことに詳しくない。それこそ、街の位置や基礎的な文化なんかもだ」
ひとまず金を受けとり、座り直すと改めて相談を持ち掛ける。お金もさることながらこの世界の常識がない彼にとっては死活問題だった。
「それならば、私がご教授いたします!」
意気込んだアーシュナは自分がお役に立てることができたと握り拳を作って立ち上がるが、アタルは首をやんわりと横に振る。
「ここで教えてもらっても、それは限られたことだけになるし……なにより、もう少し一般的な情報を持っているやつがいいな」
「ふむ、誰か良い者がいたかな?」
娘に教養がないという言い方ではないことからなにか彼に考えがあっての発言だろうとグレインはその先を促す。
「……あの、それでは奴隷を購入されてはいかがでしょうか?」
そっと助言してきたそれはギールの言葉だった。
「奴隷?」
日本生まれのアタルからすれば、その言葉に対して良い印象は持たなかった。そのため、怪訝な表情になっている。いくら困っているとはいえ、奴隷となると抵抗感が強かった。
「えぇ、アタル様の生まれ育った場所では奴隷はおりませんでしたか?」
そんなアタルの反応を見て意外そうにギールが質問を返す。アタルが思っている以上にこの世界では奴隷という制度は一般的なもののようだった。
「自分が生まれ育った国ではなかったな、他の国にはいるという話は聞いたことがあるが……」
「そうですか、それでは少しこの近辺での奴隷制度についてご説明しましょう」
表情の固いアタルのことを気遣ってか、ギールが説明を始めた。
「この国の奴隷は、仕事として認められた奴隷商のみが取り扱うことができます。それゆえに、奴隷が酷い扱いを受けることは少ないです。同時に最低限の読み書きなどを奴隷商が仕込みますので、言い方は悪いかもしれませんが商品としてしっかりした奴隷が売られることになります。役割は様々です、戦闘奴隷、家事奴隷、職人奴隷などなど」
アタルのイメージでは手ひどい扱いを受けているものだというイメージがあったため、ギールの説明は興味を引くものだった。話を聞いていると派遣社員のようなものかという印象を受けた。
「その奴隷は俺でも買うことができるのか?」
「もちろんです。料金さえ支払えば、問題はありません。基本的に奴隷は所有者に逆らうことができないよう奴隷紋が刻まれます。ただし、そのかわり所有者は奴隷に対して衣食を提供する義務があります。更には奴隷に対して手ひどい仕打ちをすれば、所有者が処罰されることもございます」
少しでもアタルの持つ印象が変わればいいとギールは奴隷を所有する上でのルールを隠さずに話していった。
「それなら問題はない……金もある。うん、だったら奴隷をというのはありかもしれないな」
最初抱いていた奴隷というイメージが払しょくされつつあることでアタルは乗り気になってきていた。
「うむ、それではギール、明日アタル殿を奴隷商のところへ案内するように。今日はうちに泊まっていってもらおう。さあ、宴の支度だ」
「かしこまりました」
ギールは恭しく一礼すると、部屋から出てアタルが泊まる部屋の準備と夜は宴にするようご馳走の手配に奔走する。
「いや、これだけ報酬をもらっておいて、泊まるというのも」
「アタル殿、これは感謝の気持ちだ。ぜひ泊まっていってもらいたい」
ここは引かないといった強い視線を送りながら言うグレインにアタルが折れることにする。どうせ宿の確保もしないまま来てしまったため、厚意を無下にするよりはいいかとの判断だった。
「はあ、それじゃ頼む。とりあえず夕食まで少し横になって休みたいんだが……」
アタルの返事を聞くやいなや、グレインは大きく手を二度ほど叩き、近くにいたメイドを呼んで部屋へと案内させる。
この日の夕食は、グレインの言うとおり普段見られないようなご馳走ばかりが並べられた。
明日は奴隷商に向かうということで、いろいろ考えに没頭しなかなかアタルは寝付けなかったが、夜が明ける前には自然と眠りについていた。
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