第三百六十二話
数秒が経過したのち、アタルは肩の力を抜く。
「はあ、こうやって見つめ合っていても仕方ないな。そこの椅子に座ってくれ。なにも俺たちはあんたと敵対したいわけじゃなくて、話をしたかっただけだ」
アタルのほうから話を切り出して拘束していた縄を解く――あくまで対話を望んでいる、と伝えるために武器はしまっていた。
「…………」
口を一文字に閉じたままじっと見ていたキャロの父は、無言のまま近くにあった椅子へと腰掛ける。
その対面にアタルが座り、緊張の面持ちでキャロはアタルの後ろに立っている。
「さて、まずは自己紹介からいこうか。俺の名前はアタル。冒険者をして、ここまで旅をしてきた。さっきあんたの上に乗っていたのは窓のやつがイフリア、入り口のやつがバルキアスだ」
自分から話したほうがいいだろうと判断したアタルは自己紹介から始める。
だがあえてキャロの説明はしない。
「――私はキャロです。同じく冒険者をやっていて……たぶん、あなたの娘、だと思います」
複雑な気持ちを抱えながらキャロは少し自信のなさそうな口調で、しかし確信をもった視線を父に向けている。
「っ……ほ、本当にキャロなのか? あの子は村が襲われた時に攫われて、それからいくら探しても見つからなかったんだぞ!?」
改めて落ち着いてキャロをじっとみる男の目は困惑に満ちていた。
長年見つからなかった、既に死んだと諦めていた娘が目の前に現れたとなったら、にわかには信じられないと言うのも理解できる。
「本当だ。あんたの弟にも会って、そこでちゃんとキャロのことを認めてくれた……母親によく似ていると言っていたぞ」
獣人の国に行った際のことをアタルが説明し、キャロは隣で頷く。
「おっしゃるように、私は村が襲われた時に攫われました。その時の記憶はありませんが、状況的にそうだったと聞いています。それから、私は色々な場所を転々としていました……そしてその度に大きな怪我をさせられました」
緊張からドクドクと高鳴る鼓動を抑えるようにこわばった表情のキャロは、ゆっくりと言葉を選びながらそう言って、ギュッと自分の身体を抱きしめるようにする。
アタルとの旅で多くのことが変化したが、それでもあの頃の記憶は辛いものであるのには変わりなかった。
これまで両親を探すためにいろいろと話す機会があったが、こればかりは何度しても慣れるものではなかった。
「そ、そんなことが……いや、しかしキャロは怪我をしていないよな? そんなに大きな怪我であるなら、あとが残っていそうだが……」
いまだ半信半疑であるため、話とは違うと、キャロの父はそんな質問を投げかけてしまう。
今のキャロはどう見ても五体満足で、怪我一つないきれいな肌をしている。
そう言うだろうということはなんとなくわかっていたため、苦笑したキャロが答える。
「本当です。私はたくさんの怪我をして、歩くのもままならない状態にまでなっていました。そして、ある奴隷商のもとに流れ着いていたのです……そこで運命的な出会いをしました――それがアタル様です」
先ほどまで痛々しい表情をしていたキャロは、柔らかくほほ笑んでアタルを見る。
あの時アタルと出会えた奇跡は、彼女の人生で忘れられない思い出だった。
「私の怪我は普通に考えればどれも治るものではありませんでした。耳はちぎれ、あちこちにやけどを負い、足の腱は切れ、声もほとんどでない、そんな状態でした」
今思い返しても、あれで生きてたのが奇跡といってもおかしくないほどの大けがである。
最低限の治療を施してもらってはいたが、ただ静かに死を待つだけなのだとあの奴隷商のもとで絶望していた。
「…………」
さらわれただけでそれほどのことになっていたとは思っていなかったキャロの父は絶句して言葉がでない。
「でも、それを全てアタル様が治療してくれたんですっ!」
これまでで最高の笑顔をキャロが見せた。
なぜ自分を選んでくれたのかは今でもわからなかったキャロだが、それでもアタルがしてくれたことはどれだけ何をしても返せないほどの大恩だと思っている。
「それからは、アタル様と一緒にずっとずっと旅をしてきました。奴隷だった私を解放してくださり、故郷に連れて行ってくれると約束をして、それも達成してくれて……次はお父さんとお母さんを探そうって言ってくれたんですっ」
たくさんのいろんな思いが溢れそうになりながら、感極まっている表情のキャロはこれまで自分になにがあったのか、そしてどうしてここまで来たのか、この言葉に詰めこんだ。
「まあ、そんな大したことはしていないんだけどな。それより、あんたの自己紹介を聞かせてもらってもいいか?」
キャロが話し終わるのを優しい眼差しで彼女を見て待っていたアタルが普段の表情に戻りながら獣人の男を見る。
ここまでアタルたちばかりが自分たちのことを話しており、まだ彼のことを全然聞いていなかった。
「あ、あぁ、すまなかった。私も驚いていたもので……いや、それは言い訳だな。私の名前は、カロタだ。ウサギの獣人が寄り添いあって暮らしていた街を襲われてからは妻のメーレとともに旅をしていた。最初のうちはキャロのことを探していたんだが、情報がなくなって久しくてな……もう、会えないと諦めていたんだ」
先ほどまで抜身の刀のように鋭い雰囲気だったカロタは、力なく静かに肩を落としながらうつむき、緩く首を振る。
そしてしっかり顔をあげるとキャロの顔を見て、次に視線をアタルへと向ける。
「アタル君、娘のことを助けてくれて、本当にありがとう」
そう言うと、カロタは深々と頭を下げた。
二度と会うことができないと思っていた娘と会うことができたのも、全てアタルのおかげだと感謝の気持ちにあふれていた。
「さっきも言ったが大したことはしてないさ。治療のために金がかかったとかもないし、労力だってほとんどかかっていない。それに、俺には俺の都合があって助けただけだ」
そんな眼差しを向けられることに慣れていないアタルはあまり感謝されても困るため、このような突き放したような言い方をする。
「ふふっ、そんな風に言ってもアタル様が優しいのはわかってますからねっ!」
アタルの態度が照れ隠しからの演技だとわかっているキャロがくすくすと笑い、嬉しそうにアタルを見る。
この件に関しては本当に感謝しているため、悪ぶった言い方はしてほしくなかった。
「ま、まあ、それでいいさ。それより、あんたは今は何をしているんだ? それとキャロの母親はどうしているんだ? 今回の件にはかかわっていないみたいだが……」
居心地の悪さを感じながらアタルは話題を変えようと口を開く。
今回の参加者や侵入者の中にもそれらしい姿はなかったため、アタルはこんな質問をした。
「あぁ、私は奴隷解放の団体に所属している。今回のようなオークションが開催されるという情報を手に入れたら、そこに事前に忍び込んで動き、最終的には騒動を起こして奴隷たちを助けるというものなんだ――せめてもの罪滅ぼしでな」
娘を助けることができなかったからこそ、このような活動を彼はしていた。
「妻のメーレは今、我々の本拠地である安全な隠れ家にいる。今回の件には参加しなかったのでな……キャロ、母さんに会いたいか?」
「も、もちろんですっ!」
父親らしい優しいカロタの問いかけに、驚きながらもキャロは即答した。
「では、二人を我々のアジトに案内したいと思うのだが……どうだ?」
キャロたちのパーティの主導権を握っているのはアタルであると理解しているため、カロタはこの質問をアタルに投げかけた。
「……あぁ、わかった。連れていってくれ」
キャロの期待を膨らませたまなざしに、優しく目を細めたアタルは静かに頷いた。
こうして、アタルたちは奴隷解放団体のアジトへと向かうこととなった……。
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