第百三十四話
「アタル様っ、あれを言ったらどうでしょう?」
「あぁ、あれか」
思い出したように話す二人のやりとりを聞いて店主はなんだろうかと首を傾げる。
「あれ、とはなんのことでしょうか……?」
おそるおそるうかがう店主の質問に対して、アタルは外に視線を向けた。
「外の宿の看板だけど、街の入り口から向かってくると全く見えなくなっている。あと、キャロの目がいいから気付いたが、店構えが宿屋っぽくない」
アタルが最初見過ごした理由の一番は見た目の問題だった。中に入ってみればいい雰囲気であるというのに、外装で損をしているとはっきりと告げる。
「ほ、本当ですか!?」
どうやら店主は看板の事を気付いていなかったようで、慌てて外に出て行った。
「気付かないものなんでしょうか?」
「わからんが、意外と本人たちは気付かないものなのかもしれないな……」
苦笑交じりにアタルとキャロが話していると、二階に行っていた女将が戻ってくる。
「お待たせしました……あら? うちの人はどこに行ったのでしょうか?」
女将は頬に手をあてながらキョロキョロとあたりを見回して、店主の所在を確認する。
「さっき外に出て行ったよ。確認したいことがあるらしい」
「あら、そうでしたか。それでは私もちょっと……」
のんびりとほほ笑んだ女将は受付前にアタルたちを残して外へ向かった。
「まあ、現実を知ったほうがいいだろうから少しくらい待とう。結構いい宿だけど、俺たち以外に客がいないのはやばいだろ。人通りは結構あるっていうのに……」
一息つきながらアタルは外に目をやる。宿の前のとおりには結構な数の人が行き交っていたが、誰一人として宿に目を向けるものはいなかった。
しばらくフロントで待っていると、スッキリとした表情の夫婦が戻ってくる。
「いやあ、あなたの言われた通りですね。確かに看板はみづらいですし、一見すると宿だとわかりづらいようです……いやあ、今までこれが当たり前だと思っていましたが、お二人の助言でなんとかなりそうです!」
感激したように店主はアタルの手をとって握手をし、うっすらと涙を浮かべた女将はキャロの手をとって握手をしてきた。
「い、いや、大したことは言ってないから、も、もう少し落ち着いてくれ」
「わ、私も何も言っていませんから、いませんから少し落ち着いて下さいっ」
大きく手を振りながら握手を二人を止めるためにアタルたちはそう声をかけた。
『ガウッ!!』
この空気を打ち破るようにバルキアスがひと際大きな声をあげたことで、夫婦ははっとしてアタルとキャロから離れる。
「す、すいませんでした」
「ご、ごめんなさい……」
自分たちの失態に気付いた二人は今度はすごい勢いで何度も頭を下げている。
「いいから、少し落ち着いてくれ。確認するが、俺たちが宿泊するのは問題ないんだな? 礼よりも俺たちにはそっちのほうが重要だ」
念押しするようにアタルが質問すると、満面の笑みで二人は大きく頷いた。
「もちろんです、長年悩んでいた問題を解決してくれたお二人にはどれだけ礼を言っても足りません。宿代のほうも無料で構いませんよ」
最初ののんびりとした雰囲気を取り戻した二人がそこまで言ってくれることにアタルたちは戸惑っていた。
「いや、気になったことをいくつか言ったが、解決していないし、そこまで言ってもらうほどのことでもないような気が……」
少し引き気味にアタルが言うものの、既に店主と女将は意外にも素早い手つきで手続きを進めており、アタルたちはなし崩し的に二人の厚意を受けることとなる。
それから女将はアタルたちの食事の準備などを担当し、店主は店の外観を変えるための構想を一晩中練っていた。
「さて、どうするか。とりあえず目的の獣人国までしばらくかかるから、俺としてはこの国の散策をしてもいいんじゃないかと思っている」
「賛成です! 宿代についても心配しなくていいみたいですし、この宿が少しでも良くなっていくのを見てみたいですっ。あとは、この国の特産品やエルフの作る装備なんてのも面白そうですね!」
アタルの提案に笑顔で頷いたキャロは人の良い宿の夫婦のことが気になっていた。そして、この国を見て回りたいというのも本当の気持ちだった。
「よし、じゃあしばらくはこの宿に逗留して、色々見て回ってから次の国に向かうことにしよう。あとは、次の巨人の国の情報が少しでも手に入ればいいんだが……」
このエルフの国の情報はある程度仕入れていたが、次に向かうこととなる巨人の国の情報はほとんどなかった。
「そうですね、巨人の国の情報収集もあわせて行っていきましょうっ」
基本的に情報収集はキャロが行っているため、アタルはそれに反対することはなかった。
「じゃあ、明日は朝から散策に出発だ!」
「おーっ」
『おー!』
アタルの言葉に楽しそうに腕をあげてキャロとバルキアスが賛同した。大きめの声だったが、隣の部屋は空き部屋だったため、特に苦情がくることはなかった。
翌朝
快適な夜を過ごすことができたアタルたちが食事のために一階に向かうと、宿泊客用の食堂に既に料理が用意され始めていた。
「おっ、朝から美味そうだな」
「おはようございますっ」
ふわりと食欲をそそる香りが食堂に満ちており、アタルは思わず挨拶より先に感想が口に出ていた。その後ろからぴょこんと顔を出して挨拶したキャロも期待からか耳が揺れている。キャロの足元にいたバルキアスは鼻をひくつかせて朝ごはんが待ちきれないと尻尾を揺らしている。
「お二人ともおはようございます。足音が聞こえたので、そろそろかと思って用意を始めてました」
朝ならではのメニューといえる、トーストとサラダ、それにハムエッグが用意されていた。
「少し軽めのメニューにしてみましたがご希望であれば、ボリュームのあるものの用意もできますのでご用命下さい」
ふんわりとほほ笑んだ女将はそう言い残して彼らがゆっくり朝食が取れるようにと厨房に戻って行った。
「キャロは大丈夫か?」
「はい、私はこれで十分ですっ。アタル様こそよろしいのですか?」
「俺もこれで十分だ。……それじゃあ、食べるか。いただきます」
「はい、私もいただきますっ」
互いを自然に気遣いながらアタルとキャロは食事を開始する。
バルキアスの分の朝食も別途用意されており、皿を目の前にして我慢できずに一人先に食べ始めていたバルキアスは食事が口にあったらしく、勢いよくガツガツと食べていた。
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