5 魔王の気持ち
「イエーイ、アガリー!」
「くそー」
勝ち誇る翠に、茜は眉根を寄せた。
夕食後、四人はリビングのコタツでトランプに興じていた。クロが覚えやすいようにシンプルなルールのものがいいだろうと、種目はババ抜きである。
翠にカードを渡したので、今度はそのクロからカードを受け取る番だった。ジョーカーを引かないように、茜はクロの表情を観察する。
そして、あることに気がついた。
「……眠いの?」
「うむ」重そうなまぶたと格闘しながらクロは言う。「いささか疲れた」
風呂に入って、食事をして、コタツで温まったのである。今まで野宿でろくに休めなかったことも考えれば、早々に眠くなるのも自然な成り行きだろう。
それなら、もう寝かせてあげよう。そう茜が考えた時、問題にぶち当たった。
「お客さん用の布団ってどこにあったっけ?」
と茜が尋ねれば、
「そもそも家にあったかしら?」
と葵が聞き返してくる。
しかし、解決案は意外にあっさりと出た。
「私のベッドで寝ればいいじゃん」
「まぁ、翠がいいなら、それでいいけど」
茜は消極的にそう賛同する。翠には悪い気もするが、他にいい案も思いつかなかった。
発案者だけに異存はないようで、翠はすっくと立ち上がる。
「じゃあ、行こっか」
「……うむ」
半ば夢遊病のように、うつらうつらしながらクロは翠の後についた。
幸い二人とも小柄である。一緒に寝たところで、さほどベッドは狭くならないだろう。だから、残った問題は――
「あ、寝る前にちゃんと歯磨きなさいよ」
茜にそう注意されると、翠はうんざりしたように「はいはい」と答えた。
◇◇◇
「やった!」
葵がそう歓声を上げた。
「私の勝ちね」
ババ抜き大会は二人だけになっても続行されていた。そして今回、葵はジョーカーではない、最後の一枚を引いたのだった。
葵とは正反対に、敗者の茜は渋い表情をする。負け惜しみを言うつもりはないが、それでもやはり納得いかない。
「顔に出やすいからって、目をつぶるのはルール違反だと思うんだけど……」
勝利の喜びを思い切り顔に出す葵を見ていると、茜は余計にそう抗議したくなるのだった。
光野家邸は日本全国を探せば似たような家がいくつも見つかりそうな、とりたて特徴のない一軒家である。同様に間取りにも特徴的な部分などはなく、一階はリビングやキッチン(、夫婦の寝室)といった家族の共用スペースが主で、二階は子供用の個室となっていた。
負けたペナルティとしてトランプを切りながら、茜はその二階をチラチラと見上げる。
「気になるの?」
「え?」
顔に出やすいのは自分も同じらしい。葵の質問に、茜は戸惑いながら首肯する。
「う、うん」
これを聞いて、葵は重ねて質問してきた。
「そんなにクロちゃんと一緒に寝たかった?」
「そうじゃなくて」
妙な勘繰りを茜はそう退けた。
何も照れ隠しで否定したわけではない。だから、茜は二階を気にする理由を説明しようとしたのだが、しかし、その必要はなかった。
リビングに現れたクロに、葵は驚いたように尋ねる。
「クロちゃん、どうかしたの?」
「ミドリに殴られた」
この発言にギョッとする葵。クロは痛みをこらえるよう体をさすりながら続ける。
「何で寝ながらあんな器用なことができるんだ?」
「そういえば、あの子、寝相悪かったわね」
葵の表情が、驚きから困惑に変わった。
昔、姉妹で一緒に寝ていた時にも、茜たちは寝相で暴れ回る翠に随分痛めつけられたものだった。この分だと、その癖は相変わらずのようである。
「そういうことなら、私と寝ましょうか」
代案として葵はそう言った。痛みと眠気からか、クロは弱々しく「うむ」と頷く。
「…………」
そんな二人の会話に、茜は黙って考え込む。
すると、気遣うように葵が声を掛けてきた。
「やっぱり、茜ちゃんが一緒に寝たかった?」
「だから、そうじゃなくて」
二度目の勘繰りも茜はそう退けた。
◇◇◇
葵たちに少し遅れて、茜も自分の部屋に戻った。
茜は寛ぐつもりでベッドに横になる。しかし、そのまますぐに睡眠へと移行しそうになっていた。
(今日は色々あって疲れたなぁ……)
半分眠ったような、ぼんやりした頭でそんなことを考える。もっとも、「色々」と言っても、根本的には一人にまつわることばかりなのだが。
そして、茜は改めてその一人のことを思う。
(あいつ、ちゃんと寝られてるかな)
色々あったというのなら、クロの方がよほど色々あっただろう。そのせいか、随分と疲れた様子だった。今頃は少しでも休めているだろうか。
と、茜が考えた、ちょうどその時だった。
部屋のドアが開いて、クロが現れる。
「どうしたの?」
茜の質問に、クロは痛みをこらえるよう体をさすりながら答える。
「アオイに締め技を喰らった」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんで寝相悪いからね」
案の定だったかと茜は困り顔をする。
葵も昔から寝相が悪く、周りのものに強く抱きつく癖があった。普段は抱き枕を使っているのだが、今日は一緒に寝たクロがその代わりをさせられたようだ。
しかし、翠もダメ、葵もダメとなると、必然的に選択肢はもう一つしかない。
「で、結局こうなるわけね」
狭くなったベッドの上で茜はぼやく。結局、クロと一緒に寝るのは自分ということになってしまったようだ。
「全く……」
様々な感情がその一言になって、夜の闇に紛れるように漏れ出た。
すると、これで多くを察したように、クロがポツリと尋ねてくる。
「アカネは、私が居候するのはやはり不満か?」
「不満っていうか……」
面と向かって聞かれると、茜は返答に窮してしまう。
何もクロのことが嫌いというわけではない。今夜接した限り、「魔王」という単語から想像するような悪人や悪党の類ではなさそうだった。それどころか、見た目や言動を可愛らしいと思うことさえある。家事の手間が増えるという実害がないわけではないが、一人分くらいならそう大きく変わるものでもないだろう。
ただ、クロは長年一緒に過ごした家族ではなく、今日出会ったばかりの人間である。いや、そもそも人間ですらなく魔族であり、そしてその中でも王である。これまでの茜の生活圏からはあまりにも遠い存在だった。
言ってみれば、茜にとってクロは異物なのである。だから、嫌悪感とまではいかなくても、異物感があることは否定できなかった。
勿論、そんなことは本人には言えない。
「アンタだって、魔界に帰りたいんじゃないの?」
誤魔化すように、茜はそれらしいことを尋ねる。
「家族とかいるでしょ?」
魔族の生態は知らないが、父が大魔王と言うからには親子関係は存在しているはずである。それなら、おそらく家族愛――親子愛や兄弟愛も存在しているだろう。だから、誤魔化すように尋ねた質問ではあるが、半分くらいは本心でもあった。
クロは少し答えるのに迷うような間を置いてから言った。
「……父上は職務で忙しい方だからな。もうずっと会っていない」
それから、更に付け加える。
「兄弟はいるが、母親が皆別なせいもあって、こちらもろくに会う機会がない」
魔界では一夫多妻が普通なのだろうか。仕事で不在の父親といい、茜の価値観からすると「複雑な家庭」という印象になる。
茜は続けて尋ねた。
「お母さんは?」
「母上は……」
話に出てこないので不思議に思って質問したのだが、クロはこれに口ごもってしまう。
その理由はすぐに分かった。
「母上は私がもっと幼かった頃に身罷られた」
抑揚のない声で答えるクロ。息を呑む茜。
(身罷られたって、亡くなったってことだよね……)
それを聞いたら、茜はもう何も言えなくなってしまった。「そっか……」と返事をするのが精一杯だった。
目はすっかり冴えてしまったが、それでも掛ける言葉は見つからない。クロもそれ以上は何も言ってこなかった。だから、二人の間に重く暗い沈黙が横たわる。
そのまま、しばらくは起きていたようだが、やはり疲れが溜まっていたのだろう。その内に、クロの寝息が聞こえてきた。
茜が横を向くと、すぐそばにクロの寝顔があった。部屋の暗さに目が慣れてきたからよく見える。先程の話からは想像できないような、あどけない寝顔である。
(親かぁ……)
クロを通して、茜は自分の両親に思いを馳せる。幸いなことに父も母も共に健在で、関係も良好である。それだけに、離れて暮らすことを寂しく感じる時もあるが、それでももう二度と会えないというわけではない。
おそらく、それは自分が考える以上に幸せなことなのだろう。
それからまた、茜は今日両親と交わした会話を思い出す。
〝イチャつくな! 死ね!〟
(……死ねって言ったのは謝ろう)
とりあえず、そう思った。
◇◇◇
「あれ?」
翌朝、リビングに現れた翠が、寝ぼけ眼をこすりながら尋ねてくる。
「クロはどこ?」
これに、葵は朝食の準備を続けながら答えた。
「翠ちゃんの寝相がひどいからって私と一緒に寝たんだけど、起きたらいなくなってたわ」
「あお姉の寝相も大概ひどいからね」
そう言い返す翠。その後で、残った可能性に言及する。
「てことは、クロはあか姉のところか」
消去法的に考えてそれしかないから、葵も同意見だった。
ただ、クロの問題が済むと、翠は今度、別の疑問が湧いてきたようだった。
「それにしても、あか姉がまだ起きてないなんて珍しいね」
「それもそうね」
言われてみれば、と葵も今更気付く。茜の起床時間はいつも自分より早いくらいで、時々起きたらもう家事が全て片付いているようなことまであるほどだった。
この事態を翠が茶化す。
「クロに喰べられてたりして」
「一晩寝かせて熟成的な?」
「いや、否定しようよ」
葵の返事に、翠は呆れ顔で答えた。
しかし、ただの雑談のはずが、その内に二人の表情はどんどん強張っていった。そんなことはない、ありえないとは思いつつ、食人説を100パーセント否定することもできなかったからである。
「……ちょっと様子を見てきましょうか」
葵は大真面目にそう提案した。
二人は息を潜め、忍び足で階段を上り、同じようにして廊下を歩く。茜の部屋の前まで来ると、そのドアをゆっくりと音の立たないように開けた。
そして、部屋の中の光景を見て、葵は囁くような声で言った。
「もうちょっと寝かせておいてあげましょうか」
「そうだね」
翠もそう頷く。
ベッドには、寄り添い合って眠る茜とクロの姿があった。