4 最初の晩餐
「作っといて今更だけど……」
お皿に盛りつけたそれを前に、茜は思案顔をする。
「魔王ってハンバーグ食べるのかな?」
「さぁ……?」
葵も困ったように首を傾げた。
先に指示したように、翠がクロと一緒にお風呂に入り、その間に茜と葵で夕食の支度を進めていたのである。
今日のメニューは、オーソドックスなハンバーグだった。今にもあふれ出そうなたっぷりの肉汁と、その上にかかった酸味のあるデミグラスソース。お互いが味だけでなく香りも引き立てあって食欲をそそる。特に子供に人気の料理だから、容姿だけで考えればクロも喜んでくれそうではある。
あくまでも、容姿だけで考えれば、という前提での話だが。
(魔王とか魔族っていうと、やっぱり人間を喰べるイメージがあるんだよなぁ……)
茜は漫画やゲームに出てくるような、ステレオタイプな魔王像を思い浮かべる。「魔界に人間が来ることは珍しい」という話を聞く限りそれはなさそうだが、しかし、固定観念はなかなか拭えなかった。
だから、茜はついこんなことまで考えてしまう。
「……翠のやつ、喰べられてたりしないよね」
「お湯を使って低温調理的な?」
「いや、否定しようよ」
葵のずれた反応に、茜は呆れ顔で答えた。
幸い、茜の不安は考え過ぎに終わった。
「ふぃー、さっぱりしたー」
心身ともに清々しいという表情で、翠がリビングに現れる。当然、クロを連れ立って。
だから、葵は彼女にも感想を求めた。
「気持ち良かった?」
「うむ」
満足げに、クロはそう頷く。
野宿で顔や体についた汚れは、綺麗に洗い流されていた。また奇抜さを強調するようだった魔界の民族衣装も、翠に借りた服に着替えて、年相応(?)のものに変わっている。
だから、茜は改めて思うのだった。
(やっぱり可愛いなぁ……)
そして、そんなことを思っていると、葵が横から声を掛けてきた。
「やっぱり可愛いわね」
「そ、そうですね」
茜は思わず敬語で相槌を打った。
◇◇◇
クロの入浴が済むと、四人はそのまま食卓を囲むことになった。
「いただきます」
茜たちが手を合わせて言う。すると、それを真似するように、「いただきます」とクロも続いた。
念の為に箸やスプーンも用意しておいたが、クロは迷うことなくナイフとフォークを選んだ。魔界も人間界もマナーは大きく変わらないのか、優雅な所作で一切れ目のハンバーグを口に運ぶ。
が、茜が驚いたのはそこではなかった。
「わりとあっさりいったね」
「?」
「いや、人間は大丈夫でも、魔族の体には合わないとかあるんじゃないかと」
たとえば、犬や猫にとって、タマネギや長ネギ、ニラといったネギ類は中毒を引き起こす食品である。他に、チョコやアボカド、ブドウ、キシリトール入りのガムなども同様で、昔家で犬を飼っていた時は、茜もあれこれ気をつけていた。
本人が「何でもよい」というので、仲間外れにすることもないだろうと主食のご飯から何から全く同じものを用意した。だが、本当にそれでよかったのだろうかと、今になって不安になってくる。
そんな茜に対し、クロは事もなげに言う。
「王家の血筋は特に魔力が強いからな。基本的に毒の類は効かんぞ」
続いて、魔界の毒と人間界の毒は違うのではないか、という新しく湧いた疑問にも答える。
「それに、食べれば死の可能性が生じるのは確かだが、食べなければ死は必定だからな」
「そりゃそうだ」
茜は深く納得した。
そんな二人のやりとりの後、葵が口を開く。今度は普通の食事時らしい会話だった。
「味はどうかしら?」
「美味いな。魔界一流の料理人の作ったものでも、これには及ばぬだろう」
味覚、ひいては食文化に違いはないのだろうか。また、魔界の文明がどれほどのものか知らないが、王侯貴族の食事に勝るというのは褒め過ぎではないか。居候する手前、気を遣っているのでなければいいのだが。
などと思いつつも、茜は頬を緩ませていた。
「そ、そう?」
「うむ」
一度短く答えてから、クロはそれを証明するように賛辞を並べた。
「口にした刹那にも馥郁たる香りが鼻腔に来儀し、脂膏の旨味が口腔を充羨する、まさしく香美脆味の大牢だな」
「……魔界語?」
「日本語だ」
聞き慣れない言葉に困惑する茜に、クロはそう告げた。
またお世辞だろうかとも茜は疑ったが、食べる時のやや緊張のやわらいだような表情を見るに、クロは本当に美味しく感じているようである。人間界に来てからまともに食事を取っていなかったせいかもしれないが、それならそれで彼女を満腹にしてあげられるということだ。だから、茜は一安心していた。
「翠ちゃんは?」
葵は同じく美味しそうに食べる妹にも尋ねる。翠はこう返した。
「めっちゃ美味い」
「この庶民っぷりである」
魔王との落差を、茜はそう言って揶揄する。翠は「うるさいなぁ」と口を尖らせると、話題そのものを変えた。
「魔界にもハンバーグってあるの?」
「似たようなものはあるが、火は通さないな。肉は生で食べることが多いから」
このクロの返答に、「へー」と真っ先に茜が反応していた。
「タルタルステーキみたいなものかな。今度作ってみようかな」
これを聞いて、翠がからかってくる。
「あか姉、もうデレたの?」
「……違うよ」
茜はそう否定したのだが、葵も翠に続いて言う。
「一晩持たないなんて、最短記録更新ね」
「違うつってんだろ」
茜は全力で否定した。
しかし、それでも葵はニコニコと笑みを浮かべたままだった。他人の話を聞いているのだろうか。
茜がそんな姉に対しての反論を考えている最中のことだった。翠が出し抜けに言う。
「あ、またポテトサラダにタマネギ入ってる。いつもやめてって言ってるのに」
この文句に、茜は考え事を中断する。
「好き嫌いしないで食べなさい」
「だから、タマネギが嫌いなんじゃなくて、タマネギの入ったポテトサラダが嫌いなんだって。パイナップルが好きでも酢豚には入れて欲しくないのと一緒だよ」
「ピリッとして味が引き締まって美味しいじゃん」
「それが嫌なんだよ。口直しに食べたいのに辛いって最悪じゃん」
二人がそうして言い争っていると、見かねたように葵が間に入って取り成そうとする。
「まあまあ、喧嘩しないで」
だが、その葵に翠は矛先を向けていた。
「あお姉は黙っててよ。ポテトサラダにリンゴを入れたがる味音痴のくせに」
「え」
戸惑う葵。しかし、これについては茜も翠に賛成だった。
「ああ、あれはないね。ありえない」
「えぇー」
間に入った結果が、二人による挟み撃ちである。葵は嘆くような声を上げた。
ただ、第三者の意見を仰ぐという考え方自体はありかもしれない。茜はしょぼくれたままの葵を無視して、クロに視線をやる。
「タマネギ入りはあり? それともなし?」
「そう言われても、ポテトサラダとやらを食べるのはこれが初めてのことだからな」
それもそうだった。茜は思い直して言う。
「じゃあ、次は比較用にタマネギが入ってないのも作ってみるね」
これを聞いて、翠が再びからかってくる。
「やっぱりデレてるじゃん」
「デレてない」
今回も茜は頑として認めなかった。
けれど、翠からはどうもそんな風に見えるらしい。クロだけずるいと言わんばかりに目をつり上げていた。
「ていうか、それなら普段から私用にタマネギ抜きのを作ってくれてもいいじゃん」
「ダメ」
即却下すると、茜はこう続ける。
「アンタはリンゴ入りを食べなさい」
「しれっと私を馬鹿にしていくのやめてくれないかしら」
拗ねた風な口調で答える葵。それから、助けを求めるように尋ねた。
「クロちゃんは、リンゴ入りを食べてみたいわよね?」
「話を聞く限り、不味いようだから結構だ」
「えぇー」
冷然と断るクロに、葵はまたもや嘆くような声を上げた。それで食卓に笑いが起こる。
勿論、クロも笑っていた。
◇◇◇
「ごちそうさまでした」
作法を教えたので、今度はクロも一緒になって四人で手を合わせた。
食器を片付け始めた葵を尻目に、翠は早々とテーブルを離れる。たまには手伝えと茜は小言をこぼしたくなるが、今日はクロの相手役も必要だろうからちょうど良かったかもしれない。
そのクロが言った。
「……何だ、それは?」
「何って、ココアだけど」
訝しむクロに、茜はそう説明する。洗い物の前に、デザート代わりのココアで一息ついていたのだ。
わざわざ質問してくるあたり、ハンバーグと違って魔界には似た飲み物がないのだろうか。茜はそう思ってコップを差し出す。
「飲んでみる?」
「……うむ」
と受け取りはしたものの、クロはすぐには飲もうとしなかった。まじまじ眺めたり、匂いを嗅いだり、スプーンですくったりかき混ぜたり、とにかく観察するような行動を繰り返す。
その後で、クロはようやく口をつける。しかも、それさえも恐る恐るという調子だった。
そして、舐めるように一口飲んだ感想は――
「うまっ」
クロは目を丸くして叫ぶ。
「何だこれ、うまっ」
「…………」
この反応に、茜は白い目を向けていた。ハンバーグを食べた時に並べ立てた魔界語は、一体どこへ行ってしまったのだろうか。
すると、クロは続けて言った。
「地獄のように黒く、愛のように深く、死のように濃く、そして接吻のように甘いな」
「いや、今更誤魔化しても遅いから」