3 いつもの
光野茜の容姿に特別目立つところはない。少なくとも、本人はそういう自己認識を持っていた。
規格外の姉との比較で、妹などにはああだこうだと言われるが、同世代の中では胸は標準的なサイズである。これは身長、体重にも同じことが言える。
また、姉がロングのストレートで、妹がショートのツインテールだから……というわけではないが、自身はセミロングの髪をポニーテールでまとめることが多かった。
それだけに、対照的に見た目どころか生まれや育ちまで全く普通でない少女を前にした時、茜の取る行動は一つだった。
「あのー、クロノワール様は本当に魔王様でいらっしゃるのですか?」
小市民的な姉の振る舞いに、翠は「露骨に下手に出始めたな……」と呟く。
一方、少女は王らしく厳かに頷いていた。
「うむ」
そして、やはり厳かな口調で続ける。
「正確に言えば、魔王の一柱だな」
既に説明を受けていたのだろう。これに、翠が補足した。
「魔界で一番偉いのが大魔王で、その子供のことを魔王って呼ぶんだって」
そう言いながら、気安く彼女の肩に手を置く。
「要するに、クロは王女みたいなもんだよ」
「王女と分かってて、よくそんな扱いができるな」
話を聞く限り、出会ってまだ間もないはずである。普通の人間同士でも、もう少し節度を持って付き合うのではないかと茜は思う。
だが、気安い態度を取ったのは、何も翠に限ったことではなかった。
「えっと、クロちゃんでいいのかしら?」
葵は確認するように聞いた後、にっこりと微笑んだ。
「私は光野葵。これからよろしくね」
「うおい、何よろしくしてんの!?」
茜は荒っぽく叫ぶ。一体、どういうつもりなのだろうか。先程の非現実的な光景にあてられて、正気を失ってしまったのではないか。
だが、葵は落ち着き払った様子だった。そればかりか、至極真剣に反論してくる。
「だって、こっちの世界に来たばかりってことは、他に行くあてがないってことでしょう? 可哀想じゃない」
「それはまぁそうなんだけど……」
魔王であることが事実なのと同様に、川原で野宿していたこともまた事実なのだ。このまま何もせずに、再び寒空の下へほっぽりだすのは茜も良心が咎める。
ただ、だからといって、自分の家に居候させる気にもならなかった。
「でも、魔王だよ、魔王」
「やっぱり、光の勇者的には許せない感じ?」
「やめて」
思わず遮る茜。ろくな話題ではないし、今必要な話題でもない。
「さっき魔法か何か使うの見たでしょ? 襲われたらどうすんの?」
「私には、人を傷つけるような子には見えないけど」
「…………」
彼女は黒炎を放つ前、何かに当たることのないよう空の様子を確認していた。また、その力で脅すなり何なりすれば――それこそ、魔王らしく世界征服でもすれば――野宿のような真似をする必要もなかっただろう。だから、葵の判断も安易な優しさによるものだとは言い切れない。
しかし、そうは言っても、やはり――
「猫かぶってるだけかもしれないじゃん。魔王なんだから、それくらいのことはしかねないでしょ」
「茜ちゃんは、もうちょっと他人を信じた方がいいと思うわよ」
「何で私が悪い感じになってるの!?」
思わぬ形で批判されて、茜はそう当惑した。
このまま葵とやり合っていても埒が明かない。茜は説得の為に別の糸口を探ることにする。
「クロノワール様は、お食事をお召し上がりになられますよね?」
「無論だ」
少女は「人の性は悪なりや」とでも聞かれたように、仰々しくそう答えた。それなら話は早い。
「じゃあ、普通に食費かかるじゃん」
鬼の首――この場合は魔王の首と表現するべきかもしれないが――を取ったように茜は言う。
「どうすんの? 生活費一人分増えるって結構なことだよ」
「それもそうね……」
現実的な問題が立ち塞がると、流石の葵も語気を弱めた。
だが、それに代わるように、今度は翠が言い返してくる。
「じゃあ、お父さんたちに聞いてみなよ」
売られた喧嘩を買おうというわけではないが、茜も翠に対して挑発的な物言いをする。
「いくらあの二人がちゃらんぽらんだからって、いいって言うわけないと思うけどね」
そう答えると、携帯で父に電話を掛けた。
父が転勤で県外に引っ越したのが約一年前の春。母もそれに付いて家を出た。だから、光野家邸で現在暮らしているのは三人の子供たちだけだった。
茜があれこれ上から目線で翠に指図したのも、両親が家にいないからという理由に拠るところが大きい。姉の葵に抜けたところがあることも合わせて、自分がしっかりしなければという意識は強かった。
そして、それは逆に言えば、依然として家庭内での最終的な決定権は両親にあるということでもあった。
「――ていうことなんだけど……」
我ながら滅茶苦茶な話だと思いながら、茜は説明を終えた。魔王の存在だけでも荒唐無稽である。その上、その魔王を家に居候させたいなどというのはもはや意味不明だろう。
これに対し、父・胡郎は――
「うん、まぁ、いいんじゃない」
「いいのかよ!」
口調も内容も気安いものだったせいで、茜は通話中にもかかわらず大声を出していた。
しかし、胡郎は相変わらず気安い調子で続ける。
「実を言うと、もう一人子供が欲しいかなって思ってたんだよ」
茜は「子供って、魔王だよ?」と反論しようとするが、その前に他の人物が話に割って入ってきた。
「あら、そうだったの?」
そう驚いた後、母・卯月は拗ねるような、甘えるような声を出す。
「言ってくれれば良かったのに」
「えっ? 本当?」
照れと喜びの入り交じった胡郎の声。おそらくだが、二人は受話器の向こうで手を重ねるなり、体を寄せるなりしているのだろう。
だから、茜の取る行動は一つだった。
「イチャつくな! 死ね!」
そう叫んで、茜は電話を切った。
これが父の転勤が単身赴任とならなかった――母が父についていった理由であり、またこれが茜が両親についていかなかった理由の一つでもあった。
お熱い夫婦仲を見せつけられたばかりで未だに怒りの収まらない茜に対して、翠は煽るようにニヤニヤしながら声を掛けてくる。
「お父さんたちのオッケー出たみたいだね」
感情任せに電話を切ったのは失敗だったかもしれない。茜は渋い顔をする。
もっとも、あそこから二人を反対派に転向させられるとは自分自身でも思っていなかった。何しろ、賛成派の葵と翠の親なのである。
「……分かった」
茜はとうとう観念した。
「魔界に帰る方法が見つかるまでは、うちに置いといてもいいことにしてあげる」
「怪我が治るまで」「引き取り手が見つかるまで」…… 家で生き物を飼う時、茜は往々にしてこのような譲歩をすることが多かった。今回はその変形である。
誤解のないよう、茜は釘を刺しておく。
「言っとくけど、魔界に帰る方法が見つかるまでだからね」
それから、これはあくまで身寄りのない少女を一時的に保護するようなものだと、そう自分に言い聞かせた。たとえ彼女が魔王であっても、不慣れな異世界での生活に当惑しているらしいことは確かなのだ。
「じゃあ、晩御飯作るから、その間にお風呂に入ってきなさい」
「はーい」
翠は本当に分かっているのか怪しいような軽いノリでそう答えると、「行こ」と少女の手を引っ張っていった。
「はぁ……」
魔王だという少女が自分の家に上がる様子に、茜は溜息をつく。
「魔王なんてどうやって世話したらいいか分かんないってのに気楽だなぁ」
このぼやきに、何故か葵は呆気に取られたようだった。
「茜ちゃん、そういう心配もしてたのね」
「え、うん」
戸惑いながら頷いた後、茜は尋ねる。
「それがどうかしたの?」
すると、これに葵は含み笑いをしながら答えた。
「今回も、一番文句言ってたはずの茜ちゃんが、なんやかんや一番気に入ってノリノリで世話しだすっていう、いつものパターンになりそうだなぁ、って」
「…………」
図星を突かれた感があって、茜は押し黙ってしまう。これまでにも、「飼うのは反対」「飼ってもいいけど、いつかは手放す」などと言いながら、その内に愛着が湧いてしまった例は数知れなかったのである。
だから、魔王だという少女の――クロの後姿を見ながら、茜は再び溜息をつくのだった。