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こんぱにおんでびる  作者: 我楽太一
第五章 まおうのきもち、ひとのきもち
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4 雨の日

「ん……」


 両親が帰ってきた日の翌朝。目が覚めると、茜は上体だけ起こして伸びをする。


「んー」


 それから隣を見るが、ベッドには既にクロの姿はなかった。


 朝なのに薄暗いままの部屋と、外からまばらに聞こえてくる音。夜半の内から、雨が降り出したようだ。


 茜が外の様子を確認しようと視線を向けると、その窓の側にクロが佇んでいた。


「おはよう」


 そう声を掛けて、茜もベッドを出た。


 茜はそのまま窓際まで行くと、クロの後ろに立つ形で外を見る。雨脚はさほど強いわけではないが、空には一面分厚い黒雲がかかっていた。


「もう起きてたんだ?」


「……うむ」


 返答こそあったが、クロは茜の方を振り向くことはなかった。物憂げな表情を浮かべたまま、外を眺め続ける。


「?」


 その様子が、茜には奇妙に映った。



          ◇◇◇



 リビングでは、同じように卯月が窓辺で沈んだ顔をしていた。


「雨が降ると、何だか憂鬱よね……」


 この呟きを聞いて、胡郎は言う。


「君の心にかかった雲を――」


「朝から胸焼けするからやめて」


 茜はそう父を制止した。油断も隙もあったものではない。


 それから、「おはよう」「おはよう」と親子で朝の挨拶を交わす。勿論、二人はクロにも同様のことをした。


「おはよう」


「……おはよう」


 クロは静かにそう答えた。茜たちの顔を見て、もう機嫌を直したような卯月と違い、まだ憂鬱そうである。


 そして、それは朝食を取った後でも変わらなかった。


「クロ、ゲームやろう」


「…………」


 翠の誘いに対して、クロは少し考えた末に口を開く。


「いや、今日はいい」


「あ、そう」


 クロに淡然と断られると、翠もそう言ってあっさり引き下がる。だが、顔には驚いたような、落胆したような表情がうっすら浮かんでいた。


 そんな翠を気遣うように、胡郎が声を掛けた。


「それなら、お父さんとやろう」


「チッ」それで翠は父にコントローラーを渡す。「じゃあ、やろっか」


「何で一回舌打ち挟んだの?」


「言って欲しいの?」


「いや、大丈夫です」


 胡郎は娘の申し出をそう遠慮した。


 ただ、久々の親子の再会だからだろう。父娘のゲーム対戦は、実際に始まってみると普段以上と思えるほど盛り上がっていた。天邪鬼な翠のことだから、先程の舌打ちも照れ隠しだったに違いない。


 一方、やはりクロは静かだった。TVの前に集まる一家から離れて窓辺に立つと、考え込むように外を見る。


 この様子に、卯月は声を潜めて言う。


「クロちゃん、今日は元気ないわね」


「体調でも悪いのかな」


 同じく小声で答える胡郎。もう家族同然に思っているようで、二人ともひどく心配そうだった。


 そんな両親に、翠は言った。


「お父さんたちがいるからじゃないの?」


 これを聞いた瞬間にも、茜の頭の中では昨夜クロが口にした言葉が蘇っていた。


〝なかなか愉快な御両親だな〟


〝夫婦仲が円満なのは悪いことではあるまい〟


〝私が知らないだけで、実は父上と母上もああだったりしたのだろうか〟


(ホームシックかなぁ……)


 胡郎たちを見て、クロは自分の親を連想したのではないか。もっと言えば、親のところに――魔界に帰りたいと思ったのではないか。茜はそう考えた。


 クロの言葉を知らないからだろう。翠の話に、胡郎は別の推測を立てていた。


「気を遣ってるってこと? それとも人見知り?」


「いや、単純にウザいんだと思う」


「ウザいって……」翠の返答に、胡郎は傷ついたように繰り返す。「親に向かってウザいって……」


 そんな二人のやりとりに、


「…………」


 と、茜は押し黙った。これでは真面目に悩んでいた自分が馬鹿みたいである。


 それから、気を取り直してもう一度思案を始める。


(やっぱりホームシックかなぁ……)


 考えれば考えるほど、茜にはそうとしか思えなかった。


 しかし、原因をホームシックだと仮定しても、それを解消する手立てまでは浮かばなかった。趣味や娯楽によって一時的に気を紛らわせることはできるかもしれないが、それではおそらく抜本的な解決とはならないだろう。


 それこそ、魔界に帰る以外にないのではないか。


 茜の考えがそこまで至った時、葵が口を開いた。


「クロちゃん、クロちゃん」


 そう言うと、猫でも呼び寄せるように、袋を振ってわざとがさがさ音を立てる。


「チョコレート食べる?」


「うむ!」


 振り返ったクロが見せる満面の笑みに、茜は「えぇー」と声を上げた。



          ◇◇◇



「あれ?」


 一階に降りてきた茜は、リビングの様子を見て首を傾げた。


「クロは?」


 葵が好物で釣ったのが効いたのか、クロは以後おおよそいつも通りに振舞っていた。午後からは翠たちとトランプで遊んでいたくらいである。


 だから、茜も安心して、自室で一人ゴールデンウィークの課題を片付けていたのだ。


 まだトランプに熱中している翠たちを横目に、キッチンで作業していた卯月が答える。


「出かけたみたいよ」


 一瞬納得しかけたが、茜は外を見て違和感を覚える。それで続けて尋ねた。


「雨降ってたのに?」


「ええ」


 そう頷く卯月。それから不思議そうな顔をして付け加えた。


「止んだ瞬間に飛び出していったけど……」


「ふーん……」


 何か用事でもあったのだろうか。朝、元気がなかったのは、雨のせいで出かけるのが億劫だったからかもしれない。


 しかし、周囲に魔王だとバレる危険性はクロも理解しているはずである。よほどのことがなければ、一人で出かけようとはしないだろう。


 そこまで考えて、茜はようやく気付く。


(まさか!)


 気付いたら、もういても立ってもいられない。卯月が「茜ちゃん?」と呼びかけるのも無視して、茜は家を飛び出していた。


〝魔界と人間界で、同じ場所、同じ時間に虹が架かる時、二つの世界を行き来できるようになると言われているんだ〟


 クロの語った虹の橋の伝説である。


 クロはやはりホームシックなのではないか。


 そして、それだから魔界に帰ろうとしているのではないか。


 家を飛び出した茜は、当てもなく町の中を走り回る。


 散歩のついでに何度もお参りした渭水神社、カエル様まんじゅうを買い食いした『やなぎ屋』、人間界に来たばかりの頃に暮らしたという眉毛橋…… 少し町を回っただけで嫌でもクロとの思い出が蘇って、いっそう胸が苦しくなる。


 またそうしてクロを懸命に探しながら、一方で茜は冷静に考えを巡らせていた。


 虹の橋は相当珍しい現象らしい。クロも過去の事例を文献で読んだだけだそうである。だから、もし今日虹の橋が架かったのだとしたら、これが魔界に帰る最後のチャンスになるかもしれない。


 それだけに、茜は思う。


(帰りたいなら止めるつもりはない)


 クロは元々別世界の住人である。単に自分がよく知らないだけで、家族も故郷もここではない場所に持っているのだ。それなのに、別れが辛いという安易な気持ちで、彼女を引き止めるわけにはいかないだろう。


 しかし、――


(止めるつもりはないけど……)


 しかし、茜は何も言わずにクロを見送るつもりもなかった。


(せめて、お別れの挨拶くらいは――)


 学校に行っている間の出来事だったから、茜は愛犬のシロの死を看取ることができなかった。シロと最後に一緒にいた時には、これでそうなるとは思わなかったから、最後にふさわしいような言葉を掛けることができなかった。


 だから、「またね」が嘘の約束になってもいい。「バイバイ」が今生の別れの言葉になってもいい。何でもいいから、とにかく離れ離れになる前に、茜はクロと一言でも別れの挨拶を交わしたかったのだ。


「クロ!」


 ようやくクロを見つけて、茜は叫ぶようにその名前を呼んだ。


 一帯を散々駆けずり回ったが、クロは結局近所のマルタ公園にいた。虹の橋を探しているのか、空を見上げている。


 息も絶え絶えで、いかにも必死というこちらを、クロは安穏とゆっくり振り返った。


「何だ、アカネも来たのか」


「えっ?」


 内容に加えて、淡白な態度。まるで日常の一コマである。走り回った直後でろくに頭が働かないのもあって、茜はまるっきり混乱していた。


 そんな茜の反応を、クロはクロで訝しがる。


「雨で桜が散るのが心配になったんじゃないのか?」


 そう言うと、確認するように質問してきた。


「花見というのをするのだろう?」


 確かに、昨晩夕食の席で、花見をするという計画を立てた。そういえば、初めて公園に連れて行った時に、桜が散りやすいものだという話もした。


 だから、クロは雨が降って落ち込んでいたのだ。だから、クロは桜の様子を見る為に家を飛び出したのだ。


「えっと、うん」まさか本当のことは言えず、茜は話を合わせる。「そうだよ」


 それから、今までのクロの言動を思い返して尋ねた。


「楽しみ?」


「ああ」


「そっか……」


 首肯するクロに、茜はそう答える。茜も花見は楽しみだったが、クロの返答を聞いてより一層楽しみになっていた。


 そうして、今度は二人並んで桜の木を見上げる。


 雲を割って差す太陽の光を受けて、雨粒で濡れた花弁が輝く。晴れゆく空の青さに、その薄紅色の輝きが映えていた。


 雨は降ったものの、幸い桜の花は無事のようである。これなら、おそらく花見の日まで持つだろう。


 それで、茜は声を掛けた。


「帰ろうか」


「うむ」


 クロもそう頷く。


 その時、一陣風が吹いた。


 雨こそ上がったが、雨粒はまだ花や枝についたままである。風に揺さぶられてそれが落ちる様は、雨が降り注ぐのと変わらない。


 おかげで、二人は頭からびしょ濡れになってしまう。早く風呂に入って着替えないと、風邪を引きそうだった。


 それで、茜は声を掛けた。


「……帰ろうか」


「……うむ」

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