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こんぱにおんでびる  作者: 我楽太一
第五章 まおうのきもち、ひとのきもち
21/25

1 大願成就

「ただいまー」


 夕方、茜が帰宅すると、リビングで勉強中だったクロが本から顔を上げる。


「おかえ――」


 が、その返事は途中で掻き消えていた。


「!」


 茜の足元にいたそれ(・・)に気付き、更にそれ(・・)が自分の方へ向かってくるのを見て、クロはびっくりしたように飛び上がる。


 隣に座る翠も、クロほどではないが驚いていた。


「あれっ、ショコラじゃん」


 携帯ゲーム機を一旦置くと、翠は須美の愛犬を抱き上げた。横ではクロが凄い顔をしていたが、構わず「よしよし」と頭を撫でる。


 散歩を代わるくらいならともかく、家に連れてくるのは珍しいから気になったのだろう。夕食の準備をしていた葵が、キッチンから顔を出す。


「どうしたの?」


「入院してる間預かって欲しいって、おばあちゃんに言われたんだけど、いいよね?」


 事後承諾を申し訳なく思いながら茜はそう説明した。


 携帯電話に連絡があったので、茜は下校の際にそのまま須美の家へ寄った。その後、須美としばらく話をして、ショコラの散歩も済ませて、それで今日は帰るのが遅くなったのである。


「それはいいけど……」


 茜の話に、葵は表情を強張らせる。ショコラの件で怒っているわけではない。「入院」という言葉が気がかりだったのだ。


「須美さんの具合はどうなの?」


「検査入院だから、そんなに大事じゃないと思うよ」


 茜は努めて明るく答えた。実際、季節の変わり目で風邪っぽいので診察を受けたら、念の為にと勧められたというだけの話のようである。会話した限りだが、本人もいたって健康そうだった。


 しかし、そう聞かされても、葵は「そう……」とまだ不安げだった。


 そんな葵を元気づけるように翠が言う。


「まだまだ若いんだから大丈夫でしょ」


 それから、その証拠のようにこう付け加えた。


「飼い犬にショコラってつけるくらいだし」


「それはそうかもしれないけど……」


 葵は微苦笑を浮かべていた。



          ◇◇◇



 その日の夕食の席でのことだった。


「ん?」足にまとわりついてくるショコラに、翠は声を掛けた。「欲しいの?」


 そして、おかずの唐揚げを手に取ると、近づけては引き、近づけては引き、何度もおあずけを喰らわせる。


「ほれほれ」


 柳に飛び移ろうとする蛙のように、ショコラは唐揚げに向かってジャンプを繰り返す。その様子を見て、翠は愉快そうに笑った。


 たまりかねて茜は口を出す。


「ちょっと翠、やめなよ」


 これに、葵も「そうよ」と同調した。


「意地悪しちゃ可哀想でしょ」


「いや、塩分高いからって話をしてるんだけど」


 茜は、葵に対しても咎めるようなことを言った。


 犬は汗をかかないから塩分は不要……というのは誤りだが、それでも人と同じ食事を与えると過剰摂取になる恐れがある。また、ただでさえダックスフントは胴が長くて重い為に腰や膝に負担が掛かりやすいので、ジャンプのような激しい運動は控えさせた方が無難である。葵の言う通り、翠の行動が意地悪なのも事実だが。


 一体、どこまで会話を理解しているのか。翠たちからは貰えないと悟ったようで、ショコラは新顔にねだりにいった。


「!」


 クロは慌てたように、ぶら下げていた足を椅子の上まで持っていく。


「なっ、なんだ。やらんぞ」


 怯えたような震え声でそんなことも言った。


 これを目にして、茜はかねてからの疑問を口にする。初めてショコラに会った時から、クロはその兆候を見せていたような記憶があったのだ。


「……前から思ってたけど、クロって犬苦手?」


「そ、そんなことはない」


 クロは恐怖心を押し殺したような、引きつった顔で答える。


「ただちょっと、噛まれたり吠えられたり追いかけられたりするのが嫌なだけだ」


「それを苦手と言うのでは」



          ◇◇◇



「クロ」


 翌日の夕方、出発前に茜はそう声を掛けた。


「散歩行くけど、一緒に行く?」


「うむ」


 リビングで勉強していたクロは、そう頷いて教科書を閉じる。


 このやりとりを見て、「仲良しねぇ」と葵が笑った。それで茜は「うるさいなぁ」と口を尖らせる。


 茜はまた、続けて声を掛けた。


「ショコラー、おいでー」


 自分の名前に、ペットベッドで寝そべっていたショコラはピクリと反応する。


 が、それだけだった。呼び寄せるにはもう一押し必要なようだ。


「散歩行くよー」


「あ゛?」


「何ちゅう声出すんだ、アンタ」


 これまでになく不愉快そうなクロに、茜は驚きを込めて言った。


 反対に「散歩」と聞いて、ショコラは喜び勇んで飛んできた。その仕草を可愛らしく思って、茜は「よいよし」と頭を撫でる。すると、ショコラが一層嬉しそうな表情を浮かべるので、茜もつられるように「よ~し、よしよしよしよしよしよし……」と一層激しく頭を撫でた。


 そんな茜に対して、クロが険のある声で尋ねてくる。


「そいつも行くのか?」


「そりゃあ、ショコラの散歩だもん」


「…………」


 茜の返答を聞いて、憎らしげにショコラを睨むクロ。やはり犬は苦手のようだ。


 だから、茜は確認を取ることにした。


「やめとく?」


「いや、行く」


「別に無理しなくても」


「行く」


 意地になっているのか、クロはそう言って聞かない。結局、折れたのは茜の方だった。


「そこまで言うんだったらいいけど……」


 このやりとりを見て、「ホントに仲良しねぇ」と葵が笑った。



          ◇◇◇



 短い足をちょこまか動かして、楽しそうに散歩するショコラ。その少し後ろを、リードを手にした茜がついて歩く。


 クロはといえば、そんな茜の更に後ろに隠れて、警戒するようにショコラにチラチラと視線を送っていた。


「そんなに怖がらなくてもいいじゃん」


「怖がってなどおらん」


 茜の言葉をそう否定すると、クロは今更になって余裕ぶった態度をとり始める。


「この程度の犬、魔界の犬に比べれば小型犬のようなものだ」


「ふーん」茜は淡々と相槌を打つ。「まぁ、比べるまでもなく小型犬だけど」


 それから、茜は少し気になって質問した。


「魔界の犬ってそんなに大きいの?」


「うむ」


 クロはそう頷くと、道の側に立つ一軒家――美味しそうな名字で町内では有名な愛洲あいすさんの家だ――を指差す。


「大きいものは、この家ほどはあるかな」


「へー」


 クロの言うことが本当なら、アイリッシュ・ウルフハウンドやグレート・デーンでも足元に及ばない大きさである。異世界だけあって、やはりこの世界の常識は通用しないようだ。


 だから、茜は面白がって続けた。


「で、首が二つ三つあったりとか?」


「いや、ないけど」


「あ、そうですか」


 何を言っているんだという顔をされて、茜はすごすごとそう引き下がった。


 そんな会話をしている間に、茜たちは目的地である渭水神社に到着した。


 宗教的にもマナー的にも、犬を連れて行くのはまずいだろう。そう判断して、茜は神社の前にリードを繋ぐ。


 すると、これにショコラが吠えた。


「わん」


「うん。ショコラの分もちゃんとお参りしとくからね」


 言い聞かせるように茜は頭を撫でる。言われなくても、元々そうするつもりで神社に来たのだった。


 拝殿の前まで来ると、二人は蟾渭神――カエル様に手を合わせる。


(おばあちゃんが何事もなく病院から帰る(・・)ことができますように)


 ショコラとの約束通り、茜はまず入院中の須美について祈った。


(あとは、いつも通りでいいか)


 茜はそう考えて、次にいつも通りの文言を唱える。


(家族みんなが毎日無事に過ごせますように)


 ただし、文言こそ以前と同じだが、その内容は少しだけ変わっていた。


 茜は思い浮かべる「家族みんな」の中に、クロも含めていたのである。


 それだから、参拝後のクロの質問には困ってしまった。


「随分熱心だったが、何をお願いしたんだ?」


 そう尋ねられても、気恥ずかしさから茜は素直に答えられなかった。誤魔化す為に、須美の件だけ伝えようかと考えたくらいである。


「言いにくいことか?」


「か、家内安全」


 急かしてくるクロに、茜は極力ぼかしてそう答えた。


 幸か不幸か、真意は全く伝わらなかったようである。クロは呆れた顔をする。


「他愛ないというか、みみっちいというか…… どうせ神に祈るのなら、もっと大きなことを願ったらどうだ」


「ささやかと言ってよ」


 照れ隠し半分に、茜はそう反論した。そういうささやかな幸せで十分だというのも、半分本心ではあるが。


 それから、茜は反論ついでに聞き返す。


「そういうクロは一体何をお願いしたの?」


 ただ、そう尋ねたのには、純粋に答えを知りたいという思いもあった。


 以前のクロの願い事は、「早く魔界に帰ることができますように」だったはずである。その気持ちは、今でも変わっていないのだろうか。


 それとも、これまでの生活を通じて、それこそ自分のように何か変わったのだろうか。もし変わったのだとしたら、その理由は――


 茜と違い、クロは躊躇うことなく即答した。


「世界平和」


「おっきいなー」

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