5 喧嘩沙汰はもう飽きた?
「ただいま」
学校から帰ってきた翠は、リビングの茜たちにまずそう言うと、返事を待つことなく続けた。
「あか姉、最近早いね」
「まあね」
答えてから、茜はクロの方を一瞥する。
(他に遊び相手もいないし、あんまり一人にしておくのはなぁ……)
一人で留守番させるのは可哀想だが、出歩いて魔王だとバレるのもまずい。茜はそう考えて、今日は――というか、翠の言うように最近は――学校から真っ直ぐ家に帰るようにしていたのだった。
ただ、そんな茜の真意は伝わらなかったらしい。翠の口調が、他人を揶揄するようなトーンに変わる。
「友達いないの? 新しいクラスに馴染めなかった?」
「馴染んどるわ」
そう言い返す茜。大体、それを言うなら翠も早いではないか。
しかし、姉の反論を無視するように、翠はクロに話しかけていた。
「どこまで進んだ?」
茜が明日の予習を進める傍ら、クロは翠の薦めたゲームをプレイしていた。先日初代をクリアした為、この程『ドラゴンハントⅡ』をやり始めたのである。
『ドラハンⅡ』はⅠから百年後の世界という設定でストーリーが進行する。だから、Ⅰの勇者の子孫が主人公だったり、Ⅰの人物とゆかりのある地名が出てきたり、Ⅱ単体では勿論、Ⅰとの地続きの物語としてより楽しめるようになっていた。
また、ゲームそのものもⅠより後に作られている為、Ⅱは多くの点でバージョンアップ、ボリュームアップしている。クロは進捗状況として、その一要素を挙げた。
「ちょうど、王子を仲間にしたところだ」
「へー」
そう相槌を打ってから、翠は画面を見て口を尖らせる。
「ちぇー、『ドイル』かー」
「ドイルだと何かまずいのか?」
王子の名前に問題でもあるのかと不思議がるクロに、翠がその理由を説明する。
「Ⅱの仲間の名前は固定じゃなくて、主人公の名前に応じて、いくつかの候補から自動で選ばれるようになっててね」
そこまで言って、翠は残念そうに付け加えた。
「だから、『かくさん』とか世界観ぶち壊しの名前になったら笑ってやろうと思ってたんだよ」
「陰湿な……」
クロは白い目で翠を見た。
その後で、クロはデータをセーブしながら尋ねる。
「他のゲームでもやるか?」
ちょっと驚いたように翠は聞き返す。
「『ドラハン』進めなくていいの?」
「まぁ、せっかくだしな」
照れているのか、かえって素っ気ないクロの返答に、「そうだね」と翠もぶっきらぼうに頷いた。
◇◇◇
と、そうして和気藹々とゲームがスタートしたはずなのだが、次第に雲行きが怪しくなってくる。
「イエーイ、十連勝!」
レースゲームでの対決に勝利して、快哉を叫ぶ翠。そうやって大袈裟に喜ぶだけならまだしも、相手を小馬鹿にするようなことまで言い始める。
「クロは、ほんっと下手糞だなぁ」
これには流石にカチンと来たらしい。クロは真一文字に結んでいた口を開いた。
「……これまでは魔王としての教育を受けるのに忙しくて、お前と違ってゲームにうつつを抜かすような暇がなかったからな」
静かに嫌味を言っただけである。おそらく、まだ謝ればすぐに解決する段階だろう。翠も「ゴメン、ゴメン」とそれらしいことを口にする。
しかし、謝っているわけではないのは声の調子から明らかだった。
「ゲームなんて高度なものは、魔界とかいうド田舎にはないから下手でも仕方なかったね」
売り言葉に買い言葉で返す翠に、クロも応戦するように答える。
「作ってる人間は高度でも、やってる人間はどうだかな」
「何それ? 自己紹介?」
「自分のことを言われていると気付かないあたり、やはり程度が低いのだろうな」
そう言い争って、睨み合う翠とクロ。茜は慌てて仲裁に入った。
「ちょっとちょっと、仲良くしなさいよ」
そんな茜に、二人は言う。
「向こうが先に喧嘩売ってきたんじゃん」と翠。
「向こうが先に喧嘩売ってきたんだろ」とクロ。
ほぼ同時に、同じようなことを口走る二人に、
「アンタら、本当は仲良いでしょ」
と、茜はそうこぼした。
◇◇◇
高校の授業がやっと終わったのだろう。二人の口論が始まってしばらくしてから、ようやく葵が帰ってきた。
「ただいまー」
そう言ってから、リビングの険悪な雰囲気に気付いて葵は眉を顰める。
「どうかしたの?」
「色々あって、もう口利かないとか言い出したんだよ」
茜は渋い表情でそう答えた。
あれからクロも翠も一歩も譲らなかった結果、とうとうそんな事態にまで発展したのである。現在も互いに無視し合うように、クロは読書をし、翠はゲームを続けていた。
もう自分の手には負えそうにない。茜は姉に助けを求める。
「お姉ちゃんからも何か言ってやってよ」
しかし、茜とは対照的に、葵は楽観的な様子だった。
「……翠ちゃんがクロちゃんを家に連れてきて、クロちゃんも翠ちゃんについてきたわけでしょう? 何だかんだで大丈夫じゃないかしら」
葵はまた、二人の現状についてこう説明する。
「ほら、喧嘩するほど仲がいいって言うじゃない」
「そうかなぁ?」
「そうよ。私が保証するわ」
不安を拭い去れない茜に対し、葵は胸を張ってそう答える。その顔は自分の観察眼に対する自信と、翠とクロの関係に対する信頼に満ちていた。
そんな姉の姿を見て、茜はこう呟く。
「……不安だ」
「えぇっ!?」
◇◇◇
翌日もクロのことを考えて、茜は家路を急ぐ。
そして、クロのことを考えるというのなら、一つ頭の痛くなる問題があった。
(まさか本当に口利かないとは……)
昨日の口論から今朝家を出るまでの間、クロと翠は宣言通り一切会話していなかった。お互いに用事のある時は、茜や葵に言伝を頼む徹底ぶりである。
最初は言い争うより静かでいいかとも思ったが、言い争いにならないということは謝る機会もないということだろう。二人の喧嘩も長引くのではないか。
どうしたものかと悩みながら茜が帰宅すると、家の前が何やら騒がしい。
見れば、翠とその友達だった。
それも、どうも揉めている様子である。
「えぇー」「今日もダメなの?」
「ゴメン、ゴメン」
不服そうな友人たちにまず謝ると、翠は弁解するように続けた。
「ちょっとやることがあるから」
そう言われては仕方ないと思ったのだろう。諦めをつけたように、「じゃあね」「またね」と友人たちは去っていく。
翠がそれを見送って、さて家に上がろう、というところで茜は声を掛けた。
「やることって?」
「うわぁっ」
びっくりして翠はそう声を上げる。それから、ムッとした表情でこちらを振り返った。
「……大体察してるんだから、いちいち聞かなくてもいいでしょ」
「いや、一応ね」
茜がからかい半分ではぐらかすと、翠は観念したのかようやく白状した。
「だって、クロのやつ、他に遊び相手いないじゃん」
翠はあくまで不承不承という態度で言う。
「だから、仕方なくだよ、仕方なく」
「そっか」
茜は微笑を浮かべる。ゲームを貸したのも、早く帰宅したのも、ただの気まぐれではない。翠はやはり、翠なりにクロのことを考えているのだ。
だから、茜はこうも続けた。
「ていうか、それならもうちょっと仲良くしなさいよ」
「あー、はいはい」
痛いところを突かれたようで、翠は目を逸らした。
◇◇◇
二人が帰宅すると、クロは今日もリビングで理科の勉強をしていた。
「ただいま」と茜が言えば、「おかえり」とクロが答える。
「…………」と翠が何も言わければ、「…………」とクロも何も答えない。
先程の会話の限りでは、翠には仲直りしたい気持ちはあるようだ。日頃の関係を考えれば、おそらくそれはクロも同じではないか。それでも、お互いに意地を張って、なかなか素直に謝れずにいるのだ。
(どうしたもんかなぁ……)
クロの横で自分の勉強を始めてからも、茜は相変わらず二人のことで頭を悩ませていた。習いたての連立方程式よりよほど難しい。
その内に、部屋にランドセルを置きに行った翠も一階に降りてくる。ただし、リビングには入らず、その戸口に立ったままだった。
「お姉ちゃん、ちょっと」
そう手招きするのに従って、立ち上がる茜。そのまま部屋の外で翠と二、三会話する。
そして、翠に言われた通り、茜はクロに声を掛けた。
「クロ、これ翠から」
「『勇者のくせになまいきな。』……」
受け取ったゲームのタイトルを、クロは怪訝そうに読み上げた。ゲームの内容も、翠の意図も分からない、という顔である。
「何だ、これは?」
「魔王になって勇者をブチ殺すゲームだって」
翠から頼まれていた伝言を、茜はそのまま口にした。
以前、喧嘩になりかけた時に、そういうゲームはないのかとクロは翠に尋ねていた。迂遠で分かりづらいが、これでも翠なりに謝っているつもりなのだろう。
しかし、はたしてそれがクロにも伝わるだろうか。
「……これ、翠に返してきてくれるか」
クロはそう言ってゲームを突き返すと、更に続けて言った。
「ついでに、二人で一緒にやれるゲームはないのか聞いてくれ」
「はいはい」
またもや素直でない謝罪の言葉を聞かされて、茜は微苦笑しながらそう答えた。
◇◇◇
「ただいまー」
今日も遅れて帰ってきた葵は、リビングの雰囲気から判断して、こう尋ねてくる。
「……まだ喧嘩中?」
「まだっていうか、まただよ」
互いにそっぽを向くクロと翠の様子を見ながら、茜は溜息と共にそう答えた。