3 デパートへ行こう!②
「服に食器に……」葵はまず、これまでに『アルコ』で買ったものを確認する。「これで粗方揃ったかしら」
それから、次に本人に対して尋ねた。
「クロちゃんは、何か欲しいものある?」
「欲しいものか……」
そう繰り返すと、クロは黙ってしまう。その表情には、何がいいか選べずに悩むような、そういう種類の明るさはなかった。
だから、葵は優しげに、諭すようにして促す。
「遠慮しなくていいのよ」
これを聞いて、クロはようやく口を開いた。
「それなら、科学について勉強したいかな」
「科学かー」意外そうな口振りで復唱すると、葵は次の行き先を決める。「じゃあ、本屋さんに行きましょう」
その後で、葵は茶化すように言った。
「でも、私はてっきりチョコを欲しがるんじゃないかと思ってたわ」
「あっ」
小さく声を上げるクロ。言われて初めて気付いたらしい。
だから、葵は苦笑交じりの笑みを浮かべて、
「あとで食品売り場も見に行きましょうか」
と付け加えた。
二人がそうして会話をする間、茜はずっと眉根を寄せていた。「服に食器に……」という葵の言葉がずっと引っかかっていたのだ。
「うーん……」
そうして唸っていると、翠が声を掛けてくる。
「あか姉、どうかした?」
「何か忘れてるような気がするんだけど……」
しかし、その何かが分からない。翠には尚更分からないようで、「?」ときょとんとした表情を浮かべるばかりだった。
◇◇◇
本屋の棚を見ながら、茜は頭を悩ませていた。
普段は漫画や雑誌、あとは小説のコーナーくらいしか見ないから、専門書・学術書のそれは初体験だった。種類の豊富さもあって目移りしてしまう。
「一体どれが――」
「いい。自分で選ぶ」
言い終わるのを待たずに、クロは茜の意見を一蹴した。服選びの件でまだご機嫌斜めらしい。
悄然とする茜。それを、葵が「まあまあ」と慰めた。
「私たちじゃあ、クロちゃんにどれくらい知識があるのか分からないでしょう?」
「それもそうか」
一番にそのことを考慮すべきだったと茜も納得する。続けて好奇心と共に言った。
「クロの学力って実際どの程度なんだろ」
すると、翠が生意気な口を利いてくる。
「魔王なんだし、あか姉より賢いかもね」
普段なら無視したかもしれないが、クロに冷たくされたことで茜もナーバスになっていた。やつあたり気味に言い返す。
「そうだね。翠と違って、小学生レベルは卒業してそうだもんね」
お互いがお互いの言葉に腹を立てて、二人は睨み合う。見かねたように、「喧嘩しないの」と葵が仲裁に入った。
それから茜は、クロの学力よりもっと根本的な問題に気付く。
「というか、科学を勉強するにしても、人間界と魔界じゃあ物理法則とか色々違うんじゃないの?」
「そうだろうな」
クロはあっさりとそう認めた。前に魔法独自の論理をほのめかしていたことから推測したのだが、どうやら正解だったようである。
これを聞いて、驚いたように翠は尋ねた。
「じゃあ、勉強してもしょうがなくない?」
「しかし、私の知覚する限り、全くの別物というわけでもなさそうだからな」
まずそう答えると、クロは更に続ける。
「それに、仮に知識そのものが役に立たないとしても、正しい知識を得る為に用いられた正しい方法や手法。そして、その正しい方法の礎となった正しい精神や哲学。そういったものを学ぶことは、魔界の科学を発展させる上で決して無駄にはなるまい」
直前まで言い争っていた二人は、この話を聞いて静まりかえる。
「……とりあえず、私よりは賢いと思う」と茜。
「……そうかもしれない」と翠。
姉妹で口々にそんなことを言い合った。
食器の時と同様、クロは本を選ぶのにも慎重だった。一冊開いて「ふむ……」などと漏らしては、また元の場所に本を戻す。
その内に、翠は耐え切れなくなったように声を上げた。
「長くなりそうだし、漫画でも立ち読みしてくるね」
「あ、ちょっと」
茜はそう止めたが間に合わない。翠は逃げるように小走りしていく。
その後姿を見ながら、「全く……」とぶつくさ呟く茜だったが、翠の言い草ももっともだと思ったのかクロはむしろ寛容だった。
「お前たちも行ってきていいぞ」
申し出自体はありがたいが、茜には不安もあった。
「一人で大丈夫?」
「ああ」
「なら、いいけど」
と答えつつも、茜は注意事項を言い渡す。
「知らない人についてっちゃダメだよ。誘拐されるといけないから」
また、続けてこうも言った。
「それから、迷子になるのもまずいから、無闇に動き回らないようにね。あと、困ったことがあったら、すぐに店員さんに声を掛けるんだよ」
「あ、ああ」
語勢にたじろぐクロ。しかし、茜はまだ注意を続けようとする。
「他には――」
「茜ちゃん、そんなに心配なら残ったら?」
話を遮って、葵がそう提案した。
その後、「じゃあ、他の本見てるから、決まったら声かけて」「分かった」などとやりとりして、一行は一度解散することになった。
◇◇◇
立ち読みの最中、視界の端にクロを捉えて、茜はそちらの方を向く。
「決まった?」
「うむ」
そう頷くので、茜はクロの選んだ本に目を通してみる。
・『サルでもわかる科学の基本』
・『一から学ぶ小学生理科』
(基礎から学びたいのか、単に魔界のレベルが低いのか……)
失礼な質問だけに聞くに聞けない。だから、茜はただ内心でそんなことを考えるのだった。
しかしその一方で、クロの選んだ本の中には、その筋の専門書らしきものもいくらか混ざっていた。
・『超古代文明を科学する』
・『UFOとその原理』
「これは科学じゃないと思うよ」
「えっ」
茜の指摘に、クロは驚くような声を発していた。
それから今度はクロが、こちらに対して同じような質問をしてくる。
「ところで、アカネは何を見ていたのだ?」
「犬の写真集だよ」
茜はそう言って、柴犬の接写で飾られた表紙を見せた。クロも「ほう」と興味深そうに相槌を打つ。
しかし、その興味の対象は犬ではなかった。
「人間にはこういうものを見てニヤニヤする性質があるのか」
「してないから」クロの言葉に、茜はすっかりうろたえてしまっていた。「してないよね?」
そんな会話をした後、茜たちは残った家族を探して本屋の中を見て回る。
まず葵を発見した。
「終わったぞ」
クロはそう声を掛けると、続けて尋ねた。
「それは?」
「チョコを使ったお菓子のレシピよ」
チョコレート色に塗られた表紙を見せながらそう答える葵。その意図は言わずもがなだが、それでも彼女は口に出して説明していた。
「今度、クロちゃんに作ってあげるわね」
「今日だけでも随分世話になったんだ。そんなに気を遣ってもらわなくてもいいぞ」
「いいの、いいの」
葵はそう微笑む。その後で、クロの負い目をなくそうというのか、単純な厚意なのか、茜に対しても言った。
「茜ちゃんも食べてみたいでしょう?」
「うーん……」
「えー、二人とも遠慮しいねぇ」
「いや、上手く作れるか心配なんだよ」
茜はそう訂正した。ただでさえ葵はおっちょこちょいで、作り慣れた料理でも時々ミスがある。しかも、それに加えて応用が利かない性格だから、新しい料理に挑戦するといつもろくなことがないのだ。
そんな会話をした後、茜たちは残った家族を探して本屋の中を見て回る。
最後に翠を発見した。
「終わったぞ」
クロはそう声を掛けると、続けて尋ねた。
「それは?」
「昆虫図鑑だよ」
カブトムシの接写で飾られた表紙を見せながらそう答える翠。その意図は――
「また何か飼いたいけど、でもクロを拾ってきたばっかだしなぁ」
翠は茜の顔色を窺いながら言うが、この発言には茜よりもクロが険しい表情をしていた。
「……まさか私を虫と同列に考えてるわけじゃないよな?」