2 デパートへ行こう!
「それにしても大きな建物だな」
キョロキョロと、クロは落ち着きなく辺りを見回す。
「これが全部店なのか」
この日、光野家の一行は午後から大型デパート『アルコ』に来ていた。その主な目的は、クロの生活必需品を買い揃える為である。
食料品なら近所にスーパーがあるが、日用品や雑貨、家具となると他の店まで足を伸ばす必要がある。その点で、広くそれなりに深く商品を扱う『アルコ』は、光野家に限らず近隣住民の定番の買い物スポットだった。
ちなみに言えば、企業内のグループ再編で数年前にもっと小洒落た名前に改名された為、『アルコ』という名称は正確なものではない。しかし、かつての習慣のせいで未だにそう呼ぶ人がほとんどだった。
初めて来たデパートに興味津々というクロに、翠が講釈する。
「ちなみに言っとくと、このデパートを経営してるのはうちのお父さんだよ」
「なんと!」
「嘘をつくな、嘘を」
クロが本気にしないよう、茜はそう訂正した。父・胡郎は普通の会社員である。
娯楽施設の少ない田舎では、デパートがその役割を果たすことは珍しくない。茜も行動範囲の狭かった幼少期は、毎週末の家族での買い物が楽しみだったものである。
だが、それにしてもクロの反応は過剰だった。
「まるで、市場を一つの建物に集めたような……」
そんなことを呟きながら、視線を右へ左へさまよわせる。
「はぐれそうで危なっかしいなぁ」
クロの様子を不安に思うと同時に、茜は昔を思い出していた。翠も小さかった頃は、同じように危なっかしくて目が離せなかったのだ。あの時は確か――
「手でも繋いであげたら?」
「それはちょっと恥ずかしいから」
葵の提案を、茜はそう退ける。はぐれないように翠と手を繋いだのは昔の話である。
すると、葵はそんな茜の手をそっと握ってきた。
「お姉ちゃん、他人の話を聞こう?」
赤面しながら訴える茜。翠同様、自分も姉に手を引かれた過去があったのを思い出して、いっそう恥ずかしい気持ちになったのだった。
行き当たりばったりで回る気だったのか、葵が今更尋ねてくる。
「何から見に行きましょうか?」
「とりあえず、服からでいいんじゃない?」
「じゃあ、そうしましょう」
茜の返答を聞いて、葵は衣料品売り場へ向かう。それも、茜の手を握ったまま。
一方、これに翠は、
「服ねぇ……」
と含むところがあるように呟いていた。
◇◇◇
今でこそ翠に服を借りているが、クロは元々魔界特有のナイトドレス風のものを着ていたのである。だからか、衣料品売り場に到着すると、葵はまずそれを確認していた。
「クロちゃんは、服の好みはあるの?」
「ないこともないが……」
「遠慮しないで、何でも言ってちょうだい」
「しかし、あまり人間界で目立つようでは困るからな」
言いよどんだのは、何も金銭的な問題だけが原因ではなかったらしい。そう説明した後、クロは三人に願い出る。
「お前たちで適当に見繕ってくれると助かるんだが」
「そういうことなら……」
最前まで気を遣うようなクロの態度を慮っていた葵も、そう答えて引き下がった。
このやりとりを聞いて、翠はすぐに条件に合う服を探しに行く。かと思えば、またすぐに戻ってきた。
「これなんかどう?」
翠が持ってきたのはTシャツだった。黒地に白い塗料で髑髏がプリントしてある。
茜は呆れ交じりにクロの気持ちを代弁する。
「いくら魔王だからって、これはないよね」
「ほう」
「いいのかよ」
気に入ったような顔をするクロを見て、茜は余計に呆れてしまった。
基本的に見た目は人間と変わらないのだ。魔王だから魔王らしい格好をさせるというのは安直過ぎないだろうか。可愛らしい少女のような姿をしていることを考えれば、ギャップが出てかえってアリかもしれないが……
などということを踏まえて茜は言う。
「私的には、パンクっぽいのが似合いそうな気がするんだけどなぁ」
これはファッション性は勿論、機能性というか実用性も考えた上での発言だった。
「何かの拍子で角や尻尾が出ちゃっても、コスプレって言えば誤魔化せるかもしれないし」
「ぱんく? こすぷれ?」聞き慣れない言葉に戸惑うような顔をした後、クロは半ば投げやりに答える。「まぁ、何でもいいが」
何でもいいと、確かにそう言ったのを茜は聞き逃さなかった。
「じゃあ、まずは――」
言質を取ったとばかりに、早速試着をさせ始める。
着せてみたいものはいくつもあった。ベタにライダースやボンデージ、鋲付きの各種アイテムもいいが、赤、黒のタータンチェックやボーダーでゴスパンに寄せた方がきっと可愛いだろう。それにはロングブーツやラバーソールなど靴も合わせなくてはならないだろうし、もしかするとヘアアレンジも必要かもしれない。
茜が服選びを始めてからしばらくして、翠が葵に言う。
「私、ちょっとゲーム見てくるね」
「はーい」
またしばらくして、戻ってきた翠が言う。
「次は食品売り場行ってくる」
「はーい」
またまたしばらくして、戻ってきた翠が言う。
「飴買ってきたけど、あお姉いる?」
「ありがとう」
それから翠と葵の二人は、
「これ新フレーバーみたいだよ」
「そうなの?」
「シークヮーサー味だって」
「あー、沖縄の」
などと、飴についての話で盛り上がる。
一方、試着室のカーテンを開けたクロは、やつれたような顔をしていた。
「……これはどうだ?」
「うーん、やっぱりさっきの赤いやつの方が可愛いかったかなぁ」
そう悩ましい表情を浮かべて、茜は黒チェックのミニスカートの評価を保留した。
クロは助けを求めるように翠たちの方を見る。翠はこれに肩をすくめていた。
「あか姉、自分の服はわりと適当なくせに、他人のを選ぶ時はやたら長いんだよ」
◇◇◇
「疲れた……」
生気のないクロの呟き。これを受けて、翠はその原因に目をやった。
「そりゃ、あんだけ着替えればねえ」
「ごめんって」
茜は平謝りする。悪気はなかった。ただ、ほんの少し我を忘れてしまっただけなのだ。
もう帰りたそうな、うんざりしたような表情でクロは尋ねる。
「次はどこに行くんだ?」
「食器売り場よ」
葵はそう答えてから提案した。
「家で使うものだから、今度はクロちゃんの好みで選んでみたら?」
「そうだな」
深く頷くクロ。それから、恨めしそうな顔でこちらを見てくる。
「任せると、また長引きそうだしな」
「だから、ごめんって」
茜はやはり平謝りしていた。
しかし、結局今回もまた長引きそうだった。
「うーむ……」
食器売り場にある大量の食器を前にして、クロは首を傾げる。
「こう色々あると、選ぶのに難儀する気持ちも分からないでもないな」
そう言って、手にとった茶碗を元の場所に戻す。あれこれ見たが、なかなか一つに決められないようだった。
アドバイスとして、葵が横から口を出す。
「これなんてどうかしら?」
葵が持ってきた茶碗には、猫の肉球を図案化したマークが描かれていた。
そのキュートなデザインを茜は一目で気に入ったが、クロの琴線には触れなかったようである。ただ一言、「ふむ」とだけ答えた。
魔族を外国人の一種だとでも考えたのだろう。二人のやりとりを見て、翠が言った。
「もっと和っぽいやつの方がいいんじゃないの?」
そうして瀬戸黒か織部黒かという、渋い風合いのものを持ち出す。
「これとかどう?」
「ほほう」
「え、マジで?」
冗談のつもりだったらしい。好感触に勧めた翠本人が一番驚いていた。
服選びでは、茜はあれだけ時間を掛けたにもかかわらず何にするか決められず、結局葵と翠の見立てたものが購入されていた。おかげで、大分クロの機嫌を損ねてしまったようだ。それだけに、この食器選びで何とかして名誉挽回を図りたかった。
茜はこれまでの会話を振り返って、必死にクロの嗜好を読み取ろうとする。
「じゃあ、これは?」
そう言って茜が差し出したのは、第六天魔王が喜びそうな髑髏杯風の黒い茶碗だった。
これに、クロは即答した。
「食事時に髑髏はないだろ」
「えぇー」