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こんぱにおんでびる  作者: 我楽太一
第二章 ひとのきもち
10/25

5 人の気持ち

 その日、昼食後に玄関で靴を履く茜を見つけて、葵は声を掛けていた。


「茜ちゃん、お出かけ?」


「うん」


 茜はまずそう言うと、それから予想通りの答えを返してくる。


「ちょっと散歩」


「…………」


 このまま行かせるわけにはいかないだろう。葵はそう判断すると、茜に提案した。


「それなら、クロちゃんも連れて行ったら?」


「何で?」


「何でって……」


 聞き返されると、葵はその先が出てこなかった。まさか、「シロちゃんのことを思い出して落ち込まないように」とは言えない。


 そんな葵の胸中を察したように、翠が援護射撃した。


「何でもいいじゃん。連れて行きなよ」


 理屈も何もないが、この際致し方ない。「そうそう」と葵も便乗する。


「えぇ……」


 二人の真意が伝わらず、意味不明なだけの言動と受け取られたようだ。茜はただただ困惑していた。


 そして、その困惑顔のまま尋ねる。


「一緒に行く?」


「……うむ」


 考え込むような長い間を置いた後、クロはそう頷いた。



          ◇◇◇



(気を遣ってくれてるのかな……)


 いつもの散歩道を歩きながら茜は考える。


 葵や翠の無理のある提案。あれは「シロのことを思い出して落ち込まないように」という配慮から来たものではないだろうか。


 クロもシロについては葵たちから話を聞いているようだ。だから、クロも心配してついてきてくれたのかもしれない。


 それとも、――


(それとも、どこか行きたいところでもあったのかなぁ……)


 もっと詳しく町を案内して欲しいのか。もしくは、再訪したい場所でもあるのか。そうして前回の散歩コースを振り返る内に、茜は一つの結論に至った。


「……今日も、お参りしていく?」


「そうだな」


 質問に、クロはそう答えた。


〝何をお願いしたの?〟


〝『早く魔界に帰る(・・)ことができますように』とな〟


 前回、カエル様――渭水神社に参拝した時、そんな会話を交わした。おそらく、クロの願い事は今日も同じだろう。


 だから、茜は今日も同じ罪悪感を味わうことになるのだった。


(うぅ……)


 隣でクロが熱心に手を合わせれば合わせるほど、茜の良心はチクチクと痛んだ。


 お詫びというか、埋め合わせというか、何とかクロに他意のないことを示せないだろうか。そればかりを考えて、蟾渭神にもそのことを願うと、


「あ、そうだ」


 ご利益があったのか、ちょうど神社を後にする頃に茜は名案を思いつくのだった。


 散歩の途中に立ち寄った店からいそいそと出てくると、茜は今買ったばかりのものを早速クロに手渡す。


「じゃーん、カエル様まんじゅう」


 カエル様まんじゅうとは、名前の通り蛙の顔の形をした饅頭である。とぼけたようなユーモラスな表情と手軽な値段で人気の、和菓子屋『やなぎ屋』の主力商品だった。


「美味しいよ」


 そう勧める茜から饅頭を受け取ると、クロはそのままひょいと口に運んだ。


「うむ」一口食べて、満足げな顔をするクロ。「甘い。美味い」


 口に合ったのなら良かったが、しかしそれはそれとして、茜はクロに言っておきたいことがあった。何しろ、ただの饅頭ではなく、カエル様まんじゅうなのだ。


「ちゃんと見てから食べなさいよ」


「人間は蛙を見ると食欲が湧くのか?」


「可愛がれって言ってんの」


 噛み合わない会話に、茜は眉根を寄せた。


 今更気をつけたところで、もう捕食された蛙でしかない。それでも、その傷口を見ながらクロが尋ねてくる。


「この、中の黒いのは?」


「あんこだよ」


 茜の「豆を甘く煮たの」という説明に、クロは「なるほど……」と関心を持ったような返事をする。そして、もう一口食べてから再び感想を述べた。


「どうせならアンコよりチョコが良かったな」


「アンタ、ホントにチョコ好きだな」


 ここ数日の暮らしぶりで分かったことだが、クロは甘いものなら何でもいける大の甘党で、中でもチョコが一番のお気に入りのようである。遠慮があるのか自分からは言い出さないが、ココアを勧められて断ったことは一度もない。そのはまりように、茜は半ば呆れていた。


 もっとも、自分も自分だと思わなくもないが。


「そう言うだろうと思って、チョコ味も買ってきたけど」


 仕方なくという体を装って、茜はクロにもう一つ饅頭を渡した。


 茜は続いて自分の分の饅頭を取り出すと、先程注意した通りまずは目で楽しむ。それから、『やなぎ屋』の店主の顔を思い浮かべていた。


「おじさん見た目は渋い職人だけど、本当はパティシエになりたかったらしいんだよねー」


 そのせいか、クリームだの、カスタードだの、和菓子屋なのに洋菓子の食材を使った商品が妙に充実していた。中には、氷の入ったパフェをかき氷と強弁したものまである。「若い人を呼び込む為」と本人は言うが、奥さんによればこれはただの照れ隠しらしい。


 そんな話をするつもりだったのだが、茜は出鼻をくじかれていた。


「聞いちゃいねえな」


 むしゃむしゃと猛烈な勢いで食べ進めるクロに、茜は渋い顔をした。



          ◇◇◇



 元々、昼食の腹ごなしに家を出たのに、更に饅頭まで腹に入れてしまった。それで、もう少し散歩して回ろうかという話になる。


 特に目的地も決めずにぶらつく茜とクロ。すると、しばらくして前方から知り合いが歩いてくるのが見えた。


 散歩が日課で体は壮健そうだが、髪には流石に白髪が交じっている。ただ、元々ライトブラウン系の色素の薄い髪色をしているからあまり目立たず、年齢のわりに若く見えるのだった。


「こんにちわー」


「はい、こんにちわ」


 茜が挨拶すると、須美はそう返してきた。


 次に、茜は目線を下げて言う。


「ショコラもこんにちわ」


「わん」


 返事をするようにそう吠えるショコラ。その声に驚いたのか、クロは飛び上がっていた。


 ショコラというのは須美の飼い犬で、名前の通りの毛色をしたミニチュア・ダックスフントである。


 ダックスフントは元々アナグマ狩りに使われていた猟犬の為、見た目に似合わず番犬にも向くのだという。それで須美は老人の一人暮らしは危険だという理由から、ショコラを飼い始めたのだった。もっとも話を聞く限りでは、愛玩犬としての役割の方がはるかに大きそうだったが。


 ただ、ショコラを可愛がる須美の気持ちは茜にもよく分かる。長毛種ロングヘアード特有のふさふさとした体毛。狩猟の為とは思えない、胴長短足の愛らしいシルエット。すぐにでも「よしよし」と頭を撫でてやりたいくらいだった。


 だが、今はそれをぐっと堪えて、茜は先にやるべきことをやる。


「ちゃんと紹介してなかったよね。こっちは今度、うちで暮らすことになった……」


 そこまで言うと、茜は続ける言葉に迷ってしまった。


 魔王ということを隠して、クロをどう周囲に紹介すればいいのか。それについては話し合いの結果、「諸事情から(・・・・・)遠縁のアメリカ人の親戚を預かることになった」と、表面的な説明はしつつ相手の詮索を封じる方向でまとまっていた。


 勿論それで誤魔化しきれるのかという不安もあるにはある。しかし、茜が言葉に迷ったのはそれ以前の問題だった。


クロノワール様(・・・・・・・)は本当に魔王様でいらっしゃるのですか?〟


アンタ(・・・)だって、魔界に帰りたいんじゃないの?〟


この子(・・・)、見た目がこれでしょ?〟


 最初の頃に邪険に扱ったせいで、いまいちそうするタイミングが掴めず、茜は今までに彼女の名前をまともに呼んだことがほとんどなかったのだ。


 茜が言いよどんだのを見て、自分から名乗るように促されたと勘違いしたらしい。話を継ぐ形で、クロが口を開く。


「クロノワール・テネーブルである」


 横から客観的に聞いてみると、いやに尊大な話し方だと茜は思う。案の定、須美も目をぱちくりさせていた。


「ご、ごめんね。まだ日本語は下手で」


 茜はそれらしいことを言ってフォローする。満更嘘というわけでもないが。


 しかし、須美も驚いただけで、別段不快感を覚えたわけではないようだった。


「いいの、いいの。そんなの気にしないで」


 二人に対して、笑顔でそう答えた。


 フランクな話し方をされる方が、須美にとっては嬉しいらしい。茜も中学に上がって年長者に敬語を使うようになったので、それを機会に改めようとしたのだが、本人に止められていたくらいである。


 上機嫌になった須美は、それで気付いたように言う。


「ああ、そうだ」


 そして、二人がついさっき目にしたばかりのものを差し出してきた。


「饅頭食べるかい?」


「あ、はい」


 好意を無下にもできず、茜はついそう答えていた。



          ◇◇◇



 そういう訳で、須美と別れた後、茜はお腹をさすることになったのだった。


「うっぷ」


 昼食の後に饅頭を食べ、更にまた追加して食べたのである。そろそろ胃がストライキを始めそうだった。


 一方、甘いものは別腹なのか、クロは平気な顔をしていた。この小さな体によくあれだけ入るものだと茜は感心してしまう。


 そのクロが尋ねてきた。


「おばあちゃんと言っても、血が繋がっているわけじゃあないんだよな?」


「そうだよ。家が近所だからそう呼んでるだけ」


 きっかけは本当にその程度なので、親交が続いているのは単純に気が合うからとしか茜には言いようがなかった。他に理由が考えられるとすれば――


「あとはまぁ、ペット友達みたいな」


「そういえば、シロとやらも犬だったな」


 クロに言われて、茜は「うん」と頷く。それから、眼前の何でもないような町並みに対して、遠い目をした。


「今歩いてるのも、シロの散歩コースだしね」


「ふーん、そうか……」


 意味深げに、クロはそう相槌を打った。


 胃の内容量に比例するように、二人の足は町の境にある橋の方まで伸びていた。


 その橋には、眉月橋びげつきょうという風雅な名前があるにはある。しかし、眉月が三日月の異称だと知られていないせいか、アーチの形がそう見えるせいか、近隣住民からは眉毛橋としか呼ばれていなかった。


 そんな眉毛橋を前にして、クロが「あっ」と声を上げる。


「この橋は知っているぞ」


「へえ?」


「人間界に来たばかりの頃は、この橋の下で暮らしておったからな」


「あー……」


 クロの説明で茜も思い出す。そういえば、初日に翠がそんなことを言っていた。確か、「ダンボールに入ってた」そうである。


 茜は気が進まなかったのだが、本人にとってはそう悪い思い出でもなかったらしい。クロの提案で、その元住居を見に行くことになった。


 橋の下は影ができていて薄暗かった。日光が届かないものだから、空気がいやに冷たく、また湿っぽい。その上、カビのような苔のような臭いまでする。やはり、進んで訪れたくなるような場所ではない。


 茜はそんな感想を抱いたが、クロは違った。


「あれっ?」


 茜が「どうかした?」と聞くのにも答えず、クロは急に走り出す。それから周囲を何度も見回して、それでようやく現実を受け入れた。


「わ、私の家がない」


 これに茜は、ただ状況だけを見て淡然と答える。


「誰も住んでないから撤去されちゃったんじゃないの?」


「そんな……」


 存外ショックだったようだ。クロはその場にへたり込んでしまう。


 考えてみれば、軽率な返答だったかもしれない。ほんの数日とはいえ、クロにとっては人間界で暮らした家だったのだ。


 茜が両親についていかなかったのは、自分が生まれ育った場所を離れがたかったというのも理由の一つだった。クラスメイトや近所の知り合い、住み慣れた家に見慣れた町並み…… 不満がないとは決して言わないが、何だかんだこの場所には愛着があった。


 対してクロは、魔界から人間界に――全くの異世界に、何の準備もないまま放り出されたのである。ただ故郷を離れる以上に心細い思いをしたことだろう。


 その上、その異世界に順応しようと作った家は取り壊されてしまった。クロはこれで帰る場所を二度も失ってしまったことになる。


 しかし、帰る場所というのなら――


「もう必要ないでしょ」


 そう言って、茜はへたり込んだままの彼女に手を差し伸べる。


帰る(・・)よ、クロ(・・)


 これに少し驚いたような間を置いた後、


「うむ」


 と、クロは手を握り返してきた。


 そうして二人は、手を繋いだまま光野家へと帰るのだった。

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