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case裏野ハイツ『それから』

 語り終えた僕らの前で、湯坂先輩はフルフルと身体を小刻みに震わせていた。


「そんな……。辰君、死んじゃったってこと? ……なら、今目の前にいるのは……」

「いや、生きてますから。足ありますから」


 僕が顔を引きつらせれば、先輩はホッとしたようにはにかんだ。意外と天然なのか。順応しやすいというか。僕らの話がぶっ飛んでいたというのがあったとしても、ちょっとまともに信じすぎではないかなと思う。

 そんな旨をそこはかとなく伝えてみると、湯坂先輩は肩をすくめながら「だって嘘ついてるにしても、真剣すぎるもん」と、目を伏せた。


「でも、もしかしなくても、辰君が幽霊をやっつけちゃったから、あの部屋に限っては、事故物件でなくなったんじゃ……」

「いいえ。先輩。それを抜きにしても、あの部屋からは離れるべきです。言ったでしょう? あそこはホラースポットだって」


 少しだけ希望に満ちた表情になりかけた先輩は、メリーの一言でガクンと肩を落とした。部屋そのものは気に入ってたのに……。としょんぼりする先輩だったが、やがて受け入れたのか「仕方ないね」の呟きと共に僕とメリーに手を差し伸べてきた。


「二人ともありがとう。まさかこんな危ない事になるとは思わなかったから……改めてお礼を言うわ」


 笑みを浮かべる先輩の手を、僕らは交互に握る。

 今度は変な所選ばないでくださいね。とだけ伝えて。


 斯くして、僕らの一夏の調査は幕を閉じる。蓋を開けてみれば事実に触れて震え上がり、逃げ惑い。見て見ぬふりしたものもあり。と、散々な内容だったが、現実なんて得てしてそんなものだろう。

 漫画やドラマみたいに、お悩みや事件を華麗に解決。だなんて、僕らには荷が重すぎるというものだ。

 一先ず宴もたけなわ……という程盛り上がったかはさておき。僕らが語る怪談はこれにてネタ切れ。

 レポートはこれより、後日談という名の結びに入ろう。

 語るには少ないが、あのハイツでの生活の結末を……。


「あっ、そうだ。湯坂先輩。ちょっと頼まれて欲しいんですけど……」

「ん? なぁに?」


 視界の隅で、メリーが先輩に話しかけるのを横目で見ながら、僕は短い回想に入っていった。


 ※


 気絶した僕が次に目を覚ましたのは翌朝の事だった。

 重い身体と、恐らくはメリーがやってくれたのだろう、包帯でグルグル巻きにして、添え木で固定までされた腕の惨状を目の当たりにした時は、流石に冷や汗をかいたものだ。

 そこから何とか冷静になりリビングに出ると、そこにはエプロン姿に左頬に冷却シートを張り付けた、メリーが立っていた。

 目が合って互いに沈黙。続けて出てきた言葉は、二人共々ありがとう。だった。


「……何で貴方がお礼言うのよ。思い返せば思い返すほどに、お礼言うべきは私じゃない?」

「いや、先に僕を救ってくれたのは君じゃないか。いなかったら間違いなく僕は今頃開きだよ」


 さながら鯵のごとく。なんて笑えば、笑えないわよ。という言葉が、批難混じりの視線と一緒に飛んできた。膨れっ面のおまけ付きで。

 暫くはそんな調子で譲り合いのお礼の述べ合いになったのだが、次第に平行線だと察し始め、結局そのまま、それぞれの朝の支度に取り掛かる。

 といっても、僕はその時片手が使い物にならなかったので、軽く身嗜みを整えたりしたら後はやることなく。

 申し訳なさを感じながらも、メリーがキッチンに向かう様子をぼんやりと眺めていた。

 台所に立つ彼女の手捌きには淀みがない。初日からお世話になっている鍋をお玉でかき回し、中の料理を味見して、満足気に頷く姿を見ていると、贔屓目なしにいいお嫁さんになるだろうなぁ。なんて思う。

 そんなほのぼのした感情に浸っていたからだろうか。僕は不意に、つい昨晩の悪夢めいた光景が脳裏をちらついた。

 ……やっぱり、簡単には忘れられなそうだ。自分でも驚いていたのだ。僕の中にも、あんな激情があったなんて。

 言い表せぬモヤモヤとした感慨にまた心が沈みかけていると、メリーは「そんな顔しないで」と、呟いた。


「嬉しかったわよ。……貴方は傷ついているのに、酷いことを言ってる自覚はあるけど」

「……何の話だい?」


 不意討ちも同然の発言に、僕が眉を潜めていると、メリーは料理の手を止めぬまま。僕の方をチラリと覗き見て、また正面へと顔を戻す。


「助けてくれて。守ってくれて。怒ってくれて。……あんなに必死な貴方、見たことなかったし。そう思ったら胸が一杯になりそうで……」

「しっかりは守れなかったよ。ほっぺただってそんなに腫れて。お腹だってもしかしたら……」


 僕の腹には爪の痕がくっきり残っていた。それがメリーもだとしたら、やはり心が痛む。しっかり治ってくれればいいのだけど。そう思っていたら、彼女は鍋にかけていた火を止めて。此方にゆっくりと向き直る。


「私は……お人形なの?」

「え……?」


 思いもよらぬ問いに固まりかけるも、僕はすぐに首を横に振る。そんな筈ない。そう伝えれば、メリーは静かに微笑んだ。


「そうでしょ? だからこれはもうお互い様。相棒なんだもん。傷くらい分かち合ってもいいじゃない」

「でも……」

「デモもストもないわ。あまり舐めないで頂戴。どんなに過程が辛くても最後に幸せになれればそれでいい。女ってそういうものよ」

「……〝男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる〟何となくその言葉を思い出したよ」

「あら、オスカー・ワイルドね。私もその言葉好きよ」


 クスクスと笑いながら、メリーは手早くお皿を食器棚から取り出し、料理を盛り付けていく。今日はクラムチャウダーらしい。何か手伝える事がないかソワソワしていたが、それはメリーの「無理しない」の一言であっさり断たれてしまう。女の子って強いなぁ。と感じた瞬間だった。


 品々がテーブルに乗せられてメリーと僕は向かい合って座る。

 手を合わせ、揃っていただきますをした時。僕は何故だか痺れ、切なくなるような胸の締め付けを覚えて……。少しだけ目頭が熱くなる。

 そこで僕は唐突に、ああ、そうか。ホッとして、幸福を感じているのだと気がついた。

 こうして彼女と食卓をまた囲めたのが、僕はきっとたまらなく嬉しいのだ。

 ようやく納得のいった気持ちを噛み締めていると、メリーはじっとこちらを見ているのに気が付いた。「どうしたの?」と首を傾げれば、メリーは少しだけ目を泳がせて。やがて言葉を厳選するかのように口を開いた。


「……さっきのオスカーの話だけど。因みに私、彼氏がいたことないわ。オカルトばかり追ってたからかしらね」

「……おや、奇遇だ。僕も彼女がいたことないや」

「……多分、そんなに一人も二人も人を好きになるなんて無さそうだわ。そこまで器用じゃないから」

「最初で最後ってやつだね。……僕も、そうかもなぁ。一人愛したら、その人以外は無理そうだ。青臭いなんて言われたらそこまでだけど」

「……へー。そうなのね」

「……うん。そうなのさ」


 ゴクン。と、唾を飲むような音がしたのはどちらなのか。それは判断しかねる。

 気がつけば、僕らはいつものように目を見て話さずに、ただひたすら目の前にあるライスがよそられたお皿を見るばかり。変な沈黙が流れて、これはいかんと頭を振れば、メリーもコホンと小さな咳払いをして。


「あの、ね」

「えっと……」


『イチャついてるとこ、失礼しまぁす』


 ヒュードロドロォ~と口にだしながら僕らの背後の壁から現れたのは、あの女幽霊だった。


「…………」

「…………」


『……あり、マジだった? 朝からベッドイン? ブランチより私を食・べ・て……な感じ?』

「んな訳ない」

「そんな訳ないでしょう」


 気が抜けてため息をつく僕らの横で、女幽霊はカラカラ笑う。僕らを狂気に陥れようとしたことは……もう忘れているらしい。いや。案外そう見えないようにして内心は……。


『ピグマリオン。考えすぎよ。あたし基本は本能で動くからさ。まぁ、今回もそんな感じ。祝いに来たのよ。無事朝を迎えられておめでとーって』

「やっぱり、あの時間に僕らを誘きだしたのは、あの白ずくめを侵入させるためかい?」


 タイミング等はだいぶアドリブというか、行き当たりばったり感があったので、あわよくば。といった考えだったのだろうけど。と付け足せば、女幽霊は悪びれる事もなく頷いた。


『言ったでしょ? あの子の気持ちが分かるって。だから……協力したくなったのよ。ある意味犯罪マネジメント?』


 ケタケタ笑う。幽霊で。もと人殺し(自己申告)で。芸術家らしい彼女の目は、今まさに愉悦で輝いていた。

 メリーの「やっぱり貴女、悪趣味だわ」という言葉には耳を貸さず、ヒヒヒ。とわざとらしい声を上げてから、ふわりと壁の穴へと再び戻る。逃げるらしい。捕まえる気はないので放っておく。すると女幽霊は、グリンと首だけ回してこっちを見て……。囁くようにこう告げた。


『……あたしの思惑に気づいてくれてありがと。近いうちにアナタ達は出ていくみたいだけど……忘れないでいてあげる。縁があったらまた逢いましょう。……あと、そうね。もう一つ。小石を投げさせて』


 そう告げるた女幽霊は、とびっきり邪悪な表情を浮かべて。


『白ずくめって……結局何がしたかったんだと思う?』


 ……それだけ言い残し。彼女は壁の穴へと吸い込まれるように消えていった。後は沈黙と、漂い侵食するような毒だけがその場を支配していた。


 ※ 


 語るべくは語り尽くした。

 例えばマサエさんもまた実は霊感があり、ホラースポットたるあの場の出来事を楽しんでいた。女幽霊とも面識があった。とか。

 僕らは他の入居者さんには結局会わずに出てきた。とか。

 幹太君と梢ちゃんに涙ながらに「また会おうね」と言って貰えたとか。

 女幽霊もまた、僕らが出たと共にフワリと何処かへ消えていった。とか。


 色々あったけども。それはまた別のお話。今はそう。何よりも優先すべき、最後の後日談がある。


 締め括りは、裏野ハイツから出てから、かれこれ一週間が経った頃の話だ。

 僕はメリーに、大事な話がある。と言われ、彼女の部屋を訪れていた。


「先輩に全て話した後、私が先輩に持ちかけた話、覚えてる?」

「お部屋のお鍋、気に入ったので譲ってくれませんか。だっけ? それがどうかしたの?」


 僕が記憶を手繰り寄せれば、メリーはスッと目を細め、そのまま部屋の引き出しから、何やら資料のようなものを取り出した。


「……女幽霊は言ったわ。人殺しの気持ちがわかると。私達はあの白ずくめだと思った。けど、アイツは人殺しというより……何か別の目的があるみたいだった……それが何だったのかを、あの後考えてみたの」

「……それが鍋とどう関係あるのさ?」


 僕が疑問を投げ掛ければ、メリーはよく考えて。と言いながら、人差し指を立てる。


「違和感の一つ目。アイツがノックした時、冷蔵庫も反応した。今にして思えば、これがおかしかったのよ。事故物件が203号室なら……。元から付いていない筈の個人所有の冷蔵庫が、どうしてアイツと関わりがあったのか」


 ズブリと、肉にメスが突き立てられる幻影を見た。

 メリーの指がもう一本立てられる。


「違和感の二つ目。明らかにアイツは、何かを探していた。カエシテ……。なんて最初に言ってたのが最たる例。それがどうして、部屋に入り、冷蔵庫を確認した後は、私達のお腹を開く事に切り替わったのかしら?」


 ヒタヒタと、おぞましいものが近づいてくるようだった。真実という名の怪物が、僕のすぐ傍まで来て、舌舐めずりをしているような。そんな得体の知れない不安感に身体が包まれていく。


 そういえば、女幽霊は人殺しとやらを〝あの子〟と呼んでいた。それは決して、白ずくめを指していた訳ではないのだと。今更ながら気がづいて……。そもそも、僕らが言ったではないか。彼処は、裏野ハイツは、常人であれば気が狂う……と。

 僕はその時、猛烈な吐き気と嫌な推測の波に襲われ始めた。

 メリーを見る。語る彼女もまた、顔面は蒼白で小刻みに震えていた。語らねばならない。知らねばならない。そんな空気を鋭敏に感じる。そうしてこそ、今回の調査は本当の意味で幕を下ろすのだ。


 例えば、あの部屋で殺人を犯した誰かが。事が済んだ後に殺害した筈の亡霊に悩まされていて。それが女幽霊の言う〝手こずっていた〟だとしたら?

 亡霊がそれを取り戻そうとしていて、ならばいっそのことその取り戻さんとしていたものを誰かにこっそり渡す。もとい、当人たちの知らず知らずの内に処分させようとしていたのだとしたら……? 話が噛み合うように思えないだろうか。あくまでも、想像だが。


「その資料は……、何なんだい?」

「……親戚の伯父さんが、元警察の鑑識なのよ。だから、調べてもらったわ。その結果よ」

「……どうだったの?」


 外れてくれ。と、無駄とわかっていても祈るのが人の性だった。そして……。真実は告げられる。


「鍋からは……血液反応が出たそうよ。あと、ついでの情報。湯坂先輩、大学辞めたんですって。今は何処にいるやら。携帯の番号も変わってるし……何かもう……ね?」


 ああ、そりゃあ最悪だ。と、メリーに同意しながら僕は天井を仰ぐ。初日のハヤシライスは、お礼なんかではない。僕らを陥れる為の罠だったのだ。

 裏野ハイツが事故物件? とんでもない。酷い物件は、もっと身近にいたのである。


 ※


 後日。白いチャック付きパーカーを着こんだ白骨死体が郊外の雑木林で発見されたというニュースを耳にしたが、僕らはもう、それを掘り下げるのは止めておいた。


 〝人は忘れるから生きていける〟

 〝どうにもならないことは、忘れることが幸福だ〟


 世界中のことわざや格言にそういう似通ったものがあるのは、それがより真実に近いからだと僕は思う。

 事故物件なるものだって、知らないままでいたならば。誰も怯えることも、狂うこともなかったのかもしれないのだ。

 だから僕らも忘れることで、受け止めたくはない現実は取り壊してしまおうと思うのだ。


 ……取り敢えず。当分肉は喉を通らないに違いない。


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