203号室の怪奇
怪奇があるところに僕らあり。……そこまで豪語する訳ではないが、少なくともオカルトサークルなんて結成している時点で、そういう類いのものに興味があるというのは分かっていただけるだろう。
僕もメリーも、霊が視えるという特異体質を持ち合わせている。小さい頃からそうだった。
例えば僕の場合、お葬式では御本人が視えて、こっそりハイタッチして奇異の視線を向けられたり。
墓場ではよく幽霊に挨拶されては、たまに足を引っ張られ。
事故現場では恨みや未練を残した霊を目撃し、その負の感情に当てられる。
世間でいう妖怪と思われるものにも会った事もあるし、極めつけはクトゥルフ的なナニカとニアミスした事すらある。
救いだったのは、こういった事象が日常茶飯事ではなかったことに尽きるだろうか。日常茶飯事だったら……。多分人としてまともな社会活動は送れなかったに違いない。
僕の気が狂ってしまうか。あるいは周りから狂人のレッテルを貼られるか。そのどちらかになっていた事だろう。
だが、その救いは同時に、呪いにもなった。適度な非日常。僕にとってのそれは、手軽な冒険の扉のようなものになってしまったのである。
以来僕は自身の異常を自覚した幼少から今日……大学生に至るまで、フラッと色々な所を訪れては、奇妙な体験をして帰って来ている。……悪く言えば、放浪癖がついた。
見えないのが普通。では、それが見えてしまう僕は何者なのか。それを解き明かす事こそが、奇妙な体験と平行するように、幾度も危険な目にあって尚、僕が探索を続けている理由の一つである。聞くところによれば、メリーの成り立ちも大体似通ったものなのだとか。
まぁ、先も述べたように、単に僕らがオカルト大好きという、わりと俗っぽい理由もあるのだけれど。いや、寧ろ大部分がそれだ。
僕らが僕らである為に必要なもの。そう言っても過言ではない理由と心持ちが、そもそもの始まりだった。
そんな趣味により結成した僕らのサークルが、『渡リ烏倶楽部』
幽霊や、この世に存在するありとあらゆる怪異。不思議。超常現象。都市伝説を調査し、探索し、時に追い追われる。それが、主な活動内容。
……変なサークル名だと思う。
これはメリーの謎センスである。
りがカタカナなのがポイントらしい。……メリーの感性は、時々よく分からない。
同じオカルト狂いの変態で、気の合う相棒でも、彼女にはよく意表を突かれたり、背筋を寒くさせられるのはご愛敬なのだ。
因みに最近は、サークルというより、コンビ名でもいいのでは? 何て思いつつもある。
何せ、メンバーが二人しかいないのだ。
幽霊やらを視れて。それらの存在や領域に干渉・侵入出来てしまう僕と。
同じく幽霊やらを視れて。それらの存在や領域を無差別に観測してしまうメリー。
この二人で何をやるのか大雑把に言ってしまえば、メリーが手掛かりを受信。二人で探し、現場を見つけたら調査。必要あらば僕が干渉する。そんな流れだ。
どうにも僕と彼女の霊的なそれは、絶妙なシナジーを生じさせるらしく、一緒にいるとそういった存在との遭遇率は高くなる。その特性と体質を利用して、僕らはありとあらゆる非日常に触れているのだ。
サークル立ち上げの発端は、そこそこ長いので、ここでは割愛しよう。
さて、そんな僕らの今回の活動は、今更説明するまでもない。
事故物件の調査。最初は半信半疑だったが、こうも衝撃的なものを見せられたら、もう認めざるをえまい。
浴槽に浮かんだ髪の毛は、僕やメリーのではないのは明らかで、ついでに長さからみて、ほぼ間違いなく家主たる湯坂さんのものでもない。
つまり……。
「あれはいる筈もない誰かのものが浮き上がってきた……と」
滑らかな肌触りがするメリーの髪を優しく櫛で梳いていく。甘い香りがフワリと鼻をくすぐる中、僕らはベッドに並んで腰かけたまま、先程の現象を思い起こしていた。
あれは一体、何を意味していたのだろう。結局、一緒に入るだの入らないといった議論の果てに、結局僕が先に風呂に入り、その辺を調べてみた。結論から言えば、確かにそこには霊的な何かがいたのではないか。そんな推測位しか立てられなかった。
気配はあっても姿は見えない。
「水道管がおかしくなった……なんて話じゃないよね」
「ある意味事故だけど、今は違うわ」
改めて見ると綺麗な色だよなぁなんて思いながら、もう一度櫛を入れれば、メリーは心地よさげに目を閉じる。
僕はそのまま無意識に、メリーの瞼の端にそっと指を当てた。
「……なぁに?」
青紫の瞳が、僕を横目に捉える。困惑と気恥ずかしさが感じられて、僕はすごすごと手を引っ込めた。
「ごめん、無意識だった。……質問。君はあの場を見て、何も感じなかった?」
何をしているんだ僕は。そう思いながら、疑問を口にする。メリーは探知担当だ。必然的に、僕よりも幽霊に対する感受性は強い。
感覚によるヴィジョンと本人が語るそれは、今身近な何処かで実際に起きている心霊現象を、無差別かつ唐突に垣間見てしまう。
時に俯瞰的視点から。時にそのオカルトな存在の視界を通して、彼女の意識にそれは滑り込む。
眠っているなら、まるで夢見るように。起きている時ならば、白昼夢を見ているかのように、彼女は心霊現象を受信する……。そんな素敵な脳細胞と視神経を持つ者が、僕の相棒なのだ。
「……ノンよ。あそこまであからさまなものを見たら、絶対に何かありそうなものなのに、怖いくらい無反応だった」
だが、我がサークルの誇るお化けレーダーは、今回はまったく手がかりを掴めなかったらしい。少しだけ悔しそうに語るメリーは小さくため息をつきながら、そっと僕の服の袖を掴む。
そのまま手を重ねるようにして指を絡め始めたメリーに、どう反応したらいいやらで、今度は僕が固まっていると、メリーは肩を竦めながら「私も無意識だったわ」と、悪戯っぽく笑った。
「……今日はもう、寝ましょう。わからないことを考えてても仕方ないじゃない」
「淡白ってか、強心臓過ぎやしないかい?」
僕が茶化すように言うと、メリーは口を尖らせて、そんなことないわ。と呟いた。
手を離さないまま。もう片方の手で櫛を持つ僕の手首を抑え、メリーは僕に顔を近づけた。
「予感がする。いいえ。断言するわ。ヴィジョンで見れなかったから、ここにいる何かの正体や目的はわからない。けど、わかる。……これで終わりな筈はない」
キスできそうな位にすぐそばで、メリーは少しだけ震えた声で、僕にだけ聞こえるように囁いた。
どうしてわざわざ声を潜めるの? と、聞こうとしたが、それは彼女の有無を言わせぬ視線で遮られた。僕が目をパチパチさせていると、メリーはそのまま僕から櫛をひったくり、そのまま押し込めるように僕をベッドに寝かす。「梳してくれてありがと」と、小さく礼を述べ、彼女はそのまま僕の隣へ陣取った。
お互い風呂に歯磨きは済ませ、パジャマとネグリジェ姿だったので、このまま眠る分には問題ない。だが、彼女らしくもない慌てた様子に、僕は困惑していた。
「寝るのは分かったけど、どうしたのさ」
「……視界を……貴方だけにしたかったのよ。あとは、様子見」
「様子見?」
毛布を被り、電気すら消してしまった彼女に思わず僕が首を傾げると、メリーは僕の唇にそっと指を当て、静かに。といったジェスチャーを送ってくる。
興奮と恐怖がない交ぜになった表情で、メリーはさっきよりも更に小さな声で。
「隣……リビングから、物音がするわ」
そう呟いた。
まさか。僕はそう答えながら、そっと耳をすませる。聞こえるのは互いの吐息と……。コン、コン、コンッ。と、ノックするような微かな音だった。
「……っ」
ほぼ同時に息を飲み、僕らは身を寄せ合う。触れ合う部位から暖かさがじわりと広がって、それに比例するかのように、ノックの音はより鮮明なものになっていく。
コンコン……コン、コンコンコンッ。と、まるでリズムでも刻むかのように響き続けるそれは、早さを増していく僕らの心音と併さる形で、奇妙な不協和音となり奏でられていく。
それはまるで、僕らに存在を主張しているようにも、警告をくだしているようにも思えた。
知ってしまった以上、忘れさせはしない。そういうかのように、夜の旋律は僕らの耳を侵食する。
「……来客。かな?」
「……夜の十時よ? 本当にそうなら、非常識だわ」
努めて明るく。僕らは希望的観測を述べる。繰り返しになるが、裏野ハイツにインターフォンはない。誰かが部屋に訪ねてきた。そう考えるのが自然だろう。
101号室の後藤さんか。はたまた201号室のマサエさんか。普通に訪ねてきそうなのはこの二人くらい。他の三部屋は……ありえないだろう。僕らと話すらしていないのだ。住人の話していた様子から、特に102号室と202号室はあり得ない。
もっともこれらは、可能性。どう転ぶかはわからないが、少なくとも裏野ハイツの住人が来たわけではない。漠然とながら、僕らはそう直感していた。
コン……コン。コンコンコン。
断続的なノックはまだ続く。毛布の中で息を潜めながら、僕らはそれをただ聞いている事しか出来なかった。
止む気配はない。どうすべきかは二択。このまま知らぬ存ぜぬでやり過ごすか。あるいは……。
「見に行こうか」
「……正気?」
「だってこのままでもね。案外非常識なセールスマンかもしれないし。覗き窓、あったよね? 何なら僕一人で……」
「行かせると思う? 私も行くわ。本当にただのセールスマンなら、ラリアット位は許されるかしら」
「OK。ダブルでぶちかましてやろう」
己を鼓舞し合いながら、僕らはベッドから這い出した。手はしっかりと繋ぎ、目指すは玄関へ。洋室を出る瞬間に、再びコンコンとノックがしたのが聞こえて、僕らは極力音を立てぬよう、小走りでリビングを横切り、ドアの前に立つ。
互いの手を握る力が強くなる。私が視るわ。と、メリーは目で合図して、そっと覗き窓へ顔を近づける。
コンコン。コン……。
ノック音が再び。僕らの〝背後〟からした。
ヒヤリとした冷たさが僕らの全身を駆け巡ったのが感じられて、僕もメリーもその場で膠着する。
ドアじゃなかった。その事実が明るみに出ると同時に、僕の目線は部屋中を忙しく右往左往する。
まず真っ先に、お風呂場に続く脱衣所のドア。
次に部屋の窓。そして……。
コン……コン……。
答えが出ると同時に、僕らは謀らずも同時に唾を飲み込んだ。
音は、僕らがいる場所から数歩も離れぬ台所。
その、冷蔵庫の中から聞こえていたのだ。
「……外には、誰もいないよね?」
「……っ」
「……メリー?」
冷蔵庫を睨み付けたまま、僕がメリーに問いかける。返事はない。彼女は未だ、覗き窓から外を眺めていた。
どうしたのかともう一度彼女を呼べば、メリーは少しだけ震えながら「誰かいるわ」とだけ呟いた。
「白い服よ。前進白づくめ。顔まで隠れるチャック付きフードで……」
「冗談だろう?」
顔がひきつるのを感じながら、僕がそう言えば、メリーは手招きするように僕を覗き窓へ誘う。
促されるままに見た先には……。
「……ケテ」
ドアに顔を近づけた瞬間。消えいりそうな掠れ声が聞こえた。
視界に飛び込んできたのは、確かに白づくめの誰か。男か女かは判断できない。
「……ケテ……テ」
小さな声で、そいつは何度も繰り返す。それと一緒に、部屋の一角にある冷蔵庫からは、絶えずノックが聞こえてくる。お陰で気を抜くと聞き逃しそうで……。
「アケテ……。アケテ」
思わず仰け反り、ドアから身体を離したその瞬間、ドアノブが物凄い勢いでガチャガチャと蠢き始めた。
咄嗟にメリーを背中に庇うと、今度は冷蔵庫のノックが激しくなり、しまいにはほぼ殴打するような音に変わっていく。
「アケテ。……アケテ。アケテ。アケテ。……カエシテ。カエシテ……。タスケテ……タスケテ……」
ドアからの声は、次第に早口になっていく。一方で僕は、この状況でどう動くか、判断しかねていた。
答えてみる? あるいは、開けてみる? 相手は一人だ。何とか出来なくもないかもしれない。けど、それは些か賭けが過ぎるというものだ。
外にいる奴と、冷蔵庫。お風呂場の怪現象。こうもバラバラで立て続けでは、慎重にならざるを得なくて……。
そう考えていた時、メリーが動いた。手を離しスタスタと、冷蔵庫の前に歩いていき、彼女はそっと拳をつくると、左右に手首を動かしながら、僕の方を見た。
見つめ合うこと二秒。意図することを察した僕は、同じように拳をつくり、その時を待つ。
コンコンと、再三のノッキング。僕らはそれとドアの向こうにいる何かが言葉を発する前に、素早く二回。ノックを返した。
入ってます。今は開けられません。そんな意思表示を伴う音に、その場で沈黙が流れて。
その瞬間。冷蔵庫とドアの向こうにいた気配は、唐突に消失した。
十秒。二十秒。それほどの時間を経て覗き窓から外に今度こそ誰もいないことを確認し、僕らはそこでようやく一息ついた。
「よく思い付いたね。ノックにノックで返すとか」
「咄嗟かつ、他に手が思い付かなかったから故の苦肉の策よ……上手くいってよかったわ」
近づき、すぐに手を繋ぎ合う。安心感が僕らを心地よく包み込み……。
「マタ、キマス……ツギハ、アケテ」
まるで液体窒素でもかけられたかのように、全身が凍りつく。
弾かれたように再び覗き窓に目を当てる。
ほんの一瞬だけ視界の端で白が翻り……。あとはもう、何も残らなかった。




