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プロローグ

 大学校内にある、ラウンジカフェの一角にて、小さめの丸テーブルを囲む形で僕たちは対峙していた。

 大学自体は既に夏休みに入っているため、通常ならば人で賑わっている憩いの場は、今や完全に僕らの貸し切り状態だ。日常に近い筈のその場所が、長期休暇特有な非日常の空気を醸し出す中、僕と相棒は、今回の件の依頼人たる女性を正面から見据えていた。


「それで……辰君、メリーさん。あの部屋はどうだった? やっぱり変、だったよね?」


 濡れ羽色のショートヘアを、落ち着かない様子で撫で付けながら、湯坂(ゆさか)恵那(えな)は不安げな声色で問い掛ける。普段はパッチりとして可愛らしいのであろう目を潤ませ、胸の前で祈るように手を組む様はなんとなく小動物染みていた。


「……僕らが調べ、実際に遭遇した上での結論を単刀直入に言うなら、イエスです。湯坂先輩。あそこは貴女が思った通り、相当厄介なものが大量にありました」


 分かりやすい言葉で表すなら事故物件。そう説明しても差し支えないだろう。

 しかもそれが、結構に(たち)の悪いものだったから驚きだ。仮にあのまま湯坂先輩が僕らに相談もせずにあそこに住んでいたのだとしたら、彼女の精神はまともな状態を保てなかったかもしれない。

 事実、僕の報告を聞いた湯坂先輩は青ざめた顔で震えていた。


「先輩、あらかじめ用意していた通り、引っ越した方が無難です。あのハイツは常人が住める場所じゃありません。あそこに定住するのに必要なのは、頭のネジが外れている事。これが大前提です」


 僕の説明に補足するように、隣に座した女性がそう告げる。

 道を歩けば十人のうち十人は振り返るんじゃないか。そんな印象を受ける美人さんがそこにいた。

 肩ほどまでの緩めにウェーブがかかった亜麻色の髪と綺麗な青紫の瞳。何処と無く浮世離れした容姿を「お人形さんみたい」と、評する声を聞いたことがあるが、実に適切な喩えだと僕は思う。ビスクドールのような白い肌も、そんなイメージに一役買っているのだろう。

 この女性こそ、僕のサークルの相棒にして、親友……メリーである。


「……聞かせて。何を見たの?」


 僕らの様子を交互に見ながら、湯坂先輩は踏み込んできた。引き下がる。という選択肢もあっただろうに、こうして聞いてくるのは怖いもの見たさな好奇心か。止めといた方がいいのに。とは思うのだが、当人が望んでいる以上語るしかない。

 僕が一瞬だけメリーに目配せすると、メリーは静かに頷いた。それを合図に僕は改めて湯坂さんの方へ向き直る。


「……じゃあ、お話しします。裏野ハイツで起きた怪奇の数々。その後であそこに留まるも離れるも、そちらにお任せします」


 事の発端は、メリーが持ち込んできた依頼から。

 これから語るのは、とあるオカルトサークルの活動記録。あれよという間に夏休みのほぼ半分以上を費やし実地調査を重ねた、事故物件での生活レポートだ。


 ※


 遡ること、あれは一ヶ月程前の出来事だ。その日の僕はというと、大学生特有の夏休み直前に来る課題やレポートの嵐を、ヒィヒィ言いながら何とか乗り越えて。戦いを終えた学生で賑わうラウンジカフェにて、真っ白な灰もかくやに沈黙していた。

 一応待ち合わせがあってそこに座っていたのだけど、あの時の僕はそれよりも試験での衝撃が尾を引いていて、完全に茫然自失状態になっていたと思う。基本クヨクヨ悩まない性質だけれども、あんな衝撃的なテスト内容は流石に初めてだったのだ。

 故に僕は、待ち人が近くに来ても、彼女に話しかけられるまで気づかないほどに放心していた。


「辰、久しぶり。……どうしたの? まるで試験でヤマを外した、詰め込み学生みたいな顔をしてるじゃない」

「……ああ、やぁメリー。久しぶり」


 ノロノロと僕が顔を上げると、そこにはカフェのプラスチックトレーを手に、にこやかに微笑むメリーの姿があった。ふわりとした蜂蜜を思わせる甘い香りに懐かしさを覚える。今日まで試験の追い込みだったので、会うのは実に半月ぶりだった。


「ヤマを外したんじゃない。用意されたヤマが虚構だったんだ。いい山があるって言われて、いざ行ってみたら谷があった登山家の気分だ」

「そういうのがヤマを外したって言うんじゃないかしら?」

「……だって提示された試験範囲が全く出てこないってどういう事なのさ」


 問題用紙を開いた瞬間に現れたのは、教授から生徒への手紙だった。それだけでも斜め上過ぎるのに、そこに記された文面はこれまたとんでもないものだったのである。

 長いので要約すると、この学問を志し、私の講義を受講した以上、試験範囲だけ勉強すればいいや。だなんて甘い事を考えている輩はいるまいな? そんな内容だ。加えて最後には煽るように試験範囲は出題予定と書いていました。あくまで予定は予定です。なんて追伸に加え、文末に括弧の中へ笑の文字まで付いてきたものだからさぁ大変。試験中に周囲から何とも言えない唸り声と、紙を握り潰す音が聞こえてきたのは、絶対に気のせいではないだろう。

 大学という色んな意味でフリーダムな場所だからこそ出来る技だった。普通の高校や中学等でやったら大変な事になりそうな話である。案の定、メリーもまた、顔をひきつらせていた。


「凄いエキセントリックな教授ね」

「問題が優しかったのがせめてもの救いだよ。真面目に授業受けてればギリギリパスできるようになってるのが腹立つ」

「……貴方は大丈夫だったの?」

「多分。きっと。だ、大丈夫だろうけど、……少し怖い」

「頬が震えてるわ。笑いましょ?〝泣くより、笑うことを選びなさい〟ってね。貴方は笑っている方が素敵よ?」

「この世で一番の奇跡って君だったんだね。その台詞が棒読みじゃなかったら僕はそう信じただろうさ」


 僕が肩を竦めながらそう返せば、「あら、励ますつもりで棒読みしたのに」と、彼女は苦笑いしながら椅子を引き、僕の向かいに腰掛ける。「そんなのわかってるよ」と返しながら、僕も首を回して気持ちを切り替える。いつまでもこのままは勿体ない。せっかく久しぶりにサークル活動として集まったのだ。終わったことは振り返らないに限る。

 互いに試験お疲れ様と言い合って、僕らはさっそくこれからについて話し合う。

 長期休暇に入るだけあって、出来ることは色々ある。サークル活動がてら、この際少し遠出してもいいのではないか。そう話を切り出すと、メリーは待ってましたとばかりに指を鳴らした。


「そう、夏休みよ。で、ものは相談なんだけど……辰、一ヶ月位、私とルームシェアしない? 事故物件で」


 投げ掛けられた言葉を反芻し、僕はポカンと口を開ける。ルームシェアまでだったら、少し仲がいい学生による、休み中の娯楽に聞こえなくもないかもしれない。だが、肝心の最後に中々笑えない単語がくっついてきたものだから、僕は目を白黒させざるを得なかった。


「……事故物件で?」

「そ、事故物件で」


 確認し、聞き間違いじゃなかったかー。と目頭を押さえていると、当のメリーはどうしたの? と言わんばかりに首をかしげながら、買ってきたミックスベリーシェイクに口をつける。

 わりと剛の者である彼女らしいといえばらしいのかもしれない。ついでに、その場所についても僕ららしいといえばらしいのだろう。

 僕らが所属するサークルはオカルトサークル。胡散臭いものが三度の飯より好きなのだ。好奇心の強さを示すなら、世界から猫が根こそぎいなくなるくらいには。


「君とルームシェアってのは素晴らしく魅力的だけどさ。契約するんだよね? 学生始める前ならともかく、一ヶ月程度ってなると、いくら事故物件だからって結構お金が……」

「大丈夫。家賃も何もいらないそうよ。一ヶ月滞在するのだって、言わば調査が目的だもの」

「調、査……?」

「そう。実は、依頼が来たのよ。私達のサークルにね」


 僕が眉を潜めていると、メリーはキラリキラリと青紫の瞳を輝かせながら事情を話し始めた。


 依頼者は湯坂恵那。僕らと同じ大学の三年生で、メリーの学科の先輩に当たるらしい。

 何でも数ヵ月前にとあるハイツに引っ越したのだが、どうにもそこの様子がおかしいのだとか。

 ある時は部屋の中で真夜中に異音が……場合によっては話し声がする。

 またある時は自分のものではない髪の毛が落ちていたり。

 お風呂に入っていると、リビングには誰もいない筈なのに人の気配がする。

 誰かに見られているような、そんな謎めいた寒気がする。

 何となく空気が重苦しいし、何だか身体も怠い。

 夜に窓から外を見たら、ぼんやりと何かの影が動いているように見えた。

 住人全てが表札を出さない上に、妙に怪しい雰囲気を醸し出している……等々。


 あまりにも不気味が過ぎるので早々に引っ越そうと思うのだが、こうも連続すると何だか気になる。誰かに確かめて欲しいが、こんなものを誰に相談すればいいものか。そう思っていた矢先に、彼女は二年生の時に執り行った新歓コンパを思い出した。

 そこでの自己紹介で堂々と「オカルト大好きです」と言い放ち、特異な容姿も相俟って異彩を放っていたメリーが頭に浮かんだという。

 彼女ならば、もしかしたら事故物件について相談に乗ってもらい、よしんば検証してくれるかもしれない。

 自分以外の誰かもおかしいと感じたならば、そこにはやっぱり何かがある。そう言えるだろうから。


「そんな訳で、引き受けてくれるなら大屋さんに話を通して、家賃やら光熱費も全部先輩が負担してくれるそうよ」

「……何だろう。理由うんぬんも衝撃的だけど、君は君で大学入りたてで凄い自己紹介してたんだね」


 オカルトサークルなんて酔狂なものに所属しているだけあって、僕もその手の話題は大好きだが、流石に初対面の人だらけな場所でそんな発言はすまい。もっとも、彼女は少々天然も入っているので、好きなものを好きと言って何が悪い。位にしか考えてないのだろうけど。

「私の事はどうでもいいわ」と、案の定軽く流したメリーは、どうする? 引き受ける? といった顔で僕を見る。その目には好奇心と、ほんの少しの畏怖や心細さが垣間見えた……気がした。後者だけ。


「僕が仮にここで断ったとしても、君は一人ででも行くんだろう?」


 僕がそう問えば、彼女は笑顔で頷くことで肯定した。


「然りよ。ただ、私個人としては、貴方もいてくれた方が心強いわ。嫌なら……」

「冗談。そんなの独り占めはズルイよ。夏休みが終わったら君が事故物件で都市伝説になりました……なんてのも笑えないし」


 メリーさんだけにね。と、僕が笑えば彼女は少しだけ頬を膨らませる。「私が始めたこの呪いについては、この際どうでもいいのよ」と言いながら、念を押すように引き受けてくれるのね? と、再度問うて来たので、僕は親指を立ててゴーサインを出す。

 それを見たメリーは、ホッとしたように胸元に手を当てて、そのまま花咲くように微笑んだ。


「ありがとう、私の相棒さん。……フフッ」

「……どしたのさ?」


 あまりにも楽しげな顔だったので、思わず僕が首をかしげながら彼女の顔を見ると、メリーはほんのりと顔を赤らめながらはにかんで。


「思ったのだけど、これって、同棲になるのかしら?」

「……ルームシェアって話じゃなかったかい? 相棒?」


 僕が目を向けないようにしていた言葉を口にした。同じ部屋に住むって意味合いなのにこうも響きが違うのはどういう事か。意識したら変に泥沼にはまりそうな気がしたので、僕は考えるのをそこで止めた。


 僕と彼女との関係には名前がない。

 お互いに恋人はいない身だから、それがこれからどう転んでいくかはわからない。付き合いこそ一年と少しだが、様々な要因から彼女以上に馬が合う異性は今までいなかったと言い切れるのが悩ましい所だ。

 気の合う親友か。甘ったるい恋人の関係か。数少ない趣味を共有できる大切なサークル仲間か。どれも当てはまるようで当てはまらないので、名目上は相棒で通している。

 この関係が結構好きだから、僕らは今日もその俗称を確認し合うのだ。その事を僕らの仲を邪推してきたある先輩に話したら、「年頃の男女がなんたること」と呆れられたけど。


「私、メリーさん。今――、柄にもなく緊張して、ドキドキしてるの」


 それは事故物件に住むからだよね。と、返せば、チョップが飛んでくるのはご愛敬。お決まりの口上は、彼女の特異性を如実に表していた。

 これは、僕だけが知っている彼女の秘密。察しのいい人間ならば、この言い回しだけでお分かりいただけるだろう。

 何を隠そう彼女の正体は、かの有名な都市伝説の人形少女。存在そのものがオカルトの産物なのだ。…………ただし、偽物の。


 ただし、偽物の。


 大事な事なので念のため。脱力したなら上々だ。

 何せ、色々複雑な理由はあれど彼女はオカルト好きが高じて、自ら『都市伝説のメリーさん』を語っているだけ。そんなバッタもんなのだ。

 本名だってメリーとは欠片も関係ない上に無駄に長く、日本姓まで入っている凄まじく壮大なものだったりするのだが、これは今語る必要はないだろう。彼女は決して誰にも本名は名乗らない。だから僕もこれ以上は閉口する。

 総じてそれを前提に付き合うくらいには、僕らは微妙にズレているといえよう。痛々しいとすら思われるかも。だが、それもまた仕方がないことだ。何故ならば……。


「あー、そうそう。先輩が言っていた、ハイツがおかしいって話。多分オカルトな事情があるのは確定よ。覚悟してね」

「……まだ部屋に行ってもいないのに?」


 何となく嫌な予感がして僕が声をつまらせれば、メリーは目を閉じて肩を抱くような仕草をした。


「依頼に来た先輩ね、オフショルダーの服を着ていたの。だから、凄く目立ったわ。本人は気づいていなかったみたいだけど……」


 人に宿る確率は限りなく低いと言われる、青紫の目が開かれる。無表情のまま、メリーの柔らかそうな唇が紡いだのは、これから起こるであろう不気味な怪奇の幕開けに相応しい、不気味なもので。


「視えたのよ。手首から後ろが千切れた、真っ白な手が二つ。先輩の両肩を、骨が浮かび上がる位ガッチリ掴んでいるのがね」



 前置きはこれくらいにして、そろそろカミングアウトしよう。繰り返すがオカルト好きな僕らは少々ズレていて、お互いを他には得難い存在と認識しているのだが。それにはちゃんとした理由がある。


 荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、僕らは……幽霊が。この世にあらざるものが視えるのだ。

 所謂霊感もち。あるいは霊媒体質。幼い頃に行く先来る先で変なのと遭遇しているうちに自覚したそれは、今日まで続いている。膨らみ続けて止まらない、無限の好奇心とご一緒に。


「……オーケー。行ってみようか。その、ええっと」

「裏野ハイツね。……高台にある家(ハイツ)なのに裏のだなんて、あべこべだわ。裏も何もないじゃない」


 変な理屈を言い始めた相棒の口元には、シェイクのクリームがついていた。僕はそれを何の気なしに指で拭う。そのまま行き場のないそれを見つめていたら、メリーは僕の指をやんわり掴み、そのまま僕の口に押し付けた。

 甘酸っぱい味に混じって夏の芳香を感じたのは、黄昏時を迎え、家路につく学生たちが目につき始めたことで、いよいよ夏休みが現実味を帯びてきたからだろうか。ともかく――。

 怪談が栄える季節の到来と共に。オカルト研究サークルの活動は、こうして始まった。

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