六夜目
「ここは、どこなの?」
瞳の中は色とりどりの光で満たされていました。そこには影の一片すらありません。ですがワイスは、暗闇に放り込まれた子どものように両手で辺りを探るのです。
「ここはアナタの新しい世界よ。」
光の中のどこかから魔女の声が返ってきました。
「ボクの?」
「真っ白で、一人きりのアナタには勿体ないくらいの光で満たされた、アナタだけの世界。聞いてごらん。嗅いでごらん。触れてごらん。光がアナタのために無限の贈り物をしているのが分かるでしょう?」
魔女は何一つ間違ったことを言っていませんでした。高飛車な妖精の話し声が聞こえてきました。蜜でお腹を膨らませた甘い果実の匂いがしました。触れれば雪のように儚く消える極上の羽毛の触感がありました。
少し角度を変えれば、それは無限に変化しました。無限の感覚が無限の通りで組合わさり、まるで万華鏡の中にいるようでした。
「気に入ったかしら?いくつ、新しい感覚に芽生えたかしら?」
ワイスは感じ過ぎて、答える余裕など微塵もありません。泡を吹き、熱で頭から湯気が昇っていました。けれども魔女がそれを気にすることはなく、問いに問いを被せ続けました。
「その幸福はアナタだけのものなのかしら?この世界にアナタ以外の人間が何人いるのかしら?」
もはや立っていることさえ奇跡的な状態のワイスですが、どうしてだか魔女の言葉だけはそこにある全ての感覚を押し退け、一言も欠けることなくワイスの耳に届くのでした。
「アナタ以外の人はどんな生活をしているのかしら?それは幸せ、不幸せ?」
それはあたかもワイスが以前から抱いていた疑問のごとく、ワイスの限られた記憶の指定席に符合し、収まっていきます。
そうして魔女とワイスの問いの合唱は答えを得ることなく、尻切れトンボのような最終楽章を迎えるのでした。
「世界は幸せでありたいのかしら?アナタはどうしたいのかしら?」
「まだ、知りたい?もう、忘れたい?」
意識をハッキリと取り戻した時にはすでに、ワイスのそばから魔女の気配はなくなっていました。
「ポピーさん、ポピーさん。…父さん、母さん。叔父さん、叔母さん。」
ワイスはいつまでも、いつまでも両腕を振り回しました。しかしワイスの手が触れるのは感覚ばかりで、誰かを捕らえることはありませんでした。
万華鏡の中に置き去りにされたワイスは頼りにできる誰かを探しました。ですがそこにはワイス以外に誰もいません。
そこに太陽も月もありませんが、二、三日は経ったでしょう。ワイスのそばには未だに『何』もありません。
とうとう、ワイスは大声で泣き出してしまいました。堪りませんでした。
万華鏡の中は相変わらず億千万の感覚で溢れ、ワイスの心をグチャグチャに掻き混ぜます。それでもワイスの中から湧き出す悲しさは塗り潰せませんでした。悲しさが止まらないのです。悲しくて、悲しくて仕方ないのです。
沢山の感覚を知りたいと願ったのはワイスでした。世界の全てを知りたいと願ったのもワイスでした。だから今、エーデルワイスは幸せなはずなのに、小さな、小さな白い花はそれを否定せずにはいられません。
「僕が知りたいんじゃない。僕だけが欲しいんじゃない。」
探る手は感覚には触れることができても、そこに誰もいません。走り回る瞳は何もかもを映しているのに、そこに誰もいません。
そこはワイスだけの世界。ワイスだけに贈られたプレゼント。だからこそ、ワイスは幸せを認められないのでした。
「プレゼントは皆のためのモノなんだ。」
悲しさに塗れたワイスは、おぼつかない手で終曲した指揮棒を振り上げました。感覚一つ、一つに名前を付け、物語を与えました。毎日、毎日、語りかけました。たくさんの感情をぶつけました。
そうして、どれだけの年月が流れたか分かりません。
「おはよう、エーデルワイス。今朝は随分と血色が良いね。どこか遠出することを勧めるよ。」
好奇心が話しかけるようになりました。
「こんにちは、エーデルワイス。明日は嵐になるそうだから、家の補強を忘れてはいけないよ。」
お節介な人が話しかけるようになりました。
「おやすみ、エーデルワイス。今年のクリスマスは何をプレゼントすることにしようか。」
アルタイルという親友ができ、回りにたくさんの人が集まり、彼らがサンタを名乗るようになり、ワイスはその村の村長になりました。
『おかえりなさい』
とおい昔、素敵な贈り物をくれた魔女の声が聞こえたような気がしました。




