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五夜目

薄いワイングラスを指先で弾いたような、儚くもどこか心くすぐるような、心地好い声でした。

「こんにちは、stray sheep。ご機嫌いかが?」

北の彼方、雲もかかる高山の中腹、陽の当たらない陰の中、吹きすさぶ風から逃れる木々もない草原の直中で、魔女は信じられないほどの薄着で、忽然こつぜんとワイスの前に現れました。


「こんにちは、stray sheep。ご機嫌いかが?」

魔女は繰り返し、唄うように問い掛けました。

22ある魔女の目玉は全て幼いワイスに向けられました。額の下に並ぶ2つの目は瞼を下ろせばその瞼にさえ、それぞれ2つずつのそれがあります。

合わせて26のそれらには各々個性がありました。瞳の色や質、形。それを覆う瞼や睫毛にいたるまで。13対全てに確固たる個人があるように思えました。


魔女は、今までに見たどんな生き物とも違う奇怪な姿をしていますが、不思議と不快な気分にはなりませんでした。

エメラルドの瞳に愛でられると春風になびく色とりどりの花の香りを思い出しました。炎の瞳に愛でられると干ばつに襲われた時の水のありがたみを思い出しました。羊の瞳に愛でられると昨晩の食卓の味を思い出しました。


硝子の目玉、煙の目玉、泥の目玉。魔女はそのあらゆる目玉でもって、世界に見えないものはないように思われました。フサフサとなびく虹色の睫毛まつげは、何者の警戒心も解きほぐすようでした。

初めこそ、その容姿にきもを抜かれたワイスですか、時間をかけて相対しているうちに魔女の魅力に心奪われ始めていました。

それでも、奥手な村の性格が好奇心を邪魔して、一言も声を掛けられないでいました。


「stray sheep、アナタの花は何色なのかしら。」

聞き返さず、魔女の真意に考えを巡らせましたが、自分の名前が近隣に咲く花の名前だということしか思い当たる節がありませんでした。

その花弁は黒にも塗り潰せないような深い白で、よく、春先に溶けて消えてしまう雪に例えられました。しかしワイスはその考えを口にはしませんでした。魅力的ではありますが、心配なのです。悪意はないようですが、これ以上魔女の問いに答えてしまったら、取り返しのつかないような自体におちいるのではないかという臆病風に吹かれていたのです。


「アナタはどなたですか?」

その疑心を少しでも拭おうと勇気を振り絞り、ワイスは魔女の素性を知ろうとしました。ですが、そもそも魔女たちは秘密主義な生き物。愛玩動物のように扱うワイスに正体を明かすはずがありませんでした。だのに魔女はあっさりとワイスの質問に答えてしまったのです。

「そうね。ポピーとでも呼んでもらって結構よ。」

実物を見たことはありませんが、村の蔵書に辛うじて挿し絵が入っており、ワイスはそれを憶えています。


浅黒くも下品さを伴わない肌理きめ細やかさ。かぐわしささえ覚えてしまいそうな桜色の唇。体の凹凸は控えめで、真っ直ぐに伸びた手足には誠実ささえ伺えます。

確かに、個性的な特徴を備えている一方で、『ポピー』の名に恥じない可憐な容姿も持ち合わせていました。

ワイスはとりあえず『ポピー』という名前を受け入れることにしました。


「ポピーさんはどちらの国の人なのですか?」

女は失笑しました。

「私は見ての通りの魔女よ。私にアナタの言うような祖国はないわ。そうね、敢えて言うのなら、この世界そのものが私の故郷と言ってもいいのかしらね。」

ワイスは驚きました。ここに町の人がやって来ることはほとんどありませんが、魔女裁判制度は健在で、自分から魔女であることを明かすような魔女はいないと思っていたからです。

ワイスの動揺を尻目に魔女は全ての目を閉じて、肌で、耳で、鼻で、なびく髪で、祖国くにを懐かしむように、山撫でる風を感じていました。

「旅人なのですか?」

女はまた、失笑します。

祖国くにのない私たちは産まれた時から流浪の身だし、産まれた時から箱入り娘。どんな呼び方でもそれは間違いなく『私たち』を指しているわ。詮索をするだけ無駄というものよ。」

空振りする思惑にワイスは釈然としません。疑心も解けないまま、質問する勇気もえてしまいました。


すると、可憐な魔女の人差し指が閉ざしてしまったワイスの唇をつつきました。

「愛しい、愛しいstray sheep。意地悪をしてごめんなさい。その代わりに私の秘密を一つ教えてあげるわ。」

突然触れられたことに驚きこそしましたが、魔女の指先は柔らかく、「秘密」という言葉と相まって、まるで恋人とキスを交わしているような気分にさせるのでした。

その手の経験の少ないワイスは呆然と、呪文をつむぐ魔女の唇を見つめたまま、固まってしまいました。

「私の名前はポピー=サンタクロース。アナタのような子どもたちにプレゼントをする魔女なの。」


魔女の名前を耳にした瞬間、ワイスの耳は淡く甘い匂いを感じました。

そこに危ない罠はありません。純粋な贈り物だという確信がありました。


「ワイス、エーデルワイス、アナタはこの世界を幸せにしたいとは思わない?」

ですが、ワイスは魔女に魔法を掛けられてしまいました。

呪文を聞き届けてしまったワイスの目が映す世界は、長い間眠り続けていた草花が解き放たれ硬い土から顔を出し、目眩めまいを起こしそうなくらいの無限の色で満たされてしまいました。

それはエーデルワイスという花の名前を持つ少年が望んだ、永遠に覚めない夢のようなものでした。

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