第5話 船長と魔法
一段落ついたところで、ヴィーを連れてヴァルキリアの食堂に向かった。キッチンで、二人分の飲み物を用意してヴィーの向かいに腰を下ろす。
「飲みなさい」
素直にヴィーは、マグカップを受け取って一口飲んだ。
「おいしい」
少しヴィーの口元が綻んだ。
「さて、キミに聞いておかないといけない事がある」
「うん。そうだね。ボクも話さないといけない事があるから」
「まあ、確認しておかなかったわたしが悪いのだが……」
ヴィーが首を振ってわたしを止めた。
「違うよ、船長。それはボクのせいなんだ」
今度は、わたしが首を傾げてしまった。ヴィーのせいとはどういう事なのか、判らなかった。とてもバツの悪そうな顔で、ヴィーが見てくる。
「船長が忘れていた訳ではないんだ。ボクが、その方向に意識を向けないようにしておいたから、船長は確認しようとは思わなかったんだ」
ヴィーの話は理解できなかった。首を傾げたままのわたしに、ヴィーは頭を下げていた。
「ごめんなさい。ボクの事を、詮索されたくなかったんだ。一度見ただけだったから、自信が無くて……でも、今は大丈夫」
今のヴィーの言葉も、理解する事は無理だった。言葉が足りないとしか思えない。思わずわたしは溜め息を付いてしまった。
「ヴィー……頼むから、わたしに解かるように言ってくれないか。それだけの言葉では、わたしには理解が出来ない」
ヴィーの顔が、キョトンしたようになった。そして、首を傾げながら言う。
「船長。魔女と魔法使いって、知っている?」
もちろん、言葉と意味は知っている。
しかし、それはお話の中や伝説の中でしか存在しない。それが常識だった。わたしが、そう答えると、ヴィーの眼が丸くなった。
「いや、だって、さっき……」
「?」
「ボクの事を魔女と認めると言わなかった?」
「ああでも言わないと、あのヴィーは引っ込まないだろう」
「いや、でも……」
「わたしは、あのヴィーが気に入らない」
「いや、でも……」
解かっている、とわたしはヴィーに笑って見せる。
「あのヴィーもキミなんだろう」
「うん。そうなんだけど……船長はキライ?」
「ヴィーらしくないからね」
「ボクらしくない? でも、あれもボクなんだけど」
「解かっている。だから言ったと思うが、まだ早いとね。聞いてはいなかったのかい?」
「えーと……どうして?」
「魔女としての力が前面に出てくると、ああなると思ったからだよ。わたしは、キミの言う魔女は知らないが、そうとしか思えなくてね」
ヴィーの顔に微笑みが広がった。
「やっぱり、船長は解かっているんだ」
嬉しそうに言うヴィーに、またも首を傾げてしまった。
いったいわたしに、何が解かっていると言うのだろう。聞いたほうが早いと思い、その通りにヴィーに聞いていた。
「船長も魔法使いだから、魔法を理解しているんだよ」
わたしが魔法使いだって?
ますます訳が解からなくなってきた。気が付けば、わたしは溜め息を付いていた。
「ヴィー……わたしは魔法使いではないよ」
「自分で気が付いていないだけだよ。船長は間違いなく、魔法使いだよ」
そうヴィーに言われても、認める訳にはいかない。自分が、たたの人だという事は良く解かっていた。
そんなわたしに、ヴィーは笑顔を見せて言う。
「船長は、さっき二つの魔法を使った。一つはボクを助けた時と、彼らを捕まえた時。同じ種類の魔法を使っていた。もう一つは、エネルギー弾を消滅させた時の魔法」
「あれは魔法でも何でもない。単なる特殊能力だよ。たしかに、わたしは常人の一〇倍まで身体能力を上げる事が出来る。そして、力場を発生させてエネルギー弾を消滅させる事が出来る。でも、それは魔法の類いではないよ」
「そうじゃないんだ。魔法は、発動の型と発動の言葉を使って発現する力の事なんだ。船長が使ったのは、移動系下位呪『加速』と言われる魔法と、動防系上位呪『障壁』と言われる魔法なんだ。知らなかった?」
楽しそうに笑うヴィーに、わたしは何も答えられなかった。
たしかに、わたしは力の発動に『加速』の言葉と『障壁』の言葉を使う。また、その言葉で無ければ発動はしないし、同時に右手を握り込んだり、開いたりしない限り力の発動は無い……ヴィーの言う魔法とは……。
唐突に、わたしは魔女が何なのか理解した。しかし、それは証明が出来ても、科学的には解明されていないはずだ。
「そうなんだよ、船長。一般的に言う能力者の事を、ボク達は魔女または魔法使いと呼んでいるんだ。誰でも持っている訳でも、誰にでも使える訳でもないからね」
そう言う意味で言うのなら、わたしは確かに魔法使いになるだろう。
だが、わたしのこの能力は先天的な物ではない。ある事故がきっかけで身に付いた物だ。欲しいと思っていた訳ではないが、この能力で随分と助けられたのも事実だ。
「わたしの能力は先天的ではないが、それでも魔法使いなのかね?」
「そうだよ。使えるか、使えないかの違いでしかないから。能力が使えるのなら魔女なんだ。それが、後天的でも同じ事なんだ」
「ヴィーは、先天的な魔女なのかね」
「うん。ボクが初めて力を使ったのは、三才の時だったらしいんだ」
「三才?」
驚いて聞き返してしまった。
「うん。でも、ボクの両親は、ボクの力を押さえ込んで使えないようにしたんだけどね」
三才ではそうするしかないだろう。
一般家庭で言うと、ハンドガンを三才児に持たせるようなものだ。周りに多大な被害をもたらすか、自分を殺してしまう事になるからだ。
危なくて仕方がない。わたしでも同じ事をすると思う。
「意識して使えだしたのは六才ぐらいになってからだよ。その間に、ボクの両親は力の使い方を教えて、ボクが上手く使えるように準備していたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。キミの両親も魔女なのかい?」
「うん。そう」
「そのご両親はご健在なのかね」
「うん」
「それなのに、キミは家に戻らなくていいのかい?」
その時、浮かんだヴィーの微笑みは、こののち数度しか見る事の出来ない静かな深い微笑だった。
今のヴィーでも、さっきのヴィーでない。この年頃の少女が決してする事の出来ない深みのあるものだった。
「船長。ボクが家を出たのは一〇才の時だよ。それ以来、ボクは一人で生きてきた。どんなに思っても、家に帰る訳にはいかないんだ」
「どうしてだね?」
「ボクは異端だから」
「異端?」
「船長。先天的な魔女は、個人差はあるけど、能力が使えるようになるのは、大体一〇才から一二才ぐらいなんだ。それも最初は物を手元に引き寄せるぐらいの力しかないわ。私は三才で、ベビーベッドを浮かせて動かした」
わたしは溜め息が出てしまった。
「両親は強すぎる私の力を封じ、物事を理解出来るようになるまで、力を使わせないようにしたわ」
「強すぎる力は良くない。自分の力を理解できるまで、キミを封じ込める事にはわたしも賛成するよ」
「どうして? 私はすでにいるのに?」
艶然と微笑むヴィーが聞いてくる。
「わたしはキミが気に入らないと言ったのを覚えているかい?」
「ええ、もちろんよ。よければ、その理由を教えてくれないかしら?」
「キミはヴィーを壊すからさ」
「私が私を壊す? 可笑しな話ね、ライフォード船長」
「知っているかは解からないが、人は心と身体のバランスが取れなくなると壊れるんだよ。今のキミはアンバランスだ。その上、キミは強いからね」
ヴィーの顔が、深い嬉しさが滲む笑顔に変わる。
「解かってくれて、とても嬉しいわ」
わたしは全然嬉しくなかった。
とても認めたくない事を認めなければならない時、人は憮然とするのだろう。
「キミはヴィーであり、ヴィーではない。ヴィーと離れる事も無い」
憮然とする理由はまだ他にもある。
まったくもって、悔しい事だ。このヴィーがいたから、今のヴィーがいる。更にわたしは、このヴィーも魅力的に思えるから、なお悪い。
「わたしはキミに礼を言わなければならない」
わたしの言葉に、ヴィーは首を傾げていた。
「私が気に入らないのに、礼を言うの?」
「そうだ。それとこれとは別だからね」
そう言ってわたしはヴィーに頭を下げる。
「ありがとう。ヴィーがどんな時を過ごして来たかは判らないが、並大抵の事ではなかったはずだ。キミがいたから、ヴィーは自由だったのだろう。その事に対しては、わたしは礼を言うよ」
ヴィーの瞳から涙が溢れた。
「ライフォード船長は、私が嫌い?」
ゆっくりとわたしは首を振っていた。嫌いであれば、とっくにヴィーを放り出している。
「キミとヴィーは、時間を掛けなければいけないと思う。その時間を、わたしが作ってあげよう」
「ライフォード船長」
ヴィーは静かな瞳でわたしを呼んだ。
「私には、故郷と呼べる場所が無いわ。元々私達は放浪の民と呼ばれる者なの。そこにさえ私の居場所は無かった。だから、出て行くしかなかったわ。それが一〇才の時よ」
静かに話すヴィーに、わたしは目が離せなくなっていた。
放浪の民。
そう呼ばれる人達がいる事は、わたしも知っていた。彼らは、故郷と呼べる惑星を持たず、宇宙を移動して星々に立ち寄る人達だった。
「それから私は、さまざまな場所を渡り歩いたわ。私を理解してくれる人を捜して……。その人の居場所が私の居場所。その人の行く道が私の道。その人の命が私の命。その人の傍にいる事が私の望み」
「待て、ヴィー……」
わたしの言葉はヴィーの言葉で遮られた。
「私を理解して受け入れてくれなければ、意味は無いの。ライフォード船長は、私を気に入らないと言うけど、私を受け入れてくれた。私にとって、それが一番大事な事なの。それ以外は、私にとって意味を持つ事ではないわ」
「いや、だが、わたしはキミを受け入れた訳では……」
ゆっくりとヴィーは首を振っていた。
そして、笑顔を浮かべる。それは、ヴィーの笑顔であり、ヴィーの笑顔ではなかった。わたしが初めて見る自然な笑顔だった。
「私とヴィーのために時間を作ってくれる。それで、私は十分なの」
「あー……」
言うべき言葉が無くなってしまった。
時間を作ってあげようと言ったのは本心だ。何よりもヴィーは、このままでは良くないと思っていたから。
「だから、私はあなたの傍にいたい」
「ヴィー、わたしは……」
「ライフォード船長。私は、答えて欲しいとは思わない。でも、覚えておいて。私はあなたのために存在する。あなた以外の人のためには存在したくないわ」
と、ヴィーがいきなり真っ赤になって俯いてしまった。突然の変化に、わたしは戸惑ってしまう。
「ヴィー?」
「う……うん」
恥ずかしそうに、上目遣いで見てくる。
「もしかして、今までの事は解かっているのかい?」
「うん。ボクも見て聞いているから……」
その事に思い付かなかったわたしは何なのだろう。ヴィーは自分で話していたし、意識を失っていた訳ではない。
「船長。あの……今のはボクの本心だから。それで……」
「ヴィー」
わたしは名を呼んでヴィーの言葉を止める。
放浪の民か……わたしも同じだな……。
「わたしは一四の時に、命に関わる事故に遭った」
ヴィーの眼が丸くなった。
「それまでは、平凡な日常が続くと思っていた。普通に年を取り、普通に家庭を作り、死んで行くものだと……それが、あの事故で引っ繰り返ってしまった」
この事故は、わたしの学校の仲間を数多く死なせ、生き残った者は何かしらの後遺症が身体と心に残った。
わたし一人だけが、日常生活に差し障るような後遺症も無く健康体だった。あの力も後遺症と言えば後遺症かも知れないが、他の者達よりも随分と恵まれていたのだろう。マスコミは、わたしの事を奇跡の生還とまで報じた。そして……。
「それからしばらくして、わたしはこの力に気が付いた。初めは危ない目に会った時だったが、その内に意識的に使えるようになったよ」
わたしの口調に何かを感じたのか、ヴィーは黙ったまま静かに見つめてくる。
わたしにとっては、人には話したくはない思い出だったが、ヴィーには話しておきたいと思った。
「いい気になっていたんだな。それに気がつかずに、わたしは力を振り回しただけだった。結果は……キミも経験したかも知れないが、気味悪がられ無視された。それだけなら良かったが、最後にはバケモノと罵られ、人体実験のモルモットにされた」
「船長……」
気遣うようなヴィーに、わたしは笑って見せる。
「もう、昔の事だよ。その後、わたしは故郷を飛び出した。さいわいルイフルのおやじさんに拾われて、トレイダーとして生きられるように鍛えてくれたからね」
今はもう、懐かしい思い出しかない。わたしは、その事を後悔していないし、今の生活も気に入っていた。今さら、故郷に戻ろうとも帰りたいとも思ってはいない。
「ヴィー。わたしも放浪の民と言えば、放浪の民と言えるかも知れないよ」
首を傾げてしまうヴィーに、わたしは笑ってみせる。
「星々を渡り歩いて生活しているからね。その意味では放浪の民だね。わたし達トレイダーは」
「船長は故郷の星に家族がいるの?」
「いるよ。両親と妹と弟がね。もう、ずいぶんと連絡は入れていないけどね」
「寂しくない?」
「ヴィー。キミは寂しいのかい?」
「少し……うん。少しだけ」
「そうだね。寂しくないと言えば嘘になる。だけど、故郷が恋しいかと言うと、そうでもない。懐かしさはあるが、それだけだね」
今の今まで、考えてもいなかった事だ。あらためて故郷に対して思うのは、懐かしいという思いしかなかった。一〇数年と言う時は、わたしを少し変えたのだろう。