第2話 船長と少女
突然、柔らかく熱いのもが、口に押し付けられた。何だと眼を瞬かせると、金色の光が目の前に溢れていた。
驚いた拍子に、床にずり落ちていたらしく腰の辺りが痛かったが、それよりももっと他の事に気を取られてしまっていた。
目の前に目鼻立ちの整った金の髪の少女が、少しはにかんだ顔で立っていたからだ。
いったい、この少女は誰なんだ?
「ボクのファーストキスだよ。大事に取っといたんだから、ちゃんと責任取って」
信じられない思いが口から出ていた。
「ヴィ…ヴィー?」
「イリーナから連絡」
少女ヴィーは通信モニターを指差していた。
のろのろと頭を巡らして通信モニターを見る。そこには、何とも言えない顔をしたイリーナが映っていた。わたしは通信モニターを見たまま動けなかった。思考が止まっていたのは、わたしだけではなかったようで、イリーナもまた同じように動かなかった。
「船長? 大丈夫?」
気遣わしげな声がヴィーから出てきた。わたしは頷く事しか出来ない。情け無いようだが、ショックを受けて何も考えられない状態だったようだ。
ゴホン。と咳払いが聞こえる。
『ラ…ライフォード船長。FTCからの依頼はWR二三でデータを送付しています。確認の上、速やかに行動をお願いします』
「わっ、解かった。イリーナ」
答えつつもまだ動揺していた。
浮浪児の少女ヴィーの変貌は、サギだと言いたくなるほどの変わり様だった。初めから今の姿であれば、わたしも少年と見間違えるような事はしない。
これで少年に見えるようだったら、即刻、眼科へ行って高性能な義眼と取り替えたほうがいい。その方が本人の為というものだ。
何はともあれ、ヴィーの事は後回しにするしかない。FTCの至急の依頼は、その名の通りに時間的余裕は、ほとんど無いはずだった。
わたしは、意図的にヴィーを無視して、データの確認をする事にした。送付されたデータを開いて、ザッと目を通す。出発までに確認しておかないといけない事は……。
依頼主との打ち合わせと物品の搬入。目的地までの航路と船の補給。その他、契約事項の確認をする。
その間、ヴィーはと言うとおとなしく横で、わたしが見ているデータ画面を見ているようだった。
「船長。これは、こんなにもお金がかかるものなの?」
最後の輸送料金の項を見て、ヴィーは首を傾げている。一般的な相場を知らないヴィーが不思議に思うのは無理の無い事だが、わたしも金額を少し不思議に思っていた。
「いいや。至急と言っても割増料金になるぐらいのはずなんだが……これは、少しどころか、かなり多い方だ」
ファンデル星系からグランデル星系までの一般的な航宙は一五日ほど、豪華客船では一月はかかる。それを一〇日で航宙する事が条件になっていた。輸送船をチャーターして直通で行くしかないのだが、仮に輸送船をチャーターしても、この料金は多すぎる。何か裏が有りそうだが、そのあたりはFTCが確認を取っているはずだし、万が一何かが有るようだったらFTCは以来を受けないはずだった。
「依頼主は……クロワード財閥?」
これもまた、わたしを戸惑わせる理由だった。
クロワード財閥は、自前での輸送が出来るほど航宙船を持っているはずであり、自社製品は全て自社の航宙船で運んでいた。
まして、トレイダーに依頼する事など無いはずだ。
「船長。クロワード財閥て、何?」
「巨大な複合企業だよ。連合中にネットワークを持っていて、市場に出回っている製品の五割がクロワード財閥関係の会社が作っている。組織力は連合の民間企業の中では、一番だろうな」
「想像もつかなや」
「まあ、そうだろうね。わたしも詳しく知っている訳ではないしね」
わたしは苦笑を浮かべるしかない。
巨大な複合企業の事を、説明できるほどの知識はないし、全体を把握する必要も無かった。ただ、ほとんどの人は、その名だけは知っているほど有名な複合企業だった。
あれ? なぜ、わたしはヴィーの質問に答えているんだろう?
おかしく思いつつも、次の項目へと眼を移していた。
「輸送物品は、実験生物? 二体に、財閥の担当者が一名……」
これはどういう事だろう。
実験生物に関しての記述が無い。これでは、何を注意すべきか分からない。財閥の担当者が管理を全て行うという事なのか。それとも、知って欲しくないから、記述が無いという事かなのか。
「……搬入は二三日の午前六時から……」
つまりは、今日の早朝という事になる。
「三時間?」
現在時間は午前三時。眠る時間が無くなった事だけは確かだ。
依頼主、今回は財閥の担当者への連絡。輸送先までの航路の設定と申請。整備はいいとしても補給は必要だった。それを三時間半位で終わらせなければならない。
「間に合うか?」
自問してしまったわたしに、ヴィーが首を傾げる。
「間に合わない?」
「間に合わせるよ。とりあえず、ヴィーは船室に行って休みなさい」
ここでわたしは、追い出そうとしていた少女に、船の中で休めと言ってしまった事を、おかしく思うべきだったのだが、それに気が付かなかった。
これが第一の失敗。
「手伝うよ、船長。ボクにも出来る事があると思う」
ヴィーの申し出はありがたかったが、無理だと思っていた。専門的な知識が必要になる作業であり、年齢的に見ても、ヴィーにはその知識が無いと思っていたからだ。
「ありがたいが、それはだめだ」
「どうして?」
「子供の休む時間は、とうに過ぎているからね」
「ふーん。そう言うんだ」
そう言いながらヴィーは、わたしから離れて航宙士席のシートに腰を下ろした。
手馴れた様子で、航宙システムを立ち上げていく。ほとんど使う事の無かった航宙士席のモニターが一斉に瞬いて起動した。そして、次から次へと航路の設定を行っている。
その光景を唖然として見ているほかなかった。
「どう?」
ニッコリ笑って見せるヴィーは、なんと魅力的な事か。自慢するようでもなく、驚かせるための笑顔でもなく、ただ自然に笑う笑顔だった。
わたしはドッキリと跳ねた心臓に戸惑ってしまった。半分ぐらいの少女の笑顔に魅了されたとは思いたくは無い。
なぜ、この少女が航宙士としての能力を持っているのか分からないが、時間的な余裕が無かったわたしは、なし崩しに頼むしかなかった。選択の余地が残ってはいなかったのだ。
どこで?
そんな詮索を後回しにしてしまった。
これが、第二の失敗だった事に気が付くのは、もう少し後になってからだった。
今はとにかく時間が惜しかった訳で、ヴィーも承知しているようだった。無駄な事はせずに、航宙士としての仕事を黙々と始める。
わたしが財閥の担当者と連絡を取り、補給の手続きを終わらせる頃には、ヴィーも輸送先までの航路の設定と申請を終わらせていた。
午前六時に一秒の遅れも無く、財閥の担当者と荷物が、ヴァルキリアの停泊している駐機スポットに姿を現した。
大型トレーラーに積み込まれた巨大きな装置、そして、財閥の担当者の隣には銀髪の小さな女の子がいた。
「ようこそ、ヴァルキリアへ。船長のライフォードです」
わたしは両手を広げて言う。
「すぐに出発できるのか?」
財閥の担当者は、わたしに構わずに聞いてきた。
確かに、社交辞令ではあるが、普通はそれなりの返答はするものだ。仕方なく肩を竦めて答える。
「積み込みが終われば出られますよ」
「では、さっさとやってくれ」
財閥の担当者は、イライラしたように言う。
「待ってください。わたしは、あなたの事を確認していません。身分証を出して名乗ってください。それと、そちらの少女の事は何も聞いてはいませんが?」
「クロワード財閥のエスリックだ。そして、これはお前が気にする必要は無い」
エスリックが『これ』といって少女を見た時の目は、物を見るような目付きだった。
わたしは、それを不快に思いつつも、引き下がる訳には行かなかった。不確定要素は、船を危険な目に合わせる。小さな女の子に、そんな事が出来るとは思えないが、安全面の確認からもそのままには出来ない。
「エスリックさん。事は船の安全に関わる事です。必要が無いかどうかは、わたしが決める事です」
「トレイダー風情が、いっぱしの口を聞くものだな。おまえは、与えられた事を黙ってやればいい」
明らかにわたしを、いやトレイダーを見下した言い方だった。しかも、それを隠そうともしない。こんな相手に取るべき態度は一つしかない。
「では、お引取り下さい」
ニッコリと笑顔まで浮かべて言ってやる。
FTCからの斡旋を断るのは心苦しいが、わたしにも誇りと言うものがある。誇りを汚してまで、仕事にあり付こうとは思わない。
「ふざけているのか。一度受けた仕事を断るとはいい度胸だ。わたしが本気になれば、おまえなど抹殺するのは簡単なんだぞ」
こう言う輩が、良く取る常套手段そのままの言葉で、エスリックがわたしに言う。
「お好きにどうぞ」
わたしとしては、肩を竦めてこう言うしかない。相手をするのがバカらしくなり、踵を返して船内に戻る。
そんな姿で本気が分かったのだろう。エスリックは慌てた様子で、わたしを呼び止めた。
「まっ、待て!」
足を止めてエスリックを振り返る。
「こいつは輸送品の実験生物の一つだ。積荷の装置と一緒に、船倉にでも放り込んでいればいい」
エスリックは、わたしの顔に浮かんだ嫌悪感を勘違いしたのだろう。
「これはそう言う物だ。これ以上は企業秘密になる。解かったら、さっさとしろ」
あくまでも強気なエスリックに、ウンザリしてしまった。小さな女の子を、実験生物とまで言う者の言葉など知った事か。
エスリックを無視してわたしは、ゆっくりと銀髪の少女の前に片膝を着いて、少女の瞳を真正面から見る。何の感情も表さない少女は、わたしを見ても身じろきもしなかった。
「お嬢さん。名前は?」
少女にわたしは聞いた。
「実験生物に、そんな物があるか」
「黙ってろ。それ以上、口を出すな」
「さっさと出発したらどうだ」
わたしの警告が、エスリックには解かっていなかったようだ。
「二度も言わすな。船長権限で、きさまの乗船を拒否するぞ」
これは、脅し文句ではない。
航宙船の船長に与えられている権限でもあり、義務でもある。船長権限で乗船を拒否された者は、どんな理由があったとしても、一般客船においての旅は不可能になる。どんなに金を積まれようと乗船は拒否されてしまう。
つまり、二度と宇宙には出て行けなくなる。もっとも、自家用航宙船や企業所属の航宙船を、使わない限りではあるが。
「ぐっ……」
わたしの本気が解かったのだろう、エスリックは黙り込んでしまった。わたしは再び少女に問い掛けていた。
「名前を教えてくれないかな?」
「……レイン……」
かぼそい声で小さな女の子は答えてくれた。そして、その瞳に微かに灯った光をわたしは見逃さなかった。
「いい名だね、レイン。わたしはライフォード船長。船長と呼んでくれ」
「はい……船長……」
機械的に答える小さな女の子に、わたしは笑って見せる。そして、立ち上がって言った。
「ヴィー。この子を船室に案内しなさい。エスリックさんは、わたしと一緒に船倉へ。積荷の確認をしますので」
わたしはヴィーが、おとなしく操舵室にいるとは思っていなかった。案の定、すぐに姿を現して、銀髪の少女の手を取って笑顔を見せる。
うん、いい笑顔だ。
「ちょっと待て、船長。そいつは何だ?」
「わたしの船の航宙士だ」
これが第三の失敗。
わたしは対外的にヴィーを乗員として扱っていた訳だ。気が付いた時には、ヴィーはわたしに笑顔を向けていた。その笑顔に、再び心臓が跳ねるのを感じた。
「こんな子供が航宙士? ふざけるのもいい加減にしろ」
本気にしないエスリックに、言うべき言葉は一つだ。
「ヴィーは優秀な航宙士だ」
「信じる訳にはいかないぞ」
「あなたが決める事でも、信じる事でもない。それより、いいのか。時間が無いのだろう。ここでまた、時間を取る気か?」
長々と話す気の無いわたしは、すでに歩き始めていた。積荷の確認をしなければ出航は出来ない。その事はエスリックも解かっているようで、黙って後を着いてくる。
ヴィーは、自分より小さな少女の手を引いて船室へと向かっていた。船室の前で立ち止まり、少女の前に膝を着いて視線を合わせる。
「わたしはヴィーよ」
「…………」
「ねえ、レイン。諦めてはだめよ」
「…………」
何も答えないレインに、ヴィーは笑顔を見せていた。
「ええ。解かっているわ。でもね、諦めては全てが終わるわ。わたしは諦めなかったから、船長に会えたの」
ヴィーの笑顔が、とても嬉しそうに変わる。そして、不思議な動作と不思議な言葉を紡いでいた。
「一つ。あなたに良い事を教えてあげましょう。そう遠くない時に、と言っても近々と言う事でもないけどね。あなたは、夜色の髪と瞳を持つ子に出逢う事になる」
「…………」
ヴィーの顔が真剣みを帯びた物に変わった。
「大切にしなさい。その子の事を」
何の動きも無い少女の瞳に何を見たのか、ヴィーは再び笑顔になって続ける。
「その子は、あなたと大きな関わりを持つ事になるわ」
「…………」
「今はまだ何の事か解からなくてもいいわ。でも、覚えておいて。決してその子の手を離さないで。あなたにとっても大切な事になるから」
「…………」
そして、ヴィーは不思議な事を言った。
「使ったのは、感覚系最上位呪『未来予見』。でも、内緒にしていてね」
片目を瞑って見せるヴィーに、銀髪の少女は何の反応も見せなかった。
ヴィーと銀髪の少女が、そんな話をしているとはつゆ知らず、わたしはエスリックを伴って船倉へ向かっていた。
互いに一言も喋らずに船倉に着いた。そこには、船倉の半分以上を占める巨大な装置が搬入され、業者がわたし達を待っていた。
「搬入が終わりましたので、サインを下さい」
随分と待たされた気がしたのだろう。不機嫌そうに業者は、クリップボードを差し出してきた。
「すまないね。ありがとう」
待たせた詫びと礼を一緒に言ってしまった。クリップボードを受け取り、エスリックに渡して言う。
「確認してください。不具合があるかどうかは、わたしには判りませんから」
エスリックは無言でクリップボードを受け取って、装置の傍まで近づくとパネルを開いて確認作業を始めた。ややあって、エスリックは、わたしの傍に戻って来る。
「大丈夫だ」
クリップボードをエスリックから受け取り、業者に返した。
「ありがとう。ご苦労さま」
「じゃ、我々はこれで」
作業ヘルメットのひさしに軽く手を当てて業者は船外へと出て行く。
全員が離れるのを見届けてから、わたしは船倉の隔壁を降ろし、次に船体の外壁を閉じる。これで出航準備が整ったわけだ。
「ではエスリックさん。船室へ案内しますよ」
エスリックを船室に連れて行き、操舵室に戻った時には、ヴィーがすでに出航準備を終わらせていた。
「船長。いつでも出航できるよ」
「ああ、ありがとう」
わたしは、半ば唖然としながらも操舵士席に付いていた。今さらながらに驚いていた訳である。
「ヴィー」
「なに、船長」
「キミが一人で?」
「違うよ。ボク一人では、いくらなんでも無理だよ。この子が助けてくれたから、出来たんだ」
笑いながらヴィーは、そばの丸っこい物体に手を置いていた。
「ヴァル?」
「ハイ。船長」
「よくやった」
「ドウイタシマシテ」
ヴァルは以前、ルクソーラの闇市で見つけた汎用アシスタントロイドだった。
平べったい頭部に丸っこい胴体、移動は車輪とキャタピラを場所によって使い分けていた。手に入れてから六年ほどになる。当時は、身分不相応だとルイフルのおやじさんに言われたが、今ではわたしにとっては無くてはならない、ヴァルキリアの乗員になっていた。
結局、予定より三〇分遅れで、ヴァルキリアはファルデル星系を離脱した。後は、予定通りの航路を進むだけだった。何も無ければ一〇日後にはグランデル星系に到着して、そこで依頼は終わる。
いや、終わって欲しいものだとわたしは思っていた。
ではまた、次回をお楽しみ