夏休みの宿題って、基本的には存在ごと忘れるよね
優しく顔を撫でる風の感触を味わいながら、俺はゆっくりと目を開けた。
期間が延びたわけではないのに、転生という普通ではあり得ない体験をした後だと、昔からあった物にある種感動すら覚えるほどの懐かしさを感じた。
「一年ぶりだな。姉さん」
俺の視界には、草原が広がっていた。だが、何より目を引くのは、世界の中心にそびえ立つ大樹だ。転生前の世界でこれほどの大きさまで育てようとすれば、それだけで何百人もの人間の生涯が閉じることだろう。
そんな世界樹と言われても納得するほどの大樹を背に、一人の女性が髪を耳にかけながら微笑みかけている。
転生前にはもちろん、転生後のどこでもないこの世界に、俺は毎年決まった時期に呼ばれていた。
「シオンはいつもそう言うね」
「いいだろ、別に。挨拶なんだからさ」
かなりの距離があったはずなのに気がつけば目の前にいた女性が笑い、俺もつられて笑顔になる。
この世界には、彼女しかいない。女性が呼べば俺はこの世界に来られるが、彼女が動かなければ、広い世界で永遠に一人居続けることになる。
彼女自身がそう言っていた。
「元気にしてた?」
「姉さんこそ、毎回同じこと聞くじゃん」
「当たり前でしょ。たった一人の弟だもん」
この人のことを俺は詳しく知らない。
分かっているのは俺の姉と自称している事実だけで、血の繋がりがあるのかどうかも分からなかった。
「元気、ではなくなったな、一応だけど。俺、一回死んじゃったんだ」
家族がいない俺に姉がいる。
言葉に出せば数秒だけど、俺にはそれだけで支えになるんだ。血の繋がりなど関係なかった。
「私もここで見ていたから知ってる。アイツ、最後の最後までシオンに迷惑かけてたね」
返答内容を初めから予想していたようで、姉さんはまったく驚かなかった。
少し残念だ。俺ばかりからかわれているから出し抜いてやろうと大人げなくも考えていたのに、むしろこちらが後手に回った気分だ。
「今は少しだけ、ほんの数ミリだけだけど、亮に感謝している。アイツがいなければ皆に会えなかったからな」
俺は異世界に転生すること自体には、あまり抵抗がなかった。元いた世界が亮に洗脳されていたからでもあるが、やはり一番は俺を見てくれる人間がいるかもしれないという期待が大きかったからだ。何をしても評価されなくて、良くも悪くも感情を向けられることがほとんどない生活は、想像するよりもはるかに辛い。
それに、姉さんのことを探せると期待もしていた。今まで一定の周期でしか会えなかった家族と、いつでも話ができるようになりたいと願うことはそれほどおかしくもないはずだ。
しかし結局、魔法を使えるようになっても、どれだけチートとして人間の枠から外れようと姉さんを見つけることは出来なかった。
「――成長したんだね」
「えっ?」
「あ……れ……?」
聞き取れない声量で呟いた姉さんに聞き返そうとして、後方からの声によって俺の喉は動きを止めて聞く機会を逃してしまった。
邪魔をしてくれた声の主にせめて八つ当たりとして睨みつけようと振り返った視界に映ったのは、カレンとノアが体を起こすところだった。
「ここはどこー?」
ノアは眠たげな目をこすりながら、誰に問いかけるでもなく言った。
今までは俺しか呼ばれなかったのに、なんでこいつらがいるのだろうか。
「彼女たちは、私以外のシオンの初めての家族だからね。だから呼んだんだ」
挨拶もしたいし、と言って姉さんはニコッと微笑んだ。
「貴女は・・・?」
ノアより先に状況を理解したであろうカレンは姉さんを見つめていた。
「この人は、俺の姉さんだ。確か名前は・・・」
えっと、なんだったけ?
「ひっどーい!姉である私の名前を忘れるとは、これはお仕置きだね」
そして、俺の頬をつねってくる姉さん。
「私の名前は、ルシアだよ~。気軽にお姉さんと呼んでね☆」
そして、俺の頬をつねった手と逆の手を、目の横に持ってきてポーズを決めた。
他がやると、気持ち悪いだけだが、姉さんだとやっぱり絵になるね。
「・・・ボクの名前はカレンです。よろしくお願いしますね」
この時、カレンの顔が驚愕の表情になっていた事を俺は知らなかった。
「僕は、ノアだよ。よろしくね、ルシアお姉ちゃん!」
ノアは相変わらず元気だな。
しかし、俺はそこまでの余裕はなかった。
「痛いって!」
俺は自己紹介の間もずっと頬をつねられていた。
俺の抵抗に観念したのか、姉さんは手を離してくれた。
「もう、シオンが反抗期だ~。怖いよ~」
そして、姉さんはカレンに抱きついた。
ついでに、姉さんは標準的な身長だが、カレンは12~13歳ぐらいの身長だ。そん身長差で抱きつかれたらどうなると思う?
結果は、姉さんの豊満な谷間にカレンの頭が押し込まれてしまった。
「~~~~~!!」
カレンはじたばたと暴れだす。
・・・俺も昔から結構やられていた。羨ましいと思う奴もいるだろう。
だが、姉さんの胸の中は感触を味わうより先に窒息状態に陥ってしまう、ただの兵器だ。
カレンが暴れている理由も息が出来ないからだと思う。
あ、俺?俺は今、ノアの目を塞いでいるぞ。さすがに、ノアには目の毒だと思うからだ。
だから、カレンを助けることは出来ない。
決して、止めようとして巻き込まれたくないわけではないぞ。
「カレンちゃん、いいにおいだね。」
カレンはやっと解放されたようだ。
いつもより長いと思ったら、髪の毛の匂いを嗅いでたのか。
「よし、遊び行こうぜ、ノア!」
カレンが俺に対して何か言いたげな目をこちらに向けているが、俺は気付いてないフリをしていた。
「どうして、ここにいるんですか?」
ルシアがシオンとノアが遊んでいる風景を見ていると、カレンが話しかけてきた。
まだカレンの息が少し荒い事に突っ込むのはやめておこう。
「何のことかな?」
ルシアはわざと首を傾げた。
カレンの正体を分かっていたし、カレンなら気付くとは思っていてもだ。
「とぼけないでください、ルシファー様。」
カレンはルシウスの事をあえて真名で呼ぶ。
そうすれば、ルシアの逃げ道を塞げると思ったからだ。
カレンの思考をそこまで読んで、ルシアは嗤った。
さっきまでとは、雰囲気がガラッと変わる。
それは、カレンのよく知るルシファーと同じ空気だった。
「ありゃりゃ、ばれちゃったか。困ったな~」
姿も声も話し方すら変わらない。
しかし、纏う空気が鋭くなった今の彼女だと、違和感しかなかった。
「だったら、話は早いな。」
ルシファーはルシアに戻った。
カレンが冷や汗を額に浮かべていたからだ。
それに、もう見えなくなってしまったが、今はシオンが近くにいる。
「それなら、私ではなくアイリスに伝えたほうがよいのでは?」
カレンはルシアの言いたい事が予想できたため、先に手を打っておく。
あたかも、そこから先の話は聞きたくないかのように。
「・・・彼女は、シオンにとっては中のよい友人程度にしか思ってないよ。」
カレンはアイリスの気持ちを知っている。
故に、この発言にはアイリスの友人として少なからず落胆してしまった。
そして、それと同時に安堵している自分がいる事を自覚した。
そんな自分の感情に葛藤する少女を見て、ルシアは微笑んだ。
まるで、子供が公園で遊ぶのを見守る親のように。
「だからって、僕に話す事でもないでしょ!?貴女が守ればいいじゃない!!」
カレンは、少し声を荒げる。
なんだ、内容が分かっているじゃないか、とルシアは苦笑いを浮かべていた。
「シオンが彼と会ったから、私が会う事は出来ない。それは、カレンちゃんも分かっているよね?」
カレンは、押し黙る。
本来、ルシアがこの世界から出る事は出来ない。
真名のルシファーからも分かる通り、彼女は堕ちた天使長だ。
そして、神に牙をむき、この世界に封印された。
そこまでは、魔王であるカレンも教わっていた。
なぜなら、ルシファーは封印された状態でカレンと同じ魔王の一人にまでなったのだから。
さらに、シオンの記憶も覗いた結果、ルシアの言う彼の正体も分かっていた。
「でも、だからって・・・」
それでも、カレンは否定の言葉を探す。
初めから、そんなものは存在しないのだが。
「だから、シオンを守ってくれない?」
そして、ルシアの言葉が紡がれてしまった。
カレンが聞く事を拒んでいた事をはっきりと、告げた。
「シオンは、あんな風だけど、面倒事があるとすべて抱え込んでしまうから、気をつけてね。」
ルシアは相変わらず微笑んだままだ。
カレンは困った顔を浮かべているのを見て、楽しんでいるようだ。
そして、カレン自身もそれが分かっていた。
「・・・それは、分かってますよ。」
シオンの記憶の中を覗いたし、なにより、少しの間一緒にいただけでも分かってしまう。
それだけ危険なのだ。シオンの危なっかしさは。
だから、カレン自身もどうにかしようと考えたところだ。
「それなら、頼んだからね。」
そして、ルシアの満面の笑みを最後にカレンは姿を消したのだった。
「やっぱり、途中で帰すのな。」
俺の言葉に姉さんは振り向いた。
「まあ、ここから先は、私たちだけじゃないと話が出来ないしね」
俺がこの世界に呼ばれている理由は二つある。
一つ目は、姉さんが俺に会うためだ。
ついでに毎年会っていた理由はこれだけだった。しかし、それだけが理由だったら、カレン達を帰す必要はない。
二つ目は、俺の力を知る為だ。
そのためだけに、今年は俺から会うために空間に干渉した。
空間魔法を応用して無理やり干渉したからか、俺だけじゃなく近くにいた奴も巻きこんでしまったようだがな。
「それで、初めてシオンから来てくれた理由は何かな?」
「とぼけるなよ。」
俺は苦笑しつつ、銀を放出する。
「コイツの事を教えてくれ」
俺の中に宿る銀の情報を俺は知らない。
俺の頭の中にある魔法の知識にもないし、神には干渉することすら出来なかった。
だから、俺の唯一の家族である姉さんに聞きに来たというわけだ。
・・・まあ、夏になるまでは忘れていたんだが。
「これは、ただの魔力じゃないだろ?」
姉さんがただものじゃないという事くらいは俺も知っていた。
なんせ、こんな世界に毎年召喚されているんだ。
姉さんが普通じゃない事くらいは、どんなバカでも分かる事だ。
「すごいね、もうそこまで神力を解放出来るんだね。」
俺の銀を見て、姉さんは嗤っていた。
たまに見せるその雰囲気は、昔から俺が憧れていた初恋の人だった。
「その銀は、神力と呼ばれる魔力と似て非なる存在だよ」
姉さんの背中には、一対の翼が生えていた。
左右で白と黒に分かれた翼だった。
「神力は本来名前の示す通り、基本的には神にしか使えない。でも」
「まれに神からの干渉を免れた存在も使う事が出来る。こんな風にね」
姉さんの姿も少しだが、変わっていった。
目も赤く染まり、髪の色も白と黒でわかれていた。
そして、右手には灰色の球体が浮いていた。
「これが私の神力だ。そうだな、今のお前なら問題はないだろう。」
そして、俺は俺という存在を、姉さんに教えてもらった。
「これが、シオンと呼ばれる存在の、私が知る限りのすべてだ。」
・・・姉さん、いやルシファーはそう言って説明を終えた。
俺は、俺の存在がどれだけ異常な存在かを認識させられてしまった。
「次からは、シオンが干渉しても会う事は出来ないだろう。最後に何か聞きたい事はあるか?」
ルシファーは、最後を強調して言った。
「なら、姉さんに質問がある。」
だったら、最後くらいは姉弟として質問に答えてくれ。
俺の声なき言葉を読み取ってくれた姉さんはいつもの姉さんに戻ってくれた。
「俺といた今までは、楽しんでくれてたのか?」
俺の質問にたっぷり時間をかけて、理解してくれた姉さんはまず笑った。
「相変わらず面白い事を言うな、シオン。私は今まで長い時間を生きたが、お前の相手をしている時が一番楽しかったぞ。」
最後は、姉として、弟を笑ってくれた。
それだけでも充分だった。
「それじゃ、そろそろ時間だ」
「ああ、またな、姉さん」
俺はあえてさよならは言わなかった。これが今生の別れだとは思いたくはなかったからだ。
「おう、今度会うときは、カレンちゃんとの子供を見せてくれよ~」
「な!?」
そして、俺も元の世界に帰ったのであった。
余談であるが、この日は夏休み最終日であり、姉さんに睡眠時間を削られた俺は、無事遅刻したのだった。




