虫除けの田中さん
放課後の学校。
人気のない階段の踊り場で男子生徒が女子生徒に、拝むようにして頭を下げていた。
「な~~。頼むよ!」
「…… なんで私が」
女子生徒は勝気そうな目で男子生徒を見下ろし、肩までの真っ直ぐな髪を手で弄りながら溜息を吐く。
「他の人に頼めばいいじゃない。その五十嵐君だっけ、モテるんでしょ? どうせなら五十嵐君を好きな子に告らせれば?」
「いや、もう無理。そういう子にはほとんど頼んじゃってて残ってないし」
「はぁ?!」
「しかも、俺がお膳立てして涼介に告白すると、絶対に断られるって広まって誰も受けてくれなくなった」
「…… 坂本君、今までどんだけ失敗したの?」
「え~と…… 5、いや6人かな?」
「…… 諦めて別な方法にすれば?」
女子生徒はがっくりと肩を落とした。
クラスメイトの坂本君に呼び止められたのは、放課後の掃除が終って帰る時だった。
そんなに話したこともない坂本君が何の用かと思いつつ、話を聞いたのが間違いと後で気付いた。
彼の話を要約すると―――――
坂本君の幼馴染の男女が両片想いだから、私にちょっと当て馬になって2人が上手くいくようにして欲しいな☆と言う正直どうでも良い話だった。
なぜ坂本君の幼馴染のために、私が五十嵐君とやらに告白しなくちゃならないのよ。
彼の頭にはステキな計画が出来上がっているようで、幼馴染の女の子―― 由佳ちゃんと言うらしいが、五十嵐君が女子に告白されたところを由佳ちゃんが目撃すれば、自分の気持ちに気付いて告白するのではとなるらしい。
何というか……
「そもそも、五十嵐君が告白すれば済む話じゃない。何で由佳ちゃんから告白なの?」
私は疑問に思い口に出した。
「ん~ 涼介に何度か催促してみたけど、別に好きじゃないとか言って素直じゃないからさぁ」
坂本君はやれやれと溜息を吐く。
「逆に坂本君が由佳ちゃんに告白して五十嵐君に見せれば、焦って告白するかもよ?」
名案とばかりに私は思いついた考えを出した。
「ダメダメ!それだと後で俺が気まずいだろ」
坂本君は手をパタパタと振る。
じゃあこれから告って振られる予定の私はどうなのよ!
ジロリと睨むと考えが伝わったのか慌てて言った。
「いや、ほら!田中さんはあいつと接点ないから、顔を合わせることもないしさ!」
「私が恥かいてまで協力する義理が1ミリも思い当たりませんが?」
「お願い聞いてくれそうだったから……」
そこまでお人好しじゃないですけど。
私は文句を言いかけたが、目の前に出された物を見て言葉を飲み込んだ。
「ほらこれ!田中さんにもメリットになるでしょ?」
「これって『Kil』のライブチケット?」
「うん。お願い聞いてくれたらこのチケットあげるから」
『Kil』とは最近人気のインディーズバンドである。
男性4人組のロックバンドで、その中でもボーカルの響様は顔良し、声良しで一番の人気を誇る。
ライブがある日は響様目当ての女性ファンが出待ちするので、会場の周りに人だかりができる。
私もその中の1人だけど。
月のお小遣いのほとんどを、Kilの為に使っています。
「今週末のチケットならもうあるし。今更いらないよ」
チケットの日付を確認しながら断る。
坂本君の持っているチケットは、既に購入済みで同じ物は必要ないし。
「これは特別。普通のチケットと違ってここにスタンプ押してあるだろ?」
チケットの左上の赤いスタンプを指差して、私の反応を窺う。
「うん。確かに……」
思い返しても今まで買ったチケットには、こんなの押されてなかったはず。
「これ押してあるのは、ライブの後で楽屋にご招待券なん――― 」
「やらせていただきます!!!」
鼻息荒くかぶり気味に返事をすると坂本君は若干引いていたが、気にしない。
響様に会えるなら何だってしちゃうよ!
待っててください! 響様!!
翌日の放課後、私は坂本君と空き教室で作戦の最終確認をしていた。
「―――― で、涼介にはここに来るように言ってある。俺は今から由佳を誘導するから」
「わかった」
「それと、由佳が告白の現場を見ないと意味が無いから、それまでは告白するなよ」
「それはそうだけど、早めに来てくれないと間が持たないよ?」
「なるべく早く誘導するから頑張れ!」
坂本君はじゃあと良い笑顔を残し教室を出て行った。
おいおい、丸投げだよ……
これまで成功しなかったのが、わかった気がする。
まあ、この苦行が終れば響様に会える。
失敗しても絶対にチケットは貰おうと心に誓いながら、告白の段取りを考える。
うーんと。
五十嵐君が来るでしょ。
由佳ちゃんが教室に来たのを確認したら私が告白する。
で、後は2人が痴話喧嘩?を始めるだろうから、その隙にフェードアウトしちゃえばいいいかぁ。
由佳ちゃんが入って来るのが確認できる様に立ってないとマズいかな。
ああ、なんて告白するか考えてなかったよ。
どうしようかな――――
のんびり考えていると、教室のドアがガラっと開いた。
ドアの方を見ると男子生徒が立っている。
この人が五十嵐君かな?
自分が五十嵐君の顔を知らなかった事に今更気付く。
初めて見る(たぶん)五十嵐君を思わずまじまじと観察してしまう。
ふ~ん。
確かにモテそうな顔してるねぇ。
一言で表せば、インテリ系イケメンだ。整った顔に眼鏡が良く似合っている。
背も高い。180cm近くあるかな。
「―――― 俺を呼び出したのって君?」
不機嫌な顔をしながら教室に入って来る。
「そうなりますね」
やっぱり彼が五十嵐君らしいと確認しながら返事をする。
ちらりとドアを確認するが、由佳ちゃんはまだ来ない。
「何の用?」
告白されることが分かっているのだろうか。すごく面倒臭そうに尋ねてくる。
すみませんね。こちらもさっさと済ませたいけど、由佳ちゃんが来ないと告白できないんですよ。
睨んできて怖いので、気休めに心の中で謝ってみる。
「えーと、取りあえず自己紹介でも。2年の田中莉子です」
「……………………………… 」
「……………………………… 」
一応名乗って時間を稼ぐが、五十嵐君は当然無言。
まずい。
考えたら初対面だし会話が弾むはずなかったよ。(告白以外)自分も話すことないし。
「…… で、用件は?」
話さない私に苛立っているのか、さっきより低い声で聞かれた。
「よ、用件はですね…… 何といいますか――― 」
由佳ちゃん早く来て!
未だ見ぬ由佳ちゃんに懇願しながらドアを窺う。
「用がないならもう帰るけど」
「いやいや!もうちょっと待ってください」
「じゃあ、さっさと済ませてくれない?」
「…… え~と」
引きとめるのも限界だしお帰り願おうかと諦めた時、ガラッとドアが開いた。
来た!!
こちらを見てびっくりした様に立っている女の子を確認すると同時に口を開く。
「五十嵐君好きです。付き合ってください」
よっしゃ! タイミングバッチリでしょ!
心の中でガッツポーズをする。
「リョウ君…… 」
びっくり顔のまま由佳ちゃんがポツリとつぶやいた。
私の言葉に驚いた顔をしてこちらを見ていた五十嵐君が、由佳ちゃんへ振り返る。
「由佳?」
ふ~やれやれ。
自分の役目が終ったので顔を上げると、坂本君が反対のドアから覗いていたらしい。
良くやった! という様に親指を立てていた。
私も任務完了とこっそり返す。
これで愛しの響様に会える!
キャー! 今週のライブ何を着ていこうかなぁ。気合入れてメイクもしないとね。
頭の中に響様を思い浮かべると、自然に顔がニヤけてしまう。
さて、そろそろ退散しようかな。
そっと教室を出ようとすると、後ろ襟を掴まれて動けなくなった。
「ぐえっ!」
乙女にあるまじき声がでてしまった。
何事かと思い振り返ると、五十嵐君が私の後ろ襟を掴んだまま見下ろしている。
「俺まだ返事してないけど?」
「へ、返事?」
別に必要ないけど。意外に律儀な性格なのかしら。
それよりも首が苦しいから放して欲しい。私は猫ではありません。
「そう。さっきの返事だけどいいよ。付き合おうか」
「は?!」
予想外の言葉に固まる私の手を掴んで、五十嵐君は由佳ちゃんの方へ向かった。
由佳ちゃんの様子を窺うと顔を真っ赤にして口を手で押さえている。
なにこれ修羅場なの?
青褪める私を放置して2人は話し始めた。
「リョウ君! か、彼女出来ちゃったの?!」
「うん。これ彼女だからよろしく」
いやいやいや! 違うよね! あと、これとか言うな!
「リョウ君に彼女が出来た瞬間を見ちゃった! これはユウ君に知らせないと~!!」
キャーと言いながら由佳ちゃんは興奮気味に叫んだ。
なんか…… 喜んでません?
ここはショックを受けて涙を浮かべながら走り去るとかじゃないの?
ハテナマークでいっぱいになっている頭で、かろうじて2人の会話にツッコミを入れる。
ふと気付いたように由佳ちゃんが微笑みながら私を見る。
「彼女さん、こんなリョウ君だけどよろしくお願いしますね!」
「ちがっ… モガッ ――――――― 」
否定しようとしたら、口を押さえられた。
「じゃあ、俺帰るから」
「うん、じゃあね」
「由佳も諦めて言ったら? アイツのことだから、待ってても一生気付かないぞ」
「もう! ほっといてよ」
可愛く頬を赤らめる由佳ちゃんを見ながら、私は五十嵐君に引きずられ教室を出る。
由佳ちゃん五十嵐君のこと好きなんじゃないの?
おかしい、おかしいから! こんなの聞いてないよぉぉぉーーーーーー!!!
翌朝、坂本君に昨日の件について問い詰めるため、私は学校の昇降口に張り付いていた。
昨日は五十嵐君に引きずられ教室を出た後、隙をついてダッシュで逃亡し、坂本君を探したが見付からずそのまま帰宅。
坂本君の連絡先を知らなかったので、何も分からないまま悶々とするしかなかった。
お蔭様で寝不足である。
ジリジリと待っていると、坂本君と由佳ちゃんが一緒に登校してきた。
「さ~か~も~と~く~ん。待ってたよぉ」
由佳ちゃんと離れて1人になったところに声を掛ける。
「ギャ!!」
私の寝不足顔が恐ろしいのか、坂本君が怯えてしまった。
「ちょっと昨日の件について説明してよ!」
「あー。昨日は俺もびっくりしたけど…… 」
「そもそもあの2人両片想いじゃなかったの? なんで私が告白OKされなきゃいけないのよ!!」
「それが… その、なんだ…… 実は―――― 」
坂本君を問い詰めると、目を逸らして言いにくそうに口ごもって小さくなる。
「実は?」
私が睨むとさらに小さく縮こまる。
「――― 何してるの? 早く教室行こうよ」
「由佳!」
「あれ? 昨日のリョウ君の彼女さん」
いつの間にか隣にいた由佳ちゃんが不思議そうに私達を見てくるので、2人は口を噤んだ。
ユウ君とは坂本君のことであろう。
そして心の中で『いいえ、リョウ君の彼女では断じてありません』と否定しておく。
「おはようー。ユウ君と一緒のクラス? 私は佐伯由佳。ユウ君とリョウ君の幼馴染なんだ」
「彼女さんの名前聞いてもいいかな?」
「はあ…… 田中です」
「よろしくね田中さん」
由佳ちゃんは戸惑う私を気にせず笑いかける。
「あ! ねぇねぇ、ユウ君。今度4人でダブルデートとかしようよ」
良い事を思いついたとばかりに、由佳ちゃんが坂本君の腕に飛びつく。
は?!
ダブルデート?
どのようなダブルでデート?
そして坂本君、なぜそんなに顔を赤くしているのでしょうか?
「ダブル… デート……?」
心の疑問が口に思わず出てしまった。
「そう!リョウ君と田中さん、ユウ君と私で」
………… はい?!
どういうことなのかと坂本君に視線で問う。
「あの… 実は俺、由佳と付き合うことになっちゃって……」と気まずそうに小さく言った。
な・ん・で・す・と?!
「じゃあ田中さん、今度ゆっくりお話しよーね!」
由佳ちゃんはそう言うと、唖然とする私に気付かず坂本君を引っ張りながら行ってしまった。
「なんなのよ…… 」
もう寝不足の頭では理解不能。
坂本君には後でじっくり尋問だな。そんでもって殴っておこう。
脱力したまま教室へ向かおうとして、大事な事に気付く。
「あ! チケット貰ってないじゃん」
「―――― チケットならここにあるぞ」
不意に背後から聞き覚えのある声がして振り向くと、五十嵐君が例のチケットを持って立っていた。
げっ!
昨日逃げられたと思ったが、甘かった。
でも、せめて坂本君に状況説明してもらってからの登場をお願いしたかったな。
「昨日は逃げられたけど、ちょっとお話しようか。タナカリコさん?」
「話することなんてありま―――」
「チケットいらないの?」
「……」
くっ!
愛しの響様を人質に取るとは!(違うけど)
そもそもなぜ五十嵐君が持っている?
黙った私に満足したのか、五十嵐君は話し始める。
「本題だけど、昨日田中さんの告白を受けた理由は2つ」
「まず、佑斗の――― ああ、佑斗というのは勘違いをこじらせて君におかしな依頼をした坂本のことだけど」
「そのバカ佑斗の『俺が由佳を好きだ』という勘違いを正すために利用させてもらった」
坂本君…… 勘違いして皆にこんなこと頼んでたのかい。
私の昨日の頑張りは何だったのか……
がっくりしている私を気に留めず、五十嵐君は続ける。
「まあ、予想より上手くいって、あの2人付き合うことになったけど」
勘違いした坂本君のために私を利用したってことか。
私は五十嵐君の思惑が理解できてほっとした。
「なるほどね。告白OKしたのは坂本君のためだったのか。良かった!」
「じゃあ、役目は終ったということで、チケットください!」
私は五十嵐君からチケットを奪おうとしたが、ひょいっと上に手を挙げてかわされる。
ぐぬぬぬ……… 無駄に背が高いな!
思わずピョンピョン飛び跳ねたくなるけど、バカ丸出しなので自制する。
「話は終ってない。理由は2つと言っただろ」
「どうでもいいからチケット!」
「2つ目の理由だけど……」
私の心からの叫びは無視されたようだ。
「その前に確認。田中さん別に俺のこと好きじゃないよね?」
「そうですね」
さらっと即答で返す。
「うん、じゃあこのまま彼女としてよろしく」
「はい?」
「正確に言えば彼女のフリだけど」
「フリ……」
「なぜか最近、告白されることが増えて、毎回会って断るの面倒だし。俺に彼女が出来ればそういうのなくなるだろ? だから田中さんにダミーの彼女をして貰おうかなと」
最近の告白過多は坂本君のせいですよと、喉まで出かかった。
坂本君が勘違いの末にセッティングした数々の所業はまだバレていないらしい。
「そんな面倒くさ…… モテモテの五十嵐君の彼女なんて私には無理です~」
「今、面倒臭いって言わなかっ――― 」
「気のせいです」
「……まあいいか。彼女になれば見返りもあるから『kil』の響が大好きな田中さんにも良い話だと思うけどな」
「そのチケットは坂本君からの報酬だから、当然貰います!」
「ああ、これね。はいどうぞ」
いやにあっさりとチケットを渡してくれる。
「へ?」
驚きながら五十嵐君を見る。
私の呆気に取られる顔が面白いのか、おかしそうに笑う。
「俺からの見返りはこれじゃないよ」
「違うの?」
「そもそもチケットは俺が佑斗にあげた物」
「なんで五十嵐君がこんなレアなチケットを?」
「訳を聞いたら田中さんはきっと俺の彼女役やりたくなるよ」
どういうこと?
訝しげな視線を向けると、五十嵐君は自分の携帯電話をこちらにみせてくれた。
「俺がチケット持ってる理由」
携帯電話に写っている写真に釘付けになる。
これって―――――――
そこには五十嵐君と響様が親しげに写っていた。
2人共今より少し若い気がするけど間違いなく響様。
というかこの写真欲しい。
「どうして…… 五十嵐君が一緒に?」
「田中さんの大好きな『kil』の響は、俺の兄貴なんだ」
!!!!!!!!!!
響様が五十嵐君のお兄様ですと?!
兄弟の割りには似てない…… いや、イケメンなところは似てるのか?
「どう?彼女になりたくなっただろ。俺の彼女としてなら兄貴に会い放題だし」
五十嵐君は満面の笑みで言った。
いつでも響様に会い放題?!
想像して興奮のあまり鼻血が出そうになる。
でも、ちょっと待てよ。
五十嵐君の彼女役なんて、怖い女の子達に呼び出しとかありそうだし、面倒が増える……
うーん、それは嫌だ。
嫌だけど、どうしようかなぁーーー
頭を抱えて響様、呼び出し、響様、呼び出しとブツブツ言いながら葛藤する。
「ふ…… 不束者ですが、よろしくお願いします!!」
気付けばそう言ってガバリと頭を下げていた。
嫌だという思いが響様への愛に負けました。
いや、愛が勝ったと言うべきか。
田中莉子、愛のために頑張ります!!
だからさっきの写真ください。