ほこてん!
泣き叫んだハナの声は双子の兄にしか届くことがなかった、その夜が明け、翌日。
現実ではどの程度時間が流れているかは判らないままではあったが、「始まりの日」以降、少なくともゲーム時間の中では一週間が経過していた。本来のゲームでは、一日は現実の4時間程度で朝から晩までが一周するようになっていたが、ログアウトできなくなってからは少なくとも体感では、一日が二十四時間経過しないと終わらなかったのだ。
無論、これに関しては疑問の声が多く上がっていたが、結局の処、受け入れて慣れるしかなかった。
睡眠など、「生活」が必要になっている現状では、むしろ有難いことではあったのである。
一週間経過、ということは、週末のはずだった。
ゲーム内では元々、カレンダー的なものは存在せず、あくまで現実に適当に即したような感じだったので、季節に合わせてショップに特別アイテムが並んだりする程度に反映されるくらいだったが、ログアウトできなくなってから、プレイヤーの間では一応、今日で何日経ったかを数えている人はそこそこ居たのである。
週末だからなんだとか、何日経過したからどうだとか、逆に上がる声もあっただろう。
だが、少なくともハナは。
ハナと、その周辺に店を構えるプレイヤーの間では。
週末だから、ちょっと特別サービスでもしましょうか。と。
そんな話が出たりしていたのだった。
「カズホ、テーブルこのくらいで良いのか?もっと並べるなら貸すって、タカダ商会のおっさんが言ってるけど」
「あ、ホントに?……うーん、可能なら出来るだけ並べたいなあ…。待って、じゃあ、もう一度相談に行ってくる。五軒先のショップの前くらいまで影響出そうだし」
「了解」
「あー、ええっと、カズホくん、じゃあ、食器もう少し欲しいかもよ?」
「あ、そだよね、じゃあヨツバ、ほーちゃ、じゃなくてハナと一緒に一本筋向こうのNPCショップ行ってきてくれる?そこで安く食器は買えるから。あ、荷物重くなるからカート持ってってね」
「判った、金は立て替えとくからなー」
「いてらっしゃーい」
すっかりテイクアウト専門店、になってしまっていたハナの店だったが、この週末は久し振りにちゃんと、お店で食事をしていってもらえたら、と計画したのだ。
路上脇にカフェよろしくテーブルを並べ、メニューこそ少なくはなってしまうがランチタイム数時間はちゃんと食事が出来るようにする。そう並ばず済むよう、なるべく席を多く、と思えば周囲の店などにも断り、協力をお願いすることになって。
気付けばそこそこに大掛りな催しのようなものになっていた。
露店を出すと言い出した雑貨屋の店主、うちの前まで店を広げていいが、その分うちもセールをやって客を頂く、と嬉しそうに乗ってきた武器屋の主人、ポーション屋の主。
NPCショップの店員は定型文を喋るだけなのでそちらと話は出来なかったが――――というか本来ならばこれは個人イベントを企画しましたと運営に届け出るレベルになっていたと思うが、運営へプレイヤーが個人的に連絡を取る、というのは不可能な状況が続いていたのである――――ハナの店がある通りのプレイヤーショップは、ほぼハナの計画に乗っかり、一種お祭り騒ぎで週末の歩行者天国か縁日か、みたいなノリになっていたのだった。
大通りからは少し離れたところなので、そんなに通常は賑わっているところではない。ただ、この一週間、ハナの店が異常にブレイクしていることで、通常と人通りの数が数倍違っている。
この通りに店を構えているプレイヤーは、だいたいずっと細々と一人でつましく商売プレイを楽しんでいたようなタイプである。ハナの店が賑わっている御陰で、そこそこ客も増えており、協力を請われれば断るものはまず居なかった。
お祭り騒ぎに身も心も委ねるのは、この状況での気晴らしにはもってこいだ。
そういったチャンスを狙っていた者は多かった。
ハナも、カズホも、そして手伝ってくれているヨツバとエーリッヒのテンションも上がっている。まだ朝の内だというのに、何かやるらしいと聞きつけて、周囲の通り掛かりの人々もそわそわし始めている。
「すいません、今日ってこれ、お店外まで広げてやるの?」
「あっ、ハイ、そうです、特別に。他のお店と協力して」
「マジで?なに食わせてくれんの?」
「今日はハンバーガーと、チキンサンドと、サーモンとアボガドのサンドイッチのそれぞれサラダと飲み物つけたセットです。良かったら食べに来てください!」
「へー、うまそう」
「……今日って甘いのないにょ?」
ひょ、といつの間にいたのか脇から犬耳の少女が顔を出した。つぶらな目がきらきらしている。
白珠ちゃん、と思わず言い掛け、慌てて黙るハナ。
カズホは勿論知らないはずの少女だ。
昨日、留守している時に店に来たとはカズホから聞いていたので、実は今日会えるかなあ、などと思っていたのだが、こんなに早くから通り掛かるとは思っていなかった。
この街を拠点としている雰囲気ではなかったのだが、「始まりの日」以降、カズホのように居場所を変えたのかも知れない、と思う。この大陸は中堅以上のプレイヤーなら比較的安全な、賑わっている街なので。
「あ、すみません、甘いのもあります、今日は一種類だけなんですが、ブルーベリー入りのカスタードクリームを、ベイクドチーズケーキでサンドしたスイーツサンド作りました。
冷えたやつお出しします、オイシイですよー」
「……っ……」
指をくわえた唇の端から、たらりと涎が垂れそうになったのが見えた。うー、と一声唸ってぷるぷると細かく震え。
「なんかやるっぽいって聞いたから、様子見に着て良かったー!じゃあ、開店したらまた来るにょろよ!んもー、ハナたんったら、今日もだいしゅき!って伝えといてね、おにーさんもラブリーにょろよー。じゃーばいばいー」
スキップして、犬の尻尾を盛大にぷりっぷりに振り回し、小柄な後ろ姿が遠離っていく。
あたしもだいしゅきー、と心の中で返しつつ見送っている。たまらん犬の後ろ頭だった。
「犬耳のあんなちっこい女の子は初めて見たなあ、俺。……レベル幾つくらいなんだろう」
テーブルを並べていたエーリッヒも思わず手を止めて見ていたらしい。妙に感心したような口振りで、呟いていた。
かわいーでしょ、と思わず自分のものでもないのに威張りたくなっているハナだった。
更にテンションも上がりつつ準備を進める。
新たに食器を買い足した二人も帰ってきた。厨房で早速買ったばかりの食器を洗い、使いやすいように他の食器と一緒に重ねておく。
パンを焼き、あらかじめもうカットし、挟む具材も既に大量に刻み、肉なども軽く温め直す程度にもう一度焼けば大丈夫な程度に下拵えを済ませておく。スモークサーモン、サラダ、ジュースにアイスティー、スティック状にカットしたケーキ。厨房は注文品を即座に出せるような準備が為され、今日は会計場所も増やした。
いつも以上に忙しくなりそうだなあ、などとおよその準備を済ませたところに、清十郎が顔を出す。
「おはよう、カズホ。みんなも。――そうか、週末は何かやるって言ってましたね。凄いね、ハナちゃん。私の知り合いも君の作った食事のファンだと言っていましたよ。カズホが手伝ってくれて良かったね。……何か、私にも手伝えることはあるかな、役に立てるかどうかは判らないが」
徐々に陽射しが強くなってきている。爽やかな初夏の空気、ラベンダーがかった空はいつもより蒼が濃く、抜けるように高く見える。ふっと振り仰いだ清十郎が、視線を戻した。
「……こんな良い天気だと、パラソルが欲しくなりそうな気がしませんか。現実ならお嬢さん達、陽射しが気になるでしょう」
言われて、そういえばと顔を見合わせるのはヨツバと、中身がハナの、カズホ。それから二人は慌てて視線をカズホに向ける。目配せされて外見は店主の少年は更に慌てた。
「あっ、成る程、えっ、パラソル…パラソル……?」
「カフェの!テーブルにパラソルって!!確かに必要だと思うッ、あたし!!」
「はーいはいはい、俺も思ったっ流石だなー清十郎!雰囲気出るし良いよな!ちょっと雑貨屋のおねーさんに相談してこよーっと!作ってもらえるかな、間に合うかなっ!」
どげん、とぶちのめす勢いで狼狽えるカズホと清十郎の会話に割って入る女子二人、店主を差し置いて決定するのもどうよ、とは思ったがこの際仕方ないと勢いで決めて、二人揃ってバタバタと走り出した。清十郎が、それを見送る。
「……。……あの二人は、随分と仲良くなったみたいですね」
くすりと小さく笑った声。ね、と視線をカズホに戻して笑みを深めた。
残されたカズホは、そう見えるんだよなあ、普通端からは、とちょっと嬉しいような複雑なような気分を味わって居た。
高くなりつつある陽射し。短くなる影が真っ黒だ。
石造りの建物や石畳が真っ白く見える濃い陽射しの下、パラソルの作る影が通りに等間隔に並んでいる。
そのパラソルの下は全て満席になっていて、更に路上の端に坐って、お喋りに興じつつハンバーガーを囓るカップルもいる。
通りには他に軽食を出す露店も幾つか出ており、其処にも客が散り、簡易ベンチなども用意され、楽しげなざわめきは通り全体へと長く伸びていた。
「サラダ、追加用意した方がいいかも!」
「あっ、じゃあ、やっとくから!ここ頼む」
気を抜くと名前を呼び間違えたりしそうになるが、だんだん慣れてきた。
ハナの外見のカズホが厨房へと引っ込み、交代でカズホの外見をしたハナが注文品を腕に並べ、店の人に出てきた。6皿分腕中にディッシュを乗せた格好だが、そこそこ危なげなく踊るように人波を滑り、テーブルへ。
「お待たせしました、チキンサンド二つとハンバーガーのセットです」
飲み物を、続けて清十郎が運んできてテーブルに置く。
ほっと一息ついて、ハナがにっこり、軽くお客に会釈して踵を返した。白いシャツを腕捲りし、黒いギャルソンエプロンを細腰に巻いた姿はなかなかに絵になっている。同じ格好をさせられている清十郎もまた、見た目は良い。
「あ、カズホ」
しなやかな腕がついと伸び、カズホの手首をそっと包むように掴んだ。
「さっき、あちらのテーブルのお客様がハナちゃんを呼んでいたんだけど。どうも、ナンパ半分の感じだったから適当に理由つけて断らせて貰ってしまったよ。余計なことをしていたら悪いけど、カズホ、もしなんなら君がフォローしてあげておいて」
「え」
「双子の君が顔を出した方が、角が立たないでしょう」
ちらりと視線を巡らせれば、成る程、常連の青年で妙にいつも余計に話したがるタイプの人だ。ナンパなのか、と言われればよく判らないが、清十郎にはそう見えるのか、と小さく頷く。なんにしても細かく気を回してくれるのは有難かった。しかも、ハナ本人には気付かせまいとしている節がある。
状況が状況でなかったら、なんだか走り出したくなっていた気がする。
ちなみに、青年と少年のギャルソン二人が意味ありげに腕を取り耳打ちするビジュアルは、周囲の女性客が妙に固唾を呑んで見守る光景になっていた。
その中には、戻って来てチーズケーキを皿に山盛りに盛って貰って、貪り食っていた犬ころ少女の姿などもあったのだが、彼女は帽子をかぶり目立たないようにして、ガン見に集中していた。
そして。
昼を回って、若干人波も落ち着いてきた頃。
腹に響くエンジン音が、急速に近付いてきて、通りの入り口で止まった。
真っ青なメタルカラー。課金で入手できるエアバイクだった。
どちらかというと、天馬やドラゴンなどの騎獣ペットの方が人気があったりするのだが、歩く数倍の速度で移動できるこの乗り物は派手でそこそこ愛用者は多い。
漆黒のメタルグラスのバイザーをかけた背の高い男性が、騎乗したまま周囲に視線を巡らせる。黒いロングコートにタークシルバーのパンツとブーツ。青みがかった濃い灰色の髪を手袋を嵌めた手で掻き上げ、するりとバイクから降りた。と、降りたと同時に収納され、その場から消える大型バイク。
派手な彼の姿もバイクが消えればすぐに人波に飲まれる。もっとも、背が高いので頭一つ出ていたが。
立ち止まっているとただ邪魔になるばかりの彼は瞬きを幾つかした後、歩き出した。より混み合っている方向へと、足を進める。
「待たせたな、ハニー」
上から覆い被さるような、それくらいに身長差があった。カズホもそんなに小さいわけではないのに。
食事をサーブしたばかりで、盆を重ねて持っていた。皿は運び終わっていたからまだ良かったが、盆は全部手から滑り落ち、派手に路上に跳ね返り、音を響かせ衆目を集める。
「――――ぎぃあああああ!!」
背後から抱き竦められ、悲鳴を上げるハナ。
何ごとか、とその場にいた全員がそちらを見た。ら、華奢な少年が後ろから背の高い男に抱き竦められているホモセクハラな情景が展開されていた。
なんだ、と、速攻興味をなくした男性客、小さく噴き出した女性客、呆れたような顔をしている若い男に、目がきらんと光ったどっかの腐ったおねーさま。
「なっ…何してんのよ!!」
「ば、ばっかやろ、ガイ……っ」
激昂するヨツバ、仰天して駆け寄るエーリッヒ。
青くなって赤くなって喚きながらじたばたと暴れているハナは、がっちりと掴まえられてしまっていっこうに解放される気配がない。体格に関係なく、力のステータスは高くて軽自動車くらいならぶん投げられる筈のカズホの身体だが、パニックを起こしているのかガイという青年も同じかそれ以上に力が強いのか、逃げられないようだ。
「あー、良い声。うーん、相変わらずほっせーな、あー可愛い」
あっはっは、と笑って、巫山戯て後ろからぐりぐりと頬擦りしてくるガイに、カズホの声をしたハナの悲鳴が更に積み上げられる。――――と。
四方八方からガイの頭部のみ目掛けて、盆とグラスとサボサンダルが吹っ飛んできて、綺麗に命中した。痛みは発生しないが、当たった衝撃は身体に伝わる。ごんげんぼがん、と一瞬で頭部を色んな方向へと揺らされ、そのショックでガイの腕から力が抜けた。
「な……」
「――――~~~~!!!」
振り向き様に、反射的に張り飛ばそうとしたハナ。が、その手は空を切る。
「うぉ、……っ、」
頭部がぐらぐらとまだ揺れているガイ、が立て直す隙は与えられず。抜きん出て長身の彼の襟首を誰かが背後からぐいと掴み、引き倒すように背後に傾がされて。
「……君も相変わらずお巫山戯が過ぎるな、ガイ」
目が笑っていない清十郎が、己の肩口にガイの背中を引き寄せて、囁くような声で目を細めた。
「お、清十郎。お前も久々――――なんだ、相変わらず保護者みてーな…あれ、なんだ、なんか投げられたけど…お前じゃないのか、誰だ」
ガイに盆をぶん投げたのがヨツバ、グラスがエーリッヒ。余り堪えた様子もないガイの様子にヨツバがじたんだ踏んでいる。
「な、なにあいつ、な、何も知らないで――――っ」
「くっそ、あの野郎…」
エーリッヒまで本気でむっとしている様子。二人はさっさとハナを回収し、遠ざけていく。
「あれ、ちょ、待って、なんだよ、折角はるばるこの俺が大陸横断して会いに来たってのに」
「誰も呼んでませんよ。……取り敢えず坐って。これ以上今遊びたいというなら、私がPvPを申し込んで差し上げますよ」
「…お前、怒ると言葉が丁寧になっからこえー…。ちっ、わーったよ。これってあれだろ、カズホの妹さんの店なんだろ?俺、ソッチの妹さんに会いに来たんだけど」
「今は彼女は忙しい、見れば判るだろう」
ぐい、と掴んでいた手を離さず、そのまま引き摺り空いたテーブル席に投げ出すような勢いで坐らせる。つまらなそうに小さく鼻を鳴らし、だが取り敢えず大人しく客になるようで。
「ま、いいや、もう少し落ち着いたら改めて挨拶しよう。……たーのしみ♪」
「……お前にハナちゃんの話をしたのは失敗だった」
ハンバーガーのセットね、と鼻歌交じりで注文する、何をされても言われても懲りた様子のない男の脇を、尻尾付きの小柄な人影がちょろちょろと擦り抜け、サボサンダルを拾い上げ、突っ掛けるとそのまま人混みに紛れていった。




