もふもふちゃん。
「あー、ハナちゃあああん、いたあ、いたよおお、ひっさしぶりいいいい!あうう、もおおお――――恋しかったよおお」
大人しく列に並んでいたらしき人が、ショーケース最前列まで漸く出てこられてカズホと目があったところで、もう辛抱たまらん、といった風情で鼻を鳴らしガラスケースに縋り付くように膝から崩れ落ちかけた。
たまたまハナが仕入れの追加に出掛けていたので、その時店にいたのは運悪くカズホ一人のみ。
入れ替わりの後、ほぼハナの知人との面識は済んでいた――ハナの知人、フレンドは皆ハナの店の常連だったので、初日に皆、店に来てくれていた――ので、正直言って油断していた。そのへにょへにょになっている人の名前を確認し、邂逅できずにいた最後のハナのフレさんだ、と気付いたカズホは若干狼狽える。今まで、ハナのフォロー付きでしか遭遇していなかったので、上手くやれるかとちらりと不安が過ぎる。しかも、なんかこの人クセがありそう…と。
「ホントはもっと早く会いに来たかったの!ンもー、毎日毎日ハナちゃんが居ない生活ったら味気なくって切なくって地獄のようだったにょろー。ああん、おいちちょう~チョコケーキ、チョコケーキ~♪まみれたい、チョコにまみれたい、浸かりたい漬かりたい溺れたい~♪」
ミルクチョコレート並みの甘ったるい声。
思わず、ショーケース越しに助けようと差し伸べ掛けた手も止まる。
周囲の客から伸びた善意の腕も矢張り微妙に固まっていた。
へたりかけていた身体を、硝子に貼り付きつつ立て直し、腰を伸ばして。此方を見てへんにょりと蕩けた顔で、笑う少女の顔。
――――物腰も、壊れ気味に歌うように綴る言葉も、どうにも周囲とは一線を画していたが、それ以前に彼女はひどく衆目を集める存在だった。
小柄だ。
全年齢参加可能なゲームではあるが、VRマシンがまだ高価で一般普及率が他ゲーム機の数%にしかならず、15歳以下の使用者はまだまだ少ないため、150センチに満たない身長というだけで目を惹く。
無論、それだけではない。ほっそりとした腰から、着衣を突き抜けて何かが飛び出している。ふさふさで左右にゆらゆらと揺れるものが。そして、ピンクがかったミルクココア色のふっさりした肩までのボブヘア、その両脇から同色で同じくふさふさでむくむくの何かがくっついて、垂れている。時々ぴくん、と動いたりなんかして。
つまりは犬の獣人だった。
顔は人間そのものでヒゲなどもとくに生えてはおらず、ただ獣の耳と尻尾だけが一般人と違っている、そんなビジュアルの。
耳と尻尾。
ふさふさのむくむくの、ほあほあの。ふりふりふり。
特殊種族と特殊戦闘職、噂によると生産職も。と、いうものが、このゲームには存在する。
ゲーム開始時には、選択もなく種族はヒューマンタイプのみ、だ。
だが、レベルが一定以上に上がる、ジョブスキル数種類が一定以上上がる、何かしらの特殊クエストを発見受諾達成する、といった非常に厳しい条件をクリアすると、特殊種族へ変更が可能になる。
それが、獣人だ。
完全な獣面になるのも可能、耳と尻尾だけも可、そして体型も本来の己自身の姿に近いものから、幾らでも変化が可能になる。120センチ~250センチ程度まで身長を変えることが可能らしい。無論、横幅もだ。
獣も、獅子、虎、狼、犬に猫、狐や鼠、と、種別選択はかなり多岐に渡り、二度目のアバターメイクが相当楽しめるレベルだった。
それだけでも充分人気が出そうなものだが、更に、獣人になることで新たに特殊戦闘職、というのに新たに就けるようになる。新たに加わるジョブは、獣士と、魔獣使いだ。
獣士は、素手での闘いが可能になり、固有スキルを上げることにより完全獣化も可能になるらしい職業。
魔獣使いはモンスターをティムして飼い慣らし、敵と戦わせることが可能になる職業。
外見の大幅な変化により目立つことは間違いないし、就ける職業もいかにもな雰囲気で楽しげ。こぞって誰もが条件をクリアし、この世界は獣人だらけになるのでは――むしろ、その状況こそが、本物のこの世界のスタートになるのでは、などと、新職発見時には大いに盛り上がったものだったが。
何故か、唯一、変更後二週間以内ならば元の種族、ジョブ、に戻すことが出来る、という措置が執られていたので。訝しみつつ、予感していたプレイヤーも居ただろう。
獣人種は、その目立つ外見に比例だか反比例だか判らないが、とにかくどぐされドMプレイを要求される種族だったのである。それはもう、しばらくしたら殆ど見掛けなくなったほどに。
まず、種族変更した途端、人生やり直しスタート、ということでレベルは1からになる。ジョブも無論、スキルもだ。ステータスは流石にゼロまでは落ちないが、だが全てがごっそり削られる。初期値、までは流石にいかないが、そこまで苦労してキャラクターを育ててきた者にしてみれば、初期値と変わりないじゃないか、と目の前が真っ赤に染まる程度には、酷い。
通常ならば、転職しても職固有スキルが一つ二つ使えなくなる程度なので、その後のメリットの方が上だと思えば気にならない。新たに獲得した新職のスキルのレベルを上げるために暫くは頑張らなくてはならないが、それも楽しい。
が、種族変更というのはレベルアップによって得たスキルも、武器に付随したスキルも、そして職固有のスキルも一度に使えなくなってしまうので、いきなり荒野に裸一貫で放り出されたような感覚になってしまうのだ。そして実際、相当長い間最弱状態で堪え忍ばなければならなくなる。しかも、相手にしなければならない敵モンスターは高レベル相当の相手のままなのだ。
無論、パーティプレイで一気に経験値をぶっ込み、レベル上げをするのは可能だ。既にゲームが開始されて日にちも経っていたのでゲーム内で友達が出来ている人は多かったし、チームも幾つも結成されていた、ギルドに登録していればパーティーも組みやすかった。
だが、獣人種はレベルの上がり具合というのがまたとことん過酷に低く低く設定されていたのだ。
ゲーム上の、ストーリー、世界観的設定として、獣人亜人は虐げられている、ということにされているらしく、経験値もそうだが、収入や物品販売の遣り取りなどまで制限をされ、不利に不利に持っていかれる。生産がメインであった場合、大ダメージを喰らうといってもいい。
何人かの有志プレイヤーが大まかな試算をしたところ、どうやら、転職後に、ゲームを始めて約半年経過程度の熱心なプレイヤーの転職前のレベルやステータスに戻るには、三年近くは必要らしい。と。いうことだった。生産職の場合更に、元々生産だけでレベルを上げるのが難しいので、元に戻すのにはもはや何年かかるか判らない、といった始末。
Wikiだの匿名掲示板だのに、その試算結果が書き込まれた途端、どっと、街から獣人は減った。三ヶ月もすると、本当に数える程度、珍種認定される程度になってしまっていた。
もはや、扱い的には、ネタキャラである。
というか、制作側でもこの種族はあくまでもネタ、色んな意味で「特別」なものに違いない、と結論が出ていた。
これほど酷い設定は絶対に修正が入る、と確信を持った叫びが其処此処で上がっていたが、いつまで経っても変更もされず。であったし。
今では、余程のケモミミマニア、異常な動物好き、好事家、それでも未来を盲信し励み続けることを自らに課したホンマモンの廃、しか残っていないと言われている。
プレイヤー同士の付き合いは、NPC相手のような蔑み設定などは勿論ない。
が、「獣人なんだ、凄いじゃんwww」と、語尾に幻の草が見えるような心ない相手との接触も覚悟しなければならないらしい。
その程度の知識を持っていたカズホは、まずはそこで、獣人に驚いた。
攻略組などには本物のトッププレイヤー、誰憚ることなく胸張って廃人、なんて人も多いので、種族変更しジョブチェンジして苦汁を舐めまくった上でばっきり攻略最前線に返り咲いて更に化物化している、獣人種族がいると聞いたことがある。カズホは攻略組にかなり近いところにいたので、事実に近い噂、として聞いて居た。ただ実際会ったことがないだけで。
獣人種族に体格の変更を認めているのは、其処までやり込むほどならば、本来の自分の身体に合わせた推奨バランスを崩しても大丈夫だろう、と製作が判断したことになる。
それもまた、過酷な状況を付随させることになるが、乗り越える人というのは乗り越えてしまうから怖ろしい。のだそうだ。
機会があればそのうち、その闘い振りを見ることもあるだろうと思っていた。
だから、カズホにとってはまだ、いまや伝説の珍獣、なんていうほどの存在ではなかった、が。
しかしやはり、珍しいものは珍しい。というか、物珍しい上に可愛すぎるので。
目が釘付けだった。
だって、誰だって可愛いものは好きだろう!
ぽさぽさのほわほわの毛並、尻尾と耳がむくむくなので、それにあわせて髪の量も普通の人間より随分多い。柔らかなピンクがかった淡いココア色の髪、すんなりした身体付き、ラインがどこも柔らかそうだ。子供そのものの身体付きでほっそりつるぺた、というのとも少し違う。細い骨に柔らかく肉が全体についている、という風情で関節などの骨部分がどこも目立たない。獣人という、種族の所為か、矢張り一般的なアバターの作りとは違った雰囲気だ。
瞳も、心なしか黒目部分が大きい気がする。焦げ茶色で虹彩の境目が判りづらかった。顔立ちは全体的に小作りで、鼻の先も顎先も、矢張りラインが柔らかく丸い。ほっそりしているのに尖った部分がどこにもない、突いたらどこまでも指が埋まっていきそうに思える、甘ったるい印象の少女。
これだけ、ちょっと異質な可愛らしさだと、流石にプレイヤー間では小馬鹿にするような状況にはならないだろう。他の心配がむしろ湧き上がるが、若干言葉を交わしただけでも、どうも大人しそうな性格ではなさそう…というか、変人ぽいというか…なのは見て取れて、そちらもなんだか心配は不要な気がした。
これで廃プレイヤーなら今頃超有名人だろうな、などと思いつつ。
「ハナたん、相変わらずおいちーもの作ってちゃーんと売ってたにょね、白珠は嬉しいにょろー。やーもう、ほんっとにほんっとに甘いもの食べたかったわー、10個までね、じゃあ10個ちょーだい。んで、9個包んで。1個は今食べるにょー」
へにゃへにゃした口調は今だけのものなのか、作っているのか、まさか素ではあるまい。いやしかし、どんな人が居たっておかしくない。世界は広いし。
というか、この人、実際、年齢は幾つくらいなんだろうか。身長は獣人だから誤魔化せる、顔も可愛らしい童顔だが年齢はさっぱり判らない。
カズホは、ろくに反応も出来ず、ただ、はい、はい、と頷いて注文を受けて居た。
紙箱に綺麗にケーキを詰め、それと一緒に、簡単に紙に刳るんだケーキを白珠という犬耳少女に渡す。にこにこと満面の笑みでもって両手で受け取り、大事そうに箱を抱え、持ったケーキをじっと見詰め。
「いい匂い…何日ぶりだろー…チョコ…ああん」
その場で、はむ、と大口開けてかぶりついた。口の周りが、鼻の頭が、たちまちにチョコレートクリームで黒く汚れていくのも気にせず。
うっとり、蕩けて、とろんとろんで。あふん、となにやら危ない吐息を零しつつケーキを貪り、貪りつつカウンター前から離れていく。
「だ、大丈夫っすか…」
思わず声を掛けたら、くるんと振り向いた。何かに取り憑かれているような、耽溺の眼差しを流し目で。幼い少女のつぶらな瞳でそれをやるからもう、なんだかもはや異常だ。チョコだらけだし。
「んふふ?美味しすぎるからあんまり大丈夫じゃないかもー。また来るね、来れたら明日も来るね、甘いもの毎日つくっといてね。やっぱりハナたんの作る物が一番好きだよーらぶじゃよーらーぶらーぶのらーぶよー」
じゃーねばいばい、とチョコでべたべたになった手をふりふりして、尻尾も振り振りして、店から出て行く。モーゼのように人の波が割れる。獣人が珍しいのか、チョコで汚れるのを厭うのか、両方か。
最後に知ったハナのフレは、オーラスに相応しい変わった人だった。
帰ってきたハナに報告したら、ハナにとってもそこそこレアな存在の人だったらしく、会えなかった、とひどく口惜しがっていた。




