今日はお店でね。
リアルさを追求した結果、なのだろうが、この世界の自宅や宿の部屋にはちゃんと浴室が大概用意されている。ただし、トイレは何処にも無い。そこまでリアルにすることはないだろう、と判断したのだろう。
――――と、いうわけでこのゲーム、食事をしなくても死なない、という点からお察しの通り、代謝機能というものがそもそも設定されていない。
汗も掻かないので(厳密に言えば「気分」はある。汗ばむような感覚、というのは空腹感が設定されているのと同じくある。が、あくまで気分の範疇である)本来風呂すら必要ないのだが、流石に、泥や埃といったもので汚れるようにはなっているのでトイレと違って完全に省略とは行かない、というか、トイレより気分的に、必要はないが取り入れたい、あれば嬉しい、という類のものであるだろう。
「生活」に必然的に重きを置くことになってしまった現状では、食事と同じく風呂なども、人が精神的に求める順位度が上がっているものの一つになっていた。
居住区らしくなるから、といった程度レベルで備え付けられていたバスルームが、初めてまともに使われるようになっているのだ。
「あー、さっぱりした」
気分だけ、ではあるが、その気分こそが大事というか、そのためにあるというか。
帰宅したカズホはまず風呂に入って、リラックスした顔でタオルを頭に被せ掻き回しつつ、出てきた。 タンクトップにショートパンツの初期装備の格好に、大きめのTシャツをだぼっと着ただけの格好だ。女の子にしては少しばかり行儀の悪い格好だったかも知れないが、いるのは家族だけなので(というか、本来の身体の持ち主だ)双方気にしていなかった。ハナは、お疲れ、と笑い、ダイニングに用意しておいた冷えた桃を切り分け小鉢に盛ったおやつに冷たいお茶を添え、供する。
「お、さんきゅ。――――あーうめー、沁みるー」
立ったまま桃を摘み口に頬張れば、窘められてしまったが、気にせずそのままもう一つ摘む。流石のカズホも、ゲーム内で口に入れるものが美味だと嬉しい、ということを思い知りつつあった。以前なら、ログアウトしてからこうして双子の妹に甘えて何かしら食わせて貰っていたのだ。今はゲームの中で味わうしか、無い。
そうして、リビングでのんびり寛いで――――流石に、ゲームの中にテレビまではない。家でなら此処で、テレビはついていて、バラエティ番組なんかを見たり見なかったりしつつ一緒に笑ったり全然関係ない話に興じたりというところだが、それはない。少しだけ、テレビがあればリアル感が増すんだがと考えるが、そう思うこともある意味逃避なので考えただけで口には出さなかった。どうせ双子だ、似たようなことは考えているに決まっている。
口に入れ、舌でちょっと巻き込むように潰しただけで、儚く柔らかく形を無くし芳香放つ甘いジュースとなる果実。知らずしみじみと味わっていたカズホは、曖昧に流れていた視線をハナ――顔は自分だが――に、向けた。暢気に緩い顔で、桃を食っている。
「あのさ」
「んむ?」
そうしてお互い、今日の話をし始める。
何があったか、誰と会ったか、どんな話をしたか。なるべく詳しく、細かく。
そして、今後会うだろう互いの友人達の予備知識も。
話すことは幾らでもあった。
「じゃあ、明日はお前の店手伝うってことで。……お前も、俺とダンジョン潜ろうぜ。ちっと鍛えてやるし。俺の身体が鈍るの困るしなー、あと、ぶっちゃけ少しは経験値稼いで欲しい」
「生産でもレベルは上がるんだけど、一応」
「つったって、生産でレベル上げるのって戦闘の五倍くらい掛かるじゃん。しかも、店の売り上げで入る経験値が主なんだろ?……あれって、店主の経験値になるんじゃねーんか」
「あれっ、そうだっけ?や、手伝ってくれてる人にもちょっとは入るはず…あれ?」
「まーいいけど。いや、違うんだよ、単にお前とフィールド出たいの俺!つーか見せたいの!お前の身体で華麗に戦う俺様の姿を!」
「……華麗に死ぬとこ?」
「…んが。――――ご、ごめんてゆったじゃん…」
「あはは、うそうそ。や、ほんと、気にしなくていいって。んー、じゃあ、店の手伝いちゃんとしてくれたらあたしもほーちゃんの手伝いするよ。手伝いっていうか、レベ上げとかちゃんとする。んー、そだね、一緒に行ってアドバイスくれたら嬉しいかなー。……そーいえばさ、こないだ戦闘した時に思ったんだけど…」
本当に、幾らでもあった。
「――――プレイヤーショップの飯屋って、初めて入りましたね、そういえば」
次の日の午後は、カズホとハナの二人で店の切り盛りをしていたところに、清十郎がやってきた。
昨日カズホが、聞かれるがままに自分の(つまりはハナの)情報を開かし、店の場所なども伝えたから、早速来てくれたようだった。
昨日数時間共にダンジョンに潜り、死にまくりつつもなかなかにおもしろおかしく過ごして、気がつけばだいぶ清十郎とも以前のように気易く話すようになってしまっていたカズホ。思えば親しくやりすぎてしまった、かも知れないが。戦闘中にも状況は忘れずハナのつもりで振舞う、というのは所詮カズホには無理だった。エーリッヒが細かくフォローしてくれていたので、カズホが気付かないレベルでどうにか誤魔化しは保たれていたが。
清十郎は小さく独りごちてから物珍しげに狭い店舗のあちこちを見て、そして大人しく列に並んでいる。
今日も無論店内どころか店の外まで混雑していて長い列が出来ていて、だが、昨日より二人で準備をしたことで早く開店出来たし、あらかじめ数も準備出来たので、客は昨日より多いくらいだったがむしろ落ち着いて接客も出来るようになっていた。
「あっ」
最初に清十郎に気付いたのはカズホ。少し焦ってハナに耳打ち。外見がカズホのハナは、彼とは親しい友人だと振舞わねばならない。が、人見知りがちで更に見知らぬ男性が基本苦手なハナは酷く困った顔を見せた。自分のテリトリーの中で、カズホの振りをしなければならない状況というのを多分、考えていなかったのだろう。
自分が一番自分らしく居られる場所、居たい場所、の、自分の店。
客に対して男っぽく振舞うのは慣れてきているが、それはあくまで元々カズホという人間を知らない相手へのものだ。
「カズホの友人」に、カズホとして接触しなくてはならない状況にいきなり押しやられて、ハナは引き攣る。ひく、と、咽喉が小さく震え、脇から見ていてカズホはやべーかな、と小さく呟いた。
「清十郎さんこんにちは、昨日はありがとうございました!えっとえっと、あっ、来てくれたんですね、嬉しいでッすー!」
なんかフォローしようと、先ににっこりして声を掛けるカズホ。カウンターの中から列の中にいる清十郎に、手をぶんぶん振る。
「あ…はい、こんにちは。早速お邪魔させて貰いました、今日はお客さんですよ」
店内の視線が一気に集まったが、臆さず柔らかい笑みを浮かべ、ハナに会釈し答える清十郎。お気遣い無く、とそこを動こうともしない。
一瞬、背もカズホどころかエーリッヒより更に高く、いかにもオトナだ、と見えた彼に対してがっちり固まり身構えてしまったハナだったが、そうやって、列に並んで少しずつ近寄ってくる、という状態で、接客しつつ少しずつ心の準備が出来たことでハナはこの際は運良く、というべきか、だいぶ結局リラックスした状態で清十郎の前に立つことが出来ていた。なんか大丈夫かも。エーリッヒさんよりむしろ普通に話せそう。と。内心考えていたハナ、だったが。
ショーケース越しに目が合う。
優しい眼差し、それが更に、柔らかく双眸を撓ませてハナを見詰めてくる。やあ、久し振り、と笑いかけてくるその顔と声はごく親しい相手へ向けられる優しいもので。
大人の男性にそんな風に接して貰うことは今まで余りなかった、ので、少し面食らってしまったのか、ハナの頬がほんのり赤くなった。微妙な、間。
清十郎がその間を埋めるように言葉を挿し込む。
「久し振り、でも無いんだけどね、本当は。でも随分久し振りな気がする。――――大丈夫かな、カズホ?変わらずやれてる?コールで声を聞いた時、少しいつもと違うような気がしたから…」
おっとりとした低い声。
少し覗き込むように首を微かに傾け、清十郎が窺うようにハナの貌を見詰める。
と。
「ぅ、……ぁぅ」
咽喉に何か塊が込み上げるような感覚が迫り上がり、ハナは上擦った声を小さく零した。どしたんだ、と隣でそれに気付いたカズホが驚いた目で見ている。慌てて、言葉を継ぐ。
「だ、大丈夫で…、っ、だ。お…ぼ?いや、おれ、おれだな、俺。うん、元気…ぜんぜんだいじょぶ…あの、……」
しゃっくりみたいな声が出てしまって、途中で更に裏返る。
見てたらなんだか大人しそうで優しそうな人だから大丈夫だな、なんて思っていたというのに、目の前に立って目があった瞬間、突然何かがこんがらがってハナは狼狽えていた。カズホにしてみれば、穏やかでいつも優しくて、むしろ誰より安心する雰囲気を出してくれている清十郎が相手なら問題ないだろう、と思っていただけに彼も彼でそこそこ泡食っている。
自分ならけしてしないような反応を、隣の双子の妹が、自分の顔でやらかしているのだ。
何してやがる、と、カウンターの下で、脚を蹴飛ばした。
「みゃっ!?」
飛び上がった。
ダメだこいつ。
そんなに男苦手かよ、清十郎でそれだったらガイとかどーすんだろ。
なんて弱りつつ、どうするかと考えあぐねているカズホ。
「カズホ?……元気なら良いんだ、私が何度も大丈夫かと念押ししていたのが拙かったかな……ええと、このおにぎりサンドのセットに豚汁をつけて下さい」
清十郎は、明らかに挙動不審なハナへ心配し気遣う視線を向けつつも、それを指摘することなく緩い声を保ち視線を落とし、ショーケースの中へと向けた。
カズホがハナのスキルで、今日は朝からせっせと野菜を細かく刻み続けたのだ。いや、材料を前に包丁を握っていただけ、ともいえるが。スキル発動のみでの調理は味が数ランク落ちるという欠点はあるが、そういった、野菜を剥くだけ刻むだけといった行程のみであれば問題ないし重宝する。ハナが、それを使い、炒め、煮込み、味付けした。
野菜を刻んだり、その他色々雑用だのをやらされて、正直慣れないことをやり続けてへばったが、自分が手伝ったものが商品になって、それを喜んで購入する人達が沢山居てくれている、という事実が今まで知らなかった何とも言えない嬉しさをカズホに味わわせてくれている。正直、自分が作ったもの、とは言い切れないのに自信満々でにっこりした。
「はいっ、ありがとうございます、セットと豚汁で850cになります!」
横から掠い取るように口を出し、ケースの中からおにぎりとおかずのセット弁当を出し、背後の鍋から豚汁をカップに注ぎ、熱々のまま蓋をして、渡す、会計する。
にっこり、愛想良く。
清十郎も親しみを込めた笑顔でハナにありがとう、と返し温かい包みを受け取った。
「……んぎゅぐ…」
何か、横からカエルが踏み潰されたような声が聞こえ、む、と視線を向けるとハナが妙な貌で此方を見ている。
なんでこいつ涙目だ?カズホが訝しむが、問う場面でもなく。
「ありがとう、ハナちゃん。…また近い内に一緒にダンジョンに行きましょう。出来たら次はカズホも一緒だといいね。――――カズホ?じゃあ、また。私からも連絡するが、君も良かったらコールして下さい」
カウンター越しにすっと長い腕が伸びた。
ハナの肩に、そっと触れた清十郎の手。長く節張った指がとんとんと軽くノックするように尖った少年の肩のカーブを叩き、にこ、と笑ってすぐ離れる。
そのままゆっくりと体躯を返し、店の出入り口へ。
「清十郎、っ、さん、ありがとうー、またよろしくお願いしまっすー」
「あっ、あっ…ありがとうございました!」
見送る間もなく、次の客への接客がある。
大分経ってから、カズホはハナに一体どうしたのかと問い掛けてみたが、ハナもよく判らない、と、最早一段落気分が落ち着いてしまったような貌をして、他人事のように首を傾げていた。




