外見ハナの、カズホの一日、その2。+蝶のように舞っちゃうの巻
この世界でも、設定はおそらく夏だった。
ただし、うだるような不快な暑さはなく、湿気も少ない。人が、爽やかで気持ち良い夏、とひたすら良い印象だけでイメージするようなそのもの、いいとこ取りが具現化している夏の空気。空は青く、もこもこした雲が濃く真っ白に湧き上がり、陽射しは眩しく。だが、その陽射しもけして日に焼けていると意識させる痛いような感覚は与えず、気温も昼時だろうがある程度を越えることはない。
そんな中、街を出て歩くのはなかなかに気持ちが良かった。
ゲームの中で死亡しても復活でき、現実への身体的影響は無かろうという公式発表があったからか、ぽつぽつとフィールドに出てモンスターと戦うプレイヤーの姿も見受けられる。
何かもしあっても大丈夫だろうと判断して、素材集めに木の根元や岩陰を籠を抱えうろうろ歩き継いでいる人もいた。
無論、いつもより少なくは感じられるが、それでもこの「普通っぽい」風景は和む心が伝播する。
不安や恐怖は見えないところに押し込んで、日常に流される。誰かがこうしてるのなら大丈夫だろうと思い込んで右に倣う。それは、ある意味強さだ。誤魔化しで良いのだ、己の心を護る為に無意識で行う人間のしたたかな逞しさだ。パニックになり無駄に右往左往するよりずっといい。今だって、薬草花を摘んでいる少女の顔から笑みが零れていて、それを見てカズホの目許も自然と和らぐ。
「やっぱ外は気持ち良いな」
機嫌良く発した言葉が、空へ抜けていく。
隣を歩いていたエーリッヒも、うん、と頷いた。
「なんかさ、足が…っていうか、身体が軽い気がしなくもないんだよな。やっぱこう…身体の感覚違う気がする。今更だけど。っていうかフィールドだとまた違ってくんのかも」
しばらく歩いた後、軽く首を捻り呟いた。
そんなに双子の体格は大差無かったので、アバターが入れ替わっても体重が酷く減ったとか、そういうことはない。だが、何となく。街中に居た時より微妙な、以前との差を感じるような。言葉にしての説明が難しいレベルの違和感を、口籠もるようにして呟いたカズホ。
「そういや、ハナさんも街から出て少しした時に違和感あるようなこと、言ってたかな。そんな違う感じすんのかね、他人のアバターって。確かめようがないからなー、普通は」
「うん。まあ、だからこそ違和感感じて当たり前なんだろうけどさ、有り得ないことなわけだし。っ、て、あ、ちょっと行ってくるわ」
草むらからひょいとモンスターが一匹現れた。ウォンバットに蛾の触角を生やしたような、毛むくじゃらのモンスター。つぶらな目は可愛く見えないこともないが、プレイヤーに気付くといきなり怒り状態になり、目が真っ赤になる。
以前ならば歩くついでに一撃で斬り飛ばせる程度のレベルだが、ハナの身体とステータスなら、どうだろう。一言言い置いて一人で向かう。
この身体で、何処までやれるか試したい。
思わず笑みが零れ、舌先が覗いて、唇を舐める――――あどけない少女の顔。
エーリッヒは少し遅れて後に続いた。
手出しはするなということだろう、と判断して、だが何かあった場合は即座に動けるように控える、つもりで。
ひょいひょいと軽い足取りでカズホは近付き、荷物の中から弓を取り出し、構える。まだ向こうはこちらに気付いていない。弓の射程内には入ったが、未だ遠い。遠すぎる、というほどでないのはただ単に手持ちの弓がそんなに高レベルの武器ではないからだ。射程距離はたいしたことがない。威力も差程ではなかった。
「……これが、当たんねーんだけどな…この際慣れるべきか。――――ん?」
一瞬、視界の中にすうっと一筋、淡く光る線が見えた。自分からモンスターへと緩く弧を描き伸びる線。瞬きすると消え、構えた弓を一度下ろし、再度ぱちくりと眼を瞬かせた。
「なんだ、今の」
もう一度構え、鏃の先をモンスターに向ける。足を止め、前後に広くスタンスを取ってバランスを取り、構えて弦を引く――――と、また、ラインがすうっと見えた。
「え」
ぱしゅ、と、軽い音を立て放たれる矢。うっかりちょっと驚いて離してしまった感じだったのでそもそも狙うも何もない状態。というか、そもそも狙うってどうやるの、という感じだ、カズホの場合は。
その、矢が。
――――どしゅ
――――ギァァァ!
あれ、と、呆気に取られた顔で寸時棒立ちになってしまっていた。
矢は真っ直ぐ綺麗にモンスターへと向かい、首の裏側辺りに突き刺さる。
首を捻り藻掻くモンスター、レッドヘアボール。こちらに気付いて、短い前脚で地面を一度、怒り丸出しで引っ掻いた後、突進してきた。
「カズ!」
慌てたエーリッヒの声。カズって呼んだらダメじゃん、と何処か冷静に考えながら、あっという間に距離を詰めてくるモンスターを見るカズホ。モンスターのステータスバーを見れば、矢は綺麗に刺さったものの、削れた分はほんの少し、十分の一程度。
このレベルの武器で、このレベルのモンスターが相手ならこの程度は削れるだろう、とだいたい予想していたそれの、数分の一しかダメージを与えられていない。
うっわ、よええ、と思わず声が出る、出ながらも、脚が動いた。
「お?」
歩いている時に、妙に軽い、と思った身体が、己の予測以上に更に軽く動く。軽いというか――これは。
「AGI――――か」
素早さ、それと、確かDEX(器用度)が異様に高かったはずだ。素早さをこんなに上げてるのはどうしてだ、とハナに聞いたら、作業効率が上がるからだと当然のように返ってきた。器用さが、生産職にとって重要なのは言うまでもない。あとは、確かもう一つ何かえらく上げていたステータスがあったはずだが。
「うおっと」
そんなことが過ぎってしまい、気が逸れたほんの数秒でモンスターは眼前に近付き、その勢いのまま頭突きをかましてくる。
迎撃をするつもりで、攻撃は盾の代わりすら出来る己の剛剣で立ち向かおう――と、して、持っているのがひ弱な弓であるのに気付く。繊細な彫り飾りが施されているそれは、いかにも華奢で優美で、とりあえず獣をぶんなぐれるものではない。迂闊な瞬間が積み重なっている。今更だが、このハナの身体で、このモンスターから攻撃を受けたらそれなりに一発で危険なゾーンに飛び込みかねなかった、と。思い出して慌てる。
「っと」
やっぱりステップスキル取るべきだ。
いや、取らなくても――なんだ、これ。
いやいや、これなら余計に取らないと。マジか、これ、どうなってんだ、何処までいけるんだ。
軽い、というより「素早い」のだ、と気付く。元々の自分のステータスの数十倍の素早さは、余り重視してこなかったカズホにとって、内心ちょっとショックなくらいな動きを可能にしていた。そして、敵モンスターの動きも、戦闘を初めて経験して知ったが、記憶にあるそれより何倍も遅く感じられる。この軌跡を描いてくるならば、到達ポイントは此処になる。であれば少し身体を捻ってそのポイントから僅かに離れればもう、相手の攻撃は空を切る。
頭突きを、かわす。
続けて、後足で立ち上がったモンスターの前脚攻撃が立て続けにやってきた。
だが、その動きも見える。
かわす――――かわすしか出来ない。持っているのは弓なので。
多少の差なら判らない。此処までだとは思わない。
だが、大量のステータスポイント差は、顕著すぎる能力の違いをアバターに与えていたのだった。
これは端から見るだけでは判らない。敵の動きがその人にどう見えているかなどということは無論判らないし、それに一緒に戦闘している仲間の動きがどう、とまでは普段そんなに気にしない。魔法職の詠唱が早いのと遅いのがいる、とか、その程度か。いや、それも可成り重要な話だが。カズホにとって、それは余り気にしたことがなかったことだった。
気がついていたら、もう少し自分のステータスも気にして上げていただろう、そもそも。
兎に角接近してガンガン殴って、力任せに叩き斬る、ぶっ潰す、こっちもダメージは喰らうがそれは仕方ない、回復すればいいんだし、大剣の場合盾代わりに使ったり、受け流しのスキルで攻撃をかわしたりも出来るから、殴り合いで結局最後まで立ってればいいんだ、みたいな。
カズホはずっとそんな感覚で戦闘を続けていたので。
敵の動きを見て、見ながらこちらから攻撃はせずに、兎に角見る、最後まで見る、見ながら――――攻撃を避ける。
というのは、実は初めての経験だった。
敵からの攻撃は受け止めるものでしかなかった。
避けられるんじゃん、と初めて思った。
面白くなっていた。
元々の自分のアバターで戦闘していた時と、全く違う興奮に包まれていた。
攻撃が全部見える、簡単にかわせる。
プロボクサー、拳法家、映画や漫画の主人公。まさに俺、それじゃん、今。あれじゃんよ。
ひょいひょいかわせる、紙一重で。
ダメだ、何これ、格好良すぎる。剛力でねじ伏せる戦闘も痺れるけど、これもすげーじゃねーか、胸アツだ!!
そうだ、と、思い出す。
もう一つ異様に高かったのはLUCだ。これもハナにすれば生産時のレア品作成確率が上がるから上げている、んだそうだが、戦闘時に関していえばクリティカル確率と敵が攻撃をミスする確率が上がるはずだ。これも、近接戦闘を好むカズホとしては心底どうでもいい部類のステータスだったので1ポイントも振ったことがなかったものだ。
だが、此処まで高いと。更に攻撃が当たらなくなる。かわす、かわせる、当たる気がしない。
「当たらなければどうということはない!!!」
男子ならば、一度は言ってみたかった科白を、高らかに夏空に吸い込ませ、カズホは笑った。
背後からエーリッヒに、蹴られた。
「終わんねーだろ、ボケ」




