外見カズホの、ハナの一日。
ゲーム世界から逃げられなくなった人々は、朝を迎え、運営からの通達で若干の安堵を得ても尚、矢張り不安に苛まされていた。
一晩である程度順応し、ひとまずはここで過ごしていくしかないんだ、と腹を括った者も少なからず存在はしていたものの、流石に、平均的な感覚を持つ者は一日でその境地に至るのは難しかっただろう。
今までは、ゲームにログインすると時間を有効に使うべく、即座に街を出てモンスター討伐に挑むであるとか、冒険者ギルド、職業ギルドにクエストを見に行くとか、生産を開始するとか────それなり、何らかの目的を持って動く者が殆どで、当然の感覚だったろうが、ずっとゲーム世界に居続けるとなると「何かをし続ける」というのは無理な話になる。
現状では、まだ茫然とし続けていて、そもそも何かしようと思えない、という人もまた、多数いただろう。
今まで、街の中でただ風景の一部、として設えられていた街路樹脇のベンチやNPCショップのカフェや酒場、宿屋の一階辺りに、何をするでもなく坐っていたり、屯して誰彼無くぽつぽつと雑談したりしている者が見受けられるようになっている。
そのついでに何か買い食いでもしようか、と考える者も、また。
昨日、矢鱈繁盛していたプレイヤーによる飲食店は、今日も矢張り食事を求める客が何処も多く集まっていた。
もともと、まるっきり趣味の世界だとされていた調理人だ、店を出すほどになっているプレイヤーもたいしていない。各国、各都市の中でもプレイヤーショップが比較的多いこの都市でも、数軒しかない──しかも、無論全ての店が開店しているわけもなく。
何処も、人が集まり出すとあっという間に大変なことになってしまっていた。
客もまた諦めがいい人などはNPC経営の飲食店で我慢しようとするのだが、矢張り、基本的に味気なく薄っぺらな味しかしない普通の食事より、ちゃんと手をかけて作った心尽くしの、ジョブスキルも備えた調理人が作った食事を一度味わうとどうしても執着はしてしまう。
滅入ってる気持ちを紛らわせたいと思っている人が多ければ尚更だ。
ハナの店では、そういう騒ぎとはちよっと違った熱気が徐々に密やかに湧き上がりつつあった。
昼まで仕込みに時間が掛かってしまい、開店した時には待ちくたびれた客が随分と刺々しく文句を言い掛けた、のだが。応対に出てきたのが、若い男子のプレイヤーキャラだったという、思い掛けぬ事態に半数はいた常連の女性客がまず、驚いて文句の科白がすっ飛んでしまった。
「ごめんね、開店遅れちゃって。ちょっと、色々慣れてなくていつもより時間掛かっちゃった」
メニューを書き込んだボードの看板を店頭に引き摺って出した少年。
身長は170程度、柔らかそうな金茶の癖っ毛、伸びすぎの前髪から覗く双眸も大きくて、丸い。尖った鼻先や顎はちょっと神経質そうな風情を匂わせているが、厚めの唇が終始にこにこと笑みを形作っているので、人を寄せ付けない雰囲気は全く無い。
白シャツに茶色のパンツ、紺のエプロン。腕捲りした細い腕は筋肉質でよく日に焼けている。
そういう、彼の外見を客達は茫然と見詰め。先に、はたと瞬きしたのは、男性陣だった。
「待って、ハナちゃんはどうしたんだ?昨日いたよな?…彼女いないの?なんで?」
「お前、誰だよ、バイトか?……そんな話、昨日まで聞いたこと無かったんだけど」
ん、と、少年は動きを止め、言葉を発した相手に視線を向ける。
鹿みたいだ、と誰かが思っただろう、貌。双眸。ほんの二秒がやけに長い。見詰められた男が、何となく動揺して、赤くなった。
「……。……あ。そうか。……ええと…」
考え込んだ様子で、目線が中空へ逸れる。ややあって。
「ハナは、ちょっとワケありで今日は休み。仕込みはしてったし、俺が責任取るので大丈夫です」
ざわ、と空気が揺れる。微妙な色。
「って、君は誰…なわけ?」
「ハナちゃんが任せていったっていうなら信用して良いのかも知れないけど…」
「いや、そんな簡単に信用出来ないだろ。そこに並んでるの、ホントにいつもみたいに美味いのか?……出来たてくれっていったら、あんたが作るってことなんだよな。それは、金を払って満足する食い物なのかよ?俺ら、ハナちゃんの店だから来てンだぜ」
「……」
「…あの……。……間違ってたらゴメンね、でも、もしかして…あの、凄く似てるし、もしかしてあなたって」
「え」
はい、と、客達を前に、少年ははっきり頷いた。若干困ったような色を滲ませていたが、頷いた後、はっきりとした大きな声で、更に答える。
「俺は、ハナの双子の兄のカズホ、です。今までずっと別々に遊んでたんですが…今回の事態で、リアでマジに兄妹なので、心配になって、様子見に来ました。しばらくは一緒に居ると思うし、店も手伝うと思います。────えっと、皆さん、いつもありがとうございます。なんか大変なことになっちゃってますが、うちの店は何も変わらずやっていきたいと思ってるんで、良かったらまた、どうぞご贔屓に」
一人一人、頭を下げてからしっかり見詰める。
ほわ、と、うっすら赤くなる女性、緊張した面持ちで瞬きが多くなる女性。
中身のハナからすれば、どの人も常連さんでよく知っている人だ。だからこそ、親しみをしっかり込めた笑みと頷き、になるわけだが。客側にしてみれば、ちょっと可愛い見知らぬ男の子に超フレンドリーに笑いかけられているわけで、あらぬ誤解をしそうというか、ふらふら吸い寄せられそうになるというか、なんか一気にオチるというか。
知っている女の子のリア兄妹、と聞けば精神的な垣根も元々低くなる。
空気は一気に柔らかくなった。
こういう場を支配するのは、いつの場合も女性だったりする、ので、男性陣から重ねて文句は出なかった。そちらもそちらで、ちよっと気に入っていた飯屋の女の子の兄妹、しかも顔が似てる、という彼相手にこれ以上文句を言って、後でそれを知ったハナの不興を買うのは避けたかったというのもあったのだろう。
言葉にはならない、場に流れる何とは無しの雰囲気は、生憎ハナには判らなかったが、無事に兄の店番ということで受け入れて貰ったらしい、と判断し、ほっとしてカウンターの中に戻っていった。
実は、開店前の仕込みに夢中になっているうちに、すっかり頭から自分の外見がすっこ抜けてしまい、客に言われてやっと思い出した間抜け振りだった。
その後も、喋れば、気付くといつもの自分の口調になってしまうのがそこそこ問題な感じ────だったが。
むしろそれは、普段からけして女性的ではなかったハナであったのが救い、多少女性的になってもただ、物柔らかな優しい雰囲気を持った男の子だと認識され、かえって好感を持たれていたようだった。
「ハナちゃんそっくりねー、お兄さん」
「リアでは幾つなんだろうね、ハナちゃんにも聞いたこと無かったけど…双子の男の子があんな感じなら、少なくとも20…いやいっても25才以内だよね」
「十代にカスタードパイ賭ける」
「え、だったらあたしは…22で!年下も良いけど同年代キボー」
「あっれー、チムチムってアラサーじゃなかったっけかー」
「ちょ…あんた、なによそれ」
「ああ、あの二の腕萌えー。項萌えー。なんか可愛いなー可愛いのに結構力あるみたいだしーいいわー」
「ちょ、お花畑にトリップしてる人が居ますけど」
「ま、可愛いのは認める」
こそこそ、くすくす。
テイクアウトのみにもかかわらず、客がはけない。
出来たてのチャーハンなんかを注文して、待つのを理由に、隅にへばりつくように居続けている団体。
で、中華鍋を振るハナの二の腕の筋なんかをちょっとうっとり見ていたり。
ハナが基本鈍いので、そんな客の様子には気付かず、注文を捌いていくのにひたすら一生懸命だったが。かえってまた、その様子が良いと常連客からの妙な評価は上がりつつあった。
忙しいのは、多分、良かった。
でないとあっという間に囲まれて、何だかんだと聞きほじられて。
結局はボロが出てしまって、ばれてしまっていたような気がする。
午後を過ぎ、陽射しは柔らかく、影は長く伸び、店のショーケースは殆ど空になり、食材も本日分と用意していたものがほぼ無くなった辺り。
漸く人の姿も減ってきていた。
客は途切れなかったが、居続けだった女性陣は流石にいなくなり、来るのは購入してすぐ出ていく普通の客ばかり。
兄の身体で働き続け、矢張りこの、体力の凄まじさをつくづく実感して、まだ全く疲れていないことに内心驚きながら最後のパイを焼き上げていたところに、一人の長身の女性が入ってきた。
鋼のプレートメイル、背中に大剣。戸口を潜りつつマントのフードをはね除けると、長い髪が零れ落ちた。
余談だが、VRゲームでは基本的に、プレイヤー本人の身体データをスキャンしてその外見に近いアバターを創り上げる。余りに掛け離れた外見にしようとすると動きなどに齟齬が出てくるらしく、データの変更はなく出来る限り本人そのままに、というのが推奨されている。変更は無理ではないが、大幅には出来ない。
いまいち夢のない事だが、目と髪の色、髪型だけは自由に変更出来るので、それだけでも印象はだいぶ変わる。
更に、この、本人のデータをスキャンしてアバターを作成する際、ある程度の省略などは為されるため、それがむしろ、若干の美形修正、という結果をもたらしているのだった。
例えば、肌の質感は大概の人は滑らかになる。元々吹き出物に悩まされていたとしても、たいして反映はされず、若干肌の質感が粗めになっている程度だし、毛穴などもかなり簡略化される。
人間、肌が綺麗に見えるだけで三割容姿が上がる。くすんだ感じがなくなり清潔感がアップすれば誰でもそうなる。
それ以外でも、染みやほくろが省略される、データ読み取り時に補整下着を着けていればその状態が身体データになるのでプロポーションも多少ランクアップする。
他のゲームからすれば、リアルすぎて美形度は低い、とされているのだが、その程度には補正はあり。そして、その程度の補正だからこそ、リアルが反映されるからこそ、むしろ評価が高くなる、ということもあるのだった。
街で気まぐれに似顔を頼んだら、ちゃんと似ているのに男前に描いてくれた、ちょっと照れるけど嬉しい、みたいなものである。
まあ、余談は兎も角。
そんなわけで、その入ってきた女性の肩に滑り落ちた長い髪は、青みがかった灰色だった、と。
登場人物が今まで茶髪か黒髪ばかりだったので、今更な説明を入れておく。
「――――まだ何か、食べるものはあるかな……ん。君は…ハナは居ないのか、珍しいな」
少し掠れた低い声。落ち着いて穏やかな色。
カウンターの中の少年を少し訝しむような色で見詰める女性の双眸はよく見ると紺色。
一瞬、嬉しそうにぱっと少年――ハナが満面の笑みを浮かべ、その客を迎えたが、その台詞ではっとしたように笑顔を引っ込め、ショーケースの方へ回ってきた。
「いらっしゃいませ、うん、はい、ハナはちょっと今日は出てます、わた…ぼく、いや俺は店番です、えっと、カズホです。た、食べるもの、大丈夫ですよ、でも、ここにあるだけです。えっと、すみません、ご飯炊いてなくて…」
「……うん?いや、充分だよ、今日もさぞ忙しかっただろう。君も慣れていないだろうに大変だったね。私がコメが好きだと何故知っているのかな、ハナから聞いたか?」
ゆる、と瞬きして少し首を傾げた。身長はカズホの身体とほぼ変わらない。細い身体はごついプレートメールを着けても尚、すらりとした印象を植え付ける女性だ。普通の格好ならモデル並みのスタイルだろう。
ハナの店の常連の女性だった。ハナにとっては友人というにはちょっと憧れの方が強い、年上の知人。
「あ、いえ、あっ、…ハイ、その通りです、すいませんっ」
「何を謝ってる、慌てなくて良いよ。……もしかして、兄妹?」
「あっ、そうです。えっと、よ、よろしくお願いしますっ」
「うん、こちらこそよろしく、私はユーリエ。……ん、今日も美味しそうだね。パイは焼きたて?」
「ですっ」
ショーケースの中へ視線を流し、吟味している様子のユーリエの言葉に大きく頷き破顔する。と、そのハナの貌へ視線を戻し、くすりと小さく笑った。
「確かに兄妹だなあ、その返事の感じ、ハナにすごくよく似てる。あ、気を悪くしたらすまないね、でも私は彼女が好きなので、これは褒め言葉のつもりだからね。……キノコのパイを一切れと、カスタードパイを下さい」
ハナは照れて、でも素直に嬉しそうに笑顔を見せ、ありがとうございます、と返した。
紙箱の中にパイを二切れ収め、小銭を受け取り、ほんのり暖かくなった箱の底に手を添え、渡す。
ユーリエと視線が合い、さらりと髪を揺らした彼女も少し笑って受け取った。
「ありがとう。……暫くは唯一の楽しみになりそうだから。変わらず寄らせて貰う」
小さく会釈をして、踵を返す。歩いても鎧が軋む音を立てない女性を、思わずうっとりと見送ってしまっていた。
彼女も運悪くログインしていたのだと理解する。
こう思ってしまってはいけないのだろうと思いつつも。
矢張り、ちょっと勝手にファンをしていた女性だったので――――ほんのり、嬉しくなったハナだった。




