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79 誰かにとっての幸運は、誰かにとっての悪夢

人が望みをかなえようとすれば、大抵の場合はその代償となっているものが存在する。

一番判り易いのが「生きる為に食べる」と言う行為。

体質的に食べられないものを除いて、食べる為に食卓に上がったものを「可哀想だ」と言って職人を糾弾する様な人は何も食わなければ良いと言うのが僕の持論だ。

だって、世界は回ってる。

食物連鎖は、全ての生命につながっている。

今の人類はなかなか土に帰れないけどね。


 その光景を見て、名も無き一人の通りすがりが「無かった事」にしたのは実に正しい判断だった。

 場所としては、職人街に普通にあるけど大手と言っても差し支えない。どっかの大手貴族も出入りをしていると有名で、だけど知っている人にしてみれば「その程度」でも有名だ。

 とは言っても、流石は職人都市。いかに「その程度」であろうと他所に行けばカッコウがつく程度の実力を持っている者は攻防に揃っているので、そう言う意味からすれば特に問題があるわけではない。どちらかと言えば、最低限以外の商売には職人達は気にしない性質だからと言うのもある。

 その点からすれば、この工房はどちらかと言えば商売に重点を置いている感じはした。割と最近開かれた工房で、元は他の工房と同じ商売よりも技術向上と一日の酒や食べ物と体を鍛えている事が普通のところだったが、色々と難しい事があって今の様になった。


 その工房は今、説明しがたい混沌が渦巻いていた。


 通りすがりは、知らなかった。

 今、この都市には都市をまるごと一飲みしそうな「怪異」が起きている。通りすがりは、最近ちょっと人が減ったと言う話題くらいは聞いた事があったけれど、それを記憶にとどめようとは思わなかった。

 今、その為に親方がギルドを通して学園都市から人を派遣されていた。この都市は昔から物資を運ぶ重要な拠点だったから、色んな都市の色んな人が来るのは当然だと言う認識のおかげだ。

 今、この工房には幾つかの世の中に知られると面倒になる面子が何人も揃っていた。中には、数年前に自分達の都市に力を貸してくれたりした人もいたりするが……そんな事を都市の人達が全員で情報を共有しているわけではなかった。


混沌カオスだ……なんだってこんな事に……」

 頭を抱えて座り込んだアインスを見て、秋水は事態が把握できなかった。

 キャシーが背後に油断なく控えているのはよく判るが、かと言ってどう言うことなのか判らない。

 何故なら、レンは見た事があるけど知らない女の子二人に挟まれており。その外側にはボーイッシュと言うか男装の麗人と言うか、苦笑している恐らく女生と思われる男性風の人物がいる。

 ドーンは視界の隅で通常運行なのはいつもの通りではあるが、若干レンの表情が硬い。

 レンを挟んだ女の子達二人は、貴族なのか仕立ての良い綺麗なドレスを身に纏っているがどこかが必死な形相をしている様に見えなくも無い。何かを、焦っているというべきか。

「ご説明いたしましょう、アインス様」

 今にも頭を抱えて転がりそうな様子を見て、表情こそ欠片も変わらないが「楽しんでる?」と言いたくなるけれど言わないのが華と言うものだろう。

「現在、皆様が滞在しております職人都市、レイニアス・シティは親方様が治めておいでではありますが、学園都市とは異なり正しく数々の利権狙いの方々が王道闊歩をしつつ水面下で争っておいででございます。表立って権力を持つものが土足で踏み込むような真似をしないのは、一重にこの都市の立地条件と職人の皆々様の一件おおらかでいて頑固ぞろいな脳筋がそろい踏みな為に金子程度が詰まれても『だから何』でスルーする技術が世界有数だからでございます。

 幸か不幸か、こちらの工房に関してはちょうど店主が代替わりを果たす所であった事や後継者問題。本人を含めた周囲にそこまでの技量がない事、加えてタイミングが良かった為に買収されたと言う現実問題の為に、たまたま依頼を受けて学園都市を留守にしている私共の後を追いかけて。たまたま、こちらの工房を悪戯に買収した、偶然にもお友達を誘っておいでになった貴族のお嬢様が値引きを条件に引きずり込んだと言う次第でございます」

「……キャシーなら、それを蹴る事もできたんじゃないの?」

「私の問題ではなく、こちらはギルドからの指示でございます。財政緊縮と言う言葉もございますし」

 つまり、キャシーに言わせるとギルドの提案的指示があったのでこの話に乗ったという事らしい。

 もっとも、その案は別に乗らなければならないものでもなく。かと言って、避けていたとしたら後々に面倒となる事が判っていたからだと言う。

「ブーリン家は、確かに一蹴出来る程度の典型的な貴族ではありますが……かと言って、目の前をうろちょろしてうっかり事故でも起きました場合。その対処による手間を考えるとうんざりするほどであると想定できますので、可能な限り早急にお帰りいただいた方が得策であると進言させていただきます。

 無論、アインス様に可能な行動であると言う事でしたら是非にお願い申し上げたいところではございますが?」

「いえ、無理です」

「無駄に爽やかに言うのはなんで……?」

「思うんだけど……安易な自己犠牲って愚かな奴のやる事だと思うんだ。そもそも、あいつらって基本的に獲物以外は存在認知すらしないからね!」

 ものすごく断定的に言うが、その内容は明らかに己より上位の貴族や女性を相手に使う台詞ではないだろう。

 僻み根性がそこに全く紛れていないと言えば、少々嘘になるかも知れないが……かと言って、間違いでもないと言う事なのだろう。

 と言うより「何を言ってもあいつ等の耳と脳みそは自動的なんだよ」と妙な笑顔で言われてしまうと「一体全体、どんな目にあったの?」と聞きたくなって危険だ。

「えもの……」

「いやあ、完全獲物だろう。アレは。

 どう考えたって、無理難題なのにな」

「無理?」

「最終的には相手を取り込んで結婚くらい考えてるだろうけど、何しろ相手は貧乏侯爵家の御令嬢で直接は何のつながりもない。繋がりが全く無いのは伯爵家の御令嬢も一緒だけど、あっちは貧乏じゃない代わりに唯一の正当な血筋の持ち主だから嫁に行くなんて事は出来ない……伯爵家は基本血筋重視の北邦系だからな。侯爵家はどっちかと言えば北邦よりだけど東宝系ってのもあるけど、そんなものに拘ってられない経済状態だし?」

「ふ、ふうん……?」

 これは本人達の前でうっかりでも何でもなく口にして良い事なのだろうかと秋水が思ったとしても、無理はないだろう。

 何しろ、秋水曰く貴族階級とは無縁の世界で育ったのだ。歴史書の中で貴族を相手に行った言動で簡単に首をはねられたりする事など、話の中だけだとは言っても知識として存在する。

 もっとも、貧乏侯爵家のレディ・リリアント・マイソロジー侯爵令嬢は一見すると典型的な高慢ちきな貴族のご令嬢に見えるが実家は火の車でそんな権限はないし。何より、秋水は知らなかったが前より若干……そう、少し様子が異なるように見えなくも無い。本当に若干と言う所が悲しい所ではあるのだが。

「そこで、もう一言追加されるとポイントが加算されるのですが……大変残念でございます。アインス様」

「……いたんだ、キャシー」

「先ほどおりましたが、何か?」

「イイエベツニ」

「なんで棒読み……?」

「キニシナイデクダサイ」

 秋水にはピンとこなかったようだが、キャシーには何となく飲み込めた様だ。

 つまり、上位者と下位者の違いだと一言で済んでしまう程度の事。要するに、一部嫉妬。

 大多数は尊敬だろう、間違いなく生活能力でもギルドでの能力でもランクでも年齢……はさて置いて、圧倒的な経験値とそもそものスタートラインが異なるのだからアインスにキャシーほどの実力を求めるのは愚の骨頂と言うものだ。それでも、やはりアインスとて数年は一人で生きてきたと言う自覚的な自負がある。

 残念ながら自慢ではないし、仮に自慢だと言われればキャシーは鼻で笑う事さえしないだろう事は想像に難くない。

 実績無き高言など、所詮は世迷言。

 だけど、それでも人と言うのは目の前に手が届くかも知れないと思う目標があれば頑張って手を伸ばすし。逆に、数百年かけても届かない目標ならば諦めてしまう風潮があるものだ。例え、目指していても「いつか出来るかも知れない」と言う言葉のヴェールで覆い隠してしまう事もあるだろう。

 恥ずべき事だとは、キャシーには思わない。でも、逆の立場になればアインスの悔しさとか情けなさとか、性別の違いとか経験値の差とか、色々なものが渦を巻いているのがよく判る。

「お気になさる事はございません、秋水様。

 さ、アインス様もその様な顔をなさらずに。どかんとレン・ブランドン様にいつまでも遊び惚けてないで人の邪魔をせずにリーダーの言う事を聞け、と土足で踏みにじるように命令をされれば憂いのお顔も晴れるものではないかと……」

 つまり、心中複雑なのだ。

 別に義務でもなんでもないし、別に放っておいても構わないといえば構わないが……。

 正直、鬱陶しいし仕事の邪魔になったりすれば手間も面倒も増えて厄介だ。

「勘弁してくんないっ? 投身自殺してみじん切りになれって言うのっ?」

「おやおや……あの程度を裁けないようですと、今後についてはいささか期待はずれになるかも知れませんね」

「……そ、そんな事で誤魔化されないよ!」

 キャシーは、ここでアインスが受けても避けても気にするつもりは無かった。

 ただ単に、めりめりと落ち込んでゆくアインスの気分が他所に向けられるのならばそれで良かったのだ。

 少なくとも、鬱陶しさは軽減する。

「しかし……レン・ブランドンってモテるね」

 秋水が横目で見ると、ごてっと飾り付けた。些か品を疑うドレスを着た女の子と、品も質も良いけれど些か古そうなドレスを着た女の子に挟まれたレンと、その周囲で通常運行のドーンと、それらを見て困ったように見つめている男装の麗人を見ていると言う混沌とした空間があった。

 当然、本来の工房の人達は片隅で困った様子を隠さない。

 何しろ、どうやら派手なドレスを着た女の子の家がこの工房のオーナーの様で「まあ、わたくしが居ると言うのにそんなものを振るってドレスが汚れたりしたらどうしてくださるんですの? 別に、この程度のドレスの1着や2着がどうなろうと構いませんけれど……汚れたドレスを着て街中を歩けとでも言うおつもりっ?」と脅して……まさしく脅している様に秋水には見えたのだが、作業を止められていた。

 ちなみに、そんな金切り声を上げた直後で「ねえ、レン・ブランドン様ぁ」としな垂れながら見せびらかすような胸を押し付けつつ腕に絡んでくるのだから「女の子って怖い……」とか、アインスが呟くのも無理はないだろう。

「そりゃあ……ねえ?」

 何しろ、放っておいても女の子の集まる顔。実家は王家ともつながりのある公爵家、成績は優秀で腰に刺した剣に相応しい腕の持ち主、加えて紳士的な態度を相手の家格に関係なく行うのだから問題だ。

「よく、貴族には生まれる前から婚約の話とかってあるけど。やっぱりレン・ブランドンにもいるのかな?」

「どうなんだろう? 聞いたことはないけど……キャシーは知ってる?」

「そうですね……取り急ぎ、沈黙を持って返答とさせていただきます」

 ここで「おや?」と秋水もアインスも思ったが、どうやら女の子達は聞こえていないのか聞かなかったのか反応的にはいまいちだ。

 何故なら、キャシーは「あえて答えない」事を選んだのである。

 ここで「知っている」とも「知らない」とも言わず……答えとしては「知っているけど今は言えない」と言うのが正しい。

 もし、今この場にレンがいなかったら地獄耳を発揮して女の子達は突撃したかも知れない。

 つまりは「そう言う事」なのだ。


レンは基本的に、幼い頃から老若男女に付きまとわれている関係で日々を安心出来ない状況やら環境だったりします。善意的な敵とか悪意ある身内なんかも普通に居ます。この場合の身内と言うのは、血縁関係者だけではないと言うあたりが所詮はおぼっちゃまです。

だから、職人都市でのレンはものすごくのびのびと羽を伸ばしていたりします。久しぶりに女の子に囲まれると思うと辟易してるのですね。


では、次回予告。

「初めて入る工房、これがスタンダードだと思うのは初めてだからです。もしも最初にクオリティの高すぎる低すぎるところにはいると、その後の絶望感は半端なくなりますが、途中でそういうものに出会ってもやはり絶望するものなのですよ」

とか言うのは、人生でたまにあります。

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