78 命を守る優先順位
貴方には大事なものがありますか?
それは何ですか? 人ですか?
人だとしたら愛する誰かですか? 子供ですか?
でも、まず一番最初に守ってください。
一行が船を降りたのは、秋水には見たことがある様な気がするけれど。もしかしたら、実は一度も来た事がない所なのだろうかと疑問符を持つには十分な場所だった。
都市は、最初に都市計画が作られて以降に厳密に定められた建築物の形状と言うものがある為に一般市民の住居となると、もう右を見ても左を見ても迷路さながらと言った有様で似たような場所は物凄く多い。迷子になるのは当然と言った感じで、観光都市の面としては都市をまるごと一個使った超巨大迷路としても売り込んでいるのだから広報の勝利かも知れない。
それでも、やはり生まれた時から住んでいる人々にしてみれば「全然違うし」と言う事になるのだから慣れと言うのは不思議なものだ。
「慣れって言えば、最近は僕もシュースイの顔に慣れてきた気がするよ」
「それは『どうもありがとう』って言うべきなのかな?」
「いやあ、だってシュースイみたいな顔かたちの人って滅多にいないし。いないとは言わないけど、少なくともうちのクラスにはいないんだよ」
「……そうか」
ため息をつく以外に何をどうしろと言いたいのか、と秋水は思う。
確かに、秋水は完全に黒髪の黒い瞳をしたのっぺり系の顔だ。凹凸が体も胸も激しい白人系だったり東欧系だったり黒人系だったりする人と見比べてみたら何と言うべきか……薄い? と言われても反応の仕様がないと秋水は思う。
「そうだな、俺もアインスが日々失言を繰り返してラーカイル先生とかレン・ブランドンとかキャシーに色々と遊んでもらってる姿を見るのが慣れてきた気がするよ」
秋水は、己が決して強いとは思わないけれど意識を切り替えるのは悪い事ではないと思う。
現実逃避との違いを尋ねられたら、正直答えにくいと言うか答えられないのが悲しい所ではあるが。
「ぐは……すみません、もう言わないから勘弁してください……」
「え、そこまで?」
幾らなんでも反応しすぎではないかと言う気がしないでもないが、周囲の人達曰く「軽く死んでた」最中に何かあったのかも知れないと思い込んで自らを無理に納得させるのは難しい事ではなかった。
「ええ、まあ……ちょっと実家に帰ろうかなって思う程度の事は……」
「ええっ?」
キャシー情報により、アインスの実家に関しては多少聞いて知っている。
貴族と言っても名ばかりで世間一般の平民の方が若干良い暮らしをしているとか、家族や親戚が沢山いる事もあったり特にこれと言った特技が無かった為に子供達の中で埋没するのが普通であるとか。
実は、その透過技術がアインス特有の技術らしいが……詳しい事は見た覚えがない秋水には判らない。
そんな環境で育ったアインスにしてみれば、学園都市スカウト組としては大きな。大きすぎる好機だ。行儀見習いや半物見遊山で入学したような金持ちや貴族組より余程根性が座っている、筈だ。
「なんてね、大丈夫。
こう見えても、まだ研究室での研究も終わってないし。少なくともアレだけでも完成させないと死んでも死にきれないしな……ふふ……ふ……」
何だろうか、何か押してはいけない精神のスイッチが押されたかのような形相になっている様に見える。
「へ、へえ……俺、そう言うのって経験ないから判らないけど。研究室ってどんなの?」
「僕はドーンの研究室にいるんだ」
「そうなんだあ……って、ドーン?」
「そう、ドーン」
「ドーンに何か用? 話しかけたら……」
何やら、こちらも目が血走っているというか。確かに邪魔したら血走るかも知れないと言う形相だ、正直「普段の貴公子面はどこいった?」と捜索願を出したくなる程度には人相が悪い。
きっと、船と言うある意味の密室空間から連れ出されて機嫌が悪いのだろう。最後までドーンと船に居残ろうかと冗談のレベルがどこなのか判らない台詞をはいていたりしてちょっとした攻防戦になりかけたりしたのは遠い昔ではない。
「ええと……研究室って奴の話を聞いてたんだ。俺、そういう経験ないから」
「……でも、シュースイのいた所では学校に入るのは義務なんじゃなかったか?」
ドーン本人への問いかけではなかったせいか、若干レンの機嫌が軟化した、かの様に見えた。かも知れない?
「そう言うのもあるし、国とかによってもかなり違うけど。俺の居た所は7歳から9年間が義務教育で、それ以降はそれぞれの事情ってやつ。大体の人は義務教育の後で3年追加するのが普通だな、でも研究室とか言われる様な所に行くには追加で4年の学校に入らないと縁がないんだ」
「なるほど……特定の年齢までが義務って言うのは、地方でもまったくないわけじゃないな。と言っても、私塾で勝手に教えるのが普通だからアレだけど。意外と農村地域でも最低限の学習能力は必要だったりするんだ」
「だったりするんだ? アインスも必要だった?」
「ああ……今日はこれだけの獲物を取ってこないと飢え死にするかも知れないと思えば、必死で覚えるよ……」
押してはいけないスイッチ再びっ?
片やどんより、片や……な空気に挟まれて秋水は困った。物凄く困った。
しかも、こんな空気の中でもドーンは褒め称えたくなるほどに通常運行だ。いっそ、実は周囲を認識していないのではないかと邪推したくなる。否、邪推ではないのかも知れないが。
「しかも、ちゃんと獲って来た獲物のうち余剰分は現金収入に替えておかないと何か合ったときの対処が出来ないあろう? 小さい頃は良いように使われたりもしたんだぜ……嫌な思い出だな……」
どんより度がアップされて、内心で「うわあ」以外に何を発言したら良いのか心の底から困ってみる。
幸いなのは、レンはすでにドーン以外への興味がなくなったのか何も言ってこない所だろうか。
「か、体で覚えるって大事だよな……?」
若干、声が震え気味になるのは仕方が無いだろう。
こんなに重たい話を聞かされてどうしろと言うのかと、内心で思うのも仕方がないだろう。
アインス本人が「まあなあ」と流してくれているかまだ良いけれど、これで更にツッコミ不能な会話に持っていかれたら秋水のツッコミレベルでは太刀打ちなど最初からしたくない。
何より、秋水には時間と言う大いなる味方が居たのも助かった理由の一つだ。
「この先から職人街に入るから、あんまり余計なことは言わないように……特に、レン・ブランドンは!」
いきなり、きりっと豹変したアインスの態度に浮かぶ疑問符。
そう思うのも無理はないのか、アインスは聞かれる前に答えてくれた。親切である。
「レン・ブランドンはドーンが絡まなければそこそこ使える人材なんだけど、ドーンが絡んだら途端に駄目男になるんだ。だから、今から釘をさして駄目可能性を回避する努力をしなくてはならないんだ」
「……それって、駄目になるの前提でいってないか?」
「仕方ないじゃないか! それでも『一応釘は刺しました』って前提が欲しいんだよ!」
ものすごく、苦労しているのがにじみ出る台詞である。
「て、こんな事してる場合じゃないな……そろそろ行かないとキャシーに何を言われる事やら……」
「ご希望とあらば申し上げますが?」
「「うわあっ!」」
秋水が「どこから出てきたのさ」と聞けば「ずっとお側に控えておりましたが?」と言われそうな距離感で言われてしまえば、驚くなと言うのが無理な話である。
「おやおや……お二人とも大丈夫でございますか? もう少し時間がかかるかと思っておりましたが、以前より速度が上がりましたね、アインス様。
良い傾向であると判断出来ます。この調子を向上させてください」
「はあ……」
悪気は無いと思いたいが、普段が普段のためか褒められてる感がないのは気のせいだろうか?
「ところで……まさかとは思いますが、レン・ブランドン様もおいでになるのですか?」
「まさかってのは、どういう意味かな? キャシー?」
「話が面倒くさそうな気配が致しますので、可能であれば今すぐUターンしてお戻りいただけますように、お願い申し上げたいのが実情でございます」
はてさて、それはどう言う意味で言っているのだろうか。
そう思ったのは秋水やアインスだけではなく、当事者であるレンも思ったらしい。
おまけに、何となく理解出来てしまったらしい。
「何とかならないのか?」
「過分の評価を頂きまして、大変心苦しいのは確かでございますが……何分にも、この一件につきましては片手間で何とかなる範疇を超えておりますので。私の本来の業務を損ねる可能性が高い問題につきましては拒否権を発動させていただきます」
確かに、キャシーはメイドだ。
しかも超がつくくらい優秀なメイドだ、だから期待してしまうのは仕方がない。
けれど、今のキャシーのメインとなる仕事は「秋水の世話兼護衛」だ。それを妨げる可能性のある問題が発覚したからレンの問題対処に動きたくない、と言うのは……判らなくはないけれど。
「出来てもやらないと言ってる様に見えるが?」
「まさか……ただ、秋水様をお守りし、お世話させていただくと言う主たる業務の妨げとなるのでしたら戦うのが私の使命と言うだけの話でございます。
何より……」
そこで、珍しくキャシーは少しだけ視線を巡らせてから考え込んだようだ。
普段から考えれば、これは珍しい行動であると言える。
「上手く利用する事が出来れば有利に事を運ぶ事が出来る可能性がございますし、孤立無援という事でもございません。何より、自業自得でございます」
キャシーの言葉に苦虫を潰したような顔をしたレンは、一度大きなため息をつきながらドーンをぎゅっと抱きしめて。
離した。
「行くぞ」
「では、皆様どうぞこちらへ。
まずは、皆様のお召し物についてシチュエーション・トータル・コーディネイトをさせていただきます」
「シチュエーション・トータル・コーディネイト?」
「はい、アインス様。
一般的なギルドでは個々の個性と特性を生かした品々を用いる事で状況に対策を立ててまいりましたが、新しく研究された論文に「相互による副次影響」と言う発表が少し前に出されました。それに伴い、ギルドと連携を図り二次作用の研究を進めております」
「進めて……おります?」
「はい、理論上では幾つか確立しているものもございますが。実行に移すにはなかなか……」
「実験動物っ?」
反射的に叫んだ秋水をちらりと見たが、特にキャシーは反応したわけではないらしい。
「その分、価格に反映されるからなあ……」
アインスが考え込んでいるのは、どうやら数字が駆け巡っているという事なのだろう。
「とは言っても、必要経費ですのでアインス様がお金を出すわけではないのですが……」
「止めないの?」
「お止めする理由がございませんし、好奇心は大切にするべきでございます。彼が情報ギルドに所属していないと言う事でしたら、もう少しこちらとしても対応は考える余地はありますが……」
「キャシーって、優しいよね」
大概的な顔になったレン、考え込んでいるアインス、通常通りのドーン。
先だって歩いているキャシーは反応こそなかったが……その無反応こそが反応と言えるだろう。
「……何の事でしょうか?」
「でも、ちょっとスパルタも入ってる?」
「……では、皆様お疲れ様でございました。
こちらがギルドからの指定店舗となります」
まずは、自分自身を。
そして、大事な対象者を。
守るべき相手を守る為には、貴方自身が二本の足で立ち続けなければ守る事など出来ないのだから。
では、次回予告。
「名も無き通りすがりは何を思うのか、彼は記憶から削除したがっていた日々と言う名の現実。けれど義務だと思えば耐えられるのは心がそこにないからだと言う事を彼女達は知らない……」
と言う事も、世の中にはあるかも知れない。




