70 扉はなくても開くようです
海に近づくと、独特のにおいがする。
潮の香りと言うが、実際には海で死んだプランクトンなど微生物のものだと聞いた事があるが、どこまで事実かは知らない。
ただ、懐かしい匂いである事に違いはない。夏場の蚊取り線香と同じ。
でも、職人都市レイニアス・シティの地下水路は完全浄水システムが完備されているので汚物も小動物も匂いまで除去されてます。風情がない?いやいや、生活第一ですよ。
「つまり、この地下水路は謎の発生源ではないかと言うのが私の得た情報を元にラーカイル様、ドーン様のご意見となります」
「……え?」
それって、俺を餌にしたっていいませんかね?
「キャシー……一つ聞きたい事があるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
周囲は、暗い。
視界を遮るものは多く、耳につくのは川のような水の流れだ。
悪臭は特にしないが、これが綺麗にされた水なのかも知れなくてもあまり近づきたいとは思えない。
「キャシーに俺を世話させているのは、一体誰?」
でも、秋水には見える。
「ギルドの関係者であると、伺っております」
知ってるかも知れないとは感じたけれど、追求するのもどうかと言う気はしないでもない。
何より、聞いたところで人物名が知って居る人ではない可能性のほうが高い。
「ギルドから依頼されたけど、依頼人の名前は聞いていないって解釈で良い?」
「はい、間違いございません」
調べれば判るだろうと言う気もしないでもないが、それを聞いたところで何かする気になるかどうか。
正直、判らない。
面倒だからと言うのもあるが、本気で判らない。
「あのさ……怪異はここから出てるって事?」
「可能性はございます。ですが、このレイニアス・シティは河川や水路が縦横に走っておりますから悪事を働いたりする者が潜伏するにはうってつけである事は確かでございます」
そんな所を無造作に歩いていて大丈夫なのだろうかと思うのは、普通の感覚を持っているのならば当然だろう。
「問題はございません、少なくとも水位が上がればこの水路は歩くこともままならぬほどの水量が流れます。彼らが拠点として使用するには一日に何度も出入りを繰り返さなくてはなりません。その様な場所で落ち着いて時間を忘れながら宴会しつつ悪事を働くのは些か面倒ではないかと思われます」
確かに、そんな面倒な事を一日に何度もするとなると面倒な事この上ない。
どうやら水位が海面より低いらしく一日に何度も水面が上昇するらしい。町のあちこちにある広場は水面が上昇する度に水に晒されると言う事で、同時に掃除の必要があるけどないと言う事なのだそうだ。海の側にある広場や波止場ならば掃除の手間がかかる前に波に浚われてしまうが、町の中心部となるとある程度は流れに浚われても流れによってはゴミのたまりやすいところが出来ると言うのが理由らしい。
「そうなると、この水路に人は居ないって見ても良いんじゃ?」
「これがまた小ざかしい所ではございますが……その時間を避ける事さえ出来れば、立派に雑多なものが居つくには不自由のない所でもあるのです。無論、場合によっては水中で生活する事が出来るようになればこの地下水路も物件としてみる事は可能でしょうが」
その為、この町では地下や1階に部屋を作る行為は基本しない。せいぜい、2階が玄関扱いで3階以上が住居と言うのが普通だ。それでも、以前は2階に部屋を作っていたこともあるし、これから先にはもっと上の階にでもならなければ人が住める環境ではないかも知れない。
「水中生物な種族って居ないわけ?」
秋水の持っている知識では「存在はしている」と言う意味では居ると答えているが、それが必ずしもキャシーの知識や認識と合致するかと言えば、そうでもない。
自然界には元々種族として分け与えられた名前があるが、それが必ずしも社会的に使用されている名前と合致するかと言えば、そうでもない。
言うなれば、最初の発見者がつけた名前と学名が異なるみたいなものだ。
「居ない、とも限りませんが。そうなれば地上と接触させる為には半人半漁である必要がございます。残念ながら、今の私には魚類と地上生物形態の存在の繁殖方法は存じ上げないものでして……」
「生々しいよ!」
キャシーの推奨出来る点は可能な限り嘘をつかない所ではあるが……恐らく、言っていない事も多くあると思われるが。それでも、秋水を陥れる気配が全く無いところだろう。状況がそうさせていると言う都合もあるのだろうし、他にも好奇心を刺激するなどの理由はありそうだが、だからと言ってそれが推奨出来ない理由にはならないと言うのも、また事実。
「それ以前の問題として、魚類関係となりますと意思疎通に対してはかなり問題点が……」
陸上で生きる種族同士や鳥系種族との付き合い方でも十分であるわけではないのだから、確かに余計な問題を持ち込むのは遠慮したい所だろう。
「何より、別に魚類でなくとも問題はございません。海洋系と言う事でしたら魔物系を使役すると言う手もございます」
「魔物……ああ、そう言えば。そう呼ばれてるのも居るね」
偏に魔物と言っても、例えば獣人とはまた異なる種族。
どちらかと言えば、人や獣人と呼ばれるのが物理的な法則に近い存在ならば魔物と呼ばれる存在は基本的に流体系生態と認識される存在。魔力に近い精神に流され易いと言われている。
厳密には、もう少し違う構成組織と成分である事を秋水は知ってはいるが……残念ながら、それを理解しているのは頭の中だけであって上手く誰かに伝える手段を持っていないのは残念と言えるだろう。
もし、それが出来るのならば秋水はこの世界で歴史に残る学者として後世に伝えられただろうから。
「使役するって事は、そう言う手段があるって事?」
聞きながら、幾つかの知識が秋水の頭の中で展開されるのが理解はしたが……だからと言って上手く質問して展開をする事が出来るとも思えない。
「はい、使役士などと呼ばれる存在が居る事にはおります。ギルドにも登録している事が多いですが、アイテムで使役をする事が出来るかと言う点に関しては残念ながらと言う所になります」
流動体系精神生命体、通称を魔族系と呼ばれる存在は、基本的に気まぐれだ。組成成分のせいだと言ってしまえば納得もされるだろうし、本人も原因など不明だろうし誰もそれを解明しようなどと思った事はないのでどうしようもないのだが……そういう物は、通称で使役士と呼ばれる系統の存在に心惹かれてしまう事があるらしい。所謂、体質と言うものなので基本的には制御出来るかと言われるとそうでもない。
「研究をしている者も僅かではおりますが、かと言ってその研究も片手間な事が基本なので遅々として進まないというのが現状です。仮に、研究が進んだとすれば各国が目を光らせる事になりかねないと言うより……」
「進んでいたとしても、隠される?」
使役士と言うのは絶対の数が少ないと言うのもあるし、親から子へと受け継がれるとも限らない。
そう言う意味からも、やはり難しいものなのだろう。研究サンプルが少ないと言う現実は。
「はい、それが使い物になればなるほど秘匿されるのが研究と言うものでございます」
研究者と言うものは偏屈が多いのか、単なるコレクターマニアが多いのかのいずれかだろう。
コレクション系のマニアと言うのは集める事はするけれど、それを公開するかと言えばしない傾向にある。どちらかと言えば、余程の一品が見つからない限りは隠すのは法律に触れたり人道的な問題があったりする事があるからだ。ただし、余程の一品が手に入った場合はその限りではなく、逆に人に自慢したくなると言うのもある。
個人差はあるものだが、研究となると実行をしたくはなっても人に自慢したくなると言うのも当てはまらないという、様々なバリエーションがあったりする。
「国がらみとか?」
「当然の事でございます」
そこにギルドの関与があるかないかは、それは所属ギルドによるところが多い。
大なり小なりギルドと言うものは設置された各々の集落、村、町、都市にあるギルドが基本は独立で自治統括しており。されど、必要とあらば他のギルドからの要請を受ける事が出来る。
レイニアス・シティにも無論、各種ギルドは存在するけれどレインがわざわざ職人都市まで出向いて依頼をしてきたのは、そのあたりが理由だ。当然、レイニアス・シティのギルド関係者はこの事実を好ましく思っていないが……その当たりの問題は親方に丸投げだ。
「よほどの変わり者でもない限り……または、メイド協会や執事協会の様なオープンな方々も少数派に含まれます」
「んん?」
社会通念と言うものが本当に僅かしかない、ある意味では子供でも知って居る様な事を全く知らない秋水にしてみれば、キャシーから聞く事や周囲を見るものは毎日が新しい不思議発見な日々だ。と言うより、日々どころか毎分見つけると言った方が正しい。
そんな秋水の記憶では、メイド協会や執事協会は伝説と謡われたメイドと執事を神の様に崇め奉って集団でひれ伏すと言う一種の宗教と言う認識をしている……関係者に聞かれたら後ろから刺されても文句は言えないだろうと思われるのは「その程度で済ませないでもらえます?」とつめたい瞳で見つめられそうだからだ。
「教会関係者は金銭や物品が絡んでおりませんので、そう言う意味からすればかなり開かれた集団であるとご覧頂く事が可能でございます」
「つまり……ギルド以外での名のある集団は宗教と協会くらいしかないって見方でもいいのかな?」
「はい、左様でございます。
例えば、近所の主婦の皆様や稼ぎ頭の皆様が趣味の集いを行うと行った事をする可能性は基本ございません。必要なものを得たいと認識する方々と、それを用いる方々との駆け引きが行われるのが通常であると認識していただければ事実となります」
そういえば、以前に秋水は熱心にこの世界の本を読み続けてぶっ倒れた際に「本を読むのは趣味」と言った事がある。キャシーは趣味の概念がいまいち判らないのか首を傾げていたが、同時に趣味の集いについては全く理解出来なかったらしい。
隣の家に調味料を貸し借りすると言うのはあるが、それは単に貸し借りをし続けると言うもので対等かといわれると若干語弊があるらしい。もっとも、職人達の間では「破損した螺子の貸し借り」はよくあるらしいが。
「ですが、ギルドの所持している情報や技術、物品などはかなりオープンに世間へ流通していると断言して良いものではないかと思われます」
「なんでまた?」
確かに、周りが有料ばかりのやりとりな世界で唯一無料なところがあるとパワーバランス的にも問題は生じるだろう。そうなれば、有料であるところには付加価値が必要な事になる。
そういう意味からすれば、宗教などは無料と有料の境界線上を上手く渡る最適な手段にはなるのだが。
「統制が取れます」
「……人を指示しやすくなる?」
「否定は致しません。パターンが定形されれば集団を統率する労力は軽減されます……どうやら、ついた様ですね」
かつん、と珍しくキャシーの足音がして。
初めて気が付く事が、ある。
誰も、誰一人。秋水以外の誰もが、足音を一つもさせる事はなく歩いていた。
恐らく、特別に歩いている音を吸収する素材を使っているわけではないだろうし。いちいち消音の魔法を使っていると言うわけでもないだろう、日常的に使われる魔法がないとは言えないし、ギルドの上位者が日常魔法を使う程度でへばったりする可能性が低いのは知っている……実際、アインスも魔力と精神の制御を学べる事が出来ればもう少し効率的な使い方が出来ると言う話はキャシーの弁だ。だから間違いではないだろう。
「…… ここ?」
そこは、幾つか通ってきた通路の一つに見える。少しだけ開けているのは、他の通路から繋がっているからだろう。見た目には判らないが、足の裏の感覚的に水が通るように若干の角度が着いているのがわかるのは先見の名があったのか、それとも単なる地形故の偶然かは都市を作成する当時の地図と見ない限りは判断がつかない。
「ある意味では『そう』だし、ある意味では『違う』かな……距離と方角的に、そろそろ何か出てきてもおかしくない。ある意味で相応しい位置に出たって言うだけだし」
「レン・ブランドン……」
混乱状態から一気に脱したのは、心身ともに落ち着いてきたからとも言います。
とは言っても、社会的通念常識など欠片もなかったので数日から数週間そこいらでは何も判断など出来るものではありません。日用品だって把握しなくても生きていけるのはキャシーのおかげです。
では、次回予告。
「今回は大台70回でした!だけどやっぱりこれと言って特に何かやる事はないんだけどね、100回になったら前回50回記念で書いた無関係な短編でも公開する?しちゃう?ご意見を95話更新時点まで募集してみるよ!って予告になってないじゃん」
次回はちょっとバトろってます。




