63 参考資料は適度が良い
昭和50年くらいの頃、参考書はゆとり世代の何倍も分厚かった様な気がする。これは僕の上がその世代だからなのだが、それから30年ほどたった今の参考書はどれだけの厚さなのだろうか?
参考書の厚みで学力や勉強量が変わるわけではないのは、結局は当事者がどれだけ行うかに左右されるからだ。
でも、足りないよりは多いほうが良いのかも知れない。多すぎると、今度はどこに手をつければ良いのか判らなくて困るのだけど。
ラーカイル医師は、笑顔が基本である。
「足りません」
そして、一刀両断である。
他の面々が親方を相手に会談をしている最中、ラーカイル医師は「何やら騒がしいですねえ」といいながら先ほどのサンプルを相手に格闘していたらしい。ラーカイル医師の部屋と親方の部屋は直線距離でも結構あるのだから不思議に思うと、どうやらキャシーがラーカイル医師の部屋の側でも捕り物をしていた様で「あまり即座に纏め上げるのもどうかと思いまして少し遊ばせて差し上げたのですが、どうやら質の低下はあまりにも酷すぎた様でして」と言っている当たり、モルモットを甚振る猫の様な事をしたのだろう。
恐ろしい話である。
「何しろ、ご覧頂いている通りにほとんどシュースイ君が召し上がってしまいましたので……サンプルとしては残念ながら必要な量ではないのですよ」
「でも先生、ある程度は何か判ったんじゃないの?」
「とりあえず、生命力は馬鹿みたいに強いです。レン・ブランドン君が言う情報と言うのは見た目からくらいしか判別着かないと思いますが、これは水陸両用系ですが進化に関しては不得手の様ですね。機能的に切断されているのでわかりませんが、うまくいけば光に弱い可能性がありますが、これは水中系生物にはよくあるパターンです。ただし、彼は陸上でも死なない程度の生命力はあるみたいなので即死と言うわけにはいきません。今でも細胞は生命反応を持っていますが、この程度ならば問題がないと言う感じですかね……増殖率に関しては今後の課題と言う事で研究をする必要がありますが、シュースイ君が反応しないと言う事は?」
「何だかレーダー扱いされてるっ?」
「ほとんど食べちゃったのは君なので、その当たりは当然として受け止めてください」
ストレートに言われてしまえば、残念ながら否定する要素はない。
ついでに言えば、周囲には秋水の味方は存在しないらしい。当然と言えば当然だが。
「培養する事は出来るかも知れませんが、その場合には変質する可能性があります」
餌は何がいいですかねーと言っているあたり、なんだか恐怖心を覚えるのは気のせいだろうか?
「切り取る事はドーン君の行動で証明出来ましたが、普通の武器で切り取れるかといわれると少々問題が……」
「問題?」
「ええ。火が効かないので付与魔法は無意味ですし、風で切ると言う事も出来ますが血液を浴びたらどうなるか保障が出来ません」
ちらりと、秋水に視線が集まる。
生で丸齧りをした際、血液とも言うべき体液が服や皮膚についていた筈だ。
「秋水様ご自身に問題はございませんでしたが……衣服が少々」
「少々?」
「溶解しました」
「溶解!?」
「平たく言えば、溶けました」
用意していたのか「こちらがサンプルでございます」と言って差し出した服は、確かに溶けている部分がある。
幸いなのは、血液が付着したと思われる部分だけが溶けているのであって水分みたいに染みて広がると言う事はなさそうだ。
「検証したかったんだが、サンプルが足りなくてね……しかも、ドーン君が相対した存在も全部見えていたわけではなくて部分的だったらしい。と言う事は、本体は奥に居て職種的な部分だけが地上に現れたと言う事が考えられる。水中生物には常識と言っても、光が効く可能性があると言うのは、それが理由だ」
「ですが、ラーカイル様。
そうなると、光が効いて火が効かないと言う方式は成り立たないのではございませんか?」
「良い質問だ……と言いたいが、これは火や熱には耐性があると言う方式を採用したい。
何度も言うが、サンプル不足で推測の域を全くでないんだ」
「なるほど……でも、少なくとも切る事が出来るって事は、町で少し武器を仕入れたほうが良くないですかね? 今回は調査メインだって聞いてたから、迷宮仕様装備なんですよ」
大きな都市から来た話だったから装備を選んで持ってくる事が出来たのは、単に派遣先で仕入れる目論見がついていたからであって普段から行く先々で手段を手に入れていると言うわけではない。特に、今回はアインスが行った様に「様子見がメイン」と言うのは最初から判っていた事だから、人やある程度の獣人を相手にする事は出来るが、そもそも生命体としてどこまで認可して良いのか判断に困る様な物体を相手に出来るほどの装備はしていない。もし、これで本格的に調査及び原因の殲滅を行うのであれば、少なくともこの面子では絶対的な人数が足りないし、何より各々の立場等の問題もあるから学園都市が許可を出さないだろう。
一応、ギルドでは色々と仕事によって異なるが最小パーティは三人以上が推奨されているし、上位ランク保持者が三人も居るので傭兵家業なら一つの都市を襲い掛かって支配下に置くことは出来る。とは言っても、この場合はその限りではない。
そう、相手は人とは限らないのだから。
「アインス君、君に武器が使用できるなら構いませんよ」
ラーカイル医師の言葉に感情は感じなかったが、同時に期待していないと言う見方も出来る。
確かに、戦闘系のカテゴリーに関してはほとんど皆無に等しい評価しかされていないのだから仕方がないと言う事も出来なくはないが、ラーカイル医師は一つ勘違いと誤解と思い違いをしている。
「手斧なら使えますけど?」
事も無げに言うのは、自信よりも自然に身についた当然の常識としての言葉だからだろう。
呼吸をしたり手を振るのと同じ、出来ない方がおかしいと言う感覚に近い。
「意外なチョイスですね、アインス様……」
アインスは複雑そうな笑い方をしたが、北邦のほぼ平民な下級貴族生まれのアインスとしては手斧を使って森に入って薪を拾う事も、罠を仕掛けて動物を獲る事も、獲った動物を捌くのも、基本は手斧だ。もはや親友と言っても良い。友達がいないのか、などとは間違っても言ってはいけない。
本人的には戦いには向いていないとは言うが、もしサバイバルな状況に陥ったら一人で生きていけるだけの経験と能力はあるのだ。ドーンの研究室所属は、実の所を言えば本人の自覚と認識さえ除けば伊達ではない。
レンはドーンにすら明かしていないし、別に内緒でもなんでもないがレンの試験を受けてドーンの研究室に入った者はどんな試験内容だったのか口を割る事は決してない。
別に、レンの鬼畜非道さんな態度に心がばきぼきに折れてしまったからではない。だが、誰も何も言わないので理由はやはり不明だ。
「じゃあ、サンプルの問題もありますし。一度仮調査をした上で正式な返答を親方にするって事でいいですか……って、何で雑巾片手に近寄ってくるんですか、キャシー……ラーカイル先生も……なんでピンセット……」
宣言するように言葉を発したアインスは、何もしていないのにじりじりと後退せざるを得なかった。
なんだか、片や完全なる無表情メイドのキャシーと、片や笑顔無表情が基本のラーカイル医師が揃ってじりじりとアインスに近づいてくるのだ。
しかも、片方は雑巾を手にして、もう片方はピンセットを片手にして。
「なんでですかねえ……アインス君、君に仕切られてると何やら無性に腹が立つんですよねえ……?」
きらりんと光る片眼鏡をしている姿は、アインスにとってこれまでと何ら変わる事の無い姿だ。
それでも、何やら物騒な事になりそうだと告げている第六感に逆らう気はさらさらない。
「ラーカイル様もでございますか、奇遇でございますね。私も珍しく無性にアインス様が場を仕切る事に苛立ちを覚えまして……何故でしょうか?」
そんな事聞くな、と言いたくなったのはアインスだけではないだろう。
「ええぇっ?」
そんなの知るか、とも言いたかったが賢明にも口をつぐんだ。
アインスにしてみれば、別に場を仕切りたかったわけではなくて確認しただけのつもりだ。それを「気に食わない」と言ってじりじり近寄られたら良い迷惑この上ない。
何より、このパーティーメンバーは灰汁も強ければ個性も強い。個々の実力は各分野で天井知らずで協調性もある……とは思いたいが自信は無い。と言うよりも、なんだかアインスは弄ばれ要員としてこの場にいるんじゃないだろうかという気がしてならない。
「別に、アインス君の事を買いかぶっているわけでも下に見ているわけでもないんだけどね?」
笑顔が基本の無表情とは、実際は恐ろしいのだとアインスは思う。
人形なんて高価な品物に近づく機会もないのだからじっくり見たことはないが、人と見まごうほどの精巧な作りをしていると言う人形は、もしかしたらラーカイル医師の様な顔をしているのだろうかと言う気すらする。
「ん? もしかして今、何か不穏なことを考えたりしませんでした?」
「いいえ、全く。これっぽっちも!」
全力で回避させていただきます、と言うより回避します。
全身で全力を持って逃亡を希望しているのは見ていて判る筈だが、笑顔で「そうですか」とか言いながら対応が全く変わらないのは教職員の立場としてどうなのだろうか?
「私もラーカイル様の言葉には珍しく賛成させていただきます、私も別にアインス様を下位ランクの癖にとか大手の後見がついているわけでもないのに生意気な、とかは考えておりませんよ?」
いや、それは思ってるからの台詞じゃないんですか!
うっかり口が開きそうになって、慌てて唇に力を込めてじっと我慢をしたアインスは自分自身に拍手を送りたくなった。
あえて言うなら「ぶらぼー、俺」とでも言えば良いだろう。
「当然ではありますが、末端とは言え情報ギルドに籍を置く以上は一般市民よりもはるかに多くの情報を入手されていることであると期待しております」
「き、期待……ですか……?」
しごくシリアスに顔を頷かせるが、そんなキャシーの無表情さにいい加減慣れてきてしまった自分自身の心中にこそ、本当は拍手喝采をして差し上げるべきなのではないかと唐突に思うアインス。
「勿論です、若き情報ギルドの先鋭として多大なる期待をかけております」
しかし、何故かラーカイルもキャシーも表情も態度も全く変わらないのがアインスの神経には「全力回避」以外の信号を送ってこない。
「あ」
と、ここでアインスへ救いの手は現れた。
どうやら、いるかどうかは不明などっかの暇と言う噂の神とやらはアインスを見捨てていなかったらしい。
「ちょっと聞いてもいい?」
「……なんだい、シュースイ君?」
「何か御用でいらっしゃいますか、秋水様?」
口調は丁寧だが、二人の心中は恐らくこうだろう。
ちっ、良い所を邪魔しやがって。
ギルドの上位者として二つ名を得ている人達が三人……他のも多少は知っているので、アインスとしてはこの三人を基準にするのはおかしいとは思う。やめろと思う。もしかしたら、世界のどこかにひっそりとコツコツと活動しているかも知れない二つ名持ちの上位者への不敬に当たるとは思う。
が、やはり思うのは「ギルドの上層部って……!」と言うものだが、もしくはこんな風に己の精神を守ると言うのが最優先事項なのかも知れないと思ってしまうあたり、アインスのアインスたる所以かも知れない。
「一つ疑問なんだけど、そうなると俺達ってどうなるの? 立場的に?」
「俺達って言うと……君たち三人ともって言う事かな?」
「ああ。俺は残念だけど生まれてこの方、武器を持って戦うなんて事は経験がねえ……?」
子供の頃から武道に若干たしなんでいたのは言わなければ判らない事ではあるが、それでも化物相手に戦うには決定的な経験地が足りない事や相手の命を奪うことを前提とした戦い方など必要のない世界に居たのだ。
秋水にしてみれば、暫く学園都市で色々勉強をしてから冒険者ギルドとかでバイトなどをして授業料をちまちま稼ぎ、いっそ自分自身で商売を立ち上げたりするのは面白いんじゃないかともくろんでいた矢先に「蓋を開けてみたらいきなり大仕事、しかも己はレベル1の虚弱体質。なんだそれ!」と言う状況だ。
何かの役に立つと思う方がどうかしている……というのが、正直な秋水の考えだ。
「いやいや、あの合成獣生で丸齧りとかする奴の台詞じゃないって」
人間、いってもらいたくない台詞と言うのはあるものである。
「あぁ……と、俺、正直あんまり覚えてないんだけど」
全く嘘ではないが、全くの事実でもない。
それが、実際の所は秋水の真実である。
アインスは基本的に出来る子です。でも育った環境とかの問題で自信系はあんまりありません。そう言う雰囲気は出てるかな?
貴族と言っても跡取りじゃないって言うのもありますし、貴族より平民との付き合いが長いからって言うのも理由の一つです。
本当、実力はあるんですって。周囲が(自己検閲)なので目立たないんですけどね。
では次回予告。
「状況が変われば環境も違うところで精神だって変わるよね?て言うか情報系に携わる者なのにお前って子はぁっ!大人は怒ってますよ!そうは見えないけどね」
多分、ちょうどその頃でそんな感じの出来事があったりなかったりしたのかも知れない。




