5 狂想の協奏曲
たまにハーレムの人って大変そうだなって思う。
八方美人を悪く言う人がいる、正論が綺麗事だって言う。
じゃあ、汚くて無愛想で傍若無人だったらいいのだろうか?
嫌われて生きればいいのだろうか?
嫌いながら生きるのは、結構疲れる事なんだが。
でも、熟成された「嫌い」はとても……。
「キャスレーヌ教師、何か御用でもありましたか?」
状況を打破したのは、レンの一言だった。
実のところを言えば先程から、幾つもの動きはあったのだ……一部の人々が逃げ出したり、扉の外から覗き見したり、はたまた噂をこそこそとしたり、通り過ぎたり。
勇気のある者は何人か声をかけようとして……全て黙殺されたが。
「あら、そういえばそうだったわね……レン・ブランドン君にお願いしたい事があって探していたら、こんな事になっていたのよ」
「お願い……ですか? 僕は今、ドーンと一緒に寮生の義務として宿題を行っているのですが?」
「レン・ブランドン様、その女の戯言など聞く事はありませんわ! どうせ、その女はレン・ブランドン様に色目を使って誘惑する言い訳にすぎませんもの!」
「あらあら……侯爵家の御令嬢ともあろうものが口の悪い……お里が知れるのではありませんこと?」
「なんですって!」
もっとも、実際にリリィの言っている事は正しいので内容そのものは反論しない。
この教師は、確かに色々な意味で問題が多いのは確かだけれど教師としての基本は踏まえている事だけは確かなので今の時点では首になっていないと言うだけの話だ。
もっと、次年度に彼女の席も部屋もないだろうが。
「どうしても、レン・ブランドン君にお願いしたいの。ううん、レン・ブランドン君で無ければならないのよ」
真剣な顔で詰め寄るのは良いのだが……うっかり至近距離に入り込んでしまった人々はあからさまな顔をしている。
「それは……」
「キャスレーヌ教師のお言葉には二つの問題点から、残念ながら従うわけにはいきません」
レンが視線をそらした。そらしただけではなく、僅かに傾いたドーンの恐らく腰あたりに手を回している。
「一つは、寮生の義務は一般的な学園の用事を拒否する権限を持っている事。これは生命及び学園全体に関わる緊急時であると証明されない限りは、一教師の権限で優先される事がないのはご理解されている筈です。
もう一つは……ドーンの具合が悪いので早急に医師の所へ連れてゆく緊急事態が発生しました」
声をかける余裕もあれば話は違うだろうが、きらきらと輝く残滓を残して学園一美貌の生徒は毛布にでもぐるぐる巻きにされているのではないかと思われる学園一の変わり者を運び出て行った……明らかに運んだのであって、決してお姫様抱っこなどと言うハンカチを歯で切り裂きたくなるような状況ではないのだとリリィは内心で己に暗示をかける。
そう、仮にリリィが視線をレンに向けていたから視界に入っていなかったのだとしても。
僅かな端っこに見えた長衣はレンと並べば小柄に見えるのだとか。
レンが回した腕によって体の線は意外に細いかも知れない、加えてあんな僅かな角度でドーンがキャスレーヌ教師の香水にやられて気分が悪くなっている事を見抜いたことだとか、そんな事は……。
そんな事は、決して感づいてはならないのだ。
「レン・ブランドン君ったら……照れてるのね……」
そんなの、こんな脳内お花畑の勘違い女が思い知ればいいのに。
ーーーーーーーーーー
「先生!」
あらゆる手を使ってレンが現れたのは、校内の保健室だ。医療室とも呼ばれている。
この学園都市は情報都市でもあり、様々な事情を抱えた人々が存在する。
レンやドーンがこの学校を選んだのも、ある事情が一つ関わっているからでもあった。
「レン・ブランドン君、保健室ではお静かに……誰かと思えば、そこに抱えているのはドーン様?」
医療関係とは言っても、その内実は研究機関だ。正確には研究機関と繋がっているといっても良い……多くの人が集まる事によって様々な機会が与えられる。それは、何も小さな怪我やありきたりな病気なだけではなく地方の特色や風習といったものに左右される事少なくはない。
だから、もしも研究室に篭って定められた作業をするだけではなく冒険者気質を持つ医療関係者がいれば最適に近いといえば近いし、案外そうの手の医療従事者は割りと多い。
「馬鹿」
「馬鹿だな」
血相を変えてドーンを運び込んだレンの説明を聞いた医師と、その間に回復したらしいドーンは口を揃えて学園一の美貌を誇る男子生徒を一言の元に一蹴した……ドーンは単に化粧お化け一歩手前のキャスリーヌの香水の匂いに気分を悪くしただけに過ぎない。ただし、その前に物凄い力でドーンの腹部を抑えられていたので気分お悪さに拍車がかかったのだ。
ベッドに下ろされて説明されている間に、会話を出来る程度に回復したドーンが馬鹿呼ばわりするのも無理はないと医師は判断した。
「とりあえず、そんな格好でいるより脱いでベッドに横になってしばらく休んだらどうです? その間にレン・ブランドン様は寮生の宿題でもすればいい……ここにもテーブルと椅子くらいはある」
この医師は、一時期公爵家にお世話になったことがある。
ある程度の幼い頃から、ドーンやレンの主治医も勤めたことがあるしドーンにとっては色々な意味でお世話になっている。立場的には親戚のおじさん系お兄さんといった感じだ。
「ああ……」
「ちょ、ドーンっ!」
「焦る事はないだろう……先生は知らない仲ではない」
「そうだよ、今の私は職員だからね。レン・ブランドン君」
「でも、ここはまだ学校で……」
焦っているレンは、いつもとは少し様子が違う。
常ならばもう少し飄々としているのだが、今は焦りまくっている。
どうやら、ドーンの体調は崩れた事で冷静さをかなり欠いているのだろう。
「少し休ませてもらいます、先生」
その声を聞いたことがある者は、滅多に居なかった。
「ああ、そうするといいですよ。ドーン様」
「今は職員ではなかったんですか、先生?」
「私はドーン様のご両親からもお世話になっていますし、少なくとも命の恩人を相手に礼を欠くよな真似は出来ません。それに、他の誰の目があるわけでもありませんから」
光が流れるような、きらめく金の髪。少し赤味がかっている。
稀に見る事がある白さは指より尚白い……普段から太陽の光を浴びていないからだろう。
緑黄石と称される瞳は二重でぱっちりと開いている、まつげは長い。
小さな唇は、けれどすっきりしているが僅かにぽてっとした感じがあって素晴らしい。
白いシャツは清潔感溢れているが、惜しむらくは黒いズボンをはいている事だろう……動きやすさ重視だからと言うのは判るが色気がないにも程がある。それをカバーするつもりがあるのかないのか、リボンタイは可愛らしいメインを赤として両側にピンクのラインがそれとなくあしらわれている。
「ドーン……」
「申し訳ないけれど、少し休んでもいいかな?」
小首を傾げる姿は愛らしく、大変美しい。
もし、この姿でレンと二人並んでいればさぞかし絵になり眼福といわれる事だろう。
それが、長衣と眼鏡を取り去ったドーンと呼ばれた一生徒の姿だった。
「言ってきますが……力の限り抱きしめたり抱き上げダッシュとかかましたら通報しますからね」
「お前……なんて極悪非道な事を言えるんだ!」
脊髄反射かと思うタイミングで発せられた言葉は……ある意味においては予想通りだが、出来れば当たってくれたら全力で神を呪うべきだろうかと思える程度の台詞だと医師は思った。
「そんな今にも血の涙を流すような勢いで言わなくても……やる気だったんですか、レン・ブランドン様……ドーン様は気にしないで休んで、カーテンを閉めれば結界がはられますからね?」
「はい、先生。ありがとうございます」
「ドーン……!」
今生の別れでもあるまいし、といいたくなる台詞はぐっと飲み込んだ。
大人の配慮が出来る事と言うのは、この策謀うごめく学園内では最も基本的かつ有効的なスキルだったりする。
「相変わらずですね、レン・ブランドン様……。
最初、貴方がこちらにいらっしゃると聞いて正気かと疑う程度には嘘だと思ってましたよ」
「言いたい放題だな、こっちに来てから余計に性格が悪くなってあけすけになったんじゃないか?」
「その、ドーン様が居る時と居ない時の性格が違うと言うのもどうかと思いますが……ま、最近はかぶっている猫も巨大で強かになったみたいですし?」
「猫なんて飼ってないぞ」
「ドーン様がおっしゃっていたんですよ、人は誰でも二面性を持っていて対人仕様のものは猫をかぶると言うそうです。
もっとも、ドーン様に言わせればレン・ブランドン様は小波にさえ流されるような存在と思われている様ですが……あまりドーン様に苦労をかけるの、いい加減にやめてくれませんかね?
ああ、お茶でもいかがですか? ドーン様ほどではありませんが、私も多少は嗜むのですよ」
成人前の少年とは言っても、レンの目はぎらぎらとしている。
恐らく、甘やかされた貴族のお坊ちゃまや金持ちの令息では百年かけても出来ない視線だろう。
対する医師も、その視線をそよ風程度にしか感じていないとばかりに爽やかな笑顔で流している。
「言っておきますが……そんな顔、ドーン様の前では決して見せないで下さいね。
ただでさえ、ドーン様はレン・ブランドン様のせいで背負わなくても良い苦労をしこたま背負っておられるのです。いかにご本人が大丈夫だとおっしゃられても、人にはそれぞれ許容量があるのですよ」
「……判ってる。が、ずいぶんと説教くさくなったな」
「一応、これでも教職の身にあるものですから……早いものですね、あの眼鏡と長衣を作り出してから何年もたったと言う気はしないのですが。
こうして、お二人がこちらで私の側に居る事を思えばそれなりの時間がたったのだと思い知らされます」
年を取るって、こういう事ですかねえ……?
などといっている医師を見て、レン・ブランドンは胡散臭いと感じている。
「ドーン様は眼鏡と長衣の影響で精神的引きこもりの世界に強制的に入らされていると言うのに、レン・ブランドン様の無駄な呪いのせいで大半の方から受けなくても良い恨みを買い、しかもレン・ブランドン様の我侭によってご自身のコミュニケーションまで制限されている……変わらないといえば、確かに変わっていませんけどねえ……」
もし、人が人を囲う事が犯罪ならば間違いなく有罪判決になるだろう。
けれどレンとて、そんな事は百も承知だ。
「何を言っているかは知らないが……俺はドーンを守っているだけだ」
「守る! 何を戯けた寝言をおっしゃっている事やら……」
呆れてものも言えないというのは、こう言う感情なのだと言う事を医師は学習した。
この医師、今でこそ学園都市の医療部に所属しているが元々の元をすれば没落貴族出身の旅の傭兵だ。今でこそ実家は別の意味で盛り返して「貴族? んなの最後には切り捨てられるだけだろう」と逞しくなっているが。とある事情から一時期は公爵家やドーンの両親にも世話になっており、それなりに魔法学の知識もあり小器用だった事から魔法具を作る才能がある事が発覚した。
けれど、今はそんな己の過去を後悔している。
なぜならば、あの頃は今の未来を知る事など無かったのだから。
もし、今の自分自身があの頃の自分自身に会う事が出来れば……そんな才能は全力を持って封印した事だろう。無かった事にして隠し通すことなど出来なかっただろうし、隠せなければ今の未来は確定されたものとなっていただろうから。
あれ、つまり未来って変わってなくない?
などと言ってはいけない。仮定法未来系も過去形も、結局は夢想する事は自由なのだから。
と言うわけで、新キャラ投入です。
お医者さんは冒険者もやっているので無駄に知識が広いです。無駄に人脈があって無駄に笑顔で胡散臭いです。ある意味、胡散臭さを増長させるために医師として学園都市に入り込みました。これもギルドの実力です。
そしてレンの化けの皮がはがれて、ドーンの秘密が少しだけ明らかになりました。
……王道って素晴らしいですよね?(にやり)