53 戦域は拡大中の様です
世の中には二つの人種が居る。
受けを狙う人と、そうでない人。
前者は人生の行動パターンから相手の反応を推測する人で、後者は何も考えていない人だ。
前者を計算高いと蔑むだろうか? 恐らく、その必要はない。
何故なら、時に受けを狙う事はなくても当人以外に笑いを振りまいてしまう人と言うのは確実に存在するのだから。
寝起きはつやつやの笑顔を見せていたにも関わらず、今はどことなく「もう、疲れたよ……!」と稀に呟きながら虚ろな瞳を虚空に向けているのが怖いと言えば怖い。が、それでもこれまでに比べれば余程顔色もよく元気だったりするのだから、これまでの秋水と言うものがどれだけだったのかと言うのはおして知るべし。
「まったく……昨夜をはしゃぎすぎたとは言っても、翌朝にまで残すような事ではよくありませんよ? 色々な意味で、ですけど」
「はあ……申し訳ありません、先生……」
実際には、朝までは大丈夫だったが無駄な攻防戦に力が入りすぎて意固地になったあげく。キャシーが不承不承で譲歩してやっと横を向いてもらうと言う屈辱的な敗戦の為に力尽きていたと言うだけの話だが。
そんな事は仮にラーカイル医師が知っていたとしても、何の関係もないのだ。
この部屋は、ラーカイルの部屋だ。
二人部屋を一人で使っているラーカイルだが、ベッドの脇には持ってきたらしいカバンからあふれ出たらしい書類が山の様に重なっていて、実の所を言えばどう見ても物理的に全て収まっていた様に秋水の目には見えない。もしかしたら収納術があるのか、それとも思ったより収納の容量が多いのか、はたまた単に昨夜から今朝にかけて新たに増えた書類の束なのかは判らない。
「ドーン君、少し寝不足のようですね。レン・ブランドン君が煩いようでしたらこちらの部屋に移動しませんか?」
「ラーカイル先生、冗談は寝てる間で一昨日きやがれだと思います」
ふっふっふ……。
秋水は今の今まで気が付かなかったのだが、どうやらラーカイルとレン・ブランドンは根本的に相容れない様だ。もしかしたらこれまでも、知らない所では攻防戦が繰り広げられていたかも知れないと言う気はする。
「いやだなあ、レン・ブランドン君……僕の基本は全て本気ですよ?」
「ああ、手を抜いて生きていられるほど甘くないですからね。ドーンのご両親は。と言うより、全力で向かってもしょっちゅうぶっ飛ばされていた人の意見は重いですね、僕はそんな目に合った事ありませんけど」
ふっふっふ……。
それにしても、なんだってこの二人はこんなに静かに睨み合っているのだろうか?
「別に、ラーカイル様もレン・ブランドン様もじゃれあっているわけでも無ければ冗談でもございませんよ」
相変わらず、人の思考を読み取っているかの様なタイミングで放たれるキャシーの言葉は、便利だが少しタイミングが良すぎて恐怖心すら覚える。とは言っても、そんな事は外見上はぴくりとも動かないが。
「じゃあ、あっちは?」
秋水が示した方には、何やら半日ぶりにまともな姿を見た気がする情報ギルド所属のアインスが手を組んで天を仰いでいる……一体誰に何を感謝しているのかは判らないが、何かを感謝しているのは確かなのだろう。
出来れば、そっと見守りたい衝動にかられたのは秋水だけではなかったらしく。直前まで会話していたキャシーも、側に居たドーンも、そっとアインスから視線を外している。
一人取り残された秋水としては、静かに笑いながら見詰め合っている目が笑っていないレンとラーカイルの、同性愛要素が欠片も見つからない関係と。そっと視線を外しているドーンとキャシーの間でなすすべもなければ手持ちぶたさで何となく疎外感だ。
はっきり言って、何でも良いから次の展開に話が進んでもらいたいと思うのは暇を潰すような事が何も思いつかないからと言うのもある。
「秋水様、世の中には存じ上げない方が幸福になる事が出来る事もあるのだ。と言う事だけ、私からは言わせていただきたくお願い申し上げます。ええ、是非に」
何しろ、これまでは常に倦怠感が漂っているのを無理していた状態だったにも関わらず。今は散歩の一つでも軽くしたいなあと思える程度には元気なのだ、軽く食べた朝食もいつもより全然食べる事が出来たのは嬉しい。
「そ、そう……?」
秋水の感覚では、一人暮らしをしていた事もあって食べ物を残すのは心情的に良くないのだ。
家系的な問題も確かにあるけれど、残せば食べ物は腐敗する。腐敗した食べ物は匂いも悪いしべとべとしたりするという経験がある。こんな金と権力のありそうな所では食べ物を腐るまで放置する事はないだろうが、かと言って放っておいて気分が良い事などあるわけがない。
元の世界ならば、部屋には必要なものは幾らでもあった。最悪、パソコンを立ち上げて世界中の情報を仕入れる事だってある程度は可能だった。もちろん、世界の全てなどを手に入れる事は出来ないけれど、ある程度の事ならば出来ない事は少ないと言っても良いだろう。実際、国の極秘事項だって世界中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた機能を使えば出来ない事ではないのだから。
でも、秋水が今いる世界は違う。
「左様でございます」
「そういえば、この町の……市長さん? だっけ? 話とかしなくていいのかな?」
「レイニアス・シティは特別行政自治区でございますので、本来であるならば自治区長と言うのが正しいのですが。その当たりは独特な風習がございまして、この町の長と定められた方は尊敬と敬愛を込めて『親方』様と呼ばれる事が多いようです」
「……うん、何となく納得できなくはないね。それ」
思わず目が点になるのが判らなくはないと言うより想像通りであるが、かと言って否定するのもどうかと言う話だ。何しろよそ様の話である事に違いはない。
「親方様当人は朝からのスケジュールの関係でこちらにおいでになる事は出来ないと言う事ですが、替わりにレイン様が説明に当たられると言う事を伺っております。ただ、レイン様もお忙しいと言う事ですので、いらっしゃるのは午後になるのではないかと言う事でございました。勿論、おいでになる際には先触れが事前においでになると言う事でございますが」
面倒な話だとは思うが、様は自分達で呼んだけど忙しいから直ぐには会えない。
代理が会いに来るけれど、やはり代理も直ぐには来られない。
ついでに言えば、代理とは言っても町の代表として来るのだから事前に連絡が来る事になっていると言う事だ。
「あ、でも、携帯だと思えばそうおかしくない……のかな?
携帯電話って言って、持ち運びが出来る電話機。情報端末? モバイルツールとかって呼んだりもするけど」
「そのあたりの分野ですと、アインス様が所属されている情報ギルドの方がお話は早いかも知れませんね」
これっくらいの大きさの道具を使うんだよ、とでも言いたいのか示された動作に対して知識に当てはまる所がなかったのか。それとも単に考える事を放棄したのか、キャシーの言葉に今の今まで「感謝します!」と時折叫びながら半泣きになっていたアインスがびくりと反応した。
「な……何? 何か言った?」
「いいえ、アインス様。
どうぞ心置きなく、現状に感謝なさってください。ご遠慮なく」
「ほ、本当? 後で聞いてなかったからとか言って因縁つけたりしてこない?」
「おやおや、これは異な事を……一体私どもがいつ、アインス様に因縁などを着けたというのでしょう? それとも、私どもの言動に何かアインス様を怯えさせるようなものがございましたでしょうか?」
何故かは不明だが、昨日に城壁のあたりで人が振ってきて巻き込まれたアインスは。
あれから、妙にこちらに対してびくびくと怯えるようになっていた。
理由は、秋水には判らない。と言うより、その理由を思い当たらないのは秋水だけではないだろうかと言う気がするが誰もが何かを言うつもりではないらしい。ならば、余計な事を言うべきではないのだろう。
「こう言うのを民主主義的数の暴力って言うんだろうなあ……」
「秋水様、今何か不穏当な発言をされませんでしたか?」
「え、どうして?」
きょとんとした顔をした秋水は、本当に心当たりが無い様だ。
不穏当な発言だとは思わなかったのだろう……悪気がないからと言っても良い場合と悪い場合があるのは事実で、けれど今の一言だけを取り上げれば確かに誰かに対して何かと言う意味合いにはならない。前後の文脈を読み取れば話は異なるとは言っても、それは秋水だけが悪いと言うわけでもない。
「いえ……勘違いと言う事でしたら大変失礼を致しました」
とは言うものの、これまでがこれまでなだけにキャシーにしてみれば一見するとなんでもない言葉のはずの秋水の台詞に裏があるのではないかと思ってしまうあたりは……警戒心があると言うか、それとも。
「どちらにせよ、アインス様は心置きなく現状に対して滂沱の涙を流しながらひと時の平和を甘受されるのが当分の間のお役目ではないかと?」
「今ひと時って言った、ひと時の平和って言ったっ?」
表情には「出来ればでなくて心の底から平和プリーズ」と書いてあったりするが、世の中がそんな祈り程度でどうにかこうにかなるのであれば不平等も何もかも起きるわけはないのである。
「いえいえ、誤解がある様ですので説明させていただきたく思いますが……」
「今言った! 言ったよね、シュースイ君!」
「え、まあ……言った……か、なあ……?」
笑いたいのに失敗したような笑顔を見せながら、秋水は心の底から困っているのだろう。
ちなみに、秋水の表情を彼の国では「民族的に特徴のある行動」である事を説明されないのでキャシーもアインスも知らない。
更に当然と言えば当然だが、この喧騒の中で一人だけドーンは通常運行だ。もはや、誰もそのあたりについては突っ込みすら入れなくなっている。
「うわあっ! やっぱりそうなんだ! 見捨てられるんだ捨てられるんだ殺られるんだぁっ!」
加えて、頭を抱えて錯乱状態に何故か陥っているアインスにキャシーの追撃が入る。
これがナチュラルなことなのか、それとも別の意味を持っているのかは錯乱状態のアインスには当然理解出来るわけもない。
「まさか、その様な……素敵イベントが発生する為には、まず同性と恋仲になってめくるめく18禁な大人の世界を垣間見てしまうと言う強制イベントが発生する筈ですが。アインス様には少々難易度が高いかと……」
「て言うか、何そのわけの判らないBL系ゲームイベントな展開っ?」
「びーえる?」
「ゲームはわかりますが……イベントとは?」
「イベントって、何かが起きるって事?」
「まあ、言語的にはそうですが……秋水様?」
二人には、秋水が元の世界でどんな仕事についていたのか詳しくは語っていない。徐々に語っていけばいいと思ったりしていたのも確かだが、説明しにくいとか面倒だと思っていたのもある。何より、現物がなければ説明しても理解してもらえる自信がないと言うのが正直な話だ。かと言って、全く言っていないわけでもない。
「ああ……どうしたものかなあ……?」
秋水が悩むのは、ある意味では当然だ。
確かに言語的な意思疎通は問題がないけれど、かと言って秋水が居た世界と違ってこの世界には漫画と言う文化はない。サブカルチャー的なものよりも生命や生活に直結しているものの方が当然の事ながら需要は多いし、確かに羊皮紙よりは使い勝手の良い紙があったのは驚きではあるけれど、かと言って本となると庶民が簡単に手に入れる事が出来るわけではない。つまり、本を読むと言う習慣は学園都市の生徒でもなければ滅多にないと言う事になる。
そう言う事も踏まえて、この世界で一番識字率が高いのは東宝だ。継いで北邦。南方と西法はあまり高くはないのはお国柄や文化的概念の違いだと言い切るのは難しくはないだろう、実際のところとして必要に駆られてという事でもなければ文字がなくても何とかなる。計算はそうでもないが、特に物語系などは本当に娯楽でしかないのだ。故に、学園都市以外ではほとんど看板を見かけなかったし、仮に「あれがそうかな?」と思っても文字ではなく絵だ。
秋水は、働く引き篭りだったのでどっちでもないと自分で思ってる割に前者ですが「異世界」と言う根本的な数式の組み立てに失敗するタイプです。
ネタって言うのは「相手がその知識を共有している事が前提」なのですよ、だから僕は某有名なアレに共感しません。だって出来ないもん。
では、次回予告。
「ラーカイル先生ってドが着くSな気がする今日この頃、そういえば外科のお医者さんはMだったら駄目なんじゃないかと思ってみるのは何かが違うかも知れません。言及していないけど食感とかの感触はどうなんですかね?」




