52 世界が変わった日と言うのは勘違い
世界は回る、常に巡る。
例えその世界が宇宙にぽっかりと浮かぶ球形の存在でなかったとしても、あったとしても。
世界は動く、常に変わる。
だけど世界は劇的に変わる事などない、人が気づかなくても。
ぱちりと目が覚めたのは、夜が明けたからだと理解していた。
何故だろうかと言う疑問と、ああそうかと言う理解が同時に起きていた。
それは不思議で、けれど納得してしまった。
させられてしまったと、言うべきだろうかと思いながらもどうでもいい事だと即座に判断する。
何しろ、いの一番にやらなければならない事があるのを知っていた。
「キャシー」
声は、決して大きくはない。はっきり言って呟く程度で、独り言だといわれてしまえば納得せざる得ない程度の大きさの声。
「はい、ここに」
だけど現れたのは、知っていたからだ。
キャシーが、目覚めて最初に呼ばれる事を。
とは言っても、これはキャシーの経験と勘でわかったのではなく教えてもらったからではあるが。
「相変わらず凄いね、キャシーは」
「お褒にあずかり、恐縮です」
横になっていたのは、昨夜訪れたレイニアス・シティの庁舎の一室だ。宛がわれた二人部屋ではあるが、同室の者は居ない。ドーンとレンは同じ部屋だったが、ラーカイル医師は事情があって一人部屋を希望していた。基本的に外部からの賓客が使用する部屋は二人部屋しか存在しない為にメイドでしかない事と女性であるキャシーが同じ部屋に寝泊りすると言う選択は無かった。
「朝早いみたいだね」
「はい、さようでございます。
参考までに、学園都市でのご主人様ですと一般的には二時限目の終わり程度にお目覚めになられるのが平均であると申し上げておきます」
つまり、朝と言うよりは昼に近い時間帯と言われているに他ならない。
「それは……申し訳ない、と言うべき?」
「必要はございません、ご主人様が快適に日々をお過ごしいただくのが私の役目でございます」
ぴしっと言い切るものの、けれど拒絶ではない事が判る。
仕事に対して、全身全霊を傾けているからこその言葉なのだろう。だからこそ、街中でキャシーを連れ歩いていると注目されるのも理由の一つなのだろうと秋水は確信する。
これまでだって、そう感じないわけではなかったのだ。ただ、それに対して確信を持てなかったと言うだけの話であって。
「体がずいぶんと軽い……なんだろう? キャシーは知ってる?」
「その件につきまして、後ほどラーカイル様、ドーン様より説明がおありと言う事です」
「二人から?」
「はい、さようでございます」
すっと差し出されたのは、暖かい湯気を上げるお茶の入ったカップだった。
一瞬、理解するのに時間がかかったのか間があったけれど秋水は「ありがとう」と口にしてからカップを手にする。内心では「まだベッドから出ても居ないんだけどなあ」と思っているのだが、その当たりは口にしなかった。
「それは……どうなんだろうね?
キャシー、何か聞いてる?」
いや、別に言っても無駄だと言うわけではないのだが。
何しろ、それを言うなら「お礼は不要です」と幾らキャシーが言ってもあらゆる場面で秋水はお礼を言う。最近では、すっかり小さなお礼に関しては無視の方向に走ったらしい。流石に主人とメイドとしての線引きだけは守り抜かなくてはならないので徹底的に言ったから何とかなったけれど。
「いえ……レン・ブランドン様はかなり熱心にドーン様への説明を求めておいででしたが、ラーカイル様が時間帯を考えて朝になり、皆様がお目覚めになられてからの方が宜しいと言う『医師としての判断』から引いていただきました」
とは言っても、キャシーの内心としてはドーンが関わっている以上は夜の間に必死こいて説明させようと無駄な努力をしていたのだろうと言う事は想像に難くない。
キャシーの想像では、レンは非常に一部に限って言えばワガママだ。大体の事では寛容に見えるけれど、それは対象に興味がないからではないかと踏んでいる。けれど、ドーンに関する事で知らない事があったり気に食わない事があると些細な事であっても決して許しはしないと言う感情が駄々漏れだ。これは上位貴族としては致命的な様な気はするが公爵位を継ぐまでに何とかすれば良いだけの話だ、それまでの言動による評価は変わらないだろうけれど。
「レン・ブランドンって、あんなにドーン大好きで大丈夫なのかなあ……」
秋水みたいに、状況をよく知らない人にまで知られている時点で全然駄目だろうとは思うが、キャシーは言わない。逆を言えば、普段のレンはそこまで徹底的に周囲にドーンへの執着心を隠し切っている事も理解はしているからだというのもある。ただし、状況を知っている相手が居ると途端に完璧に隠していた執着心が駄々漏れる……少しでも漏れかけるでもなく、駄々漏れるのだから性質が悪い。
「キャシー」
飲み終わったらしいカップを差し出しながら、秋水が声をかけてきた。
「はい」
「ご馳走様、あと着替えるよ」
「かしこまりました」
ベッドの脇に備えてあるテーブルにカップを置いたキャシーは、その後に流れで続けようとする。
「ではお着替えを……」
「いや、今日はすごく気分が良いから一人で動けると思うよ?」
「……左様でございますか」
「疑う気持ちはすごくよく判るけどね、いつもありがたいと思ってるよ」
「仕事でございますれば」
風呂に入るだけで3日に1度は倒れかけるというより、身動きが取れなくなっていた秋水は。実の所を言えば毎日目が覚めるだけで身動きが出来るようになるまで、えらく時間が掛かっていた。加えて、口にする食べ物の分量は決して成人男性からしてみても子供が食べる分量にしても少ないくらいなのだから、これで回復できる方がおかしいとキャシーは常々思っていたくらいだ。
もっとも、それも秋水の組成成分を思えば納得したくなくても出来てしまうと言うものではあるが。
「本日のお召し物は、こちらでございます」
「流石に、こっちに居る間は着物じゃまずいかあ……」
「申し訳ございません」
「いや、キャシーのせいじゃないのは判ってるから、大丈夫だよ?」
差し出されたのは、シャツにズボンに靴と言う普通のものだ。だが、これまで学園都市では最初の数日と寝巻きを除けば着物でほとんどすごしていたのだから、残念そうな顔になるのは致し方ないだろう。
キャシーも、一度着付けを体験してみて「慣れれば過ごしやすいかも知れない」と判断を下したほどだ。とは言っても、元々は西法の服と似ているのだから然程のものではないのだが。
「学園都市に居る間は、ものすごく甘やかして貰ってたしね」
「恐れ入ります」
「得たいが知れない相手に対しては物凄い大サービスだとは思うけど」
キャシーが答えないのは、肯定の印だ。
とは言っても、その内実にまでは知らされていないので答えられないと言うのが正しい。
「しかし……こっちの世界に来て何が助かったって、食生活と衣服だよな」
手渡された衣服をベッドの上に置いて、立ち上がる。
これまでならば、立ち上がるのだとて数分はかかっていた。まるで、重度の貧血症に陥った青春真っ盛りの十代の女子学生の様だ。それにしては起動に時間が掛かりすぎると言うものだが。
けれど、今朝は。
すっくと立ち上がって、頭をぶんと一度振った。
通常ならば、それだけの事は普通だと言えるだろう。けれど、キャシーは心の中で僅かに拍手喝采な気持ちが湧き起こるのは秋水が現れて毎日が、目覚めるのに時間がかかっていたせいもあるのだろう。
気分的には、なんだか老人介護に近いものがある辺り何かが間違っているけれど。
「左様でございますか」
「飯が口に合わないと絶望する」
きっぱりと言い切った秋水に、内心で同意する。
これでも沢山の家に仕えていたキャシーとしては、食べられないほど口に合わないものを好んで食べる家とかは流石になったけれど。美味い不味いはあるし、本来ならばメイドを雇うよりやるべき事がある家などでは食材の仕入れから何から全て任されると言う事もあったのだ。
「服はね……流石に絶望までは行かないけど。最悪、自分で作ってもいいかなって思えるし」
「裁縫の経験がおありですか?」
確かに、秋水の手や指は器用そうに見える。
考え事をしている時にはくるくると動く事もあるし、時に回転率が高いだろうと判断出来る思考回路と組み合わせてキャシーの持ってきた暇つぶし用のパズル的なものを宛がっておくと大抵は小一時間程度でクリアできてしまうのだ。
「いや、ほとんどない。でも、最悪布を巻きつけるだけでもそれっぽくない?」
人の上に立つと言う意味では向いているとは思わないが、それも経験の問題が大部分だし。そう言う意味からすれば、キャシーにとっては常識と知識が足りないだけで決して秋水が悪い主人とは言い切れないと思う。
「さて……いかがでしょう?」
「でも、そうするとサリーっぽいんだけどね」
サリーと言うものが何なのかキャシーには判らなかったか、すっくと立ち上がって徐に寝巻きを脱ぎ始めた秋水の側でじっと見つめている。
「あの……」
「はい、なんでしょうか?」
「出来たら、ちょっと後ろを向いて欲しいんですけど」
「おやおや……今更照れておしまいになるとは、いかがなされましたか?」
少し顔が赤くなっているあたり、その想像は間違っていないだろう。
キャシーにしてみれば「お風呂に入れたり着替えなど普通に手伝い、恐らくは見ていない部位などないに等しい今更、何を恥ずかしがる事があるのだろうか」と言うのが正直な意見だ。
ついでに言えば、今更なあたりでキャシーに秋水の着替えごときで悶える羞恥心は存在しないと断言出来る。
「いやね、確かに今更って言えば今更ですよ! キャシーにはものすっごくお世話になっていますよ! 寝起きから着替えから倒れた時の対処から、風呂にだって全部見られてお世話されましたよ! でも、それとこれとはちょっと別、別だから!」
確かに、健常である時と身動きの一つも取れない時期で同じ対応をされると、心情的にはダイブ異なると言うのは判らなくは無い。と言うより、判った上での行動だと言うのは秋水にも判っているのだろう。
ただ、キャシーにしてみれば「役割としての行動」なのか「意地悪な意味での行動か」と言うあたりで秋水の判断は鈍っていると言う見方もあり。
「別、で……ございますか?」
いきなり戻ってきた羞恥心VS気分は老人介護……この二人の間は平行線で、決して交わることはない。
秋水にだって、判ってはいるのだ。これまでの経験からして次の瞬間には気絶して頭から倒れるかも知れない、なんて事がありえないとは言わないし、今は物凄く清々しく全力で走り回りたいくらい気分が高揚しているけれど、次の瞬間には電池の切れたブリキのおもちゃの様になっているかも知れない。いや、ブリキのおもちゃは基本がぜんまい式の様な気がしないでもないのだが。
「そう、そうだよ。全然別なんだよ! て言うか、本当は部屋から出て行ってくれてもいいんじゃないかと思うのは贅沢な意見でしょうかっ!」
半ばやけっぱちになっているのはよく判ったが、かと言って止められない止まらないのは仕方がない。
「はい、大変贅沢な意見ではないかと判断致します」
世界は変わり続けるけれど、それを認識している人はあまりいない。
けれど、世界が劇的に変わると認識する人は居る。
それは本当だろうか?
劇的に変わる為には、世界ではなく自分自身が変われば良い。
気が付く人はどれだけいるのだろうか。
不安になる事などない、世界は常に変わり続けているのだから。
というわけで、次回予告。
「無くなるストック、未公開の短編、足りない時間って次回予告じゃないんじゃよ!て言うか、進まない話、仲良く喧嘩する人達、相変わらず動かない主人公は超空気!貴様など主人公やめちまえ!とか言うのはその次を書き上げてから考えます」




