4 放課後狂想曲
お腹がすきました(いきなり)
集中しているとよく食いっぱぐれます。
僕を手懐けるには、きっと構ってご飯を与えておけば十分ではないかなと思った日。
学園都市と呼ばれているその町並みにも、きちんと名前が存在している。
もっとも、誰もが増改築を繰り広げてしまい原型の何倍にも広がってしまった都市や付随施設の本来の姿も正確に記憶してる人達は皆無に近い。近いが、かと言ってまったく知られていないというわけでもない。
「レン・ブランドン様、何をされてるのです?」
この学校にも様々な後者と学年と専門課程がある…が、学舎は幾つも存在するけれど不思議な事に寮は全て共通だ。
とは言っても、流石に都市の反対から反対まで通うような目には誰も合いたくないのでそれぞれの所属機関から一定の範囲に限った場所が指定寮とされている。
個人的な、あるいは入れなかった人達は一般の人々の運営する私的寮に部屋を借りるのが一般的だが。
「ああ……レディ・リリアント。
今日は僕とドーンの宿題の日でね……寮生の義務って奴さ」
珍しく一人で現れたのは、常に甲高い声でデザインこそ一昔前のものが主流ではあるが豪華なドレスを常に身にまとっている三人娘の中心人物。
「まあ、そうなんですの……それにしてもレン・ブランドン様、是非リリィとお呼びになって下さいと申し上げておりますのに。
それにしてもドーンも気が利かないですわね、主人にこの様な瑣末なことをさせるなどと……一人で行う事も出来ませんの!」
彼女は、一般的な通名はレディ・リリアント・マイソロジー侯爵令嬢。
典型的な貴族階級の娘ではあるが、取り立てて特徴がないと言う部分もある。ただし同じ程度に実家からも期待されていないと言う話もある。何しろ、別に跡取り娘と言うわけでも一人娘と言うわけでもない。
「……なんですの、その目は。
一般市民風情の使用人が、侯爵令嬢であるわたくしに向かってそんな目をしても良いと思ってるの」
常に三人で居る事が多いと思われがちではあるが、彼女が一人なのは単純な話。
「レディ・リリアント、これは義務だといった筈です。
寮に入っていない貴方には判らないでしょうが、寮生には全て等しく与えられた義務がある。罰則だって付く場合があります」
「あら、それを何とか庇い立てするのが使用人の役目ですわ。
レン・ブランドン様、幾らドーンと親しくしていても取替えの利く使用人ごときにそこまで御心を砕くのも貴族としていかがなものかと思いますわよ?」
「義務を果たさない場合は誰だって退寮、場合によっては退学の危険性があるのです。そこに実家の権力が無関係なのは言うまでもない事ですが、ご存じないと?
ドーンは何も悪くないし、これは知っていて寮に入っている僕達の問題です」
彼女の属する典型的な貴族階級的金持ち学校とレンとドーンの所属する学校が一番近く、また彼女の取得希望を出している授業時間が空いているのが今だからだ。
「ドーンのご一家は当家では家族ぐるみで身内同然のお付き合いをしていただいています。ドーンは優しいので逆らわずに受け入れてくれているだけ……つまり、僕の願いです。
それとも、当家の方針に口を出すつもりですか」
この時間に限って言えば、横で茶々を入れるだけの頭の軽いアンレーズも、暴走しがちな二人を抑える役目になっているカーラも居ないのは単に必須授業があるからだ。
アンレーズはリリィと同じ学校ではあるが取得している科目が違うし、そもそもカーラは学校からして違う。
「いえ、そう言う訳では……ではドーンのご両親はレン・ブランドン様の使用人と言う事ですの?」
流石に言い過ぎたと思っているのだろう……ドーン本人ではなく、レンの前でドーンの事を言うのには細心の注意を払わなくてはならないと知っているのに何度も繰り返す。してはいけない事こそ、うっかりで地雷を踏むリリィの事を可愛いと思うか浅はかと思うかで評価が割れる所だ。
「レン」
他の邪魔な二人がいない間に、レンとの仲を深めたい。
いつかはレン・ブランドンと言う通名ではなく、レンと呼びたいと思っているリリィの邪魔をしたのはドーンだった。
「ああ……ごめんよ、ドーン。
レディ・リリアントも悪気はないと思うのだけど……僕らはまだやるべき事がありますので」
言葉の外側に「いいから出て行け」と言われている様な気がしてならなかったが、リリィにとってレンははっきりと口にしたわけではない。その想いがあったから食い下がる。
「れ、レン・ブランドン様。何もそんな事はドーンにでもやらせておけば……」
だが、程なくしてリリィは己の失敗を悟る事となる。
「悪かったね、ドーン。面倒を減らしたくてこんな所で打ち合わせをしようと言った僕が悪かった。
ここでは流石に落ち着かないね、ドーンの言うとおりだ」
「レン……」
こちらも言葉の外側に幾つもの意味を載せて口にした一言ではあるが、肝心のレンは苦笑するだけだ。
こうなると人の言う事など聞かない事は幼少の頃からの付き合いで判っている為に、ドーンはため息をつく。
「ドーン!」
そのため息がどんな風に癇に障ったと言うのか……眼鏡の奥で胡乱気な目で見つめるドーンから見たら鬼かといいたくなるほどの形相をリリィは今日もする。
が、流石にリリィもてきぱきと片づけを終えて今にもドーンの手を取って部屋を出て行くレンが側に居ると言うのに叫ぶのはためらわれた様だ。
もっとも、今までの流れで十分に貴族としても女性としても同じ生徒としても静かな目で見つめられるには十分な言動だったりするのだが……。
「あらあら、にぎやかね」
これが救世主となるのか新たな敵となるのかは判らないが……少なくとも、リリィにとっては敵である事に変わりはなく。
視界に隅で僅かにドーンが吐息を漏らしていた姿は、レンの驚いた姿によってかき消されていた。
「リリアントじゃない、どうしたの? 他校の生徒がわざわざこの学校に来るなんて」
この部屋は、結構な広さがある。
多目的に使われ、どこの学校にも一部屋はある交流する部屋であり、時に会議に使われ時にお昼休みの憩いの場となり、時に集会などが行われる一般的にはラウンジと呼ばれる空き部屋だ。
だから、周囲にはレン狙いの女の子達が注視しているのも見られるし、憩いの場として活用している者も居る。中にはリリィの様な他校から訪れる生徒も居るし、教職員だって活用している。
入ってきた女性は、確かに教職についていた。
「あら、わたくしがここに居るのはレン・ブランドン様がいらっしゃるからですわ。
わたくしが他校の者だからと言うのであれば、お前はどうなのです。たかが教師の分際でわたくしに意見するつもりですの?」
常に手にしている扇で口元を覆い、リリィは調子を取り戻して口にする。
どうやら、リリィの育った環境では教師と言うのはずいぶんと軽んじて扱われる存在らしい……これはお国柄ではなく、単純に貴族としての普通の感性なのかも知れない。
「教師相手にずいぶんと元気ね……まあいいわ。
私がここに居るのも、たぶん貴方と同じ理由ね。レン・ブランドン君が居るからと言うのは当て嵌まるわ。
ただし、私はリリアントとは違ってこの学校の正式な教師として赴任しているのだから。この学校に居る事で一生徒ごときのリリアントに何か言われる覚えはなくってよ?」
嫣然とした笑みを浮かべたのは、艶かしい装いをして香水の匂いをさせ。派手ではあるがセンスの良いバランスをかろうじて保っている女教師……そう、ある意味では娼婦の様な格好をしているのに教師だ。
彼女がかろうじて教師としての対面を保てているのは、偏に彼女自身が嫌っている教職員の証となる長衣を身にまとっているからだろう……ただ、教師の長衣はドーンとは違いファッショナブルだしマントの様に首の辺りでひっかけているだけだ。
「なんですって!?」
「ああ、それは本当の事ですよ。レディ・リリアント。
キャスレーヌ教師は先だってこちらの校舎に赴任されたんです……確か授業は……」
「一般教養と魔法学を受け持っているわ。レン・ブランドン君が取っている講義ならがんばっちゃうんだけどな……残念」
うふふ、と言う声でも背後から聞こえそうなくらいではあるが……恐らくそれを知らないのは室内で本人一人きりだろう。
「でも、いつも言ってるでしょう?
キャスレーヌ教師なんて他人行儀名呼び方はしないで、気軽にマルグリットと読んで欲しいわ。なんならマリィでも良いのよ?」
つやつやとした唇も、ぱっちりした瞳も、ばっちり決まっているメイクも、とてもではないが証明書を見せられても教師と認めるにはかなり努力が必要だ。
「レン・ブランドン様に許しもなく近づくなど、なんて不敬で常識外れなの! 恥を知りなさい!」
確かに、リリィの言っているように通常であれば一般市民が許しもなく高貴な位に付く人物を誘惑する様に近づくという行為は突然斬られても文句を言う事が出来ない……流石に歓楽街を無造作に歩いていてそれはないと思うが、この場所は歓楽街ではない。
「ああら、たかが他校の一般生徒ごときが当校の教師に口を出してよいと思っているのかしら……この学校への出入りを禁じても良いのよ?」
「侯爵家の人間に、そんな事が出来るとでも思ってるの!」
「あら、出来るわよ。
この学園都市で最も権力があるのは、どんな国のどんな貴族階級でも金持ちでもない。
私達教師が属する教育機関と……後は唯一肩を並べるギルド機関。後は、それらをくもの巣のように繋いでいるフリーランスであって、少なくとも一国家の一貴族より階級は上よ?」
キャスレーヌの言っている事も、あながち間違いではない。
様々な思惑と様々な事情が降り積もる雪のように折り重なって構成されいてる学園都市は一国家や一貴族、ましてはたった一人に思惑でどうにかなると言うものでもなく。逆に、たった一人の権力者がどれだけ叫ぼうとも世界全てを敵に回せるほどの権力があるわけでもない。それは、世界有数の商人だったとしても神殿の最高権力者だとしても……ましてや、神殿に連なる場合は故に手が出せない場合もある。
だからこそ、教師には様々な特権が与えられているのだ。
「リリアントにも判りやすく言えば、この状況を上に報告をすれば評価的には私やレン・ブランドン君……まあ、おまけではあるけれど、ドーンを擁護する事はあってもリリアントの味方に付く者は誰も居ないわ」
「レン・ブランドン様はわかります……でも、たかが使用人のドーンなど……幾らレン・ブランドン様の輝かしい栄光に傷をつけない為とは言っても……」
ぎりぎりと可哀想な音をたてて、リリィの手の中の扇が悲鳴をあげているのが室内に響いた。
キャスレーヌも不本意と言う感情を隠す気はないみたいだが、それでも教師としての立場とレンが側に居るからだろう。無理に平常心を保とうとしているのが見える……残念ながら、それは欠片も成功していなかったが、幸いなことに誰も口にはしなかったが。
「仕方ないのよね、ドーンが学園に行っている功績を思えば学園はドーンを擁護するしかないわ。
逆に、ドーンに何かあれば学園そのものの名に傷が付くんだもの……ほんっと、たまらないわ」
表情は固まって引く付いているし、何より視線が射殺しそうで怖いです。
とは、流石に誰もが思っていても口にはしない。
「ドーンは多方面にわたって研究、発表を行っているわ。
最近になって爆発的なヒットをしている食べ物のほとんどは……ドーンの発案じゃなかったかしら?」
ちらりと向けられる顔が、何やら呪術めいて怖いです。
とも、流石に誰も口にはしなかった。
笑顔が素敵だと言われるレンですら困ったような顔はしているが、それだけで済んでいるだけで評価ものだ。
「でも、あれは全てレン・ブランドン様の……」
「いきなり使用人が全てやりました、なんて言ったら面倒なことになるでしょう。
だから、ギルドと公爵家を通じて発表されているだけであって。実際には全てドーンが一人で行っているわ」
ねえ、そうでしょう?
なんて、視線だけでぎりぎりと呪い殺すほどのエネルギーを注ぐのは止めて下さい。
と、普通ならば思うだろう。
だが、一言も口にしない人物は内心で思っていた。
『なんか面倒くさい』
ここに居る人達は、特別でもなんでもない。
ただ、少しだけ頑張っちゃう人達。
けれど仲間外れが一人だけ。
だけど寂しくなんかないんだよ。
仲間外れである事を誰も知らなければね。