33 星に泣く犬
誰かがいつか言ったのさ
「泣いてるのはどうしてだろう」
誰かが誰かに言ったのさ
「聞いてみればいいだろう」
誰かは誰かに返したさ
「……そうだね」
誰もが心に思うけど、誰も動いたりしやしない。
そんな人達ばかりだと、気づいた時には終わってる。
世の中とは、そんなもので出来ている。
力押しで最初は来るかと思ったドーンは、僅かに一瞬だけ力を込めてから後方へ跳んだ。
今の一撃で仕留められなかった事が不服なのか、それとも最初から一撃で仕留める気がなかったのかは判らない。出来れば、ここでキャシーか他の誰かが邪魔する事を前提に考えていてくれるのであれば少しはマシなのだろうかと考えてみて、それで事態が何一つ好転するというものではない事に気がついてキャシーは内心でため息をついた。
「説明をお願いいたします、ドーン様。
尋問にするにしても処刑にしても、私の契約に差しさわりがない範囲で行動をしていただきたいものです」
「け、契約って……!」
ツッコミどころはそこですか、と余裕があれば言ったかも知れないが。
残念ながら、キャシーは勿論のこと他の人達にも余裕は欠片もなかった。
「問答無用、と言う所ですか……」
確かめたわけではない、少なくともドーンの意志を確かめたわけではない。
視界の明後日の方向では、レンがキャスレーヌに何かを言っているのが見えた。
「原因は定かではありませんが、今の私はご主人様をお守りする事も契約の範疇です。
ドーン様の御意志に逆らうことになりますが、ここは私に免じてひいては下さらぬでしょうか? いえ、お下がりになる事はないのでしょうね、貴方が貴方である限り」
自分で言っておきながら、陳腐な台詞だという程度の感想しかない。
馬鹿馬鹿しいとすら思う。
何に対して? ドーンに対して?
自分に対して?
「お下がり下さい、ご主人様」
ぎゅっと握りなおした箒の感触を確かめながら、頭の中は目まぐるしく状況を認識から整理へ展開し判断使用と画策してみる。が、あまりにも根本的に情報が足りない事しか判らない。
「あ、あのキャシーさん……」
「敬称は不要であると、申し上げました」
「いや、でも……」
「先程も申し上げましたが、私の実力ではご主人様を完璧にお守りしながらドーン様と対峙し勝利する事は大変難しい事です。
出来ましたら、邪魔にならぬ様に敵前逃亡していただけると大変助かります」
「なんか丁寧に人の事愚弄してるっ?」
「いえ、事実を申し上げているだけであると……!」
いかなる隙も逃さぬというかの様に、ドーンはキャシーの意識が僅かでもそれると手に持っている棒を駆使してキャシーを排除しにかかるのが地味に鬱陶しい攻撃だ。何しろ、こちらは背中に人を抱えている状態。
出来る事ならば、この秋水とか言う見知らぬ他人が即効で逃げてくれれば対応のしようもあると言うのに腰でも抜けたのか一歩も動く気配がなくて余計に腹さえ立ってくる。
「キャシーさん! 教師用の札は持っていますか!」
こうなってくると、周囲で起きている状況の一つ一つのすべてが腹立たしくなってくる。
正直な話、ギルドとは何の関係もないレンがここに居るのも、一度も役に立っていない。もう報告書には「役立たず」とはっきり書きたくてたまらないキャスレーヌの事は見限っている。
しかも、この面子の中では最も頼りになる上位ランク保持者であるドーンが突然攻撃を仕掛けてきたのだ。
これはもう、厄日程度ではすまないだろうとまで思えてくる。
「私は教師ではありません」
すぱっと言い切ると、レンの綺麗な顔が多少歪んだ事で溜飲を下げる。
そもそも論として、あのドーンが教師用の札程度でどうにかこうにかなるとでも思っているのだろうか……知らない事に対してどうのこうの言う必要もなければ、言ったところで意味はないのだから言わないけれど。
「では、パーティのリーダー用の札は!」
「先導者は私ではありません」
リーダー用の札は「先導呪の札」とも言う。
簡単に言えば、読んで字の如し。今、レンが言ったようにギルドで組んだパーティにリーダーが持たされる札だ。これは冒険者ギルドの関係者ならば大体知っている事ではあるが、逆を言えば関係者以外は必要がないのでほとんど誰も知らないと言っても過言ではない。
ドーンが教えた可能性もあるし、聞かれても別に内緒ではないから教えても不思議ではないが。だからと言ってドーンが教えた可能性を考えるとなさそうな気がする。とは言っても、別にそんな事は本来は気にならないのだが、単にそれだけ地味に掛かってくる攻撃にいらいらしているからだろう。
ちなみに、札には様々な効果がある。一枚あたりに使える効果は一種類の一度だけではあるが、札の持ち主が一定範囲を指定すると単体及び一定範囲に効果が及ぶ。基本的に冒険者ギルドで販売しており、同一冒険者ギルドの関係者しか使う事はできない。中にはお仕置き用や捕縛用、通信用などバラエティに富んでおり、幾つか使えるレベルもある。キャシーの様な魔法とは縁が少ない人には大変重宝される。ちなみに、もし同一レベルの札を多人数で使用する場合は使用者のレベルと容量で勝負が決まる。
言いたくはないし有名でもないが、ドーンの様な想定外の存在を相手に箒一本で立ち向かっている時点で色々と想像して欲しいものだ。
「つかえな……!」
誰に向かっていっているのか、もしキャシーに向かっているのだとしたら失礼と言うより無礼だろう。
何しろ、今やキャシーだけが唯一ドーンの足止めになっているのだ。
「先生、貴方なにやってるんですか……」
けれど、その言葉を遮ったのはレンだ。
キャシーにとって、レン・ブランドンと言う少年は決して評価の高い存在ではない。ないが、かと言って低いとも言い切れない存在ではある。ドーンの境遇の不憫さを思えば無神経な彼の言動は正しいのか間違っているかと言えば、果てしなく間違っているだろう。理由はどうあれ、レンは家族ぐるみでドーンを利用しているようにしか見えない……仮に、世間一般での評価が違っていてもキャシーには関係ない。
自分自身に迷惑がかからないのであれば、それは当事者の問題だと思うのは何もキャシーだけではない。
だからこそ、今までドーンは愚行の中を晒されていたのだし。同時に、ギルドでの頭角を現す事が出来たのだ。
ただし、今はキャシーとてまったく無関係な状況ではない。こうして考え事をしているのは次に繰り出すべき応対を頭で考える前に体で対処しているだけの話だし、そうなると条件反射で動いているだけなので更に次へと繰り出す一手へと繋がるというものでもないのがもどかしい。
「レン……ブランドン……く……」
半ば放心状態で泣き崩れるなど、大人の女としてはどうだか知らないが教師としては失格だ。
確かに、レン・ブランドンや。ましてやドーンなどと言った存在を教えなければならない立場にあるのは同情しても良いかも知れないけれど、だからと言って己の成すべき本質を忘れるなど良い大人としてはあってはならない。
良い女としては、どうだか判らないが。
「貴方が泣いた所で、僕は何も感じません」
それは、宣戦布告にも似た決別の言葉なのだろう。恐らくは。
最初のうち、その言葉が染み通るまで時間がかかったらしいキャスレーヌは何を言われたのか理解も出来なかった様だ。どちらかと言えば、聞き取れない外の国の言葉を聴いたかの様な顔をしている。
きょとんとした顔つきは、化粧が崩れてきている事もあって実年齢より多少は幼く見えるのが普通だが、逆に老けてみるのだからおかしなものだ。
ああ、でも「化粧」の概念で考えればおかしい事ではないのだろう。
化粧とは化生……それは女だけではない、鎧も剣も持たない者の武装に他ならないのだから。
「貴方が傷ついても何とも思わない」
ある意味、レンの顔は化粧や仮面と同じものなのだろう。
心を殺して感情を殺して、表に出さない事で更なる力となす。
小さな力で大きな結果を生み出すのは、何事にも通じるものだ。
「その上で役にも立たない貴方に何かを思う必要もない」
わなわなと顔を震わせて、いつもとは違う表情で化粧で隠された「顔」が表に出ている事にキャスレーヌは気が付いているのだろうか。きっと気が付いてはいないだろう、そんな余裕があれば今頃は必死になって化粧を直している筈だ。今の様に貴重な品物の数々を売払って衣装に当てたりしていない筈だ。
キャスレーヌは、持っている沢山の研究資料のほとんどを二束三文で売払っていたくらいなのだから。
「どうしました、ドーン様」
からん、と軽い音がしたのを耳で拾いながら目の前の光景に口が歪むのを感じた。
余りにも「隙を狙う」というだけの単調な攻撃がパターン化されれば、実力的に拮抗。僅かに下回るキャシーであってもドーンを御しきれないと言うわけではない。
手元の隙を着いて、持っていたドーンの棒を落としてしまえばドーンは丸腰だ。
正直、何度も爆発してしまいたい衝動にかられたが我慢して付き合ったのは良かった。
「お止め下さい、ドーン様。
得物を拾おうとすれば、私は止めます」
ぎりっと握りなおした箒は、視界の中にはいるだけを見ても思ったよりは傷がついていないようでほっとする。
キャシーが使う「得物」は道具に至るまでの全てがそこいらに売っているものではなく、ある程度の魔力的加護が掛かっているので丈夫なほどは並みの金属製の武器や防具以上だ。ただ、元が普通の道具だったりする事が多いので加工をする為の費用が馬鹿みたいに高いのが欠点といえば欠点。それでも、日常的に使う事が出来る事や状況によって幾らでも使い回しが出来る事を考えれば欠点は欠点ではないと思って良いだろう。
「当然のことではありますが、こんな室内で攻撃魔法などを使われるのは遠慮願います。
ご存知であるとは思いますが、こちらはギルドがご主人様の為に使用を許可された保養所であり研究棟の一つです。いかに通常の建物とは異なり保護魔法がかかっているとは言っても、完全にと言うわけには参りません」
視界の外側では、完全にキャスレーヌが子供のように泣き喚いている。捨てないでくれという前に、そもそも付き合ってもいないのに頭の中が平和ボケして羨ましい限りだ。すがり付こうとした手は払われる前に届かないと言った有様で、これが舞台劇か何かだったら趣味は悪いけれどずいぶんと楽しめた事だろうにと思うと勿体無い気がしないでもない。
「ですから……お引き下さい。それとも、おやりになりますか?」
だから。
残念だと言う言葉がどこからか聞こえて、それもどこか遠くから聞こえる様な気がして。
油断だといわれてしまえば、確かにそうかも知れない。奢っていたといわれれば、そうかも知れない。
けれど、キャシーは決してどちらでもなかったと胸を張って公言する事が出来ると断言する。
キャシーの持つ二つ名『女中王』は女中の中の女中、全ての女中の中で王たる存在。それは、時に使用人の全てを配下に収め雇い主を守る存在であると同時に、時に雇い主を諌め力を貸す存在なのだ。
今、その背後に守り、諌め、力を貸すべき存在である雇い主から定められた「主人」を前にして油断? 奢り? そんなものは二つ名と引き換えにしてもあり得ないと断言するのがキャシーの誇りだ。
なのに。
『女中王』と呼ばれる事もあるキャシーと名乗ったメイド服の女は。
見た。
逆さまになった人の顔と、座り込んで懇願している女、女を無視してこちらに向かってこようとしていた少年と、契約によって仕える事になった主人と。
その主人に。
拾い上げたらしい棒で薙ぎ払った。
『夜明』と呼ばれる事もある少女が。
ドーンと呼ばれる事もある少女が。
こちらを見たのを。
薙ぎ払われた瞬間に見えたのが、血ならば良かったのに。
唐突に入った戦闘場面ですが、どうにも偏る傾向にあるので大体がキャシーの視線で展開しております。
キャシーにしてみれば、最初の一撃で交わせなかったのはドーンが殺さないように手を抜いているのは判りました。でも戦闘開始の理由までは判りません。
ドーンと一緒に仕事を請け負うと、こう言う事が度々あるので上位者はともかく下位ランクのギルド参加者はただでさえ良い評判を聞いていない為にもっと毛嫌いします。その為、性格のあんまりよくないギルドでは一度は強制的にドーンと組まされて将来を計られるわけです。知っているのでドーンが仕事を請ける場合は対象の新人が見込みがあるかも知れないと言う指針の一つになったりすると言う、実は意外でもなんでもなく人の心は複雑です。
では、今回の一言はキャシーより。
「素顔を見せろと言うお言葉に従うくらいならば契約破棄を申し出ます」
ハウスキーパーも出来て武術も長けている彼女の欠点は…お裁縫です。気が付くと魔術式を組み込んでしまうと言う変わった癖があるのです。しかもランダムなので効果はどきどきです。




