24 彼に何が起こったのか
世の中には想像もつかないような事なんて、掃いて捨てるほどある。
ついさっきまで、自分自身がどれだけ平和に生きてきたかなんて想像もつかないほど。
それこそ、世界がひっくり返るような事なんて意外と存在している。
案外、目で見える範囲の世界はとても弱く。
そして脆い。
突然だが、ラーカイルの顔は引きつっていた。
最近と言うほどでもない最近、こんな事が続くのは少しばかり神経が尖って来てしまいそうだ。否、すでに十分尖っている。
正直な話、休暇でも取ってゆっくりのんびりモンスター・ハンティングでもして来ようかと現実逃避を始めている己を発見し、また同時にそんな事は出来ないと言う事実を前に崩れ落ちたい衝動にも駆られていた。
はっきり言って、ここでヤケを起こしてちゃぶ台をひっくり返したとしてもラーカイルに同情をしたとしても責め立てる人物は多くはないだろう。ゼロだとは言わないが。
「アインス」
問題の一つ目は、ここにレンが居ると言う事だ。当然だが先程からドーンにひっつき虫よろしく、くっついているがドーンにガン無視されているのをざまあ見ろと言うべきかどうか少しだけ考えたくなった。もっとも、ドーンにしてみれば無視しているとか言う高尚な話ではなく単にそれくらいしか反応が出来ないだけだと言うのを魔道具を作成および調整した渦中の人物である以上は知っている。
本来、ドーンの纏っているマントとつけている眼鏡はドーンを守る守護的な役割を担っている。だが本来の目的を離れてドーンを周囲から孤立させる為の道具となっている。その点については、レンを同情する気はないがドーンを野放しに出来ないレンの気持ちも判らなくはない。
「アインス・ツヴァイン君……だったかな?」
もう一つの問題は、カーラとの話がまだ続きだった事も問題と言えただろう。
カーラは渋っていたけれど何を思ったのかいきなり了承したのだ、何か裏があったとしても十分に考えられるし逆に裏がないと考える要素がないとラーカイルは思っている。
恐らく、ラーカイルが想像する以上に面白い状況になるだろう。完全に傍観者となる事は立場上出来ないが、完全に生徒側になる事もまた教師としては出来ないので様子を見ながらと言う事になある。
「どうしてここに?」
「ええと……皆さんは知り合い、ですか?」
最後の問題は、アインス・ツヴァインと言う生徒が猛ダッシュでこの医療室に現れた事があげられる。
ラーカイルは教師権限でドーンやレンのクラスメイトの顔と名前と家庭環境と成績と素行を知る事が出来るが、ある意味で何の関係もないアインスがわざわざ医療室に来る必要は全くない筈だ。
何しろ、もし怪我や病気が発生した場合の医療室での騒ぎはほんの少しの事でも「これ本当に必要なわけ?」と言いたくなる程度のえげつないアラームが鳴り響くのだ。たまにノイローゼを起こす医療関係者も居るくらいだと言うのに、今の時間は特に何かあると言う話はなかった、筈だ。
「僕とドーンのクラスメイトだけど……何、どうしたの?」
レンに視線を向けられて、室内の顔ぶれの異質さに頭の中は疑問系でいっぱいだ。
はっきり言うと、なんで自分自身がこの部屋に来る羽目になったのか一瞬だけ忘れる程度には。
「病気ですか、それとも怪我でも?」
「え、怪我……て言うか、病気と言うか……」
「アインス?」
言われて、何か思う所があるのかしどろもどろになる。
一体何をそんなに困っているのかは判らないが、本人も頭の中でうまく処理しきれないのだろう。加えて、全力疾走してきたのか今はそうでもないが先程までぜいぜいと呼吸を整えるので精一杯だった。
「そう言えば、君。さっきドーンに言われて教室飛び出してきてたけど、何かわかったわけ?」
「あ、そう! それ!」
ずびし!
かっこつけているのかどうなのか、レンを指差したアインスはあっさり「人を指差すんじゃない」とレン、ラーカイル、カーラの三人に同時に言われて少し凹みたくなっていた。
「どれ?」
「薬!」
ぴくり、とラーカイルの耳が動いたのを誰が見逃さなかったのだろうか。
とりあえず、カーラはラーカイルの眼鏡が僅かに光った様に見えて少し怖かった。
「それで北邦領の奴らが変なことして……暴走? 大騒ぎになる前に逃げてきたけど」
「ば……なんで逃げてきたわけ!」
「そりゃあ様子を見るだけが仕事だからね、大騒ぎになるのが判っていて何とかしようなんて思うわけないじゃないか。そもそも……ここからじゃ事件現場まで遠くていけないよ」
その場に居た者達の間に、疑問符が飛び交う。
「どういう事、なんですか? アインス君?」
「俺、さっきちょっと情報ギルドに行って来たんですけど……」
ちらりとアインスがドーンを見たが、無反応なので止められる事はないと思ったのだろう。
逡巡しながらも言葉を頭の中で選んでいる様だ、実際に情報を扱うギルドの内容は無料ではない引き換えがある筈なので本来ならば情報を無料で誰かに教えるのは賢い事ではない筈だが。
「どうやら、学園都市の境界線ぎりぎりで半違法の『宴会』をどっかの馬鹿貴族がやっていたみたいなんです」
「曖昧だな」
「うん、これは情報ギルド所属の者なら無料で知る範囲の情報だから。俺だってそんなに階級高いわけじゃないから大した情報なんてないよ」
アインスの持ってきた情報は、こうだ。
違法な手段で学園都市の境界線上ぎりぎりの位置に、どこかの貴族が屋敷を構えていると言う。近々、その審議にあたる筈だったと言う程度ではあるが、そこに出入りをしている人達が問題で。
各方面の有力者達が違法な『宴会』をする為に集まっていた。
昼間からやるにしてはなかなか「問題」のある『宴会』で、そう言う場合は各方面で使用されている表ではなかなか手の入りにくい商品が「交換」されたりしていると言うもっぱらの噂だ。
その「商品」は多岐に渡り、ある意味で最も面倒な事になる場合がある。
詳細は省くが、色々な意味で「楽しんで」いた者達が悪乗りをしたのがそもそもの始まりで。
簡単に言うと薬で頭が緩くなっている最中、うっかり誰かが適当にくみ上げた魔法を作動させた。
本来はその場にあるからには売り物なんだろうが、実際のところはよく判らない。
何故なら、屋敷は崩壊して大なり小なり怪我人が発生。その中に、どうみてもこのあたりの人物とは思えない男性が居たのだと言う。
「男性……ですか?」
「どこか地方の人では?」
「違うみたいですよ、目が覚めてないから判らないんですが……その人、一度目が覚めたらしいって言うか半端に目が覚めて聞き取れない言葉を口にしたと思ったら、また気絶したって話です。
だから、きっとそのうちこっちにも連絡が来るかも知れません。来ないかも知れないけど」
ラーカイルとカーラは交互にアインスに問いかけるが、本当に「ただ見てきただけ」らしいアインスの言葉は曖昧模糊としている。もしかしたら、まだ言っていなかったり隠している事があるのかも知れないが隠している事など何もないのかも知れない。
「アインス」
「……ああ、うん。判った」
一体、二人の間で何をどうしたと言うのか、ドーンがアインスの名をただ「呼んだ」だけでアインスは幾つかの色々な事を理解したらしい。
「じゃあ、これで失礼します……ドーン、また後でな」
視線も向けない、言葉も交わさない、顔を見る事もないのは単に背後からレンがぎゅうぎゅうと腕を巻きつけているからに過ぎないのだが。
「え……?」
「ええと……説明、してもらってもいいですかね? ドーン君?」
「無駄だよ、意味ない」
「レン・ブランドン様?」
極々普通にアインスが医療室を出て……止める隙もなかったと言うか何と言うか。
とにかく、普通だったのだ。
あまりにも普通すぎて、ラーカイルもカーラも止める間を逃したと言うべきか。
「アインス・ツヴァインは自分自身の果たすべき役目を行いに行ったに過ぎないんだから、僕ら程度が止められる事なんて何一つないって事。
ラーカイル先生は知ってるだろう? アインス・ツヴァインは「ドーンの研究室に所属している」んだよ」
「……それが、理由。ですか?」
「当然デショ」
はたから見ると、お気に入りのぬいぐるみを抱きしめている様に見えるのだが……形状からすると抱き枕に見えるかも知れない。流石にこれだけ力を込めていると多少ではなく息苦しくなってもおかしくないと思うのだが、レンの腕の中に居るドーンは呻き声の一つすらあげない。
ようやく、カーラの目にもこれは異常事態なんじゃないかという気がしてきた。
「他所は知らないけど、ドーンの研究室の奴らは僕が直々に試験した程度には忠義心が厚い。
ドーンが許可しない情報を、しかも確定されているわけでもない情報を簡単に口割ったりするわけないんだ」
研究室と言うものに縁がない教職員と生徒では想像が出来ないのも当然と言うものだが、別にこれは普通な状況ではない。はっきり言って、レンが直々に試験を行う程度には実力と忠義心に厚く、そして演技派である事を要求される……研究室の中に居る間はともかく、研究室の外で気軽にドーンと交流を持つのをレンが許さないというのもある。
「そう言う物なんですか?」
「いや、私に聞かれても……研究室を持ってはいますが開いているわけではありませんから。そういうカーラこそ研究室に出入りしていてもおかしくないのでは?」
研究室とは言っても様々で、地道に研究する所もあれば何日も帰れないほど真面目すぎる研究に身をついやす事もあり、自室など物置同然と言う生徒も珍しくはない。
「私は家業がありますので……それに、私自身の研究もありますから。
ドーンの研究室って事は、ドーンが所属する研究室と言う事ですか?」
「いいや、あまり知られていないがドーンが持っている研究室だ。そこから僅かだが世に出てきた者も居るけど、流石にリッツ商会ほど大手に取り上げられるほどではないから知らないのも無理はない」
ドーンほどの研究開発に功績や速度があれば話は別だが、流石に大手に取り上げてもらう為には更なる向上がなければ難しいのは確かだ。何より、他の追随を許さずに発表を続けるドーンが居るのだから致し方ないものだろう。
「研究室の外でうっかり色々漏らされると困るんだよね、アインスは後で何かしてやるか……」
「ほどほどにしてくださいね、レン・ブランドン君」
「あいつら、最近調子に乗りすぎなんだよ。この間もマリアから守り通したドーンのお菓子をあいつらが……あいつらが……!」
「こらこら、そこで婦女子にバレたらまずい人として漏れたら問題のある何かが出てきてますよ。そう言う有害物質を撒き散らさないで、あとドーン様から離れて」
「お前、最後のが本音だろう!」
「どれも本音ですよ」
ラーカイルの眼差しがどんどん緩いものから冷たくきつくなっていくが、比例する様にレンの腕の力も強くなっている……どうでも良いが、中のドーンは本当に大丈夫なんだろうか?
「ええと……?」
「別にいいよ、カーラはもう『こちら側』だから隠す必要もないだろう」
「ある意味可哀想に、カーラはもう単なる恋する乙女ではいられないと言う事なんですね……」
「遠い目するな。でもラーカイルもカーラも研究室所属ってわけじゃないからここまでだな、それを言えば僕もそうだけど」
肩をすくめるレンが意外な台詞を吐くが、レンはレンで研究室とかギルドとかに所属はしていないのだそうだ。
確かに、肩書きがあるのは便利だが逆に肩書きで身動きが取れなくなってドーンに力を貸せないのが嫌なのだそうだ。どうやら、過去にそう言う目にあったらしい……幸い、その時には大した事にはならなかったけれど。かと言ってまた起きないとも限らないし、過去にあった事で学ばないと言うわけには行かないのだと言う。
「ああ、あの時ですか……」
「なんで知ってるんだよ」
「嫌だなあ、そんなの教えてもらったからに決まってるじゃないですか」
にこやかなラーカイルと、どんどん不機嫌になるレンの間にあって。
カーラは、それでも微動だにしないドーンを始めて尊敬した。
そういえば、昨日(?)は13日の金曜日で仏滅だったそうですね。
だからと言って、特に何が起きたと言う話は聞いていないのですが。
とか言いながら、知らない所では大なり小なり起きているのが世の中と言うのは、言うまでもない事なのでしょう。
だって、世界は回っているのですから。
と言うわけで、今回はマルグリット・キャスレーヌ女教師から。
「美人女教師とつけなさい!」
ただいま、借金地獄に両足を突っ込み始めた所です。




