1 日常
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その後は週に一度の更新を目指します。
慎重である事は必要な事だ。
それは全てに通じるものであると、その空間に居る全ての者は知っていた。
静謐な空間は、それだけで貴重なものであると言う事実も……。
残念な事ながら、得がたいものであるが故に。
知っていた。
「ドーン!」
それは、あるまじき事である。
もし、この場に「正常な思考回路を持つ大人」が存在していたとすれば言ったかも知れない。
しかしながら、残念な事に「正常な思考回路を持つ大人」は存在していなかった……大人そのものが存在していなかったと言う解釈もあるが、だからと言って「正常な思考回路を持つ子供」は過半数を占める割に優位性を持っていないと言う悲しい現実がある。
「待ってください、レン・ブランドン様!」
「レン・ブランドン様ぁ!」
「ちょっとドーン、レン・ブランドン様が呼んでらっしゃるのに返事もないとはどういうことなの。
すぐに出ていらっしゃい」
「ねえ、ドーンは奥?」
つい今しがたまで、広いとは言えない薄暗い室内を満たしていた静謐で清浄なる空気は木っ端微塵に打ち砕かれた。悲しい事に現実で、この室内に居る者達は眉をひそめながらも日常として受け入れている……受け入れさせられてしまっていると言うのが実際には正しい。
何しろ、彼女達は問答無用なのだから困る。
困るついでに、そこに彼はあまり関与していない。正確には、別に彼自身は特に何か悪いことをしているわけではないのだから当然と言えば当然だ。けれど、だからと言って彼が何一つ悪くないというわけでもないことが矛盾をはらんでいないと言う現実が何よりも矛盾だ。
「ありがとう、ドーン!」
べり。
広くはない室内が薄暗いのは、各々が自分自身でそれぞれ作業を行っているので狭く見えていると言う事もあるのだが、その人物達の心は一つではあったが……口にするほど愚かでもなかった。
「レン」
仕切られた扉の奥、普通ならばたいていは準備室として使われるものだろう。
いわゆる、倉庫と言っても良い。
だが、そこには淡く光るいくつかの球体に見える物体と、張り巡らされた管がある。
テーブルの上に載っているのだろうが、うっかり遠目で見ると浮いている様に見えてはじめて見たらうっかり悲鳴をあげてしまうかも知れない。
「ご、ごめん……」
なぜか扉をはぐように開けたのは、この薄暗い空間の中でも数少ない光を集めてスポットライトを集めて浴びているんじゃないかと思えるほどに美しい顔立ちをした少年だ。とは言っても、もうそろそろ少年と言うには少し精悍な顔立ちをしているが。
「まあ、レン・ブランドン様が謝る様な事は何一つありませんわ!
ドーンがうすのろで愚図で間抜けで、レン・ブランドン様を煩わせるのがいけないのです!」
レン・ブランドンと呼ばれた光り輝く少年は、髪の色が黒に近い藍色なので表情が際立って白く浮かんで見える……と言うのが、先程からドーンと呼ばれた全身を長衣でくるまれてるかの様に着ている人物の印象だった。
「そうですわよ、ドーンったらいっつもこんな所で引きこもりの様にしてるんだもの。
ほら、早くレン・ブランドン様にお詫びの一つでも申し上げたらどうなの」
「私としても、君がどこで何をどうしようが気にはしないがレン・ブランドン様がどうしても君と同じ部活が良いと言うからお付き合いしてるが……いい加減にレン・ブランドン様のお手を煩わせるような卑屈な態度は止めたらどうなんだ」
「ちょっと、皆……」
押しのける様な事は流石にしないが、レンの背後に居たのはそれぞれ褒め言葉で飾られてもおかしくない美少女ばかりが三人ほど。
「レン・ブランドン様、幾ら幼馴染で乳兄弟とは言え主人との立場の違いを教えて差し上げるのも温情と言うものですわ。
そもそも、公爵閣下とレン・ブランドン様のお力添えでこの学園に居る事が出来る身の上だというのに、レン・ブランドン様のお側に仕えないとは使用人の癖に傲慢にもほどがありましてよ!」
一人は上級貴族のレディ・リリアント・マイソロジー。通称はレディ・リリィ。
少し型遅れではあるし、場違いなほどではあるが質の良いドレスを着ている。
豪華な金の巻き毛とぱちぱちに整えられたまつげだけを見ていると、二通りの印象を周囲に与える事を彼女が知っているかどうかは別の話だ。
「レン・ブランドン様も、そろそろこんなの捨てて新しいのにすればいいのに……」
一人はアンレーズ・フォン・ブーリン。通称はアンヌ。
リリィより爵位は下ではあるし、比べると簡素に見えなくもないがふりふりでレースでピンクでリボンでドレープが多彩に散りばめられている。普通の感性からしたら場違いだといいたくなるが、側にリリィが居るせいかそこまで酷く見えないのが視覚マジック。
「レン・ブランドン様。言いたくはないがドーンに構うのもほどほどにしてはどうだろう?
アンヌではないが、あまり使用人と馴れ合うのは貴族としてどうかと思う。それに、レン・ブランドン様がそうやってドーンに優しくしていたらドーンが貴族を舐めるような性質になる可能性がある」
もう一人は、カーラ・リヒテンシュタイン。貴族ではなく大商人の家柄。
二人とは違ってパンツルックなので、一見すると護衛の騎士がよろいをつけていない様に見えなくも無いと言う少し悲しい見え方をされているのだが、スタイルは良い上に身長があるので内心微妙だったりする。
「いや、だから……」
この三人がレン・ブランドン時期公爵に入学当初から付きまとっていると言うのは、今や公然の事実だ。
ただし、この三人は勝手に付きまとっているだけであって付き合っているわけではない。
本当の本当に、ただ付きまとって勝手に言い争っているだけだ。
「ちょっとカーラ! それは先にワタクシがレン・ブランドン様に申し上げた言葉よ!」
一応ではあるが、この学園に在籍している間の彼らの身分は現実に左右される事はない。
どちらかと言えば、この学園で培われた経験値や成績が立場を決める事となる。
例えば、学園寮には幾つかのランクがあるが平民や流れ民の子であっても成績が良ければ豪華な部屋に住むことが出来る。そこに家や後見人の存在はまったく存在しない。
あるいは、例え上級貴族であろうと成績不振だったり問題児であれば部屋も待遇も落とされる。
もしもそれが嫌だというのであれば、学園の寮ではなく学園都市で一般市民や企業が経営している宿泊施設に高い金を使って借りれば良い。
「あたしも、カーラなんかにアンヌなんて呼んでいいなんていった覚えないんだけどー」
上級貴族のプライドで鼻持ちなら無いリリィ。
我侭なお嬢様の典型なアンレーズ。
一見クールな取りまとめ役に見えて、実際にはそうでもないカーラ。
三人が一緒に居るのは、単にレン・ブランドンを狙っていると言う為だけの話。
だから、別に三人は仲良しでもなんでもない。正直、相手をどうにか引きずり落としてレン・ブランドンを手に入れる為の捨石にしたいとすら思っている……かどうかは別である。
「ちょっと、三人とも……」
いつもの事と言えば、いつもの事。
そう、これは何時もの事である。
……が、何事も王道展開もあれば堪忍袋の緒が切れる事もままあるものだ。
「出て行け」
そう。
一人が激昂し、一人が冷めて、一人が冷静を求め、そして一人が事態を終わらせようとしたところで飛び込んできたのが、この言葉だった。
「もう一度言う、出て行け」
誰かのわななく音と、誰かの息を呑む音と、誰かの米神がぶちきれる音がして嵐が吹き荒れる瞬間を狙ったとしか思えない、そんな空白の中で。
「言っておくが、この場で暴れるとこの中身がぶちまけられて……どうなるか知りたいか?」
先に述べておくが、この場でレンを追いかけていた三人は女の子である。淑女とは言えない年齢だ。
ついでにいっておくが、それぞれ一生働かなくても贅沢をしなければ食べていける人とか贅沢しても食べていける人の集まりだ。贅沢がすきでもない人も居るが。
更に言えば、上流階級のマナーは一通り叩き込まれた将来が楽しみな粒ぞろいだ。見てくれだけは。
「ちなみに……」
よく、あんな格好で全力疾走が出来るものだと感心すらしていた所ではあるが。
「それをぶちまけたらどうなるんだい?」
取り残されたレンは、少しの笑顔で問いかける。
ぎりぎり引きずりかけている長衣を身にまとい、反射する眼鏡の光以外は表情が見えない相手を前に慣れたものだ。
「汚れる」
「……うん、そうだろうね?」
僅かに逡巡して、内心でそれは期待していた答えとは違うんじゃないかとレンの脳裏には過ぎった。
「配合の途中なんだ」
「うん、そうなんだ?」
と言う事は、まだいきなり爆発とか、いきなり発煙とか、いきなり閃光とか言う危険な段階ではないという事でもある……かも知れない。
そのあたり、ドーンはあまり必要の無い状況での明確な返答はストレートに聞かない限り与えてくれる事はほとんどない……例えば、数学の問題で答えだけを出すようなものの言い方が多いと言うことだ。
流石に、公的な場ではそれなりの態度と言うものをわきまえてはいるのだが。
「仕上げの段階ではなくて良かった」
「あ、そうだね」
「……レン」
「ごめんなさい」
声のトーンの変調に即座に対応はしてみる……が、ドーンは手綱を緩めるつもりは毛頭ないらしく。張り詰められた声はそのまま、ぴんと張った糸の様な厳しさがある。
通常、周囲はレンや取り巻きのような金持ちか権力者か元知名人などが入学する事の多い学園で、ドーンの様に後ろ盾こそあるものの有名無実な状況にある存在は居ない。
例えば、パトロンの庇護の下にある一般市民は己がいかに権力を持っている人の庇護にあるかを自慢するのが普通といえば普通だ。そうして強がっていなければ本物のセレブリティな人々の間で勝手な卑屈間に押しつぶされてしまうものらしい……たまに例外があるのは、よくある事ではあるが。
「もう二桁にも上る謝罪の言葉は意味がない。出禁にするよ、張り紙も読めないような奴の為に割く時間がもったいない」
「だってさあ……」
口尖らせてぶちぶちと文句を言う気持ちも、正直判らなくはない。
少なくはなく余波的な迷惑をこうむっているが、当事者でなくて良かったと常に人身御供となっているレンへ感謝の念を忘れたことはない……が、元凶もレン本人なのだから死んでも口にしたくないと思っている事は上手に生きて行く為の賢いやり方だ。
「暇なら手伝え」
まるでご主人様に見捨てられた小動物の様な幻が見えると、こういう場合のレンを見るとドーンは思う。
実際には、ドーンはレンの実家で働いている両親の関係で仲良くさせて貰っている。それこそ飼われている立場だと言うのは三人娘などに言われなくても重々承知している……が、人にはそれぞれ事情とか人生とか置かれた立場とかあるのだ。
ドーンだって、何も好き好んでこんな状況に居るわけではない。
たまに叫びたい衝動に駆られるけれど、言うと結果がわかっている事を口にするほどドーンは己が浅慮ではないつもりだった。
それぞれのキャラ達は裏設定の方が多いと言う矛盾。
気になる子が居たらご一報下さい。