16 常にこれから
問題がおきるのは大変な事だ。
何故なら、問題は対処しなければならないからだ。
放っておけば良い場合もあるが、最終的には係わり合いになるのならば最初から自分自身で対処して置いた方が楽な事だってあるのだから性質が悪い。
更に性質が悪い事に、それを傍観する事で楽しんでいられるかどうか。仮に巻き込まれた場合でもどうにかこうにかしうるだけの実力があるかないかで結果は思い切り変わるのだから怖いものだ。
「で?」
ラーカイル、と呼ばれている医師がいる。
正確には医師ではなく冒険者ギルドに登録している冒険者であり医療研究者だが、学園都市で教職員の座に着いている以上は間違いではない。
学園での評価と言えば、一歩間違えると優男にしか見られない風貌に対して「常に笑顔を称えた新緑の様な人柄」とか言われているが、腐っても冒険者(現役)なのでやろうと思えば柄の一つや二つ簡単に悪くする事はお茶の子ほいほい。
だが……冒険者ギルドでの評判は少し違い、されど今はどちらとも少し違う表情をしている。
頬が痙攣しているかの様に、または何かに耐えるようにひくついているのだ。
「レン・ブランドン君!」
「……何か用、あってもぶっとばすけど」
学園都市一の微笑みの貴公子(笑)と、学園都市一の美形学生の戦いは……今のところ、始まってもいない。
「ぶっとばすのかよ……で、何をどうしたらドーン様がこんなになるわけ?」
場所は医療棟のラーカイルの診察室で、ドーンは再びカーテンの向こう側で眠っている筈だ。
その直後から、レンは番犬よろしく陣取って身動き一つ取ろうとはしない。
まるで、カーテンの向こう側には親の敵でも潜んでいるかの様な凝視の仕方は著しくラーカイルの神経をがりがりと情け容赦なく削っている。
「レン・ブランドン、君が何をどうするかは勝手だが巻き込まれるドーン様の事を考慮しなくて良い理由には何一つないって事くらい、判らないって言ったら……」
「へえ、教職員が生徒に対してどうするつもり?」
せめて、ラーカイルに説明の一つ視線の一つも向けてくれれば話は大分違うだろうに……とは思うものの、そんな事をしたら逆にレンではないと言うのもラーカイルは知っていた。
よくも悪くも、レンにとってドーンが唯一の存在である事は変わらぬ事実に過ぎない。
「君は周囲の存在を……ドーン様ですら舐めきっている所がある。だが、世の中には上には上が居る事を思い知るといい」
「教職員がやたらと生徒に暴力を振るうなんて、良いと思ってるわけ」
ドーンですら舐めていると言う台詞には、少しだけ反応を示している……恐らく、自覚があるのかまったく自覚がないかのどちらかなのだろう。
「これは暴力ではない、躾だ……それに、暴力なんて君程度には必要あると思ってるのかい?」
流石にこの言葉にはかちんときたらしく、若干ラーカイルに意識を傾けているのは判った。ちなみに若干なのは、やはりドーンが眠っているカーテンを凝視し続けているからだ。
内心、瞬きの一つくらいしやがれと言いたくなったのはラーカイルだけではあるまい。見ていたとすれば。
「学園都市より排除命令を出す事だって出来るんだよ」
「罪状は」
「もちろん……君の不特定多数の女生を混乱させた上でギルド庁舎での騒ぎを持ち出せば、商工ギルドと冒険者ギルドの長二人はこちらの味方に付くだろう。少なくとも、君とドーン様を引き離すと言うメリットについてはすでに承知されていると思うよ」
ぎん!
流石に黙っていられなかったのか、レンが凝視していた視線を外してラーカイルに向けた。
そうして、ラーカイルは「可愛くなくていいからこっちに視線向けるの止めておけばよかった」とらしくない後悔をしてみる。
余りにも表情が「こいつ大丈夫か」と思わず言いたくなる様なもので、まともな医者だったら即効でベッドに放り込みたくある。
が、ラーカイルはレンの事を今の状況も含めて知っているのでベッドに放り込んだところで無駄なのは知っているから、そんな無駄な事はしない。
「そんなの、僕のせいじゃない」
「知っている。君の権力や財力、影響力を狙って女性が勝手に手に入るものだと勘違いして思い込んで自らを陥れて悪夢に踊り狂っていると言うだけの話だ」
「なら……」
「知っているさ、けれど君も知っていた。
知っていて、その上で今の現状がある場合は……誰のせいかな?」
ラーカイルは、怒っていた。
その事実をはじめて、レンは知った。今。
恐らくは、ドーンの事が決定打となっただけであって以前から不満ではあったのだろう。
レンが現在の状況に対して打つ手がない事を、手が打てないと思っていた事を。
「望んでない!」
「そう、君が望んでいたのはドーン様と二人で静かに暮らすこと。でも、そんなのは現状ではとても無理な事くらい判っている。
無理でも、ドーン様は放って置けば幾らでも君から離れる事は出来るけれど君がドーン様から離れるなんて事は君の実家が没落する程度にはあり得ない。そんな君のためにドーン様が受けてきた傷を思えば、今の君が受けている心の傷ごときが何だって言うんだい」
あからさまな精神攻撃がレンを襲い、レンはそれに対抗する事も逃げる事も出来ない。
的確すぎるラーカイルの言葉は、余りにもレンの本音過ぎる。
「でも嫌だ」
それは、ドーンを失うという事。
「いつかは失いますよ」
「誰がそんな事させるか……」
やれやれ、とラーカイルは内心で困り果てる。
そもそも論として、どれだけレンが望もうと周囲は決して許しはしないだろう……双方の親が両手話で万歳三唱だというのはレンには内緒だが、これは大人の汚い話だ。とは言っても、仮に将来ドーンがレンから逃げおおせたとしたら公爵家は潰れるに違いない。レンは次男坊とは言っても、若かりし頃のラーカイルよりはちょっぴり現実的な理想を掲げた長兄が家を出て王宮に入ったり出たりしている。その意味は内緒だ。
「ドーン様のお相手なら、私の方が余程適しているのですがね……」
ぎん!
アナタ タシカ マダ コドモ デスヨネ
思わず片言の言葉遣いで尋ねたくなるほどの殺気を出されて、思わず恐怖心すら感じそうになった。だが、考えてみれば単に相手を子供だと思っていたからこその驚きえであって。実際には子供の割りにはと言う程度でしかない。
何故なら師匠二人しかり、獣しかり、立場さえ考慮すればレン以上に殺気を放つ者などごろごろしている。
確かに、レン・ブランドン次期公爵は剣技に優れ、実戦は条件付けならば仲々良い所に行くだろう。
あくまでも、冒険者ギルドのランク付けとしてはだから旅人的な職業冒険者としてではないが。
「奢るな、お前など幾らでもどうにでも出来る……」
「承知してますよ、その上で言ってるんです」
我を忘れかけていたと言う事を思い出したのか、少しレンの顔はバツが悪そうだ。
そのあたり、まだ狂気に陥る事もしきれなければ大人にもなりきれない青少年らしい部分が垣間見えるものだと言う気が、ラーカイルにはする。
「それで、何があったのか教えていただけますよね?」
レン・ブランドンと言う少年は、少年だ。
例え彼の実家は公爵家で天然たらしの顔と遠すぎず近すぎずな距離を保つ少年らしくない風貌と言動をしていて、ある意味では限りなく万人に優しく。逆説的に言えば万人を遠ざけている人嫌いとも言える。
まあ、本人に自覚があるかはさて置いて。
彼の持っている能力は、非常に高い。概ねが幼少の頃からの英才教育の賜物ではあるだろうが、かと言って彼の理解能力と実行力を軽視するのは無意味どころか勿体無いだろう。
本人にしたら「やったら出来た」程度の認識かも知れないが、かと言ってやらなければ未来永劫、何事であろうとなし得ないのは周知の理に他ならない。
とは言っても、やはり彼は少年だ。子供だ。
絶対的に足りないものはある、経験だ。時間だ。
これから伸びるものだってある、重圧だ。気迫だ。
ラーカイルは、冒険者としてレンを見て見る。
別に、レンが冒険者になるならないは正直な所からすればどうでも良い。
恐らく、レンが冒険者ギルドに所属の冒険者となれば兄と同じ道を辿りたくても辿る事はないだろう……レンの実兄は冒険者ギルドに所属している。別に伝を頼ってというわけではないが、ドーンも所属している。
ドーンが行ってるのは発明や論文だけではなく、冒険者としての依頼をこなす事もしている。
偏に、己が他人に依頼をして工程不明なままで結果だけを見るのが本人の気質に合っていないと言うのもあるし、単純に依頼した場合の費用が結果に対してあまりにも高額だとドーンが判断した事が過去に何度もあるからと言うのもある。
更に、ドーンは「費用がべらぼうにかかるなら自力でゲットすりゃいんじゃね?」と言う自力本願な為にやってみたら結果として「あ、これなら自分でやった方がいいや」と認識したのも理由の一つだ。
ちなみに、大多数の理由としては「レンと言う重荷が着いている状態で行動を起こしたらどうなるか?」と言うセルフ議題があったのは誰も知らない。
けれど、少年に足りないものの一つは経験だ。
ドーンにしてみたら経験値の上がったレンなんて迷惑以外の何者でもないのだが、これはこれで後々の為になる事がゼロではないのだから判断が難しいのも確かだ。
かと言って、甘やかす気は毛頭ない。
ドーンの事とて甘やかす事は無かったのは、単にドーンはそれに見合った能力の持ち主だった為に実力向上の手伝いをしたくなったからだと言うのもある……後にかなりレンには恨み節を聞かされて夢にまで見たものだが。
当時の事を思い出すと、今でもうなされる事があるのだから良い大人としてはいい加減にしないといけないとは思うのだが……そういうわけにも行かないのは確かなので、そこはぐっと堪える。
「どんだけ馬鹿ですか」
ふと、一言告げたところで「そう言えば『居合い』と言う武術がどこかの国にあるとかないとか言う話がありましたね」などとラーカイルは現実逃避をしたくなった。無理だが。
「私もね……一応は聞いていたんですよ、多少は。
しかし、馬鹿だ馬鹿だ愚かだ頭の中身がちんくしゃだとは思ってましたが……まさかこれほどだとは……私もまだまだだったという事ですかねえ……」
「遠い目してんじゃねえよ!」
今日たまたま診察用の眼鏡をしていたのは、単にレンが飛び込んでくるまで仕事をしていたからだ。
もちろん医療用の眼鏡は一定以上の条件付けの魔力が付与されており、機密事項の書類を読んだりする時や治療を行う場合などに用いられる事がある。レンが飛び込んできた時には書類を読んでいたので、もしかしたらそれがギルド庁舎で起きた件に関する書類だったのかも知れない。
「遠い目の一つや二つしたくなっても当然じゃないですか、しかもあっさり人の名前出してんじゃないですよ……これで当分、商工ギルドと冒険者ギルドにねちねち文句言われるじゃないですか。
判ってるんですか? あの風体であろうとドーン様はどちらのギルドにも顔が利くんですよ、特に偉い人には好かれる体質なんですよ、それがドーン様の一般の生徒に立ち入れない哀れな境遇に対する防波堤の一つにもなってるんですよ、それなのにアンタ……商工ギルドの長の部屋を粉砕ってどういう事ですか」
呆れてものも言えない、などと言いながらラーカイルは遠い目をしている……場合によってはラーカイルにもペナルティ的な問題が降りかかる気がする。否、確実に降りかかるだろう。
何しろ、現状のドーンを作り出した一端を担っているのはラーカイルなのだ。これは「公爵家に命じられて仕方なく」などと言える範囲の問題ではない。
「貴方……いっぺん死んで見ます?」
ラーカイル先生、色々な意味で経験値高いです。
保護者でありストッパーでもあります。
ただ、もしレン・ブランドンと言う存在がいなかったとしたらドーンはレンの替わりに彼に捕らわれていたのかもしれません。現在のところでそうしないのは、単に男の事情って奴で。
男のって、大変。ですよね。