9 謎を明らかにする為の覚悟
それが事実である事を誰が知っているのか
それが目の前にある事を誰もが知っているのか
それを認める事を
さあ、覚悟の時間だ
当然なことではあるが、学園都市は都市全体が学校である。
しかし、学校と言うのは学校単体だけで完結する組織ではない。
無論の事と言われるかも知れないが、案外知られていない事もある。
例えば、トップであり天辺であり全ての決定権を持つ学園理事会……理事長を中心とした教育機関であり、全ての都市権限を持っている。ある意味、あらゆる国の要請を拒否する権限を持っている絶対者と言っても過言ではない。
理事会のトップである理事長は、ある意味からすれば学園都市の王だ。
その下には国で言う大臣クラスにあたる理事会がある。
各セクションのトップとジャンルの校長達がその下にあり、あとは校長の采配によって学園運営はされている。
それらを、蜘蛛の巣のように繋ぎ止めるのは商工農業に携わる人達、冒険者、それらを取りまとめるギルド……彼らの存在は意外ではなく大きい。
何しろ、教育とは非常に金が動くのだ。
商人でなくても大金の動きを感じ取れば、それは尽力を尽くすだろう……何しろ、そこには未来の自分達に関わったり、その子供達が関わるのだ。
理性だけでも、感情だけでもならぬ。
それが、すべての教育に関わる者の不文律だといわれている。
「あれ……え、と……カーラ?」
「レン・ブランドン様……こんな所でお会いするなんて……!」
何と言う運命の悪戯、とロマンス小説を読んでいたら。恐らくそんな文章がカーラの脳裏をよぎったに違いない……残念ながら、読んだことがなかったので欠片も過ぎらなかったが。
「そうだね、珍しいね。
こちらは……お友達、ご家族かな?」
「は、はい。レン・ブランドン様……。
テールトーマスとヒルデガルド、私の自慢の弟と妹です」
カーラは……至極残念な事に気が付かなかった。
レンの頬が引付を起こしかけていた事、紹介した弟妹を見ていなかったので誇らし気に紹介したけれど弟妹はどこか気まずそうに、それでいて複雑そうな何か言いたそうな顔をしていた事……若干引いていたかも知れない。
そして。
「テールトーマスと言います、初めてお目にかかります」
「ヒルデガルドと申します……あの、先程はありがとうございました」
「ヒルデ……レン・ブランドン様をご存知なのか……あ、もしかしてさっき言っていた助けてくれた人って……。
気が付かなくてすみません、レン・ブランドン様。そうですよね、学園都市広しと言えど実力で暴力事件を収める事が出来る方なんてレン・ブランドン様を筆頭にして数人いるかいないかと言うところですよね。
弟と妹が助けていただいたみたいで……本当にありがとうございます、レン・ブランドン様!!」
何だこの生き物は。
誰だこの別人は。
もしかして中身別人?
見た目だけ似ている他人とか?
頭でも打った?
とりあえず……うざっ!
誰の声かはわからないけれど、その空間の空気は概ねそんな色に染められていた事を冷静沈着のリヒテンシュタインの才女、リッツ商会の次代の寵児と呼ばれていた過去の栄光は遥か彼方に抜け落ちたカーラは知らない。
どうやら、何か抜けてはいけない頭の回路のねじがすっぽんと抜け落ちてしまったらしい……。
出来る事ならば、身内としては別人とか。百歩譲って頭を打ったとか病気でおかしくなった説を導入したいくらいではあるが……顔だけではなく全身に粘りつくような汗をかいているのを感じる。
「え……それ、は……」
確かに、顔は良い。
噂には聞いたことがあるレン・ブランドンは公爵家の次男にして跡取り息子。
地位も名誉もあるし、何なら姉が嫁に行って高貴な方々への磐石な態勢に更に強化を入れてもらうのはぜんぜん構わないし、テスは研究費用と資料を。ヒルデは玉の輿相手を融通してもらえるのならば更に良い関係を築けそうだと思ったのは確かだ……一瞬だったが。
「流石は文武に秀でたレン・ブランドン様! 弟妹がお世話になりながら、お礼もご挨拶も遅れてしまった事を本当に申し訳なく思っています……。
ああ、お前達。早くレン・ブランドン様に御礼を申し上げなさい」
「姉さま、それは……」
「違うのよ、姉さま……」
双子が先程言っていた事は、恐らくカーラの頭の中には欠片も残ってはいないのだろう。
変な人だった。
変な人が助けてくれた。
どういったら良いのかわからないくらい変な人だった。
確かに、言葉にするのが難しいほどの美形と言うのは普通ではない。
通常ならば、それは特別とは言っても変とは言わないだろうが……何かがぶち壊れたカーラの中では理想の王子様=レン・ブランドン=強い=普通ではない=特別=変と言う、不思議な公式が成り立ったのだろうと誰かが思った。
誰とは言わないが。
そうでなければ、普通ならば決してレン=変なんて公式が成り立つはずもないと言うのに本人に、しかも他の二人がいない状態で出会ってしまったと言う事でカーラの人として壊れたらまずそうな回路の幾つかが焼き切れてしまったに違いない……後の事を考えればそれは非常に迷惑な状況を持ち込む前哨戦となる。
誰とは言わないが、そこまで想像出来てしまってため息をついた人が一人。
「レン」
助け船を出したとは、本人は思わない。決して。
ただ、硬化した状況を打破するのに最も効果的な選択をしたまでで。
しかし、そう言う判断は間違いではないが大体が起きる反動もあると言うもので。
「ドーン……すまないね、時間が迫っているんだった。
そういうわけで、申し訳ないがそろそろ……」
「ドーン……『また』貴方ですか……」
うわ、目が据わってますね。カーラさん。
誰もが思ったけれど、ツッコミを入れる人は誰も居なかった。
「なんであなたが」
それは、唐突に現れた。
常であるならば、冷静な心を持っていれば「おや?」と思う程度には異常な現象だったのだ。
本当に、カーラが「正常」であったのならば。
「どうしていつも」
「邪魔だって思わないのか」
「なんでいつも」
「他の誰も」
「あなたなんて」
「いつだって」
それは、一人の口から出ている。目の前で口を開いているのはたった一人なのだから確かな事だろう。
だが、それは一人でありながら一人とは思えない。
まるで、沢山の人達が同時にしゃべって噂話をしている会場か何かに放り込まれたかの様な。
「相応しくない」
「甘えている」
「あの人の行為に」
「あの方に」
「図々しい」
「身分違い」
ぞわぞわとした感じが、カーラの背筋を這い回る。
例え、一般女子が嫌いな虫であろうと研究対象であるならば平気な顔をして素手で触れると認識しているけれど、これは違うと言うのが判った。
「ちょ……」
「たかが使用人の分際で」
「止めなさい!」
庁舎と言うのは、学校ではない。
授業も無ければ休み時間とて学校のそれとは異なる。
だから、あらゆる所に人がいてどこか雑然として、それでいて静謐な部分が混在している。
誰もが子供とは違う行動を必要とされ、誰もが子供扱いをされる事を必要としない。
ここに存在するのは、諸説事情を抱えながらも一人の人として一つの家を、会社を背負って現れている……筈だった。
「『私はアレよりはマシよ』」
ゆっくりと向けられた顔を過ぎったのは、恐らく恐怖心だったのだろう。
「いや!」
ぱしん
やけに軽い音をあげて、カーラは手ごたえを感じていた。
かしゃん
同時に、地面に落ちた軽い音を聞いた。
「ドーン!」
「「姉さま!」」
感じたのは、おぞましさ。
拒否したのは何だったのだろうかと思う。
「ドーン、怪我は……?」
そして思い出す……ここはどこだった? 自分は今、誰と何をしていた?
決して、一つの商会を将来とは言え担う者のして良い行動だっただろうか?
「あ……」
振り向き、僅かな後悔をする。
低い塊……恐らく、長衣のまま座り込んだドーンの姿だろう。
正面にはレンの背中が見えてドーンを支えているのだろうと思われるが、その隙間からこぼれ出ているのは金の輝き……何だろう?
レンは見なかったのだろうか、あの「異質」さを。
誰も感じなかったのだろうか、あの「恐怖」の塊とも思える感じを。
「姉さま……」
「何があったのかはわかりませんが……大丈夫ですか、姉さま?」
「あ、ああ……」
弟妹に支えられて、やっと己を取り戻した気がした。
ぞっとしたのは、自分が今何をしていたのかと言うのもそうだが。今対峙していた何かについて心当たりがある様な気がしたというのもある。
「立てる? そう……良かったけど……どうするかな……」
少し困ったような顔をしているレンの姿をぼんやりと見つめながら、視界の隅に何かがきらきらと光を反射しているのが見て取れた。
眼鏡、だ。
「あの……!」
「……なんですか」
流石に、いつもの様な言い方ではなかった。
どこか混乱しながら落ち着けば、その理由には思い当たる……自分は何をした?
幾ら怖かった……違う、異質さを感じたからと言っていきなり手を上げてよい様な事をしただろうか?
何かがあったのだろうか?
「何事ですか!」
遠くから、何人かの男達が走りよってくるのが判った。警護の役職についている人達だ。
「喧嘩ですか?」
ギルドを含めた庁舎には揉め事が起きた時に即座に対応できる警護の位置に居る人たちがいるのは当然だが……その為に、そこかしこに監視システムが配置されている。
勿論、組織ぐるみの問題となるとそうでもないが大体はギルドから長期雇用として入れ替わり立ち代りで契約を結んでいる……そのあたりにはカーラたちの実家が主体のリッツ商会も絡んでいるのだから対応が早いと感心するべきだろう。
これが、抜き打ちの検査であったならば。
「リッツ商会のお嬢さんであろうと、問題を起こされるのは困ります」
どうやら、今の当番はある程度の実力者なのだろう……一介の契約者が雇用者の会社の跡取りを知っている者はそう多くない。
「いえ、違います……」
そこに聞こえて来たのは、聞き覚えのない声だった。
違う、聞いたことはあるのだが違う。
カーラは、先程とは別の意味で戸惑った。
「虫が……彼女が払ってくれたんですが、驚いてしまって……勢いで眼鏡が落ちてしまったんです。
皆さんには手を煩わせてしまって、申し訳ありません」
「そうですよ、皆さんが優秀なのはよく判っています。そこまでぴりぴりしなくても大丈夫ですよ、そんなに躍起になってアピールしなくても僕たちはよく承知してますから」
「これは……お二人でしたか、失礼をいたしました。
お嬢さんも、疑ってしまい申し訳ありません」
レンとドーン……の、筈だ。
けれど、なんだろう今の態度は?
今の瞬間まで、彼らはカーラに向けていた態度とは余りにも異なるのではないだろうか?
「理解してもらえたのであれば大丈夫です、仕事ですから仕方ないですよね」
「レン・ブランドン様達がいらっしゃると判っていれば、まさか勢い勇んできたりなしませんでしたよ」
どこか呆れを含んだ口調に聞こえて、カーラは頭の回転が付いていかない。
「何しろ、貴方達と来たら……」
「まあまあ……眼鏡が壊れてしまっただけだから、あまり気にしないで下さい。
何か言われたら、僕達がここに居たことを言ってくれればいいですよ」
「判りました」
レンの腕に囲われたのは、長衣にくるまれた人物。
それはドーンと呼ばれている学園一胡散臭いと評判の人物。
だというのに、学園一貢献している事をカーラは知っている……例え、その功績が表向きはレンの公爵家を通してもたらされたものだとされていても、その恩恵の一部をカーラは受けているのだから。
「あれは……誰?」
人は認めなくてはならない時がある
どれだけ記憶と合わないと思っても
幻想は打ち砕かれる事がある
覚悟が必要だったのは……