フロリダ ケープカナベラル
二日前に日本を出発し、あと30分も経てば、地球を出発し、6年間は地球に帰ってこれない。
(それにしても、地球で見れる最後の風景がフロリダの湿地帯の風景とは味気ないものだ)
近藤信也は、スペースプレーンの小さな窓から見えるただ広大な風景を見て思った。
2036年の時代においても、赤道付近から衛星軌道にあがるのが、一番効率的だという事実は変わらない。
そのため、滑走路を使って離陸するにも、関わらず70年前と変わらず、ケープカナベラルからスペースプレーンは離陸していた。
赤道付近に行かないといけないということは、宇宙エレベータが実現されたとしても、変わらないのではないだろうか。
今回地球に戻ったのは、宇宙での訓練を終え、出発を前に、友人や知人、親戚一同と別れを告げるためだ。
家族は、政府の計らいにより宇宙ステーションまで、見送りに来てくれることになっているが、さすがに何十人もの人間を呼ぶわけにはいかない。
地球に戻り、小学校時代の友達、選抜宇宙学校時代に出来た友人、田舎の親戚一同と、一週間ほどあいさつに回った。
一度行ったら、6年は帰ってこれない。
死ぬわけではないので、まだ気楽だが、やはり長い。
もっとも、自分は人工冬眠をするので、体感時間としては1年程になる予定だ。
同級生が23歳になる時、自分は18歳(戸籍上は23歳だが)。
多くの者は順調に行っていれば社会人になっており、もはや、同じ同級生とは言えないだろう。
まぁ、自分も宇宙飛行士という仕事に着くわけで、社会人と言えば社会人だが。
自分だけ、置いていかれた気分になるのではないだろうか。
そして、そもそも、未来において同級生になる今の12歳の子供たちと話が合うのだろうか。
たぶん、合わないだろう。
そんなことを考えていると、出発のアナウンスが流れ始めた。
地球で乗る飛行機は、特別待遇で、寝られるほどのファーストクラスだったが、スペースプレーンの席のサイズは格安航空のエコノミークラスなみだ。
少ないスペースにどれだけ多くの人間を詰められるか、格安航空と同じ発想のもと、大変狭いスペースで立って乗るという結論になった。
立ち続けるというと大変そうな感じだが、ステーションの軌道までは1時間ほど到着する。そうなると、無重力で座ってようが立っていようが関係ない。ドッキングの時間も含めて2時間もあれば、ステーションには着いてしまう。
非常に合理的だ。これにより、運賃を30%も節約できるそうだ。
◇ ◇ ◇ ◇
スペースプレーンが動き始め、退屈な風景が変わり始めた。
離陸すると、速度はそれほど上がらないが、どんどん高度を上げていく。
アメリカン航空が所有するボーイングS203は、2段式で、1段目の大型の高速ジェット機の背中に宇宙機を乗せて飛行機のように離陸する。スクラムジェットを用いて高度3万mまで上昇すると、自分たちが載る宇宙機は離脱、ニトロロケットエンジンで大気圏を脱出し、1段目は地上に帰還する。
高度1万メートル程に達すると、飛行機は速度を上げ始める。空気がありすぎると摩擦抵抗とその熱により速度を上げることが難しいためだ。
高度3万メートルで、マッハ12程になると、宇宙機を分離する。
このあたりになると、空は既に青くなくなり、宇宙に近いことを実感する。
宇宙機は分離すると、ロケットエンジンにより、ステーションのある低軌道まで上昇する。
低軌道に到達するまで、わずか1時間。東京からフロリダまで乗り継ぎこみで8時間もかかるのに、宇宙に行く方が早い何て不思議な気する。
低軌道に到達してから、ロナルド・レーガン宇宙港にドッキングし入れるようになるまで、だいたい1時間かかる。
その間は、窓から、めまぐるしく変わる地球の風景を眺めたり、CAが持ってくるコーヒーを飲みながら時間をつぶす。
これは不思議と何度体験しても飽きがこない。
◇ ◇ ◇ ◇
そうこうしていると、ロナルド・レーガン宇宙港が見えてきた。
予定では、出発の日までは、ここで体調管理やマスメディア対応をすることになっていた。
ロナルド・レーガン宇宙港は、20世紀後半におけるもっとも偉大な大統領ロナルド・レーガンから名づけられたアメリカ合衆国最大のドーナッツ型総重量40万トンの大型宇宙ステーションだ。
港湾機能以外にも、工場、研究所としての機能や街として機能も持っており、年間200万人もの人が行き来している。
つい20年前までは、400トン程度の国際宇宙ステーション(ISS)が世界最大だったことを考えると、この10数年の宇宙開発のスピードの速さは、まさに驚異的だ。