Lv.2 隠者の住処
[Ⅰ]
あれから移動する事、約5分。
俺は老人に連れられて、とある岩山の一画にある洞穴の中へと案内された。
たった5分程の移動であったが、俺はこの地の険しさというものを少し体験した。
実はここに来るまでの道中、化け物には遭遇しなかったのだが、岩山が険しかった為、俺は転んで腕を擦りむいてしまったからだ。
おまけに結構高い場所を進んできたので、高所恐怖症の俺からするとヒヤヒヤもんだったのである。
普段こういう場所とは縁のない生活を送ってきたので、こればかりは仕方ないだろう。
大きな怪我がなく辿り着いた事を喜ぶべきなのかもしれない。
さて、そんなわけで洞穴だが、内部は自然にできたであろうドーム状の空洞といった感じであった。
床は歪な形状だが、まぁまぁ広い。10坪ほどありそうな居住空間である。
また、周囲が固い岩の壁に覆われている為、俺達の歩く足音等がよく響いていた。
そういった所は、まさしく洞窟といった感じだ。
だが穴の中とはいえ、不思議と暗くはなかった。
よく見ると、岩壁の一部に穴が幾つかあり、そこから外の明かりが少し射し込んでいるからだ。
その他にも、住処というだけあり、ここにはベッドや本棚にテーブル、そしてタンスのような生活雑貨が置かれていた。
ちなみに、それらは何れも飾りっ気のない質素な感じの物ばかり。
以上の事から、洞穴内は、非常に生活感の滲み出ている空間となっているのである。
だが、俺はそんな事よりも、別の事に意識を向かわせていた。
いや……その事を考えざるを得なかったのだ。
俺が今、考えている事……それは、老人が言っていたあの化け物の名前と、それを葬った魔法のようなモノについてである。
老人はあの化け物の事を「ガムル」と呼んでいた。
それから老人は、あの化け物を「ファーラミ」という言葉を発して火達磨にしたのだ。
この2つの言葉……俺の記憶に間違いなければ、ガキの頃に遊んだTVゲーム『龍の神の幻想譚』に出てきた固有名詞である。
前者はモンスターの名前で、後者は魔法の名前だ。
最初、俺は手の込んだ悪戯かとも思ったが、どうやら、そんな生易しい言葉では片づけられない事態になっているのかもしれない。
化け物はともかく、あの魔法はどう考えてもあり得ない。
言葉だけで、何もない空間に巨大な火の玉を作り出すなんて事は、悪戯でもまず不可能だからだ。
勿論、手品という可能性もあるのかもしれないが、そういった仕掛けがある気配がまるで感じられなかった。
その為、俺は今、パニック状態なのであった。
(これは夢なのだろうか? というか、さっきの魔法みたいなのと化け物はなんなんだ一体……)
ここに来る道中、お約束通りに俺は頬をつねってみた。が、当たり前のように頬には痛みが走った。
俺は次に、幻でも見ているのかと思い、何回も目を擦ってもみた。が、しかし、見える光景は変わらず、この岩山の世界なのである。
考えたくはないが、俺は今、とんでもない事になっているのかも知れない。
またそう考えると共に、酷く陰鬱な気分にもなってくるのであった。
(いや……その前に、何で俺はこんな所にいるんだ?)
それが一番の疑問であった。
俺は目を覚ます前の記憶を思い返した。
(ええっと……確か昨日、俺はスーパーでバイトをして、それからアパートに帰る為、電車に乗った筈だ。乗った時間は、夜の10時を回ったところだったか。この時間帯は電車内も人が疎らだから、俺は空いている席に適当に座った……よな? で、バイトによる疲れか、そこで瞼が重くなりウトウトとしてきたのは覚えてる。問題はこの後だ。次に目が覚めた時、この老人に呼び起されていたんだよ。その間の記憶が、すっぽりと抜けているんだ。もしかして……拉致?)
因みに、今の俺の服装はバイト帰りのままであった。
下は茶色のカーゴパンツとスニーカーで、上は長袖のカットソーというラフな出で立ちである。
この状況を考えるに、電車に乗った時の状態で、俺がここに来ているのは疑いようのない事であった。
その為、電車で拉致されたのかとも一瞬思った。が、よく考えてみると、そんな感じではないのである。
なぜなら、カーゴパンツのポケットにはスマホや財布といった物がちゃんとあり、紐やロープで手足が縛られた形跡も、全く見当たらなかったからだ。
もし俺が拉致実行犯ならば、連絡手段は取り上げ、身体の自由を与えるような事は絶対しない。
拉致する以上、そこには監禁という状況が、長期的にせよ短期的にせよ必然的についてくるからだ。
特に引っ掛かったのはスマホである。
こんな外部との接触ツールをそのままにしておくだろうか?
いや、多くの場合、そんな危険な物は取り上げるに違いない。
そう考えると、今の状況が拉致とはあまり考えられないのである。
とはいうものの、スマホはさっきからずっと圏外なので、あえて放っておいた可能性も否定できないが。
何れにしろ、腑に落ちないことが多すぎて拉致とは考えられないのであった。
(本当に訳が分からない……ああ、何でこんな事になったんだろう。というか、俺は帰れるのか?)
答えの見つからない疑問に頭を悩ませる中、老人は中央にある四角い木製のテーブル席に俺を案内した。
「では、そこにある椅子に座ってくれ」
「え? は、はい……」
言われた通り、俺は木製の椅子に腰かけた。
老人も対面に腰を下ろす。
「さて、ではまず自己紹介といくかの。儂はヴァロムという者だ。世俗を離れ、今はこのベルナの地で隠居生活を送っておる。まぁ俗にいう変わり者の爺といったところじゃ」
次は俺の番だ。
「じ、自分は三崎小太郎と言います」
「ミサキコタロー? 変わった名だな」
この人の発音を聞く限り、姓と名の区切りが感じられない。
どうやら勘違いしてるようだ。一応言っておこう。
「あの、三崎が姓で小太郎が名前になります。なので小太郎とでも呼んで下さい」
「ン、家名を持っておるという事は……お主、貴族か?」
「は? いや、貴族じゃないですよ。ごく普通の家ですが……」
この人の言う貴族がどういう意味かよく分からなかったが、とりあえず、俺はそう答えておいた。
ヴァロムさんは少し怪訝な表情をしたが、すぐ元の表情に戻り、話を始めた。
「ふむ。……まぁよい。ところでお主、一体何があったのじゃ? あんなところで気を失っていたという事は、魔物にでも襲われたのか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
さて、どう答えたもんか。
何も言葉が見つからない。
俺が返答に悩む中、ヴァロムさんは続ける。
「このベルナ峡谷はな、イシュマリア国の最南端に位置しておる辺境の地じゃ。故に、この地に住んでおる者など、極少数。あとは魔物しかおらぬからな。それにお主のその格好……それは、凶悪な魔物が住むこのベルナ峡谷では、あまりに不釣り合いなのじゃよ。だから、あそこで何をしておったのかが儂は気になるのじゃ」
イシュマリアのくだり部分がよく分からないが、とりあえず、ここで俺みたいな奴がウロウロしていることは、通常ありえないのだろう。
まぁそれは分かったが、俺自身、なんでこんな所にいるのかを説明できないので、返答しようがない。
とはいっても、何か話さないと前に進まない気がした。
(どうしよう……昨日からの出来事を話した方が良いのだろうか……とりあえず、話してみるか……)
俺は少し迷ったが、とりあえず、話すことにしたのである。
「いや、それが実は……」――
とりあえず、俺は今までの事を軽く説明をした。
日本の東京という場所にいたという事。年齢は20歳で、わけあって今年大学を中退し、今の職業はフリーターであるという事。そして気が付いたらこの地にいたという事などをである。
理解できているのかどうかわからないが、ヴァロムさんは目を閉じて、静かに俺の話を聞いていた。
そして一通り説明し終えたところで、俺はヴァロムさんの言葉を待ったのである。
暫くするとヴァロムさんは口を開いた。
「……ふむ。なにやら複雑な事情がありそうだな。ところでコタローよ。今、ニホンのトウキョーという場所にいたと言ったが、このイシュマリアでは聞かぬ名だ。それは一体どの辺りにあるのだ?」
「そ、それがですね。気が付いたらこの地にいたので、どこにあるかと聞かれると俺も困るのですよ……」
「気が付いたら、か……。お主、さっきもそう言ったが、それは本当なのか? 嘘を言ってるのではあるまいな」
ヴァロムさんは眉間に皺をよせ、怪訝な視線を俺に投げかけてきた。
説明しておいてなんだが、このヴァロムさんの反応は予想していた通りのものだ。
とはいえ、信じてもらう以外ない。
「本当ですって。それに、俺もここがどこなのかサッパリですし」
俺達の間に妙な沈黙が訪れる。
この空気が嫌だったので、とりあえず、俺からも訊いてみた。
「あのぉ……俺からも訊いていいですか?」
「ああ。何じゃ?」
「アメリカとかロシアといった国の名前や、地球、もしくはアースという言葉は聞いた事がありますか?」
「ふむ……アメリカ……ロシア……チキュウ……アースのぅ。そのような国の名は、聞いたことなど無いな」
ヴァロムさんはそう告げると頭を振った。
「そ、そうですか……」
俺はこの反応を見て、理解した。
それは、ここが俺の住んでいた世界ではないかもしれない事と、考えたくはないが、もしかすると、あのゲームの中にいるかもしれないという事をである。




