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8. メイクアップ

 翌日の午後。

 目を覚ましたリズベットは、凄まじい食欲でブランチを平らげると、すぐさま図書館へと向かった。そこではギスカールとシャロナがすでに彼女を待っていた。


 本格的に書を読み進める前に、ギスカールはリズベットの適性テストを行った。診断の結果、彼女は膨大な魔力を保有しているものの、「魔導回路」が存在しないため、魔法そのものを発動させることはできないことが判明した。


「このようなケースはままあります。一般の人なら、聖騎士を目指すか、魔導具を扱う分野へ進む場合が多いです」


 ギスカールの説明に、リズベットは少し落胆したが、すぐに「自分にできること」に専念しようと気持ちを切り替えた。


(「芸は身を助ける」とも言うものね。化粧品さえ作ることができれば、間違いなく食べていく道は開けるはずだわ)


『美の錬金術』が自分にとっての活路になると確信し、彼女のやる気は一気に跳ね上がった。



 図書館に(こも)りきりで3日が過ぎた午後のこと。

 図書館の扉を激しく叩く音に気づいて部屋を出たシャロナが、困り顔で戻ってきた。


「ジルマさんが、今すぐ奥様をお連れしなければならないと仰っています」


 その言葉を聞いて、リズベットは朝にジルマから釘を刺されていたことを思い出した。今夜、アルゼンが帰宅する前に身なりを整えるよう言われていたのだ。


「今日はここまでにしなきゃ。アルゼンが来る前に準備が必要なんですって。また明日」


 ギスカール親子に挨拶をして図書館を出たリズベット。その姿を見たジルマは、大きなため息をついた。


「まあ、顔が半分になってしまわれて……。目の下にはくままで。新妻のお姿がこれでは困ります」


 侍女たちに促されるまま身を清め、メイクを施されたリズベットだが、鏡を見て絶句(ぜっく)した。 顔中に真っ白なパウダーをはたき、唇には真っ赤な紅。まるで歌舞伎の舞台メイクを彷彿(ほうふつ)とさせる仕上がりだったからだ。


「ジルマ、これは……」

(くま)をカバーしようとしたら、仕方がありません。お肌も荒れていらっしゃいますし」


「いくらなんでも、これはちょっと」

 これまで化粧や身だしなみなど二の次だったが、あの聖典の影響だろうか、今の彼女にはこの「美しくない」状態が気に障った。


 結局、リズベットは顔を洗い直し、自ら筆を取った。

(辺境伯夫人が使うものだから、高価なんでしょうけど、色は限られてるし、品質もいまいち。おまけにこのパウダー、絶対に肌に悪いわ……)


 不満を感じながらも、今あるものを最大限に活用してメイクを仕上げた。それを見たメリンダの目が丸くなる。


「奥様、全然違います! お肌がずっと滑らかに見えますし、なんてお綺麗なんですか!」

「そう? ありがとう」


 リズベットは素直に称賛を受け入れた。自分でメイクを完成させると、ようやく本来の自分に戻れたような気がした。


「では、髪を整えますね、奥様」


 エリが髪を梳かし、火で熱した鉄のひばしを手に取るのを見て、リズベットは飛び上がった。

「そ、それで髪を焼くつもり!? 枝毛だらけになっちゃうわよ!」


 エリは逆に不思議そうな顔をした。

「これ以外に、髪を整える方法なんてありませんわ。綺麗なカールを作るには、こうするしかないのです。今までもずっと、こうしてまいりましたが……」


「じゃあ、本当に、ほんの少しだけにしてね」

 エリが髪を巻く様子を、不安でたまらないといった表情で見守りながら、リズベットは心に誓った。他のものはともかく、「化粧品」と「ヘアケア製品」だけは、何が何でも自らの手で作り出そうと。


        ***       ***


 ダイニングルームでリズベットと向かい合ったアルゼンは、目を細めて彼女をじっと見つめた。


(なによ……。私の顔に何か付いてるのかしら?)

 リズベットが顔色を伺っていると、アルゼンは別の話題を切り出した。


「図書館でずっとギスカール親子と過ごしていたそうだが、一体何をしていたのだ?」

 

「あ、はい。ギスカール様がお持ちの古い書物を、一緒に読み解いていただけです」


 リズベットは、本に関する詳細な言及は避けた。ギスカールから、本の存在については外部に秘密にしてほしいと頼まれていたからだ。


「ギスカールが、君の語学力を絶賛していたぞ。多言語に精通していると」

「いえ……。ほんの(たしな)み程度ですわ」


「ここでは恐れる必要はない」という彼の言葉を完全に信じたわけではないが、以前ほど彼を相手にするのが苦ではなくなっていた。それでも、やはり心を開くことはできない。


 自分はこの場所を、そしてアルゼンという男を通り過ぎていくだけの存在なのだ。この世界での本当の人生は、ここを去った後から始まるのだから。


「明後日、祖父様と母上に会いに行こうと思う。母上の静養先で一晩泊まる予定だから、準備をしておけ」


「はい」

 リズベットの脳内が、瞬時に慌ただしくなった。


 アルゼンの家族。先代の伯爵である彼の父は数年前に事故で亡くなり、人々が「大伯爵」と呼ぶ祖父と、療養中の母親がいることは、侍女たちの話で知っていた。


(会いに行く前に、あの方たちについて調べておいたほうが良さそうね。明日、シャロナに聞いてみようかしら)


 当面はこの場所に順応して生きていかなければならない。ならば、これ以上上の人々に嫌われるのは得策ではない。


 ふと、初夜の晩に侍女たちが扉の外で話していた内容が頭をよぎった。結婚式と披露宴で見せたリズベットの態度に、大伯爵がひどく憤慨(ふんがい)していたという話だ。

(第一印象からして最悪みたいだけど……。どうすればいいのよ)


 リズベットが考え込んでいると、アルゼンが釘を刺すように言った。

「先に言っておくが、今日から夜の酒は禁止だ」


 何事かと思って顔を上げると、アルゼンの口元には微かな笑みが浮かんでいた。

「君の酔った姿はなかなか面白いが、伯爵夫人が酒浸(さけびた)りというのも困るからな」


 リズベットは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

(よくもまあ、そんなことを……。いよいよ本性を現してきたってわけ?)


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