6. ギスカール親子
夢を見た。 夢の中の彼女はまだ幼い少女で、ある男の手を握り、見知らぬ屋敷の前に立っていた。男が言う。
「リズベット。今日からお前はこの家で暮らすんだ」
リズベットは顔を上げ、男の顔を見た。けれど、男の顔は白い霧のようなものに包まれ、おぼろげな輪郭しか見えない。
男が扉に近づき、そこにかかった大きな輪を掴んで扉を叩いた。
ドン、ドン、ドン。
その音で目を覚ましたリズベットは、しばらくの間、ぼんやりと天井を見つめていた。
(リズベットの記憶……?)
夢の中の少女は自分自身でありながら、その姿を客観的に見ることができた。12歳ほどに見えるその子は、悲しみと不安に満ちた瞳をしていた。
ここに来る前、リズベットはどんな人生を歩んできたのだろうか。もし今の夢が彼女の記憶で間違いなければ、彼女はやはり、元から公爵家に関わりのある人間ではないということだ。
永遠の秘密などない。結婚式の日にここにいた公爵家の使用人たちをはじめ、リズベットの正体を知る者は少なくないはずだ。公爵家がいかに口封じをしようとも、破滅の刃がいつ頭上に振り下ろされるかは分からない。
リズベットは朝食を終えるなり、身だしなみを整えるのもそこそこに、図書館へと向かった。
明け方に出たアルゼンは、今日から外務があるため3日間は戻らない予定だ。 その3日間で、図書館にある情報を可能な限り探り尽くそうと彼女は心に決めていた。侍女たちには、昼食も夕食も図書館でとるから簡単なもので済ませたいと伝えておいた。
図書館にはギスカールではなく、シャロナという名の女性魔導士がいた。ギスカールの娘である彼女は、父と交代で図書館を管理しているという。
「父が、奥様が興味を持たれそうな本を選んでおきました」
そう言って、シャロナは特別閲覧室に数冊の新しい本を運んできてくれた。
「ありがとうございます」
「必要なものがあれば、いつでもおっしゃってくださいね」
そう言い残して閲覧室を出たシャロナだが、遠くへは行かず、付近をうろうろしながらリズベットの様子を伺っていた。
リズベットは昨日に引き続き、ラベンナと周辺二か国の文物や風俗、近年の情勢に関する書物を読み耽った。主に紀行文や探訪記の類だが、興味深い内容が多く、読み物としても純粋に面白い。
そんな中、本ではなく数本の巻物が混ざっているのに気づき、リズベットはそれを広げてみた。計6本の巻物には、番号の書かれた紙が挟まれている。一般的な紙とは異なる、古風で独特な質感の巻物には、今まで見たどの文字とも違う特異な文字が記されていた。
何か重要な文書かと思ったが、内容は意外にも一人の男の日記だった。日記は「イデマルク」という名の男が、税務官の試験に合格した日から始まっていた。
父は石工、母は市場で野菜や果物を売る家系。そんな彼が税務官になったのは大変な慶事だったようで、村を挙げての祝宴を開いたと記されている。
新米税務官としての業務や結婚、その後の日常が綴られていた一本目の巻物から二本目に移ると、突如として数年の時が跳んでいた。その間に中級税務官へと昇進したイデマルクは、各地へ出張に出かけていた。出張先での仕事や、各地の見どころ、食べ物の話などが多彩に登場する。
3本目の巻物はさらに数年が経ち、10代前半になった息子の話が出てきた。息子の成績が悪いという嘆きに続き、「先生に付け届けをしなかったから体罰を受けた」という息子の訴えを聞き、結局は金を包む羽目になったという。先生と息子をまとめて罵倒しながら愚痴る一節には、思わず笑みがこぼれた。
ちょうどお茶をいれて持ってきたシャロナが、さりげなく声をかけてきた。
「何か、面白い内容でもございましたか?」
「ええ。イデマルクという方の手記なのですが、内容がとても素直で面白いわ」
ちょうど腰も張り、目も少し霞んできたところだったので、リズベットは茶を飲みながら巻物についてシャロナと雑談を交わした。 シャロナはこの巻物をまだ読んだことがないようで、興味津々で耳を傾けている。
シャロナとの会話は存外に楽しく、リズベットは図書館で彼女と昼食を共にしながら、様々な話をした。シャロナはリズベットの私生活について根掘り葉掘り聞くような真似はせず、自分自身のことを率直に話してくれた。
ギスカールが辺境伯家で働いて今年で20年目。シャロナは騎士である夫と結婚し、三人の子供がいる。長女のシャイナは冒険者になり、現在は独立して家を出ているのだという。
リズベットの立場からすれば、シャロナを通じてこの地の情報を多角的に得られるのは、この上なく幸運で喜ばしいことだった。
ただ、シャロナから「これほど多様な言語をどこで学ばれたのですか?」と問われた時は、返答に困った。公爵家で学んだと言うわけにもいかず、ましてや別世界から来たなどとは口が裂けても言えない。
「……幼い頃、母から少し教わったのです」
シャロナもリズベットを公爵家の庶子だと思っているせいか、幸いにもその言葉をそのまま納得してくれた。
「さぞかし、立派な知識人であられたのでしょうね」
シャロナの感嘆に、リズベットはただ、ぎこちない微笑みを浮かべることしかできなかった。
*** ***
夜の帳が下りる頃、交代のためにシャロナの娘と息子がやってきた。
「すみません、後で私が鍵を閉めて帰ってもよかったのですが」
「いいえ、お気になさらず。用事があれば閉館を遅らせることも、たまにあることですから」
シャロナが引き上げた後も、リズベットはその場で簡単な夕食を済ませ、読書を続けた。
夜もだいぶ更けた頃、思いがけずギスカールとシャロナが戻ってきた。2人はリズベットに断りを入れると、侍女やシャロナの子供たちをみな図書館の外へ出し、すべての扉に鍵をかけた。
そして、丁寧な口調でリズベットに頼んできた。
「奥様に、一つお願いしたいことがあり、こうして参りました。私が所持している『古代の魔導書』を、一度見ていただきたいのです」
リズベットは戸惑った。異世界のチートのおかげで諸言語はわかるようだが、古代言語となると、さすがに自信がなかった。
「どうでしょうか。私にそのようなことができるかどうか」
すると、シャロナが身を乗り出して言った。
「昼間に奥様が読んでいらしたあの巻物は、今のものではないのです。少なくとも1700年以上前のものと推測されています。
今はとうの昔に滅びた国の言葉で、その文字もごく一部しか解読されていない状態です。
実を言うと、私たちはあの巻物の内容が『日記』であることすら知らなかったのです。これまでは、何か公的な記録物だと思われていましたから」
リズベットは大変驚いた。あのイデマルクが、そんな大昔の人間だったとは夢にも思わなかった。
ギスカールが切実な口調で乞う。
「どうか、一度試しに見ていただけませんか。見るだけでも構いません」
そこまで言われて断るわけにもいかず、リズベットは頷いた。
ギスカールが虚空に手を差し込むと、そこから小さな箱を取り出した。そして、その箱の中からさらに、とてつもなく大きく分厚い一冊の本を取り出してみせた。
ゲームでしか見たことのない「アイテムボックス」の登場に、リズベットは目を丸くした。
(あんなの持っていれば、ここを出る時に荷造りもしなくていいし、すごく便利そう……!)
「この書は、亡くなった私の養父であり師でもあった御方から譲り受けたものです。父は長い期間研究を続けておりましたが、その志を私が引き継ぎました。
しかし、私の能力が足りず、この歳になるまでほとんど進展を見ないまま今日に至っております」
「あの巻物よりも、後の時代の本なのですか?」
ギスカールは首を振った。
「いいえ。これはあの巻物の時代よりも、さらに5000年以上も前のものです。伝説にのみ残る『超古代文明』の遺産なのです。
この書に記されている『神聖文字』は、巻物の時代にすら、すでに忘れ去られていたと聞き及んでおります」
ギスカールの言葉が真実なら、実に7000年近く前の代物ということになる。果てしない古の記録にしては、あの巻物よりもむしろ保存状態は良さそうに見えた。半信半疑のまま、リズベットは本へと視線を向けた。
本があまりに大きく分厚いため、座ったままでは表紙すら見えない。中を確認するためにリズベットが席を立つと、ギスカールとシャロナは祈るような面持ちで、リズベットの両脇に控えた。




