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36. スライムテイマー

 応接室で伯爵夫人を待ちながら、ジェラードは緊張を隠せず、落ち着かない様子で手をこすり合わせていた。 隣からベティナが声をかける。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。ギスカール様のテストにも合格したんですから。奥様は本当に親切で素敵な方ですわ」

「うん……。こんな機会をくれてありがとう」


「お礼なら、すべて終わってからでいいですよ」

 ベッティナは微笑んだ。


 厨房(ちゅうぼう)で床掃除や雑用をこなしていた、小さくみすぼらしい少女。幼い身で病気の母と弟たちの面倒を見、一家の重責を背負っている姿を不憫に思い、少し手助けをした。ジェラードにとってはそれだけのことだった。


 だが、その少女は、今や見違えるほど変わっていた。貴族の令嬢と言われても通じるほど小綺麗になり、美しくなっていた。 そして今、この少女のおかげで、伯爵夫人に直接お目にかかる機会を得たのだ。


 しばらくして、伯爵夫人が応接室に入ってきた。夫人が席に着くと、ベティナがジェラードを彼女に紹介した。

「お話ししておりました、スライムテイマーのジェラードさんです」


 ジェラードは(うやうや)しく一礼した。

「お初にお目にかかります、ジェラードと申します。現在はスライムテイマーとして、厨房にて働いております」


「ベティナから聞いています。スライムテイマーとして非常に優れた腕前だそうですね。相当な数のスライムをテイムしているとか」 「……過分なお言葉です。人より少し多い程度にすぎません」


 動物や魔獣を(あやつ)るテイマーの中でも、スライムテイマーはレベルとしては下位に属する。他に特別な能力がない限り、冒険者として生計を立てるのも難しいため、多くは都市の生ゴミや廃棄物処理などの仕事に従事していた。


 それゆえ、スライムテイマーという職種は一般的に誇れるようなものではない。伯爵夫人の称賛は、ジェラードにとって慣れないものだった。


「スライムを見せていただけますか?」

「はい」


 ジェラードが持ってきた鞄を開けると、中からスライムたちが這い出してきた。ここへ来る前に綺麗な水で清められたスライムたちは、ゼリーのような体を揺らし、ジェラードの腕や肩へと登っていった。


「スライムたちが、ジェラードさんによく(なつ)いていますね」

「……そのようです」


 ジェラードは手の甲に乗り、指に(から)みついていたずらをするスライムを、(いつく)しむような手つきで()でた。


「スライムを、可愛がっていらっしゃるのね」

「はい。こんな私を信じてついてきてくれるのですから、大切にするのは当然です」


 その様子を見守っていた伯爵夫人が立ち上がり、窓辺へと向かった。そしてジェラードを手招きして呼ぶ。 ジェラードが慎重に歩み寄ると、夫人は腕を伸ばし、遠くに見える海を指差した。

「あの海とレトナは、美しいと思いませんか?」


 陽光を浴びて青く輝く海を眺め、ジェラードは頷いた。

「はい。本当に美しい場所です」


 夫人が顔を向け、ジェラードを見つめた。

「ジェラードさん。これから私があなたにお願いしようとしているのは、あの美しい海とレトナの自然を守る、とても、とても大切な仕事なのです」


 ジェラードは緊張のあまり、ごくりと唾を飲み込んだ。今まで誰からも、このような言葉をかけられたことはなかった。


「今後、ジェラードさんには、有害な汚染物質を処理する『特別なスライム』を育成する仕事をしていただきます。その任務を果たすためには、テイマーとしての能力だけでなく、スライムへの愛情と相互の信頼が不可欠なのです。

 私たちと共に、その仕事をしてくださいますか?」


 ジェラードはその場に(ひざまず)いた。

「忠心を尽くしてお仕えいたします。なんなりと(おお)せつけください」


 夫人が手を差し伸べ、ジェラードを立たせた。

「明日から研究所へ来てください。期待していますよ」


 部屋を出たジェラードは、扉の前で込み上げる感情を静めた。

 レトナ城に巨大な金属の翼「レトナの翼」が作られて以来、人々は伯爵夫人を「大錬金術師」「古代の神秘を再現する賢者」と呼び始めていた。


 彼女が何かの術で伯爵や周囲の人々を惑わし操っているのかと、恐れる者がいないわけではないが、レトナの人々の多くは彼女を尊敬していた。ジェラードもその一人だった。


 伯爵夫人が作り出した数々のものの中でも、「万能軟膏(なんこう)」は多くの人々にとって非常に有用な薬であり、それを庶民が買える価格で提供してくれたことだけでも、大きな恩恵だった。


 汚れたもの、汚染されたものを取り除き、周辺の環境を清潔に保つこと。それは、他人が卑下(ひげ)する自分の仕事に対する、ジェラードの密かな自負だった。


 それを伯爵夫人自らが言葉にしてくれたことが、あまりにも嬉しく、感激に震えた。 美しい海とレトナを守る仕事。その言葉を胸に刻み、必ずや伯爵夫人の期待に応えてみせると、ジェラードは心に誓った。


        ***    ***


「ここが本当に、ジェラードさんの家なんですか?」

 ベティナは目を丸くして、目の前の3階建ての家を見上げた。清潔感(せいけつかん)のある建物の隣には、かなり大きな倉庫型の建物が併設されていた。


 ジェラードは照れくさそうに頭をかいた。

「正式に伯爵閣下の家臣になったんだ。全部ベティナ、君のおかげだよ」


「そんなことありませんわ。それにしても、3階建てなんて部屋もたくさんありそうですね」

「これから俺の下に弟子や部下ができる予定だから、そのための広さらしい。……まだ全然実感が湧かないんだけどな」


「こんなに大きな家、どうやって管理するんですか?」

「下男が一人、下女が二人、それに料理人まで既に配置されていたんだ」


「あ、それで夕食に招待してくださったんですね」

「そういうことだ。入ろう。料理の準備もできているはずだ」


 ジェラードが先導すると、ベティナは周囲を見回した。

「マーガレットさんはまだ来ていないんですか?」


 ジェラードははにかんだ笑みを浮かべた。

「マーガレットは先に来て、一緒に料理の準備をしてくれているよ」 「あら、もう来ていらしたのね」


 ベティナはすべてを察したような顔で頷き、ジェラードと共に家の中へ入った。 玄関で二人を出迎えてくれた若い女性を見て、ベティナはにやりと笑った。

「なんだか、もう新婚さんみたいですね。お式はいつ挙げるんですか?」


 マーガレットは顔を赤らめ、ジェラードは頭をかいた。

「実は今度の休みに、マーガレットの実家へ行って、正式にプロポーズするつもりなんだ」


 マーガレットは、それなりの規模を誇る商会の次女で、伯爵家の侍女として働いていた。偶然のきっかけでジェラードと知り合い、互いに想いを育んできたが、これまではジェラードの境遇もあり、なかなか結婚の話を切り出せずにいたのだ。


「本当にありがとう、ベティナ。絶対に忘れないわ」

 マーガレットは目に涙を浮かべてベティナを抱きしめた。


「そんな、お礼なんていいんですよ。私は少し言葉を添えただけですから」

 ベティナはにこっと笑った。


 ジェラードは、ベティナが最も苦しかった時、彼女の窮状(きゅうじょう)を知って、自分も余裕がない身でありながら母親の薬代まで助けてくれた恩人だった。自分が彼のために少しでも役に立てたことが、ただただ嬉しく、誇らしかった。


 3人は食卓を囲み、夕食を食べながら語り合った。

「その『特殊スライム』って、奥様がすごく綺麗だって仰ってましたけど、本当にそんなに綺麗なんですか?」


 ベティナの問いに、ジェラードの瞳が楽しげに輝いた。

「ああ、本当に綺麗だよ。淡い蛍光色で光るんだ。色は主に食べる物質によって、黄色、オレンジ、緑、紫と様々でね。

 今は初期段階だから研究所にしかいないけれど、もうすぐ隣の建物で本格的に培養することになるんだ」


 特殊スライムは、錬金術で作った特殊溶液で一般のスライムを培養して生み出す、一種の変種スライムだった。


 古代魔導文明では、こうしたスライムを利用して、毒性物質を含む様々な汚染物質を除去していた。 自然状態では生存も増殖も不可能なため、その系統は途絶えていたが、リズベットが『美の錬金術』の中から見つけ出し、再現したのだ。


「毒性物質を食べて消す子たちがそんなに綺麗だなんて、何か妙ですね」

 マーガレットが笑った。


「俺も最初はそう思ったんだが、奥様が(おっしゃ)るには『蛍光色は、危険なものが目立つように警告する役割も果たしている』とのことだ。それを聞いて納得したよ」


「危険ではないのですか?」

「あの子たち自体は全く危険じゃない。危険なものを取り除いてくれる、とてもありがたい存在だよ。

 早くあの子たちを本格的に培養して、世に送り出したいんだ」


 ジェラードは誇らしげに胸を張った。 海を、自然を、清潔に保ち守ること。その重要な仕事に自分が寄与できるという事実が、嬉しくてたまらなかった。


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