3. 侍女たち
「うぅ、頭が割れそう……」
ひどい二日酔いに襲われながら目を覚ましたハルナは、自分が見知らぬ場所に寝かされていることに気づき、飛び起きようとした。だが、その瞬間、下腹部に走った鈍い痛みに思わず呻き声を漏らす。
「……夢じゃなかったのね」
昨夜のあの部屋、あのベッドだった。伯爵はすでに出て行ったのか姿はなく、部屋には彼女一人だけが取り残されていた。
その後の記憶は全くないが、ひどく乱れたベッドの様子が、昨夜何があったのかを如実に物語っていた。いや、それ以前に、彼女自身の体が何よりの証拠だった。
(酔っ払った女を相手にするなんて……。やっぱり、噂通りのクズ悪役ね!
それでいて、自分だけさっさと出て行くわけ? 本当に、先が思いやられるわ)
心の中で伯爵を罵倒しながら、ハルナは額を押さえた。ガンガンと頭が鳴っている。甘くて口当たりが良かったので油断したが、相当に度数の高い酒だったようだ。
しばらくそうして座り込んでいると、ノックの音に続いて静かに扉が開いた。一人の侍女が中を覗き込み、慌てて入ってくる。昨日の結婚式の前後でハルナの身の回りの世話をしていた者の一人だった。
「お目覚めになられましたか」
ハルナに恭しく一礼すると、侍女は窓際へと歩み寄った。
「窓を開けますね」
カーテンが引かれ、窓が開け放たれると、眩いばかりの陽光が差し込んできた。
「今、何時かしら?」
「午後2時を少し回ったところでございます、奥様」
(昼の二時!?)
ハルナは驚いて窓の外を見た。言われてみれば、差し込む日差しはすでに高く、力強い。
「どうして、起こしてくれなかったの」
「閣下が、ゆっくり休ませて差し上げるようにと。邪魔をしてはならないと仰せでしたので」
侍女の口元に、意味深な笑みがふわりと浮かんだ。
「すぐに、お食事の準備をいたしますね」
*** ***
料理の載った盆を運ぶ2人の侍女。その後に、侍女長であるジルマが続いていた。
先にハルナの部屋に入った侍女のメリンダが、不思議そうに首をかしげて尋ねる。
「奥様は内陸のご出身でしょう? 魚介のスープなんて、お口に合うのかしら」
ジルマは無表情なまま答えた。
「昨夜、カラスミを召し上がったそうよ。あれを食べられるのなら、魚介のスープが苦手なはずがないわ。
それに、ここは王都ではなくラベンナです。クラヴァンテ辺境伯家の女主人になられた以上、ここの料理や慣習に慣れていただかなくては」
別の侍女エリが、ジルマの顔色をうかがいながら口を開く。
「でも、初夜が無事に終わって良かったです。正直、どうなることかと心配していましたから」
「無事どころか、相当『情熱的』だったみたいよ?」
メリンダがクスクスと笑いながらエリに耳打ちすると、エリもつられて笑った。
「確かに。今朝、閣下がお出かけになる時、表には出しませんでしたけれど、どこか満足げなご様子でしたものね」
「それにしても意外だわ。あの強いお酒を飲み干してしまうなんて。よほど雰囲気が盛り上がったのかしら? どちらが多く飲まれたのかしらね」
「閣下はほとんど召し上がっていなかったようよ。とても凛としていらしたわ」
「じゃあ、奥様がお一人で……!?」
メリンダが驚いて声を上げると、ジルマが鋭くたしなめた。
「静かに。奥様のお部屋の前ですよ」
その頃、いまだに続く頭痛と胃のむかつきに耐えながらベッドに座っていたハルナは、ジルマたち侍女の挨拶を受けていた。
侍女長のジルマ、そしてメリンダとエリ。この三人が、これからリズベット(ハルナ)の身の回りの世話を担当することになった。昨日の刺々しい空気とは打って変わり、3人の態度は非常に恭しいものだった。
「公爵家から派遣された使用人たちは、今朝、領地内の別の屋敷へと移動させました」
ジルマが淡々と説明を続ける。
「奥様もご存じの通り、ここラベンナは陸海ともに隣国と接しているだけでなく、海賊や魔物の脅威もございます。そのため、このレトナ城に詰める者は、我ら侍女を含め、全員がいざという時に戦える者だけで構成されているのです。あの方々の安全を考えた上での閣下の措置ですので、どうかご理解ください」
実家である公爵家から送られた人間たちが、自分から引き離された。その説明を聞きながら、ハルナはこれが自分にとって吉と出るか凶と出るかを考えた。
(……いや、好都合ね)
結論はすぐに出た。昨日の彼女らの態度からして、あれは自分を守るためではなく、監視するために送られた駒に違いなかったからだ。
本物の「リズベット」についての情報を得る手段がなくなったのは少し痛いが、ここは公爵邸ではなく辺境伯の城だ。過去よりも「今」をどう切り抜けるかが重要だろう。
ハルナの前に差し出されたのは、具のない澄んだスープだった。 何気なく一口啜った瞬間、ハルナの手が止まった。その様子を、侍女たちは緊張した面持ちで見守っている。
(美味しい!)
長い時間をかけて丁寧に取られたことがわかる出汁。魚介の豊かな風味が、貝の凝縮された旨味と合わさって、深く重厚な味わいを生み出している。生臭さは微塵もなく、塩加減も絶妙だ。
あっという間に一皿を空にしたハルナを見て、メリンダが尋ねた。
「お代わりはいかがですか、奥様?」
「ええ、お願い」
温かいスープが染み渡るにつれ、荒れていた胃が落ち着き、気分も上向いてきた。結局、3杯目のスープまで綺麗に平らげたハルナは、満足げに感嘆の息を漏らした。
「ふぅ。生き返ったわ」
ジルマをはじめとする侍女たちは、昨日までとは打って変わったリズベットの力強い雰囲気に、驚きと好奇心の入り混じった視線を交わし合うのだった。




