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1. 涙の結婚式

 満月が神秘的な銀色の光を降り注ぐ中、地上では小さく白い花々が群生し、淡く青い光を放っていた。 その花の中に、穏やかで優雅な印象の男が立っている。男の手には、青く光る小さな花が一輪握られていた。


「この花の花言葉は『()ちぬ愛』。昼間はありふれた雑草のように見えるけれど、一年のうち特定の時期、満月が昇る夜にだけ、こうして一斉に光り輝く花を咲かせるんだ」


 そう言って、男は花にまつわる伝説を語って聞かせた。


 遥か昔の満月の夜。一時的に地上へ降りてきた月の妖精が、偶然出会った人間の男と恋に落ちた。二人は永遠を誓い、男は妖精を妻として迎える準備を整えてくると約束して、一度その場を離れた。


 しかし約束の日、男が戻ることはなかった。妖精はその場所で男を待ち続けた。数年が経った頃、男の友人がそこを訪ねてきた。


 彼は、故郷で戦争が起きたために男が戦場へ駆り出され、戦死したという事実を伝え、男が彼女に贈るはずだった指輪を手渡した。


 妖精はその場に崩れ落ち、果てしない悲しみの涙を流した。その涙に濡れた野花が、青く光り始めたのだという。


 男は魅惑的な微笑みを浮かべて言った。


「妖精は今でも、この花が咲く満月の夜になるとそこに現れ、いつか生まれ変わった男が自分のもとへ帰ってくるのを待っている。そう言い伝えられているんだ。


 これまでの僕の彷徨(ほうこう)は、君に出会うための旅路だったのかもしれない。ロジアーナ、僕の最後の愛になってくれるかい?」


 甘い告白が耳をくすぐる。 ハルナはときめく気持ちで「プロポーズを受け入れる」を選択し、スマートフォンを突き上げて勝利の咆哮を上げた。


「キャーッ! ついにプレイボーイ侯爵まで攻略完了!」


 助手席から千秋(ちあき)が振り返り、お祝いの言葉をかける。


「お~、おめでとうございます、先生! これで3人攻略したから、残るはあと一人ですね。残ってるのは、あの辺境伯でしたっけ?」


「そうね」

 素っ気なく答えたハルナは、運転席の村上(むらかみ)に大きな声で尋ねた。


「村上くん、時間に間に合いそう?」

「はい、問題ありません!」


「それでも夜間運転は気をつけてね。途中で事故でも起こして遅れたりしたら大変なんだから」


 村上に注意を促し、ハルナは短くため息をついた。


「あとはあの『クズ辺境伯』だけか。あいつは気が進まないんだけどなぁ。

 でも、あいつまでクリアしないと隠しイベントが見られないっていうし。やるしかないわよね。

 乙女ゲームになんであんなキャラクターがいるのかしら」


「そんなに毛嫌いしないでくださいよ、先生。実は辺境伯には、そうなるだけの事情が……」


 9人乗りのワゴンの後部座席に座っていたユカが、ハルナの方を向いて言った。ユカこそが、ハルナにこのゲームを教えた張本人だった。


「ダメよ、ネタバレ禁止。知った上でプレイすると面白さが半減しちゃうでしょ」


 ユカの口を封じて、ハルナが再びスマホを覗き込んだその時―ユカの切羽詰まった悲鳴が耳を突き抜けた。


 ハルナの背後、車のリアガラスいっぱいに強烈な白い光が差し込み。 続いて、凄まじい衝撃が走った。そして、すべての意識が途切れた。


        ***     ***


「お嬢様、そろそろお起きください。お化粧を始めなくてはなりませんので」


 丁寧だが事務的な、感情の籠もらない女性の声が聞こえた。腕や脚に触れる、滑らかな手つきが伝わってくる。


(マッサージ? そんなの予約してたっけ?)


 ハルナはいぶかしみながらも、重い瞼を無理やり押し上げた。二人の女性に抱えられ、椅子へと運ばれる間も、意識は朦朧としたままだ。


 言われるがまま椅子に座り、何気なく目の前の鏡を見たハルナは、驚愕して飛び起きた。


「これ、何っ!?」

 鏡に映っているのは、自分ではない見知らぬ女だった。


 漆黒の髪、透き通るほどに白い肌。そして、生気の欠けた大きな紫色の瞳。そこには、痩せ細った一人の若い女が立っていた。


「どうかなさいましたか?」

 傍らにいる女が、不思議そうに小首をかしげる。


「私の顔が……どうして? ここは一体どこなの!?」


 尋ねられた女性は困惑し、もう一人の女性に助けを求めた。


 茶色の髪をした、厳格そうな中年の女性がすぐに口を開く。

「お嬢様、まだ寝ぼけていらっしゃるのですね」


 そう言うと、彼女はハルナの両肩を掴み、顔を近づけて言い聞かせた。

「リズベットお嬢様。今日は大切な日ではございませんか。美しく着飾って、伯爵閣下の御前に立たなければなりませんのよ」


 言葉こそ丁寧だが、その両手は逃がさないと言わんばかりにハルナの肩を強く押さえつけていた。


(伯爵?)

 辺りを見渡したハルナは、目の前の中年女性を含め、そこにいる全員が日本人ではないことに気づいた。着ている服も、部屋の調度品も、現代の日本とはかけ離れている。


(日本じゃない。なら、ここは?)

 底知れぬ不安に襲われながら、ハルナは慎重に言葉を絞り出した。


「伯爵って……誰のこと?」


 鏡越しに映った中年女性の目が、一瞬、毒々しく光った。だが、彼女はすぐにその表情を消し、作り笑いを浮かべる。


「お嬢様ったら。そんなつまらない冗談はおやめください。クラヴァンテ伯爵閣下の他に、どなたがいらっしゃるというのです? さあ、お急ぎください」


 ハルナの思考が止まった。 つい先ほどまでプレイしていたゲーム『剣と愛の輪舞曲(ロンド)~戦乙女ロジアーナ~』で、最後に残った攻略対象、クラヴァンテ辺境伯の名が、ここで出てくるなんて。


 しかし、鏡に映る自分の姿は、ゲームの主人公「ロジアーナ」ではない。それどころか、ゲームの中で一度も見たことがない、見知らぬ女の姿だった。


 呆然とするハルナをよそに、女たちは手際よく顔に化粧を施し始めた。ハルナはこらえきれず、再び声を上げた。

「待って。今、何をしているの? 何の準備をしてるっていうのよ!」


 顔に筆を走らせていた若い女の手が、ピタリと止まった。


 先ほどの中年女性はひどく狼狽した様子を見せたが、すぐにわざとらしい笑い声を上げた。

「結婚式を前に、緊張しすぎてしまわれたのね。お嬢様、少し風に当たりましょうか。失礼いたしますわ」


 彼女は他の女に目配せしてハルナを立たせると、窓際へと連れて行った。そして、他の者たちに聞こえないよう、ハルナの耳元で切迫した、かつ威圧的な声で囁いた。


「何を考えているの? このままでは皆殺しよ。本気で死にたいと思っているの!?」


 ハルナの視線は、開かれた窓の向こうへと向いていた。手入れの行き届いた広大な庭園。次々と到着する馬車。そして遠くに見える、青い水平線。


(私は今……どこにいるの?)

 再び女たちの手に引かれ、鏡の前に座らされたハルナは、必死に状況を整理しようと試みた。


 仮にここがゲームの世界だとしても、自分は主人公のロジアーナではない。それどころか、ゲームに登場すらしない名もなき「モブ」だ。


 まだクラヴァンテ伯爵を攻略していないため、彼に関する情報は限られている。ハルナが彼を「クズ」と呼んで嫌っていた理由は、ゲーム内で語られていたわずかな設定のせいだった。


 伯爵には一度、死別歴がある。中央の門閥貴族である公爵家の娘との政略結婚だったが、実はその女は公爵家の庶子ですらない、卑しい身分の替え玉だった。


 家門の体面を守るために公表はされなかったが、その女―つまり「前妻」は、実家に戻ることも許されず、虐待の末に自ら命を絶ったという噂があった。


 ロジアーナではない自分が、今、辺境伯と婚礼を挙げようとしている。 その事実が導き出す答えは、ただ一つ。


 自分は、ゲームに名前すら出てこない、あの「辺境伯の前妻」なのだ。


(身分を偽ったことがバレて、虐待されて自殺する運命だと?)


 心臓が締め付けられ、目の前が暗くなる。 あの時、自分の背後を襲った白い光。あれは、後ろから衝突してきた車のヘッドライトだったはずだ。


(あの事故で死んだの? なのに、どうしてよりによってここなの? なんでこんな役回りなのよ!)

 頭の中が真っ白になった。何をどうすればいいのか、まるで見当がつかない。


「ずっと涙を流されていては困りますわ。お化粧が落ちてしまいます」

 困り果てたような囁きが聞こえる。自分でも気づかないうちに、涙が溢れていた。


「……ひとまず、ドレスを着せてしまいましょう」

 年嵩(としかさ)の女性がそう促すと、女たちはハルナを抱え上げ、何層にも重なったドレスを着せ始めた。


 ハルナは魂が抜けたような状態で、なすがままに装われ、かろうじて化粧も仕上げられた。


 それから間もなく、ハルナは女たちに囲まれて部屋を出た。案内されたのは、美しい彫刻と花々で飾られた巨大なホール。そこが結婚式場だと悟った瞬間、踵を返して逃げ出したい衝動に駆られた。


 けれど、これほど多くの人々を振り切って逃げる術などあるはずもない。下手をすれば、式の前に殺されるかもしれないのだ。


 屠殺場に引かれていく家畜のような心持ちで、ハルナは司祭の待つ祭壇の前へと進んだ。緊張で震え、ただ地面を見つめる。目の前に一人の男が歩み寄ってくるのが見えたが、顔を上げる勇気などなかった。


 司祭が成婚を宣言し、誓いのキスを促す。男の大きく硬い手が、俯き続けていたハルナの顎を掴み、上を向かせた。


 初めて目にする夫、クラヴァンテ辺境伯。


 日焼けした褐色の肌に、プラチナブロンドの髪。そして、射抜くように鋭い氷の瞳。 その視線は凍てつくように冷たく、一片の感情も宿っていなかった。


 唇に触れる、無機質で冷ややかな感触。それは、絶望的な未来への宣告のようだった。


 式がどう進行したのかも分からぬまま、すべては勝手に進んでいく。続く披露宴でも、ハルナは何もできなかった。空腹も感じず、ただ「これが夢であってほしい」と、それだけを祈り続けた。


 両親のふりをする公爵夫妻の白々しい挨拶。新婦がしとやかに見えるという、形式ばかりの称賛。人形のようにただ座っていることだけが、今の彼女にできる唯一のことだった。


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