すべてを奪われた没落令嬢が元婚約者の誕生日パーティーに来た理由
アウグスト・フォン・ヘルツ子爵の誕生日を記念したパーティーが開かれていた。会場には彼と親しい貴族たちが多く集まり、テーブルの上には贅を尽くした料理が並ぶ。
肉と骨、キノコの深い旨味の染みたスープ。本物と見紛う薔薇の砂糖菓子。そして香草の蒸気が立ち上るチキンのローストなど、挙げればキリがない。
アウグストは伯爵家の次男であり、本来は爵位を得られないはずだった
彼は現在このクレイニールという領地を保有しているが、元々はランヴェール男爵家のものだった。男爵家の娘が起こした事件をきっかけに『譲渡』されたのである。
この土地には薬草の育成と栽培に適した山林がある。そこで栽培された薬草は潤沢な資産を生み出した。アウグストはそこで得られた資金の一部を国に提供することで、見返りに子爵の爵位を賜ったのだ。
爵位も手に入れ、資産もあり、誕生日には沢山の貴族たちが祝いに来てくれる。それに両親も健在で、隣にはジゼルという名の美しい妻もいる。
彼は今まさに、人生の絶頂だった。
酔いが回っていた彼は、新しく注がれたワインを手に取った。光を通さぬほどの濃い赤色がグラスに揺れている。上を向いて一気に流し込んだ。
ざわり、会場に揺らぎが起こった。
集まった貴族たちは皆ホールの入り口の方を見ているようだ。アウグストもそちらに目を向ける。一人の令嬢が、ゆっくり入ってくるところだった。
この豪華絢爛な会場に相応しくない、灰のような地味なドレス。髪には艶も無く、無理やり撫でつけたような金髪だった。顔は悪くないが、化粧をほとんどしていないせいか、この場では埋没してしまいそうな印象を受ける。
アウグストの目は彼女の顔を確認して細められた。
誰もが女から遠ざかる。彼女の、まるで闇を頭から被ったような、暗く底知れない「気」が場を開けさせていた。
「こいつ、トキシア・ランヴェールだ!」
兵士の一人が叫んだ。貴族たちの動きが一瞬止まった後、一人の悲鳴を合図として大騒ぎとなった。
この場に集まった者で、その名を知らぬ者は居ない。
「トキシア? 男爵家の一人娘か」「何故あいつがここに」「逆恨みか?」「落ちぶれて平民になったと聞いたが」「警備兵は何をしていたんだ」
即座に兵士たちが進み出て、二人が彼女の両腕を掴み拘束した。
「放してやれ」
意外にも、それを咎めたのはアウグストだった。兵士たちは戸惑いながらもトキシアを解放する。
「久しぶりだな、トキシア」
彼女は会釈し、カーテシーで答えた。淀みの無い所作。かつて貴族令嬢であったことは疑いの余地が無かった。
「とても豪勢で、美味しそうなお料理ですね」
トキシアはテーブルに並ぶ料理を左右に見回しつつ言った。
「好きなだけ食べて行けばいい。どうせ満足に食べられもしていないんだろう……あ、そうか」
アウグストはポンと手を打った。
「食べられないか。何故ならお前はあの時と同じように……おっと」
わざとらしく口を手で覆うアウグスト。
貴族たちがギョッとして料理を見る。彼女の名は、ある異名と共に有名だったからだ。
即ち『毒殺令嬢』である。
「冗談ですよ、皆さん。料理も飲み物も、全て安全確認が済んだ状態で提供されております」
アウグストは笑顔で手を振った。
そこで貴族たちはようやくほっとしたように、彼へ笑みを返す。
「そういうわけだ。警備は万全。お前がまた僕を殺そうとしても無駄だ。あの時と同じように」
「警備が万全な割に、私はすんなり入って来れましたよ」
「ふん、入ってきたところで……」
突然、グラスの割れる音が響いた。アウグストの持つワイングラスが床に落ち、血のような赤色を飛び散らせる。
「ぐっ……!」
アウグストはがくりと膝をついた。目を見開き、口で大きな息を繰り返している。
「アウグスト、大丈夫? どうしたの?」
彼の妻であるジゼルが駆け寄って来た。しかしアウグストは応えず、胸を押さえたまま、仰向けにゆっくり倒れた。
「アウグスト? アウグスト!」
ジゼルが金切り声を上げ、彼の上体を揺する。しかしアウグストは苦悶の表情を浮かべている。息も荒い。
場内が騒然と始めた。悲鳴が交錯し、錯乱した声を上げる者も居る。逃げ出す足音が慌ただしく出入り口に集中していた。我先に逃げようとして揉み合いも起こっている。
「治療魔法使いを読んで来い!」
警備兵隊長の怒鳴り声が響いた。
「大丈夫、解毒薬があるわ!」
アウグストの妻であるジゼルは、ポーチから小瓶を取り出した。手早く開け、アウグストの口に流し込んでいく。顔は得意げだった。
彼女にとっては、貴族が集まったこの場で、正義のヒロインとして振舞えることが大事なのだろうとトキシアは思った。
「それは『甲種解毒薬』ですか?」
膝に手を付いたトキシアは、まるで他人事のような口調で聞く。
甲種解毒薬は国内で流通する解毒薬の中で、最も品質の良い最高級品だ。治癒魔法の力を宿しており、解毒の範囲が最も広く、ほぼ全ての毒を治すことが出来る。
「そうよ! あんたが5年前にアウグストを毒殺しようとした時から、また来るかも知れないと思って持ち歩いていたのよ。残念だったわね!」
勝ち誇ったように叫ぶジゼルに、トキシアは何度も頷いた。
「ええ、本当に残念です」
※※※※※※※※※※※※※※※
ランヴェール男爵家に生まれたトキシアは、その幼少期を幸せに過ごした。
彼女に縁談の話が持ち上がったのは16歳の時。一人娘であるし、男爵家を存続させるためには婿を取る必要がある。トキシアも責任を自覚していた。
相手はヘルツ伯爵家の次男、アウグストという人物だった。ヘルツ家は伝統ある家柄であるし、彼は王立学園を卒業し、経営学にも秀でた人物だと聞く。
ところが婚約に話が進んだ時、アウグストの問題行動が発覚する。
彼が別の令嬢と交際していることが判明したのだ。相手はジゼル・クールヴェ伯爵令嬢。現在の彼の妻だ。
彼女は貴族令嬢とは思えぬほどに粗暴な言動をする人物だった。一度顔を合わせた時もトキシアに「この害虫! さっさとアウグストから離れなさい!」と叫んだ。
トキシアはアウグストに浮気を止めるよう言った。しかし幾ら言っても反応は鈍い。
「それなら別れましょう。この婚約は無かったことにするのがお互いのためだわ」と諭すと「少し時間をくれないか」と言われた。
トキシアとしては今すぐにでも別れたいと思っていた。しかしアウグストにも考えを整理する時間が必要だろうと、義理を立てて待つことにしたのだ。
事件はその直後、伯爵領内で主催されたパーティーで起こった。
アウグストが飲み物に毒を盛られ、死の淵をさまよったのだ。幸い、甲種解毒薬を彼が所持していたため、一命はとりとめられた。
だが伯爵子息の命を狙うのは重罪。伯爵家では犯人の特定に躍起になった。
調査の結果から、犯人だと断定されたのは、何とトキシアだった。
嫉妬と猜疑心に駆られての凶行とされた。
寝耳に水の出来事だった。
確かにトキシアも招かれて参加していたが、毒など混入していない。嫉妬に駆られてもいなかった。婚約中に浮気をするような人物に、愛着など湧くわけがない。
彼女がやりたかったのはアウグストと縁を切ることだけ。殺す必要など全くない。
裁判中、彼女は一貫して無罪を主張した。
しかし出た判決は火刑。あまりに重い刑罰だった。が、後にそれは撤回されることとなった。
彼女の父親であるハリス男爵が「どうか娘の命だけは助けて下さい。領地であるクレイニールも資産も全てお譲り致しますから」とロバート伯爵に懇願し、伯爵がそれを受け入れたからである。
これにより男爵家の全資産の没収並びに領地の併合を持って、トキシアは解放された。
事件の顛末は伯爵家を通じて国王に伝えられ、事後承認的に、ランヴェール男爵家はアテインダー(日本でいうお家取り潰しのような言葉)を受けた。
伯爵家による断罪はあまりに一方的であり、弱肉強食的だった。しかし当時は現王によって国が統一されて間もなく、情勢も不安定だった。そのため、この野蛮ともとれる領地併合も、なし崩し的にまかり通ってしまったのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
5年前に毒殺を試みた令嬢が現れ、尚且つ主催者が中毒症状を起こしたことで、会場内は恐慌状態に陥っていた。
本来ならば楽団の穏やかな演奏で彩られるはずの会場に、悲鳴と怒号が飛び交っている。泣き出す者や、吐き出そうと試みる者もいる。また、使用人に詰め寄り「早く治療魔法使いを呼んで来い」「解毒薬を寄越せ」と金切り声を上げる者もいた。
中には、ジゼルがアウグストに飲ませた解毒薬の小瓶を奪い取り、飲もうとする者もいる。しかし既に空になっていたらしく、苛立たし気に、床に叩きつけていた。
トキシアがそんな人々を観察していると、アウグストの両親が隅の方で、こそこそと何かを口に含んでいるのを見た。
トキシアが事前に調査した際に、ジゼルも、アウグストの両親も、甲種解毒薬を肌身離さず持ち歩いていることが分かっていた。他の貴族たちにバレないよう飲んでいるのだろう。
トキシアはこれら一連のパニックを見て、非常に満足した。これが見たかった。
全員自分のことしか考えていない。なんと醜くて、なんて滑稽なのだろう。
そう考えると、自分の解毒薬を夫に飲ませたジゼルだけが、この会場で唯一利他的な行動をしていると言える。彼女のアウグストを愛する心は本物なのだろう。
人を愛するが故の行動というのは、美しいものだ。
仰向けに倒れているアウグストに目を向ける。ジゼルの背中が邪魔で全体は見えない。ただ、異変は背中越しにも分かった。手先、足先が小刻みに震えている。痙攣が始まっていた。
肌から暖かみが消え、青白く変色しかけている。
ジゼルが叫ぶ。
「どうして! どうして回復しないの!」
彼女は確かに解毒薬を飲ませた。効果を発揮するには十分すぎる量だった。それなのに、全く回復している気配が無い。
「あなた、何をしたの! 答えなさい!」
ジゼルが猛然とトキシアに掴みかかって来た。相変わらず貴族令嬢とは思えない蓮っ葉な口調だ。トキシアと並べばどちらが没落令嬢か分からない。
両肩を持ってゆすられても、トキシアは眉一つ動かさず、静かな目でジゼルを見返す。
「私、何もしていませんよ」
「嘘をつきなさい!」
彼女は今、全く聞く耳を持とうとしていない。
トキシアは考えた。
ジゼルが言うように、自分がここまでやって来た経緯を思い返すと、確かに何もしていないわけではない。
彼がこうなっている以上、「何もしていない」で彼女が納得するわけもない。
どこから話すべきか。
彼女の記憶は、遠い彼方に飛んでいた。
これは彼女を復讐に突き動かした、約5年間の記憶だ。
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トキシアたちは文字通り路頭に迷った。親戚は戦死していて頼ることが出来ない。トキシアの父ハリスは家族を養うため、病弱な身体に鞭を打って肉体労働を繰り返した。
そんな生活を半年も続けるうち、彼は本当に身体を壊して亡くなってしまった。トキシアの母ミルダも心労と病気により、後を追うように亡くなる。
トキシアはあっという間に一人ぼっちになった。
両親が身を削って遺してくれていたお金もすぐに尽きてしまう。彼女は勉強は出来たが、箱入りの貴族娘で、殆ど街に出たこともなく、世間を知らな過ぎた。悪い大人に金をむしり取られ、あっという間に無一文になって宿も追い出されてしまったのだ。
空腹で倒れそうだった彼女は一軒の店に入る。それがヤドカリ亭という料理屋だった。
「何でもするので、ご飯を食べさせてください」
出てきたのは肩幅の広い、髭面の男だった。彼はボロボロのトキシアを見て、何も言わずに柔らかいパンと、蒸気の立ち上るシチューを出してくれた。
久しぶりの暖かいご飯。久しぶりの優しさ。一口、シチューの味が舌に染みた瞬間、涙が止まらなくなった。嗚咽を堪えながら必死に食べきった。
男の名はロドルフと言い、ヤドカリ亭の店主で、妻には先立たれていた。息子は居るものの、料理の武者修行と称して外国を渡り歩いているのだという。
ロドルフは不愛想だったが、浮浪者に飯を恵んだり、行き場のなくなった者たちを受け入れ、何人も働かせてもいた。
トキシアにも女子だからだという理由で、一部屋を丸々貸してくれ、仕事も教えてくれたし給金も十分に払ってくれた。
要はとてつもないおせっかいだったのだ。
しかしそんな彼も経営に関してはからっきしだった。
そのため数字に強いトキシアが、代わりに無駄な出費を削減し、代金をちょろまかしていた業者を追い出し、価格の適正化を進めた。
結果、店の経営は徐々に黒字化していった。
あまりに彼女の要領が良いので「お前どこかのお嬢様じゃねえのか?」と聞かれたことがある。トキシアは答えをはぐらかした。誰にも自分の身元を明かすわけにはいかない。どこかで情報が洩れ、この店に危害が及ぶのを恐れた。
二人の距離は縮まっていき、一年が経つ頃には結婚するに至った。自分は未だこんなに人を愛することが出来るのかと不思議に思うほど、彼を愛していた。
昼間は忙しく立ち働き、夜は愛を交わす。
他の従業員たちもトキシアを頼り、慕ってくれた。
あっという間に過ぎていく、幸せな日々。もう無実の罪で裁かれたことなど、思い出さないようにしていた。ここでの暮らしがあれば、他に何も要らないと思った。
しかしまたしても、幸せは彼女の手をすり抜けていく。結婚して約2年後、ロドルフが急に倒れた。彼は死病を患っていたのだが、トキシアに心配をかけまいと隠し続けていた。
彼女は従業員に店のことを任せ、ベッドの隣で介抱し続けた。これからのこと、ロドルフが居ない人生を思うと涙が溢れた。そんな時、ロドルフが手を握ってくれた。彼の手のぬくもりは、ヤドカリ亭に来て直ぐの頃を思い出させた。
あの時トキシアは辛いことを思い出してよく泣いていた。すると今と同じように、ロドルフがよく手を握ってくれていた。
大きな、ゴツゴツした手で、何も言わず、泣き止むまでそうしてくれた。
今、あの時の手と重なる。トキシアの背丈は殆ど変わっていない。それなのに、随分とロドルフの手は小さくなってしまったように感じる。
終わりが近付いていた。
ロドルフは最後に「好きなところに行って、好きに生きろ」と言い残しこの世を去った。そして彼の死後弁護士がやってきて、自分に多額の遺産が残されていることを知る。
好きに生きろと言われたが、トキシアはロドルフの店を継ぐことに決めた。大好きだった彼の、大好きだったこの場所を、絶対に守って行こうと。
ロドルフが死んでも変わらず沢山のお客さんが来てくれた。それが嬉しかった。
しかし運命は彼女に平穏な暮らしを送らせてはくれなかった。
彼女の前に、またしてもその男は現れた。
***
「お前ら席を開けろ! 僕を誰だと思っているんだ!」
特徴的な甲高い声が店の入り口から厨房まで届いた。トキシアは皿を洗う手を止める。彼女のトラウマと直結する声だった。
恐る恐るホールの方を見て血の気が引いた。そこに居たのは正に、トキシアと両親を地獄に落としたきっかけを作った人物、アウグストだ。左右に屈強な護衛を従え、千鳥足で入り込んでくる。
彼は「一番高い料理を出せ」と怒鳴りながら、近くの机を蹴飛ばした。
恐らくは巡察の一環だろう。
領主は時々、商店や工房に入り、適正な価格で取引されているかの確認作業をする。これが巡察と呼ばれる仕事だ。
アウグストも領主として、この町の店に出張ってくることがあるのは知っていた。
巡察を受けた店主から聞いた話では、彼は普段から横柄な態度を取っていたようだ。だが恐らく、今は酔っぱらっていて、普段より横暴になっている。
トキシアはバレないよう、身を低くして作業を続けた。配膳係の少女リュゼが出来上がった料理を持って行く。事が荒立たないように進むことだけを、ただただ祈った。
アウグストが料理を一口、口に入れる。
「不味すぎる。よくこんなもの食えるな」
まるで客たちに言い聞かせるように叫ぶと、アウグストは皿を地面に叩きつけた。
胸の奥が熱いものを流し込んだように、カッと沸き上がる感覚で満たされた。それはロドルフが遺した自慢の味だ。しかし耐えなければ。耐えなければ従業員に危害が及ぶ。
その時、アウグストが恐怖で凍っているリュゼを足蹴にした。体重の軽い彼女は悲鳴を上げ、床に転んでしまう。
「あいつ殺してやる」
厨房に居た、ロドルフの一番弟子が目を血走らせ向かっていく。
「ま、待って!」
トキシアは止めようとするが、弟子の力が強すぎて引きずられた。厨房から顔を出してしまい、慌ててうつむいた時にはもう手遅れだった。
「おい、そこに居るのはトキシアじゃないか?」
客たちがざわつき始める。ここは元男爵領。毒殺令嬢の本名を知らぬ者は居ない。アウグストに向かっていた弟子も戸惑って動きを止めている。
アウグストはわざとらしく、大袈裟に笑った。
「これは面白い。毒殺令嬢様が今は料理を提供していたとは。おいお前ら、この料理には毒が入っている。食べるのを止めた方が良いぞ!」
だが客たちは従わなかった。皆、居心地悪そうにしているものの、食べる手を止める者は居ない。横暴な領主と、ひたむきに働き続けてきたトキシア。客たちが信じたのは後者だった。
それが面白くなかったらしい。
アウグストは舌打ちすると、護衛に「あの女以外全員店から出せ」と命じた。
護衛たちは引っ掴み、蹴飛ばしながら、乱暴に客や従業員を店の外に追い出した。店内にはトキシアとアウグストだけが残された。
彼女の胸は早鐘を打っていた。この横暴さ、最早何をされてもおかしくない。止める者も居ない。だが耐えなければ。この場所だけはは失うわけにいかないのだから。
アウグストは千鳥足で近付いてきた。やはり酔っていた。だから、あんなことを口走ったのかもしれない。
彼は酒臭い身体を密着させると耳打ちした。「良い事を教えてやる」
その内容に、トキシアは瞠目した。
彼女の目は最早何も映していない。あの忌々しい記憶が洪水のようにフラッシュバックしていた。
5年前、トキシアが冤罪で火刑の判決を受けた、あの事件。
その真相。
身体の中を赤い怒りが駆け巡り、身体中から噴出しそうだった。
「おい、何だその目は」
身を離したアウグストは顔をしかめた。トキシアは無意識のうちに恨みと怒りを込めた目で睨んでいたらしい。
「僕に敵意があるようだな。さては告発しようとしているだろう?」
そこでようやくトキシアは冷静さを取り戻した。悔しさを飲み込んで、割れた皿の散らばる床に膝を付いた。
「敵意などありません。告発しようなどもっての外です。私は平民落ちした、みすぼらしくて憐れな女です。どうかお許しください」
深々と頭を下げる。どんなことがあっても店を潰されるわけにはいかない。例えこの男がどんなに憎くとも。
「そうだ、おい。告発したかったら僕の次の誕生日パーティーに来るが良い。まだ先だがな。その場であれば幾らでも僕の非を責めて良いぞ。場所は分かるだろう? 何せお前の実家だからな」
両手を広げて笑うアウグスト。
「行きません」
トキシアは首を振った。実際、行く気など無かった。
この時までは。
アウグストは散々に店やトキシアを貶す言葉を吐いた後、ようやく店を出て行った。耐えきった、と思った。
だが彼の蛮行は終わらなかった。
数時間後、突如武装した兵士たちが店に押し寄せたのだ。彼らは家具や調理器具など、店の全ての家財を運び出してしまった。それだけでなく、ロドルフから相続した土地建物の権利まではく奪された。
「料理に毒を混ぜ、食中毒を起こした」という、全くいわれのない罪によって。
この店で働いていた従業員もいる。店を愛してくた人たちもいる。何より、恩人であり、愛するロドルフから受け継いだ意志を守って行くために、耐えようと思っていた。
必死に、必死、堪え続けた。
しかし今、トキシアの最後の糸がプツンと切れた。
爵位を奪い、領地を奪い、両親を奪うだけでは飽き足らず。
彼女の全てだった、ロドルフの店さえ奪われた。
身体の中でくすぶっていた復讐の炎が、この時、煉獄の業火に変わった。
トキシアは一先ず、ロドルフの遺産からまとまった額を退職金として従業員たちに与えた。彼らは最後までトキシアのことを心配していたが「私は実家に戻るの。こう見えて貴族令嬢なんだから」と強がって見せた。
実際、もう帰る場所など何処にもない。失うものを全て失ってしまっていた。
強烈な復讐心だけが彼女の身体を突き動かす。
トキシアは残りの遺産を全て復讐に費やすことにした。残す必要など無いと思った。
先ずアウグストや、彼の周りの人間についても知らねばならない。身辺を洗うにはまとまった金が必要だ。
トキシアはロドルフとの話の中で、金さえ払えばどんな依頼でも受けてくれる「自称」私立探偵が居ることを知っていた。客として度々ヤドカリ亭を訪れていたのだ。
依頼をしに行くと、探偵は「調査費用にはちと足りねえが、ま、あんたの亭主には世話になったからな。サービスしといてやるよ」
と、ニヤリと笑った。
これは後に分かったことだが、彼は普段、倍以上の金をむしり取るのが常だったようだ。
これにより、トキシアは屋敷の警備状況、誕生日パーティーに来る貴族の面々、そこで出される料理、アウグストたちが普段持ち歩ている私物など、様々な情報を継続的に得ることが出来た。
トキシアは己が持つ全ての情報、知識を駆使して復讐計画を組み立てていく。
彼女が目を付けたのは、料理の具材として使われている、ある食材だった。
「見つかった」とトキシアは思った。ようやく、アウグストに最も苦しみを与える毒殺方法を思いついたのだ。
トキシアは探偵に依頼して、敢えて「トキシアがパーティーに来る」という情報がアウグストの耳に入るよう仕向け、彼がどのような反応を見せるのか試した。
あの時トキシアをパーティーに誘ったのは、何らかの意図があると考えたからだ。
アウグストの屋敷には、使用人に扮した探偵の助手が、彼の言動、手記を毎日見張っており、どのような反応を示したか正確に伝えてくれた。
結果、やはりアウグストは、ある企みからトキシアをパーティーに来るよう誘導していたことが分かった。
あの時と同じように。
だから、その誘いに乗ってやることにした。
乗った上で、正々堂々と復讐する。
復讐の実行前、トキシアはロドルフの墓に語りかけた。
「ごめんね、こんなことにお金を使って。どこへでも好きなところへ行けとあなたは言ってくれたけれど、私が一番会いに行きたいのは、やっぱりあなたなの」
そして彼が買ってくれたドレスを着て、彼女は復讐に赴くのだった。アウグストにとっても、そしてトキシアにとっても、最後のパーティーに。
※※※※※※※※※※※※※※※
「どうして! どうしてなのよ!」
最早動物の鳴き声のようなジゼルの悲鳴が、トキシアを現実に引き戻した。ジゼルは確かに解毒薬を飲ませた筈だった。それなのに、アウグストの容態は良くなる気配が無い。痙攣は止まらず、体中から汗が吹き出し、苦し気な声が時々漏れる。
ジゼルの「解毒薬がある」の声で一旦治療魔法使いを呼びに行くことを躊躇った兵士は、先ほど全速力で駆けて行った。
「あんた、彼に何をしたの? どうして解毒薬が効かないのよ!」
ジゼルはトキシアの頬を思いきり張った。頬を弾く破裂音が会場に響く。
それでもトキシアは表情を変えなかった。ひたすらに空っぽな目でジゼルを見返している。
「最初から言っている通り、私は何も入れていませんよ」
「嘘を付きなさい! あんたが何もしていないのなら、どうしてアウグストが……アウグストが……!」
「無様に死にかけているのか、ですか?」
ジゼルが涙目のままトキシアをきつく睨んだ。トキシアは目線を外し、料理の置いてあるテーブルを指さす。ジゼルもそちらを向く。
スープがある。あれはアウグストの好物であり、元々、男爵領だったこの土地の珍味「ブランシュモル」というキノコが入っている。肉厚で、旨味が強く、郷土料理として人気がある。
「あの料理、珍しい食材を使っていますよね」
トキシアは、笑った。
人の生き死にがかかったこの場所に似つかわしくない、優しい笑顔だった。
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◆後に調べられたアウグストの手記
やはりトキシアはパーティーに来る気のようだ。大方、僕の罪を告発しようとしているのだろう。
馬鹿な奴だ。安い挑発に乗ってわざわざ死にに来るなんて。まあ僕の完璧な作戦によって、来るように誘導したのだが、あいつの頭じゃ分からないか。
警備の兵にはわざとトキシアを素通りさせるよう伝達した。当日が待ち遠しい。今度こそ火刑にしてやる。
この計画は僕しか知らない。誰かに知らせたら演技っぽくなってしまう。
ジゼルにも見せ場を作ってあげるため「もし再びあの女が現れて、僕が毒殺されそうになったら、君が解毒薬を飲ませてくれ」と言っておいた。
愛する妻の介抱で生き返る夫。ああ、なんて完璧な計画なんだ。
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「じゃあそのブランシュモルに毒が入っていたっていうの!?」
トキシアはじれったいほどに、ゆっくり首を振った。
「いいえ、それならあなたも、この会場の人たちも死にかけていないとおかしいです」
ジゼルは髪をかきむしる。
「分からない! じゃあどういうこと! 早く教えなさいよ! この低能の平民!」
ヒステリックに叫ぶ。
トキシアは悲鳴や怒号の飛び交う会場で、まるで瞑想でもしているかのような、穏やかな表情をしていた。
「では特別にネタバラししてあげましょう」
トキシアは肩をすくめた。
「彼は死んだふりをしていたんですよ。私に罪を被せるため。5年前も、そして今回も」
「死んだふり……? う、嘘よ! こんなのどう見ても演技に見えないわ!」
確かにアウグストの痙攣も顔色も、どう見たって演技で出来る範疇ではない。
「ええ、演技ではありません。『今は』ね。少し思い返してほしいのです。彼はここでの料理の他に、あるものを口にしませんでしたか?」
ジゼルの表情が、徐々に曇っていく。とてつもない悪意を、今更トキシアから感じ取ったのだ。ジゼルは弱気を覆い隠そうとするかのように大声を上げる。
「何が言いたいの? 結局キノコは何だったの? 関係あるの!? 無いの!?」
「ブランシュモルは、それ単体では美味しく頂けるキノコです。けれど、あるものと混ぜると、途端に猛毒となるのです」
その知識は、彼女が幼少期、薬学を学んでいる際に知ったことだった。
そして彼の身辺を調べる過程で、このブランシュモルがこのパーティーに提供されることを知った。だから、知識を生かすことにした。
「ブランシュモルは特殊な組成をしています。キノコ自体が魔力を持っていて、それが妙味になるのですが……。それをパラリシンという物質と混ぜると、魔素の化学反応が起こり、人間の神経中枢に深刻なダメージを与える毒に変わるのです」
「パラリシン……? まさか!」
ジゼルは、先ほど投げつけられた小瓶のかけらをはいつくばって集め始めた。手に破片が刺さり、血が出ても彼女は止まらない。
その手が、ピタリと止まる。
内容表記の欄に、小さい文字列を見つけたからだ。
「パラリシン」と、はっきり記されていた。
ジゼルの全身から急速に血が引いていく。彼女は座り込んだまま、まるで死人のように口を開き、完全に動かなくなってしまっていた。
後ろからトキシアが近付いてきて、目線を合わせるように、彼女の正面にしゃがみ込んだ。
「ねえジゼル様、アウグスト様が今苦しんでいるのは、一体誰のせいなのかしら?」
まるで親しい友人に語り掛けるように、人懐っこい笑顔を向けるトキシア。反応は無い。完全に放心している。
その時後ろでうめき声が聞こえた。
振り返ると、アウグストの両親が、胸のあたりを抑えて倒れようとしている。トキシアはため息をついた。
何もしなければ苦しまずに済んだのに、自分たちだけ助かろうとするから……。
治療魔法使いを呼びに行った兵士はまだ帰ってこない。初動が遅れたのもあるが、あの魔法使いは老齢だ。来るには時間がかかる。
それでも問題ない。大丈夫だ。
手遅れになったところで、その毒ですぐに死にはしないのだから。脳に深刻なダメージを受けて、数年かけて苦しみながら息絶えるだけ。お別れを言う時間はたっぷりと残されている。
ああ、何と人道的なのだろう。
土気色になり、泡を吹いているアウグストの顔を見下ろしながらトキシアはそう思った。
おわり




