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42 結界

 同じ体勢で読んでいると首から肩が痛くなってきて、結衣は首を回す。

 女の子はよく眠っていた。額にタオルが置かれている。そのタオルは温くなっていたが、天狗が置いたのだろうと察して口元が綻ぶ。


 やっぱり悪いやつじゃない。

 善との衝突を避けさせるためにも、絶対に力をつけてやる、と意気込んだ。





 一冊読み終えると、空は赤く染まっていた。結衣が本を閉じると、扉が開いた。


「食事だ」


 天狗は結衣の前に膳を置く。また少量のご飯が茶碗に盛られているだけだった。

 もう一つは、女の子の前に置く。鰹出汁のいい香りにそそられて、じっと見つめた。卵とネギの入った雑炊だ。量も子供が満足するくらいにはある。


「美味しそう」


 よだれが垂れそうになって、急いで口元を拭う。

 天狗は女の子を起こした。女の子はフーフーと息を吹きかけ、雑炊を食べる。

 結衣は雑炊を見ながら、少しずつご飯を噛み締めた。





 食事後は陽の落ちた部屋で寝転がった。

 女の子が眠っているから、電気を付けずにいる。

 月明かりのほなかな白い光が、唯一の光源だ。

 この部屋には経典しかないが、読経もできない。


「スマホがほしい」


 結衣はごちる。

 暇すぎて眠くなってきた頃、再び扉が開いた。

 天狗が女の子をそっと抱き上げる。


「お家に連れて帰るの?」

「ああ、そうだ」

「私も帰らせて。修行はするから、また明日の朝に迎えにきてよ」


 天狗の目が光る。暗い部屋に目が慣れていたから、結衣は眩しさに目を閉じた。


「うるさい。お前はここにいろ」


 天狗は女の子を連れて部屋を出ると、苛立っているのか大きな音を立てて扉を閉めた。結衣はその音に首をすくめる。


「家で寝て、おばあちゃんの美味しいご飯を食べて修行した方が絶対に捗るのに」


 千代の作る食事を思い出して、結衣のお腹が鳴った。


「お腹減ったし、寝よ」


 結衣は寝転がって瞼を閉じた。





「起きろ」


 しゃがれた声が響き、結衣は飛び起きる。

 キョロキョロと辺りを見渡して、何もない部屋と天狗を映す。

 丸太小屋にいることを思い出した。


 運ばれた食事は、ご飯だけではなく、味噌汁も付いていた。相変わらず量は少ないが、結衣は出汁と味噌の匂いで胸がいっぱいになった。


「いただきます」


 一口含んでホッと息を吐いた。麹味噌の粒々とした舌触りと、ほのかな甘みで満たされる。


「美味しい」


 結衣はすぐに平らげてしまって、肩を落とした。もっとゆっくり食べればよかった、と。

 片付けて、天狗に「今日はなにをするの?」と問いかける。


 天狗は細い紙と墨と筆を用意した。

 天狗がなにかを書くが、達筆すぎて結衣には読めない。


「これは結界を作るために使う札だ」

「結界? どうやって使うの?」


 天狗が部屋の四隅に紙を貼り付ける。手を合わせて力を込めると、紙から光が溢れて部屋を包んだ。光はやがて消え、透明な膜に覆われているようだ。


「……今のでわかった。この森にも結界を張ってるでしょ?」

「よく気付いたな」

「森はすごく清らかな空気だったんだ。結界ができる時、それを強く感じた」

「書いてみろ」


 天狗は結衣に場所を譲る。結衣は紙をジッと見つめた。


「私にも結界が作れるの?」

「神通力を込めて書けば、弱いものならできるだろう」

「なんて書けばいいの?」

「自分の好きな言葉でいい」


 結衣は深呼吸をする。

 神通力を込めるとは、どうやるのだろう。

 筆を持つ右手に意識を集中させても変わりはない。


「あっ、気持ちを込めて書けばいいってこと?」


 結衣の作る恋愛成就のお守りは評判がいい。善が神力が高いから効くのだと教えてくれた。


 宗一郎に魔除けのお守りを作った時も、効きすぎてしまった。

 それならば、結衣が書くことは決まっている。


 結界だから、だれかを守ることを考えればいいのだろうと考えた。


(人を守りたい。この力で善を助けたい)


 そう祈りながら、結衣は『白水神社』と書き慣れた文字を丁寧に文字を書いた。

 ふぅー、と息を吐き出した。あと三枚、心を込めて記す。


 四枚の札を四隅に貼った。手を合わせて、守って、と祈る。

 天狗の時みたいな清らかな空気は感じられなかった。

 結衣はゆっくりと瞼を持ち上げる。


「もしかして失敗?」

「札はよく書けているが、結界は張れていない」


 結衣はその場で仰向けに倒れた。


「そのうち結界を張れるようになるだろう。ついてこい」


 天狗が部屋を出ていく。

 結衣は勢いをつけて起き上がった。

 外に出ると「わたしを追いかけてこい」と天狗が走り出した。


 結衣は急いで追いかける。一本歯下駄で歩くよりはマシだが、足場は悪く裸足だから痛みに顔を顰める。

 全速力で走っても、差は広がっていくばかり。

 結衣は木の根に足を引っ掛けて盛大に転んだ。


「いったー……」


 土のついた手や足から、じわりと血が滲む。

 顔を上げると、天狗の姿は見えなくなっていた。


「追いかけなきゃ」


 結衣はふらつきながら立ち上がった。一本道だから進んでいけば、いつかは天狗を見つけられると信じる。

 一歩踏み出そうとすると、なにかが崩れるような轟音が響き渡った。周りの空気が変わる。


 結衣は辺りを見渡した。

 清らかな空気がなくなったような気がする。


「もしかして、結界が消えたの? 壊された?」


 不安から結衣は胸に手を当てた。服の上からお守りに触れる。

 善が守ってくれるから大丈夫、と自分に言い聞かせた。

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