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36 「助かった」

「結衣、まずいかも。善の調子が悪そう」

「え? どうしたんだろう?」


 最近の善のことを思い浮かべる。近頃、子供が神社に来なくて、純粋な祈りが得られないと嘆いていたことを思い出す。神力が弱まっているんだ。


「ローレライ、一緒に善が勝つことを祈って」


 結衣とローレライは手を合わせた。


(善、頑張って! マンティコアを倒して)


 必死に祈っていると、パンッと乾いた音が響き、頬に痛みが走る。


 結衣が瞼を開くと、ローレライが涙を滲ませて結衣の顔を覗き込んでいた。手のひらを顔の横でこちらに向けている。

 ローレライに平手打ちされたのだと知り、呆然とした。


「結衣、息はして! 顔が真っ青になってて怖かった」


 ローレライが瞬きをすると、涙がこぼれ落ちる。


「ごめん。ありがとう」


 集中しすぎて息も忘れていたようで、頭がクラクラとする。結衣は額を押さえた。

 ローレライに支えられ、少し寄りかからせてもらう。


「大丈夫?」

「うん、ちょっと疲れただけ」


 滝壺に視線を移すと、水面全体が光っていた。白く温かい光は、ヴァンパイアを浄化するときに善が纏っていたもとの同じだ。


 ひときわ光が強くなったかと思うと、光は徐々に淡くなり消えた。

 水面からひょこっとピカピカのお皿が覗く。河童が滝壺から飛び出してきた。


「終わったの?」

「うん、そうみたい」


 河童がこちらに弾んだ足取りで向かってくる。

 結衣の手を冷たいものが覆う。濡れた善の手だった。触れ合うと、善の姿が視認できた。


 善はびちょびちょに濡れていて、髪や狩衣から水滴が垂れる。濡れた髪を掻き上げる仕草に見惚れた。


「結衣、歩ける? 家で休んでから帰ろ」

「うん、ありがとう」


 ローレライに肩を借りながら歩こうとすると、結衣の体はふわりと浮く。善に横抱きにされて、結衣は目を白黒させた。


「歩くのが遅い。家に案内しろ」


 結衣は善に抱えられて体を硬直させた。心音が善に聞こえてしまうのではないかというほど、大きな音を鳴らす。


 濡れた善に触れられているから、結衣の服も濡れた。冷たさよりも、体の奥底から熱が広がって温かい。

 結衣はハッとして、善の頬に触れる。


「善、寒くない? 大丈夫?」


 触れる善の体はひんやりとしていた。


「問題ない」


 ローレライたちの家に入ると、結衣は椅子にそっと下ろされる。

 ローレライが結衣と善にタオルを差し出した。

 結衣は少し湿った服にタオルを押し当てる。

 善は豪快に頭を拭いていた。


「善、服を脱いで乾かしたら?」


 河童が外で火を焚いていた。

 善の手が離れる。結衣から善が見えなくなり、玄関の扉が開いたことで、善が外に出たのだと知る。


 河童が大きな石に手を向けているから、そこに座ったのだろう。河童は善がいるであろう場所に、なにかを話しかけている。


「いいな、善のことが見えて」


 窓から外を見ながら、結衣はポツリと呟く。

 ローレライがそっと結衣に寄り添った。


「結衣にいいことを教えてあげる」

「なに?」


 二人は顔を見合わせる。ローレライは綺麗な顔でニンマリ微笑んだ。


「善ね、結衣に触れる前に『助かった』って優しい目で言ったのよ」

「え? 触った時はいつもの無表情だったよ」


 内緒話をするように、ローレライは口に手を添えて結衣の耳元で囁いた。結衣は目を大きく見張る。


「善は照れ屋なの? ちゃんと愛情表現されてる?」


 ローレライはかっちゃんは、と惚気話をたくさん聞かせてくれて、結衣は頬を緩ませる。


 結衣は外に目を向けた。火の近くには河童しか見えない。

 結衣に優しい目を向ける善を想像した。結衣の顔は瞬時に染まる。


「どうしたの?」

「今のままでいいかな。善のちょっとしたことで、すぐドキドキして心臓に悪いし。あーあ、優しい彼氏が欲しかったはずなのになー」


 結衣は眉を下げて、天井を仰ぐ。善に優しくされたら、心臓が持ちそうにないから、今くらいがちょうどいい。


「理想と現実は違うのね」

「そうだね。ローレライ、善のことを教えてくれてありがとう」

「だって私は善より結衣の味方だし。善は知られたくなかったかもしれないけど、結衣は絶対に知りたいと思って」


 結衣とローレライは顔を寄せて笑った。





 次の日からピタリと事件は止み、徐々に外出する人が増えた。

 一週間後、結衣は『プールに行こ』とグループにメッセージを送った。


 沙苗と美咲から『OK』の返事が来て、数分後に莉子からも『行きたい』と返ってきた。莉子からいい返事が来て、結衣はホッと胸を撫で下ろす。

 みんなで楽しもう、と頬骨を上げた。

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