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32 複雑な気持ち

「ただいま」


 家に着くと、結衣は部屋に入ってベッドにダイブする。

 莉子の笑った顔が見れてよかった、とホッと息を吐いた。

 寝転がっているとウトウトしてきたが、勢いよく扉が開いて飛び起きる。

 険しい顔の善だった。


「あのさ、何回言えばわかるの? 勝手に開けないでよ」


 無遠慮に部屋に入ってくる善に向かって頬を膨らませる。


「そんなことはいい。なにをしていた」

「なにって、友達の家でひたすら喋ってただけだけど」


 善のキツイ声と威圧感に結衣は気圧される。

 善が結衣の首元に顔を埋め、結衣は緊張で体をカチコチに固めた。首筋にかかる善の息で、全身が真っ赤に染まるのを自覚する。


「今度はなにに接触した?」


 体を離した善に、険しい目を向けられる。

「接触? 本当に友達と話してただけだよ」


 結衣は硬い表情の善に不安感を煽られ、莉子の家に向かった理由と帰る前のことを話した。


「……現場近くを通っただけで、穢れの臭いがするのか?」


 善は人差し指を曲げて、口元に添えた。

 結衣は首を捻って自分のにおいを嗅ぐ。結衣には穢れの臭いがわからない。


「そんなに臭うの?」

「いや、うっすらとだが、近付いただけで臭うということは、強力なやつなのかもしれない」

「じゃあ獣じゃないってこと?」

「獣のようななにかなのだろう。もう少し詳しいことがわかればいいのだが」


 結衣が莉子たちとの会話を懸命に思い出そうとしていると、扉がノックされた。


「結衣? 夕飯ができたよ」


 扉の前で千代が声をかけてきた。


「うん、わかった」


 結衣は「まずはご飯を食べよ」と善とリビングに向かった。

 自分の席につき、「いただきます」と手を合わせて食べ始める。


 テレビは天気予報が映し出されていて、明日も暑くなると全く嬉しくないことを言っていた。


『続いてのニュースです。本日早朝、A県T市の公園で、腹部などに激しい裂傷を負った男性の遺体が発見されました。警察によりますと、発見されたのは午前5時ごろ。犬の散歩で公園を訪れていた地元の高校生が遺体を見つけ、110番通報したということです。男性は近くに住む40代の会社員、斉藤真斗(さいとうまさと)さんとみられています。警察は傷の状況から、野生の大型動物、あるいは猛獣などによる襲撃事件の可能性も視野に入れ、捜査しています。しかし、現在までに近隣施設からの猛獣脱走の報告、および不審な大型動物の目撃情報は確認されていません。警察は引き続き、事件当時の状況を慎重に調べ、事件の原因究明を急いでいます』


 結衣は箸を落とした。


「結衣、どうしたの?」


 千代が箸を拾って、綺麗なのを持ってきてくれる。


「今のニュース、莉子が通報したの」


 結衣は千代と宗一郎にも事情を話した。


「犯人は獣のようなモンスターだ。警察では捕まえることができない。結衣、明日現場に連れて行け」


 結衣は顔を歪める。善に倒してもらわなければ、もっと被害者がでるかもしれない。怖いけれど、渋々頷いた。


「あっ、おじいちゃん。莉子の家に自転車を取りに連れてって」

「ああ、わかったよ」


 宗一郎は穏やかに頷いた。


「明日もまだ公園には入れないと思うけどいいんだよね?」

「ああ、近くに行ければいい」


 善も一緒だと、帰りは車に乗れない。自転車だけ乗せてもらって、歩けない距離ではないから、歩いて帰ることになるだろう。





 次の日の早朝、勢いよく開いた扉の音で結衣は飛び起きた。何事か、と目を忙しなく動かす。

 善が無遠慮に部屋へ入ってきて、結衣は額を押さえた。


「いい加減にしてよ。勝手に開けないで」

「ノックはした。返事がないから開けた」

「普通は返事があって、許可されたら開けるの!」


 結衣は髪を手櫛で整える。寝起きで降りそうになる瞼を、無理矢理持ち上げた。


「宗一郎はもう起きているぞ。出かける準備をしろ」


 時計に目を向けると、まだ5時だった。結衣は肩を落とす。


「帰ったらまた寝よ」


 善を部屋から追い出し、結衣はクローゼットを開けた。

 少し悩んでマキシ丈のワンピースを着る。

 部屋を出てリビングに向かった。


「結衣、おはよう」

「おじいちゃんおはよ」


 朝ごはんを食べている宗一郎に挨拶をする。

 キッチンから千代が顔を覗かせた。


「結衣おはよう。朝ごはんは食べていく?」

「おばあちゃん、おはよ。今は食べる気がしないから、帰ってきてから食べるよ」


 宗一郎が食べ終わるのを待っている間に、結衣は善の前 で手を腰に当てて「私になにか言うことないの?」と声を掛けた。


「祈れ」


 結衣はがっくしと、体から力が抜けるのがわかった。

 おとなしい服装にしたんだから、なにか言ってくれてもいいのではないか、と心の中でごちる。

 結衣は手を合わせた。


(善が乙女心を理解してくれますように)


 祈ることで愚痴り、善に目を向ける。

 善は眉間を狭めて、不満の表情を見せた。


「俺に女になれと言っているのか?」


 結衣はズッコケそうになったが、足を踏ん張って免れた。


「そんなこと言ってないでしょ。気持ちを汲む努力をしなさいってこと!」


 フン、と鼻から息を吐き出してそっぽを向く。

 千代が「善様、服装ですよ」と善に耳打ちしたのが聞こえた。

 結衣は耳をピクピクと動かし、耳を澄ませる。


「結衣の服装なんてなんでもいい。好きな格好をすればいいだろう」


 結衣は頬を膨らませて、千代にジト目を向ける。もっと善に言ってほしい、と念をこめて。

 千代は苦笑して、どう言葉にしようか迷っている様子を見せた。


「えっと、好きな人に褒められたら嬉しいんですよ」


 付き合っていると勘違いしているから出てきたセリフだけれど、好きな人という言葉に、結衣の心臓は過剰に反応して跳ねた。

 善は結衣に目を向けて「似合っている」と言った。


「今のは私でもわかるんだからね。全然心がこもってない!」

「なにを怒っているんだ? どんな格好でも結衣は結衣だろう」

「それは、どんな格好でも愛している、ということですね?」


 千代が曲解した言葉に、善は「……ああ、そうだな」と虚な目で答えた。

 全く気持ちはこもっていないが、千代の前では一応恋人設定でいてくれるようだ。

 結衣は気分が沈む。今までは気にならなかったけれど、善に惹かれていると認めてしまった今、無理矢理言わせていることと、善の気持ちがこちらに向いていないことがはっきりとして。


 宗一郎が食べ終わり、千代を残して外に出る。

 鳥居の前で善に手を差し出され、結衣は緊張しながら手を重ねた。相変わらず、少し冷たい。

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